- Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
- / ISBN・EAN: 9784620107905
作品紹介・あらすじ
「私たち一人一人にとって、世界を埋めるものは多かれ少なかれ異物なのだ」刻一刻と姿を変えていく殺戮の夜の相貌。容疑者はすでに犯行を認め、事件は容易に「解決」へ向かうと思われたが…。合田刑事の葛藤を描く圧巻の最終章。
感想・レビュー・書評
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重い。
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上巻を読んで前作の合田雄一郎シリーズから打って変わったある種のとっつきやすさに下巻はどのように展開して仕掛けてくるのかたいそう不安になったものだが、納得の高村薫であった。
今作も相当アバンギャルドに攻めた実験小説であることは間違いない。事件そのものの時系列が上巻での犯人たちのドキュメント、刑事の取り調べ、検事の取り調べ、実況見分、一年半に及ぶ裁判。事実関係そのものをいえば、なんら省略されることはなく無くただただ繰り返されていく。これはバロウズでいうところのカットアップの変形であるし、拡大解釈すればニーチェで言うところの永劫回帰にも繋がるかもしれない。しつこく略さずに。驚くべきかなこれがおもしろいのだ。
一回一回の事件の再現にもちろん犯人たちの心情、発言、態度が変化する。それらを偏執的な神経質を持ってある時は形而上学的に実存的に受け止めて「否、否、否」と苦悶する合田雄一郎。そのまま狂言回し兼解説者として機能するという図式だ。唯一信頼できる語り手であるため感情は移入することを余儀なくされ、全く飽きることなく読み進めていくことができた。
日本の司法制度、特に死刑制度について大きく訴えてくる傍ら、個人の生と死をその表現の最優先に書かれていること忘れない。
事件が何度も繰り返されていく中で犯人二人が、かたや精神をかたや肉体を棄損されていく時間に反比例して、人間の本質がそれぞれ浮かび上がっていくところが本当に感動する。
本当に作品を追うごとに思いもしなかったような力技をよくこれだけ繰り出せるものだ。
やはりこの先生は改めて変態だと思う。 -
上巻が捜査逮捕までなら、下巻は留置所と裁判の話になってきた。被告人の人生と真摯に向き合う刑事たち。雄一郎は、なんていいやつなんだろう。遅れてきた高村ファンである。
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歯科医一家四人惨殺事件。犯人達の心のありように、せすしが冷たくなる思いがする。合田はなんでそんなに犯人に入れ込んでいるのか…。
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殺人罪は殺意を構成要件とする。検察側、弁護側どちらも殺意の有無、または殺意を抱くに至った理由をもって犯人の罪の重さを計ろうとする。
「逆恨みして」「遊ぶ金欲しさに」「面白半分」...のようなわかりやすい理由であれば犯人への憤りは応報の感情となり、関係者の気持ちは持っていきどころがある。
本書の殺人者に殺意はない。しかし、一家四人殺しという行為自体は明白であり、死刑という結末は当人すら納得している。機械のような殺人者に、システムとしての死刑執行手続きが淡々と進められる中、理由についてだけ「なぜ殺したのか」「わからない」という不毛なやり取りがエラーのように積み重ねられていく。
殺人による死、医療過誤による死、病による死、テロや災害による死、そして死刑による死...刑事・合田雄一郎は多くの死に向き合う中で、そこになにがしかの意味のようなものを探そうとしている。
だが、なにもない。 -
合田が中間管理職をがんばっている。迷いながら、悩みながら、組織の中でなんとかやっていっているのを読んで、共感をもった。
早朝の畑仕事がストレス発散だって。なんて健康的なんだー。
ここまで、2014-04-23
と思ったら、さくさく読んで、23日中に読み終わった。
なんていうか、高村薫があちこち出てきている小説だった。
たとえば、33歳の井上の手紙で、「一寸」と「とまれ」が出てきた時点で、「あ、高村薫だ」と思った。
「とまれ」は地の文でも、手紙の中でも、合田の思考の中でも、何回出てきたか知れない。ともあれとか、とにかくとか、他にいくらでも言い換えることができるだろうに。ワンパターンである。
また、「一寸」を13歳の中学生の日記と、33歳の殺人犯の手紙の中で平気で使っているのに神経を疑う。
ふつうに、「ちょっと」とひらがなで書けよ・・・・おばあさん。
高村薫の文章は法律文、たとえば検察の論告要旨や弁護人の文章、それから判決文には適しているけど、中学生が書いているという設定の文章には向かないと思う。
合田が死刑囚の井上と手紙のやり取りをするのが不快だった。
取調べまでは合田に共感できたんだけどな。
入院している戸田の見舞いに行くあたりから、もう、なんていうか、どんびき・・・・。
だって、殺人者でしょ?物言わぬ戸田に独り言のようにしゃべる合田・・・・おかしいよ・・・・。
13歳と6歳の子どもを殺しているんだよ?
私は戸田にも井上にもいっさいの同情も共感もしない。
実は、第1章は読んでいない。途中で読むのをやめた。
あまりにも死亡フラグがたっていたから。
この仕合せ(「幸せ」でいいじゃん!!なんで「仕合せ」て表記にしたがるんだろう??)そうな家族、あきらかにこのあと死にますね、死亡フラグぷんぷんですねと思ったので、最初の一区切りで読むのをやめ、いっきに第2章へ飛んだ。
だから、第1章で、戸田と井上がどう出会い、どう過ごしたのか知らない。
第2章で合田といっしょに合田の視点で事件の概要を見ただけである。
それで十分だわ。
子どもが死ぬのが、たとえ小説の中でもえらいこたえる。
昔はミステリはおもしろかったし、人が文中で死んでも平気だった。
でも、今はだめだ。
二人の子どもの親になったからか。年を取ったからか。
とにかく、子どもが虐待されたり、殺されたりすると、胸が痛くなる。
合田、なぜにそんなにその二人にかかわる?
逸脱しすぎだと思った。
中間管理職している合田はよかったけど、捜査がほぼ終わり、地検に送致してからの合田はなんとも好かん。
どこかの感想文で、この「冷血」をまた高村薫のひとりよがりな作品(その人は福澤三部作もひとりよがりと決め付けていた)だとし、高村薫がこの作品で何を言いたいか分からんと書いてあったけど、私はそこまでひとりよがりだとは思わないし、作者インタビューの動画も見たので、作者が何を言いたいか(風景の中の個人でしょ?きっと)も分からないではないけど、いかんせん高村薫という個人の個性が文中にいっぱいにじみ出ていて、小説として、没頭しては楽しめなかった。
風景の中から事件も個人も生まれるって、確かにあちこち印象的なシーンがあって、心に残るんだけど、いっしょに高村薫個人臭もぷんぷんと残ってしまっている。
それが文体のせいなのか、画一的な表記のせいなのか、私には判断つかないけど、なんつーか、今後も高村作品は合田が出るなら読むけど、合田が出ないならもう読まないだろうなと思った。 -
前作よりは理解できたが、今回も合田刑事と共に、独特の世界にはまってモヤモヤする読後感。まだ修行が足りないのか?
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空っぽの人間が犯したとしても罪は罪であり、償われなければならない。
償われたあとに空っぽの人間が残した空っぽがそこに残るだけ。
前作太陽を曳く馬から引き継がれた仏教的な空を合田がただ見つめている。 -
大好きな高村薫の大好きな合田シリーズ。出た時に真っ先に購入し、じっくり落ち着いて堪能できるタイミングに読もうと待ち続け、ようやく「いまだ!」という事になった次第。そのタイミングが来るまで5年もかかるとは、買った時は思わず笑。さすがに5年も経っていた事にびっくりした。
そして、期待に違わず堪能できた。相変わらず入り込める文章。「とまれ」「否」の多用が不評のようだが、私にとってはもう、高村さんのリズムに引きずりこませてもらえて大好きでした笑。人物描写も、いつもながら深くて感情移入でき、特に犯人二人の生い立ちになんともリアリティと説得力があった。リアリティと言えば戸田の歯痛の描写も・・。これには自分までもが歯が痛くなりそうだったが、常に歯痛を堪えていると戸田のような思考回路になりそう、とこれも非常に説得力あり。
出て来る二人のように、誰しもが聞いて納得する動機を犯人が持っていたわけではない、というのは現実世界でもあるのでは、とはっとさせられた。それに気付きつつも、明確な動機を引き出そうとする刑事達の描き方も心に残った。例によって高村作品は単なる警察小説、犯罪小説ではなくて、現実世界で起きている矛盾を読み応えのある物語と魅力的な人物達を通して描いたのだと実感。人は、人の気持ちをどこまで理解できているのだろうか。人の行動には、全てにおいて明確な理由があるのだろうか。いつもはそんな事は意識しなくても良いが、人を裁く時は?もしくは、そもそも動機というものはどれだけ重要なものなのか?
それにしても、合田刑事・・。大人になってしまったのかちょっと物足りなさが。それに、加納が直接登場しないじゃないか!しかも名前すらちゃんと出て来ずに義兄、義兄、で済ませて。ただ、「自分にとっての異物」という表現でその存在の特別さはしっかり表現されてたので、まあ今回はそれで許す笑。
読了時の満足感と余韻に浸りながら、5年間暖めておいて良かったと思った。