- Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
- / ISBN・EAN: 9784620321066
感想・レビュー・書評
-
著者がぐいぐいと、読者の手を引く力は強い。
過去へ来てみろ、
あの地に再び戻ってみろ。
2011年3月11日。
海が全てを飲み込み、壊滅させてしまったその地は
著者の故郷でもあった。
未だ瓦礫がそのまま残る被災地を訪れた著者は
あの日と今を隔てている時の狭間の中にいて、
物言わぬ死の欠片を拾い集めている。
ぶつぶつ、と低くくぐもった声の様に
連ねた言葉を辿っていると、
(あ、これはまるで、僧侶が唱えるお経の様だ。)
と、思えてしまった。
それは
哀しみとも、怒りとも、諦めとも違う、
まるで「詩(うた)」の様な。
生き残った者の、今もざわつく心を鎮める
「詩(うた)」の様な言葉だな、
と、感じた。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
著者の故郷は宮城県石巻市で、大震災に関する内容でした。
震災後に発行した詩集も読んでみようと思います。
ここで語られていることは、体験していない僕には想像がなかなかできない。
吉本隆明「転向論」も気になります。 -
先日、一緒に飲んだ大手メディアの記者が「辺見庸の本を読むと自分が嫌になる」と吐露した。共同通信社出身の辺見庸さんは、かつて自身が身を置いたメディアに容赦ない。容赦ないどころか「ファシズムはメディアがつくる」と言って憚らない。3・11後、それはよりはっきりとした形で顕現するようになった。メディアは「国難」の二字を浸透させる一方、言論を自己規制し、肯定的な思惟を強いるようになった。関東大震災や広島・長崎への原爆のときの言語空間の方がまだ開かれていていたという。著者はこうした状況を嘆き、怒り、「言語表現上の単独犯」として発言を続けている。「ファシズムの端緒には悪意があるのではないね。善意、至誠がある。善意の塊がファシズムをたちあげる」。その言葉を何度も反芻してみる。思い当ることは大いにある。本書は大半が3・11後に各媒体で発表した随想を1冊にまとめたもの。現下の言論状況の中では、あまりにも不穏かつ挑発的で、何度も胸に疼くものを感じた。恐らく冒頭の記者も感じるだろう。
-
3冊目。
地元素敵本屋で発見→ちょっと立ち読み→購入。
読んでいると、するどく削った硬い芯の鉛筆で画用紙が引っ掻かれている様子が思い浮ぶ。
柔らかい紙の繊維を痛めつける音がする。
がりがり、がりがり。
この擬音を言葉に置き換える術も語彙も知識も私にはまるで持ち合わせがない。
引っかかるのは言葉、もしくは丸ごと。
まだとちゅう。よむよむ
*
読み終わった。
もっと読む。