生きづらさについて考える (毎日文庫)

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  • 毎日新聞出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (368ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784620210520

感想・レビュー・書評

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  • オーディブルで聴了。いつも通りの内田樹さんです。定点観測的に。

  • 祝文庫化

    『生きづらさについて考える』(毎日新聞出版) - 著者:内田 樹 - 内田 樹による内容紹介 | 好きな書評家、読ませる書評。ALL REVIEWS(2019/09/04)
    https://allreviews.jp/review/3740

    生きづらさについて考える 内田 樹(著/文) - 毎日新聞出版 | 版元ドットコム
    https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784620210520

  • 個人的には「僕が家庭科を大事だと思うわけ p56 家事というのは、本質的には、他人の身体を配慮する技術」。家庭科という教科を大事にしたいと思ったという点に共感。家庭科等、生きる力に必要な技術が高等学校教育で減っているような気がしている。
    日本に住むということ、構造的にも生きている社会が金魚鉢のように閉ざされた狭い空間。日本文化を象徴する意味合いでも金魚鉢の表現がすごく納得した。表紙の「1匹の金魚」。金魚鉢にたくさん金魚いるのではなく1匹というのが、生きづらさとともに、「金魚鉢も含めた世界はどこからきて、いまどんな状態にあって、これからどう変わっていこうとしるのか、それは金魚鉢の中にいながらでも学ぶことができます。」という表現を読んでいて腑に落ちた。
    この混乱期を生き延びてゆくためには、できるかで視野を広くとって、長い歴史的展望の中でいまの自分を含む世界の風景を俯瞰することが必要。
    自分が機嫌よくいられる場所はどこにあるのか、心身のどこにも詰まりやこわばりの痛みが生じないような姿勢をどうやったら見つかるか。
    ・「こうすればうまくゆく」というシンプルな解は存在しないということ。生き延びる方途を自力で見つけるか、創り出すなりする。これが難しい。
    ・書物やメディアで必要な情報を集め、事情に通じていそうな人に相談し、アドバイスに耳を傾け、分析し、解釈して、生きる道を決定するしかありません。それができる力をいかにして習得していくかが課題。
    ・「学びたいことを学ぶ。身に付けたい技術を身に付ける」
    「やりたいこと」だけにフォーカスする。生きる知恵と力を最大化しておかないと生き延びることが難しい時代。
    ・様々な媒体に発表された短編のため、読みやすかった。

    本文より気になった文章 以下引用


    情理を尽くして説く――書き手に求められているもの
    P.65「身内」以外の読書が読んでも、教官も同意も期待できない読者が読んでも、なお読み応えのあるものを書く以外に新たな読者を獲得する手立てはないと思うからである。
    「新潮45」事件を振り返る
    p.68言論で生きる人間が自説を世に問うときには「自分が言わなければ誰も言う人のないこと」を選択的に言うべき「自分しかいう人がいないこと。自分が黙ったらこの世から消えてしまうかもしれない知見」
    p.77 今後、新聞も民放も衰退してゆくでしょう。でも、メディア全体が衰退するわけじゃない。社会からメディアの役割がなくなることはありません。今の若い人たちは新聞も読まないし、テレビも見ない。でもそれぞれ自分の才覚で信頼できるメディアを探し出してきて、情報を収集している。
    p.78-79 人間が自分の不自由さに気づくのは、自分の想像を超えて自由に生きている人に出会ったときです。「なんだ、これくらいのことはしてもいいんだ」と知ったときに人間は解放される。僕があえて過激な発言をするのは、若い人たちに対して、「これくらいのことはしゃべっても大丈夫」ということを伝えるためでもあるのです。先に地雷原を歩いてゆく人が、歩いた道筋にフラグを立てておけば、「あそこまでは行ける」とわかるでしょ。そういうかたちでリスクを引き受けることが年長者のつとめだろうと思っています。

    第2章 気が滅入る行政:安倍政権と米朝対話
    p.104-105 一人一人が帰属できる共同体、相互扶助的な手触りのたしかな共同体を国民国家の内部にもう一度構築するほか手立てはないと私は考えています。私が現在、日本国内で行っている活動は、そのような「相互扶助的な共同体」の再構築の試みです。同じような志を持ち、同じような共同体再生をめざしている人は、世界の各地にすでに広く存在していると私は信じています。
    第3章 ウチダ式教育再生論:「教育」まで株式会社化したこの国の悲劇
    p.166 「社会的共通資本」とは「それなしでは人間が集団として生きてゆくことのできない制度」のことであり、専門家によって、専門的知見に基づいて、定常的に管理運営されるべきものである。収益を上げたり、株主への配当金を増やしたり、あるいは特定の政治イデオロギーを宣布するために存在するわけではない。そのことをまったく理解していない人が少なくない(どころではない)
    p.168 「人間が集団として生きてゆくためにほんとうに必須のもの」と「(あってもなくてもよい)商品」を混同して、商品の開発・製造・流通と同じ要領で社会的共通資本も管理できると思い込んだ。そのせいで、いまの日本は「こんなざま」になってしまったのである。
    格付けできないのが「知」
    p.175 「限りある資源を分配するのだ。生産性・有用性を数値的に格付けし、その査定に基づいて資源を傾斜配分すべきだ」
    「数値的な格付けに基づく共有資源の傾斜配分」=貧乏シフト
    「誰もやっていないことを研究する自由」が大学から失われた。「誰もやっていない研究」は格付け不能
    日本の大学の劣化は「貧して鈍した」」せい。

    「金魚鉢」のルールとコミュニケーションの誤解
    p.202 コミュニケーションをすることの最大の喜びは、自分が思いもしなかったアイデアを他人から得ることがや自分とは違う感受性を通じて経験された世界を知ることにあると僕は思っています。自分の感情や思考を他人にまるごと肯定してもらっても、うれしいけれど、それによって自分が豊かになるわけではない。対話することの甲斐は、対話を通じて自分が豊かになり、より複雑になること
    p204 いまの若者たちが気の毒だなと思うのは、自己責任論を深く刷り込まれ、それが内面化してしまっている点です。物事がうまくいかなかったり、十分な評価を得られないと「自分が悪い。能力がなく、努力が足りないせいだ」と自分を責めてしまう。いまの若者たちは総じて自己肯定感が乏しく、自己評価も低いですけれど、それは幼い頃から単一の評価基準で査定され、格付けされ続けてきたからだと思います。格付けされ慣れてしまったせいで、逆に、格付けされないと不安になる。客観的で精度の高い格付けをされて、自分の同学齢集団内部でのランキングを知りたがる。それに基づいて、自分は「どの程度の野心」を抱いてよいのか、「どの程度の学歴」や「どの程度の地位」や「どの程度の配偶者」をめざしてよいのか、その「シーリング」を少しでも早く知ろうとする。
     極端な同調的コミュニケーションにしても、自己責任論にしても、格付け志向にしても、彼らの責任ではないんです。社会がそうさせているんです。それが先ほど申し上げた「金魚鉢の硬直化したルール」です。
    p.205 自分たちがいま生きている社会が金魚鉢のように閉ざされた狭い空間であることに気づいて、生き延びる道を見つけること、人文学を学ぶ意味は、そこにあります。
     学ぶことによって、自分たちが閉じ込められている金魚鉢のシステムや構造を知り、それがいつどんな歴史的条件下で形成されたものであるかを知り、金魚鉢の外側には広い社会があり、見知らぬ世界があり、さらにそれを取り巻く宇宙があることを知る。金魚鉢も含めた世界はどこからきて、いまどんな状態にあって、これからどう変わっていこうとしるのか、それは金魚鉢の中にいながらでも学ぶことができます。これが人文学を学ぶということです。この混乱期を生き延びてゆくためには、できるかで視野を広くとって、長い歴史的展望の中でいまの自分を含む世界の風景を俯瞰することが必要です。
    p.213 若い人たちが感じている「生きづらさ」は「正しい位置」にいないことで生じた心身の歪みがもたらす詰まりや痛みです。自分が機嫌よくいられる場所はどこにあるのか、心身のどこにも詰まりやこわばりの痛みが生じないような姿勢をどうやったら見つかるのか、大学生活では何よりもそれを求めて行ってほしいと思います。
    「最悪の時代」を生き抜くための学び方
    p.222-223
    正しい選択肢はない。「やりたいこと」に注力する
    わかっているのは「こうすればうまくゆく」というシンプルな解は存在しないということです。初めて経験する状況ですから、成功事例というものがない。生き延びる方途はみなさんが自力で見つけるか、創り出すなりするしかない。書物やメディアで必要な情報を集め、事情に通じていそうな人に相談し、アドバイスに耳を傾け、分析し、解釈して、生きる道を決定するしかありません。そして、その選択の成否については自分で責任をとるしかない。誰も皆さんに代わって「人生の選択を誤った」ことの責任は取ってはくれません。
    p.223 「学びたいことを学ぶ。身に付けたい技術を身に付ける」
    「やりたいこと」だけにフォーカスする。それは自分がしたいことをしているときに、人間のパフォーマンスは最も高まるからです。生きる知恵と力を最大化しておかないと生き延びることが難しい時代に皆さんは踏み込むのです。

    p260-261 マルクスより
    人は誰も平等であるべきですけど、その理想を実現するためには「自分には他の人よりも多くの責務がある」という自覚を持つ人間が要る。貴賤の差のない世界を実現するためには「ノブレス・オブリージュ(高貴であることの責務)」を感じる人が要る。自分には他の人より多くの責務があると感じる人がいなければ、この社会を住みやすいものにすることはできません。

    p280-281
    人間が「落ち目」になるのは、単に金がないとか、健康状態が悪いというような理由からではない。これからどう生きればよいかわからなくなったときに、人間は毒性の強い脱力感に囚われる。
    p.282
    日本が「落ち目」になったのは個人の努力と国力の向上を結び付ける回路が失われてしまったからである。(中略)
    道徳教育の強化や「日本スゴイ」キャンペーンや「クールジャパン」幻想や、排外主義的言説を撒き散らすことを通じて個人の努力を公的なものに向けろと必死になって煽っているのである。
    日本が「落ち目」だということについての国民的合意が形成され、なぜそうなってしまったのか、そこからの回復の方位はありうるかについての自由闊達な議論が始まらない限り、この転落に歯止めはない。

    日本人の「自由」を再定義する

    p285-286 自由の達成が日本人には不自由
    日本人にとって、気が楽になるとか、心持ちが落ち着くとか、肩の荷が下りた気がするとかいうのは「自由を達成した」からではないんです。すべての外的な干渉を退けて、自分の思いの通りのことを実践するということを日本人はほんとうは望んでいない。それよりは、ほっとしたい、気楽でいたい。
    集団のなかにいると、さまざまな相互に矛盾したり対立したりする要請を調整しなければならないということがあります。それがうまく折り合って、「落としどころ」に話が落ち着いたときに、日本人は解放感と達成感を覚えます。
    理不尽な要求をされても、身勝手なことを言われても、それでも、あちこち走り回り、あちらの顔も立て、こちらの言い分も通して・・・というような困難な調整を果たして、もろもろの干渉が相互に相殺されて、一種の「ニュートラル」状態を達成したときに、日本人はなぜか深い満足感を覚える。これはどう考えても、ヨーロッパ的な「自由」とは似ても似つかぬものです。
    p287 ユーラシア大陸の辺境に位置する日本列島には、外から次々と新しい集団が到来し、新しい文物が流入しました。そして、そのつど対立せず、排除せず、折り合いをつけてきた。「そちらにはそちらのお立場が、こちらにはこちらのメンツが。どうです、ひとつナカとって・・・」というのが日本における問題解決の成熟したマナーでした。それは正解を得るための方法ではないのです。いざこざを避けるための方法です。原理を貫徹する、心境や思想に殉じるということを日本人はあまり好まない。それよりは非協力的な対立を折り合わせる調整能力が尊ばれる。

    p289
    「相容れない立場をなんとか折り合わせる能力」こそが列島住民が生き延びるために優先的に開発してきた資質なんですから。列島民たちはそういう生存戦略で2000年くらいやってきたわけで、いまさら変えろといわれても無理ですよ。

    自由なんか前からなかったんだから。

    日本人は「調和」のうちに安らぐことを、ヨーロッパ人が「自由」のうちに安らぐことを求めるのと同じくらいに切実に求めているのであって、それはそれで一つの「種族の文化」だと僕は思っているのです。

  • 学生時代、政治社会学やガバナンス、政治思想哲学だとかに関心があって、内田先生の『ためらいの倫理学』を読んだ。
    その本が面白かったのと、本書の帯の紹介文にそそられて買った一冊。
    自己啓発本は苦手だけど、「風」なタイトルなだけで、実際の内容は現代政治思想史に近いかなと思った。

    雑誌や新聞への寄稿を集めて一冊の本にしているもので、明確な起承転結があるわけではない。
    気に入った文をまとめておく。

    P222-223
    〈生き延びる方途は皆さんが自分で見つけるか、創り出すなりするしかない。
    (中略)
    そして、その選択の成否については自分で責任を取るしかない。誰も皆さんに代わって「人生の選択を誤った」ことの責任は取ってはくれません。〉

    p260-261
    〈人は誰も平等であるべきですけど、その理想を実現するためには「自分には他の人よりも多くの責務がある」という自覚を持つ人間が要る。貴賤の差のない世界を実現するためには「ノブレス・オブリージュ(高貴であることの責務)」を感じる人が要る。自分には他の人より多くの責務があると感じる人がいなければ、この社会を住みやすいものにすることはできません。〉

    p280-282
    〈人間が「落ち目」になるのは、単に金がないとか、健康状態が悪いというような理由からではない。これからどう生きればよいかわからなくなったときに、人間は毒性の強い脱力感に囚われる。
    ・・(中略) ・・
    日本が「落ち目」になったのは個人の努力と国力の向上を結び付ける回路が失われてしまったからである。
    ・・(中略) ・・
    日本が「落ち目」だということについての国民的合意が形成され、なぜそうなってしまったのか、そこからの回復の方位はありうるかについての自由闊達な議論が始まらない限り、この転落に歯止めはない。〉

    p285-286
    〈日本人にとって、気が楽になるとか、心持ちが落ち着くとか、肩の荷が下りた気がするとかいうのは「自由を達成した」からではないんです。すべての外的な干渉を退けて、自分の思いの通りのことを実践するということを日本人はほんとうは望んでいない。それよりは、ほっとしたい、気楽でいたい。
    集団のなかにいると、さまざまな相互に矛盾したり対立したりする要請を調整しなければならないということがあります。それがうまく折り合って、「落としどころ」に話が落ち着いたときに、日本人は解放感と達成感を覚えます。
    (中略)
    もろもろの干渉が相互に相殺さらて、一種の「ニュートラル」状態を達成したときに、日本人はなぜか深い満足感を覚える。これはどう考えても、ヨーロッパ的な「自由」とは似ても似つかぬものです。〉

    p289-290
    〈「相容れない立場をなんとか折り合わせる能力」こそが列島住民が生き延びるために優先的に開発してきた資質なんですから。列島民たちはそういう生存戦略で2000年くらいやってきたわけで、いまさら変えろといわれても無理ですよ。
    (中略)
    日本人は「調和」のうちに安らぐことを、ヨーロッパ人が「自由」のうちに安らぐことを求めるのと同じくらいに切実に求めているのであって、それはそれで一つの「種族の文化」だと僕は思っているのです。〉

    なにかを悲観するにしても楽観するにしても
    自分自身が立つ場所の背景や特性を理解した上で、思い至りたい。
    そう強く思った一冊。よかった。

  • 借りた日2023/09/24
    読み終わり2023/10/08

  • 内田樹先生の本をやっと初めて読んだ!納得いくものが多かったし、何よりあとがきが良かった! 
    他の本も読んでみたい。

  • 取り扱うテーマは、先行き真っ暗な日本の現状なんだけど、語り口が軽快で、面白く読める。

    内田節で語る日本人の国民性も、
    そうかもとちょっと納得させられる。

    度重なる不祥事は、壊滅するまで止められないのは日本人の特徴から。

    日本教育が量産した上位下達のイエスマン。

    自民党が国民の政治無関心を意図的に築き上げたという自説。

    教育投資少なすぎて、論文出稿数も先進国最下位、これに叱咤してるのは、日本じゃなくて、アメリカや英国だとか、、

  • 本書は現代社会に蔓延する「生きづらさ」を緩和するために、政治や教育における最善の選択肢を提示し、想定されうる暗い未来について思考が停止する日本の国民性については批判的に書かれている。本書では「生きづらさ」を、自分の機嫌が損なわれる場所にいることで起こる心身の不一致と定義している。本書では「生きやすさ」について直接語られることはない。なぜなら文中で列挙されていた「生きづらさ」やその要因を再考し、解消していくことで、心身のズレが修正され、自由度が増し、その結果生きやすくなるという筆者のメッセージだからである。そして我々は後の世代へ「生きづらさ」を残してはいけない。

  • 心に刺さる言葉が散りばめられている本。生きづらい(このままでは嫌な)社会だと思っているが、なぜ日本がそのようになってしまったのか、生きづらさの正体とは何なのかが、納得させられる文章で説明されていた。わたしが抱いている違和感は、こういうことだったのか、そしてこの違和感を感じているのは私がいけないのではななかったんだと思わせてもらった。本を読むことは世の中を知ることにつながり、視野が広がることを実感した。もっともっと沢山の本を読もうと思えた。

  • サンデー毎日の政治に関する連載のまとめ。政治に関するコラムなので、時事的には少し古いものもあるし、情勢予想として外しているものもあるのだけれど、根本にある日本政治の問題点に関する指摘は今でも通じる。
    大して変革もせずに古い制度にしがみつき、かつジリ貧になるなかで、少しでも得しようという感覚に溢れた現代社会。株式会社化が社会の全面に渡って展開され、学校、大学、行政、地域社会が効率を重視して運営されている。結果として日本の基礎体力を奪い続けている。日本はストックで食べているところが大きいと思うけど、そろそろそのストックも尽きてしまう。
    何とかしなければいけないのだけれど、簡単な解決策に飛びつかず、一歩ずつやっていくしかないんだけど。
    最後にミス・マープルが家から出ずに自分の記憶や周囲の人間関係からのアナロジーから行う推理方法こそが新たな発見のためのキーという話は面白い。一見関係ないところに関係をつくることで知的衝撃が走る。意識して考えてみたいと思う。

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著者プロフィール

1950年東京生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。神戸女学院大学を2011年3月に退官、同大学名誉教授。専門はフランス現代思想、武道論、教育論、映画論など。著書に、『街場の教育論』『増補版 街場の中国論』『街場の文体論』『街場の戦争論』『日本習合論』(以上、ミシマ社)、『私家版・ユダヤ文化論』『日本辺境論』など多数。現在、神戸市で武道と哲学のための学塾「凱風館」を主宰している。

「2023年 『日本宗教のクセ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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