- 毎日新聞出版 (2011年9月30日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (224ページ) / ISBN・EAN: 9784620320823
感想・レビュー・書評
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釜石で少年期を過ごした『毎日新聞』のベテラン記者が、震災直後から現地に身を置いて書いた被災地ルポである。昨年度の「日本記者クラブ賞」も受賞し、続編も刊行されている。
「うまい文章だとは思うが、ときどき表現が古臭いなあ」というのが第一印象。いかにも「昔の新聞記者文体」というか。
たとえば、こんな表現。
《元早稲田大学ラグビー部員で市会議員で消防団員、疲れ知らずのタフガイは生きていた。》
いまどき「疲れ知らずのタフガイ」って……。
あるいは、こんな表現。
《廃墟と化した故郷を前にして滅入る気持ちを奮い立たせるように、たき火を囲んで酌み交わし、共にくゆらす紫煙があってこそ、開いてくれる胸襟もあった。》
これも古めかしい美文調で、いまとなってはクサい。
……と、ケチをつけてしまったが、読んでいるうちに内容の迫力に引き込まれ、文体の古臭さは気にならなくなった。
一章ごとに、一人の人、一つの家族に的を絞った構成。
著者が釜石育ちであるだけに、取材相手の方言の活かし方が素晴らしい。次のような言葉は、標準語に直してしまったら思いの半分も伝わらないだろう。
《「何で津波なんかで死んだんだべ。寒かったべな、苦しかったべな、何を思ったんだべかって。答え出ないのわかってるんですっけ。でも悔しぐて、寂しぐて」》
取材相手の心に分け入り、秘めた思いをすくい取る手際が鮮やかだ。そして、ちりばめられた生と死のドラマが胸を打つ。
たとえば、こんな一節。
《津波で流れる家の二階で手を振る人の姿が脳裏にこびりついたおじいさんもいた。「あれは、助けてという意味なのか。お別れのさよならなのか」と自問していた。津波から逃げようとした中年の女性は、年老いた男女に「助けて」としがみつかれた。濁流が間近に迫る。「私、ふりほどいて走ったんです。後ろを見たら、二人はもういなかった。手の感触が腕に残っています」》詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
2022/03/20
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☆信州大学附属図書館の所蔵はこちらです☆
http://www-lib.shinshu-u.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BB07180954 -
三陸の地震と津波の後、そこに住む人々がどのようにその災害を受け止めて、生活を始めたか。新聞記者の筆者が、新聞の記事として書いていたものをまとめたもの。
釜石に行ったときに、本の冒頭に知り合いが出ていたこともあり、それぞれの人生が、あの日を境にどのように変わり、どのように過ごしていたのかが分かった。生活を一変させた災害について、深く考えることがやっぱり必要だと思う。 -
「三陸物語」の記事を読むのが好きだったのでこちらを手に取りました。
大切な人を失った悲しみ、それを乗り越えようとするひたむきな姿、
名も知らぬ人に命を救われた温かさ、家族に会えた喜びなどが
ストレートに伝わってきます。
ところで記者である著者が、まえがきで
日航ジャンボ機墜落の現場を取材してきた旨に触れていますが、
過去の実績をそこはかとなく披露してみるのは記者の気質なのか…
と、変に勘繰ってしまいました。
きっとひと月前に「クライマーズハイ」を読んだ影響ですね^^; -
東京にて受けた地震後即現地に入り、取材活動のレポート
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(2011.12.01読了)(2011.11.24借入)
【東日本大震災関連・その39】
東日本大震災のルポです。「毎日新聞」に2011年5月2日~9月1日、連載したものがもとになっています。取材先は、岩手県釜石市が大部分で、一部、陸前高田市や大船渡市が含まれています。釜石から車で1時間前後南下すると大船渡や陸前高田に行くことができます。
一人ひとりの人物に取材してまとめています。震災の被災者は、一人ひとりがあの日からの物語を持っています。読んでいると、活字が涙でゆがんできますが、読み進まずにはおれません。もう何冊も読んだのに、何冊読んでも悲しみは変わりません。
早目に避難して助かった人。津波に追いかけられながらかろうじて助かった人。津波から逃げ切れずのみ込まれたけれど、何とか生き延びた人。眼の見えない被災者。耳の聞こえない被災者。できるだけいろんな人たちを取材し、まとめています。
目次は以下の通りです。
故郷・釜石から
澤田幸三さん・長距離トラック運転手
菊池忠彦さん・釜石の漁師
菊池玲奈さん・岩手県立大槌高校三年
堀切友哉さん・遠野市の消防士
新田貢さん・家族三人を失った父親
吉田寛さん・電器店の二代目
藤原正さん・全盲の鍼灸師
中村亮さん、三三子さん・視覚障害の兄妹
手話サークル「橋」・ろうあ者は私たちだけじゃない
吉田千壽子さん・いつ死んでもいいように、毎日を悔いなく生きたいの
岩間郁子さん・私は言葉を大切に生きようと思いました
伊藤艶子さん・釜石最後の芸者
●一気に語る(31頁)
被災地を回り、腰をおろして話しこむと、多くの人々が津波の日の出来事をまるで映写機でも回すように一気に語った。不条理に向き合ったときの、心の表出の仕方だった。
●下半身丸出し(50頁)
丸太を胸に抱くようにして平泳ぎで橋脚を離れた。流れに抗うように必死に100メートルほど泳いで、堤防にたどりついた。よじ登ろうとしたが、体が重い。ジャンパーが水をためて膨らんでいた。ファスナーを開けて水を出し、岸に上がると下半身が丸出しになっていた。知らぬ間にズボンやパンツが激流にさらわれていたのだ。体は傷やあざだらけ。特に右太ももの傷はパックリと開いて、血がにじんでいる。
●遺体収容・陸前高田市(96頁)
居合わせた17人ほどの団員で遺体収容を始めたのは3月14日午後。倒壊家屋や電柱や車が立ちはだかり、すぐに立ち往生した。
最初の一体を運ぶのに8人がかりで1時間半かかった。二体収容したら夕刻、睡眠不足と空腹でへたり込んだ。長靴も軍手も足りず、孤立無援の作業だった。15日過ぎに重機も入って本格的な作業が始まった。同級生や知人の顔を見つけ、幾度も涙があふれ出た。
●津波の時(120頁)
「避難しよう」と車で迎えに来た娘と孫の声に、二階から顔を出したおばあちゃん。その眼前で津波が車を飲み込み、自分も家ごと流され、気がついたらがれきの下だったと吐き出すように語った。
津波で流れる家の二階で手を振る人の姿が脳裏にこびりついたおじいさんもいた。「あれは、助けてという意味なのか、お別れのさよならなのか」と自問していた。津波から逃げようとした中年の女性は、年老いた男女に「助けて」としがみつかれた。濁流が間近に迫る。「私、ふりほどいて走ったんです。後ろを見たら、二人はもういなかった。手の感触が腕に残っています」。
●情報障害(135頁)
掲示板に張られた公報や告知は、誰かが内容を教えてくれないと分からない。視覚や聴覚に障害を抱える人は「情報障害者」と呼ばれるが、その実態にまで思いが及ぶ人はそういない。
●障害者向け避難所(137頁)
1995年の阪神・淡路大震災の教訓から、障害者を集中避難させ、個々の障害に配慮したサポートをする福祉避難所の必要性が指摘されてきた。その結果、障害者向けの避難所を指定した自治体もあったが、釜石を含めて指定に至らぬ自治体も多かった。
☆関連図書(既読)
・石巻市
「ふたたび、ここから-東日本大震災・石巻の人たちの50日間-」池上正樹著、ポプラ社、2011.06.06
「石巻赤十字病院の100日間」由井りょう子著、小学館、2011.10.05
「奇跡の災害ボランティア「石巻モデル」」中原一歩著、朝日新書、2011.10.30
・大船渡市・陸前高田市
「罹災の光景-三陸住民震災日誌-」野里征彦著、本の泉社、2011.06.30
「3・11東日本大震災奇跡の生還」上部一馬著、コスモトゥーワン、2011.07.01
「被災地の本当の話をしよう」戸羽太著、ワニブックスPLUS新書、2011.08.25
「生きる。-東日本大震災-」工藤幸男著、日本文芸社、2011.09.20
・釜石市
「遺体-震災、津波の果てに-」石井光太著、新潮社、2011.10.25
(2011年12月6日・記)
