政治学者、PTA会長になる

著者 :
  • 毎日新聞出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (280ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784620327303

作品紹介・あらすじ

義憤にかられて足を踏み入れたそこは、まるで魔界…!? うっかり会長を引き受けた政治学者が見たPTAの実態と失敗だらけの3年間を描いた奮闘記。

感想・レビュー・書評

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  • 周りの大人たちが「PTA、PTA…」と話しているのは聞いていたけど、誰がどこで何をしているのかが全く分からない。子供時代の自分にとってPTAは地下組織みたいな存在だった。
    そこから成長してひとつ知ったのは、ポジティブな意見を聞かないということ。「ただでさえ仕事・家事・育児で忙しいのに、更に仕事を増やせってか!?」子供を持つ身でなくてもそれくらいの叫びは想像できる。

    著者が飛び込んだPTAもまたとんでもない「魔界」で、その実態に自分もビビり倒していた。
    だが「魔界」であると同時に、色々と摩擦が絶えない「人間社会」のようにも思えた。(人間で構成されているから当然) つまり全く想像できない世界ではない。
    だからPTA会長へと担ぎ上げられた著者や、言いたいことも言えないまま粛々と従っていた役員さん(=親御さん)たちの気持ちが痛いほどよく伝わってくる。改革に乗り出していく著者を役員さん同様不安になりながらも見守ってしまう。
    きっと全国の親御さんたちも、彼の奮闘ぶりを読みながら「いいぞ!もっと言ってやれー!」と熱い声援を送ることだろう。

    「PTAは企業でもなければ、議会でもない。生活の延長にあるボランティア活動だ」
    「生活犠牲にしてPTAやっても、子供も学校も幸せになりませんよ」

    本来はその名の通り「親と先生の任意団体」でもっと自由度が高いはずなのに、いつの間にか「使役化」している。もっと業務を「スリム化」し、それぞれの得意分野を活かせるエキサイティングな場にしなくては。
    それが著者の言い分であり、目標でもある。しかしそこを目指すには結構な試練が待ち構えていた。専業ママに合わせたスケジューリング・20世紀から踏襲されている引き継ぎ事項・不要オブ不要な雑務の数々…

    中でも著者を長く悩ませたのが「ポイント制度」だ。
    これは何とPTAへの貢献度を「見える化」させるために、全国各学校で採用されているという。活動の大変さや重要度に応じてポイントが割り振られ、保護者らのインセンティブになる。
    古紙回収(新聞人口が減っている昨今においてはもはや不要)やベルマークの回収(長時間の切り取り作業のわりに収益は雀の涙)といった雑務もカウントされるから、親御さんたちは参加せざるを得ない。
    ポイ活目的のボランティア…。廃止するにも難しい障壁だが、実は親御さんたちにとってPTAを続ける理由にもなっている。そんな親御さんたちの事情を考慮しつつ、何とか負担を減らそうと働きかける著者。「人間社会」のモデルである。

    「リーダー」は「オペレーター」ではない。みんなをまとめる以前に、みんなの意見を引き出し決断して、その結果を真っ先に受け止める人物だ。
    そう著者は語っており、彼自身もそれを見事に体現していた。子供の声を聞くにはまず今を生きる親の声に耳を傾けなければいけない。その機会の場としてもPTAはあるのでは?
    それはある意味、自分が知っているPTAとは全然違う。

  • 【感想】
    魔界だ。日本社会の悪い所を濃縮した、大量の不満とわずかなやりがいだけで動く硬直的組織がここにある。決まりきった話を数時間読み上げるだけのPTA総会、やりたくないのに止めると言えず渋々続けられている年配者との飲み会、誰からも注目されていない気配りをひたすら発揮し続けるお茶くみ…….。「40年以上前から続く謎行事をよく分からないまま前例踏襲」「目的のための手段を目的化してそれに沿うよう設計された制度の役員を決める会合のための資料作成」など、ページのそこここに理解不能な文字が並ぶ。なにより恐ろしいのは、このトンデモが日本中で同じように行われているということだ。それがPTAという「魔界」の実情なのである。

    本書は、専修大学法学部助教授で政治学者の岡田憲治氏が、自身の子どもが通う小学校のPTA会長を3年にわたって務め、その奇想天外な組織をいかに改革していったかを綴った一冊である。PTAとは教員と親たちによって作られる教育活動のための団体であるが、(筆者の所属していたPTAの)組織構造としては首相に「会長」が、内閣に「役員さん」が、各種委員会に「四役さん」が存在しており、まさに「民主主義」を体現するような自治組織だ。そこに民主主義の専門家である政治学者が入って行けば非常に効率的な組織に生まれ変わるのでは、と思うかもしれないが、当然そんなことはなかった。筆者いわく「大先輩学者が書いた論文や、外国の著名な論文に書かれていた民主主義の御高説は、ほとんど現実を動かすのに役に立たなかった」という。

    筆者がPTA会長となったキッカケは、PTA所属のママさんが、PTA行事のパン係(?)の反省会(?)があって、下の子の保育園の運動会を観にいけなかった(!?)というエピソードを聞いたためだ。土曜日の朝からみんなで集まって、早く解散して帰りたいのに、真面目な班長さんが「去年もいちおうやってましたからやることになってます」というだけの理由で、「この後反省会やりますから、みなさん出てくださいね」と言ってしまったのだ。そして、言ってしまったら取り返しがつかないのがPTAという場だ。誰も行きたくないのに「必要ないですよね?」の一言が出ずに、ムダな反省会が実行されてしまったのだ。
    筆者は「それぐらいのことが言えないのか?大の大人が!」とやり切れない気持ちになった。その後次年度のPTA会長を打診され、義憤に駆られた筆者はついOKしてしまった、といういきさつである。

    ただ、会長としての門出は最悪だった。顔合わせ早々、ママさんたちの「いきなり現れて何のつもりだお前は」という糾弾を浴びることになる。
    筆者は政治学者である。政治の基本は民主主義ならびに自治であり、共同体を運営するには、不文律を防ぎルールを組織に反映させるための制度設計がいる。筆者はその設計をよく知るいわば「理論の人」だ。その理論の人が、法もルールもなく感情で動く「PTA」で会長になったことは、会員たちにとっては面白くない。加えて、会員の大多数は専業ママだ。彼女たちからしてみれば「アタシたちは、あんたたちフルタイム・ワーカーがお金もらって仕事している時間に、タダで体力と時間使ってPTAの運営をやってんのよ!どうしてフルタイムで働く大学教授のおじさんなんか会長にするのよ!PTAが壊されるでしょ!」という思いでいっぱいなのだ。

    そうした白い目を向けられながらも筆者は会長の業務をこなしていく。筆者は「スリム化を進めよう」と、PTAに存在するムダ制度をカットするべく奔走するのだが、この「ムダ制度」というのが本当にグロテスクな代物なのだ。

    例えば、ポイント制と古紙回収について。
    PTA活動への貢献度の「見える化」のためのやり方として、ポイント制は、全国の各学校単位のPTAで採用されている。それは、多種多様な活動の大変さや重要度に応じてポイントを割り振り、6年間の活動の評価の標準として一定ポイントを目安にして、保護者たちの参加のインセンティブにするというものだ。簡単に言えば、「フリーライダーを防ぎ、一定ポイント分のPTA業務を何かしらやらせる」きっかけとしての制度だ。筆者のPTAでは「12ポイント」が目安であり、保護者の多くは、このポイントをどうやって効率的に稼ぐかで知恵を絞り、生活設計をする。
    古紙回収については、月一の回収日に所定の場所に新聞を置くと1ポイント貰える仕事である。しかし、古紙回収の前段階としての回収ステーションの手配と登録が非常に面倒であり、役員の負担となっている。加えて今は新聞を購読する家も少なくなり、集まる古紙がわずかなことから、「もう止めるべき活動」として筆者がリストアップしたのだ。
    しかし、ママさんから告げられたのは「ムダだと分かっているけど止めるわけにはいかない」という謎の事情だった。なぜならば、ママさんたちの中には、古紙回収は「月一で新聞を置くだけで1ポイント貰える美味しい仕事」と認知されており、それを6年生までやって6ポイント稼ぐという「活動設計」をしている人がいる。そのため、止めてしまえば「計画が狂うじゃない!」と苦情の原因になるからだ。しかもママさんたちの中には「せっかく回収しているのに古紙の量が少なくて申し訳ないから、新聞を2つ取ろうか」と思い詰めている人もいるという。

    ……いったい何を言っているんだ?読みながら思わず絶句してしまった。

    当然、筆者もこうした無駄な制度に対して怒りに怒っていた。どれだけみんなの負担になっていても、「ポイントついてますから」の一言ですべてが手付かずになるのはおかしい。目的と手段のズレ・非効率さについて何度も「正論」を展開したという。だが、それはあまりにも思いやりのない行為だった。筆者の言葉の一つひとつが、それを聞かされている人たちにどう受け止められていたのかについて、まるで無頓着だったのだ。

    その無頓着さを筆者が思い知ったのは、隣の学区の江田PTA会長と三校行事の打ち合わせをしていたときだった。三校行事への筆者の「こんなに何度も必要ですかね?」という苦言に対し、江田さんはこう言った。
    「岡田さんは、PTAを壊そうとなさっているんですか?」

    当然、筆者はPTAを壊そうとしていない。むしろ逆だ。今の人々の生活の足かせになっているPTA活動を改善すべく、スリム化を進め、やるべきことを取捨選択する。地域と子供と自分たちが幸福に暮らせるよう、リーダーとして身体を張っているのだ。
    しかし、江田さんは筆者と対極にいる人だ。正確に言えば「担うべき役割が対極」である人だ。江田さんはやると決まっていることを粛々とこなし、極限まで精度を高めてコンプリートする「オペレーター」であった。一方の筆者はみんなを引っ張って組織そのものを新しくしようとする「リーダー」であった。だから江田さんにとって筆者は破壊者のように映ってしまったのだ。
    筆者は、能力を活かす前提の異なる人たちに、自分の前提に立って、ひたすら「リーダーなんだから」「保護者の代表なのだから」とものを言い、考えていたのだ。「どうして、何がそんなに不安なのですか?」といぶかり、頭を抱えながら正論をぶつけていたのだ。

    ――僕には、この世で起こる出来事の原因やその結果を、とことん問い詰めて考え、読み、書き、議論をしてきたという職業意識がある。でも、「言葉を受け入れる基盤のない人に伝わらない言葉を投げつける」未熟さは、いつも僕のアキレス腱になる。お互いの異なるところばかりが目に入り、共有地平がきちんと存在することを、忘れてしまうのだ。
    政治学者がPTA会長になることの含意が、ここにある。

    こうして、「言葉を受け入れる基盤のない人に伝わらない言葉を投げつける」ことの未熟さに著者は気づかされた。価値観の違いを土台に全体を見つめ直すと、どうアプローチすべきかが分かってくる。次第に筆者に理解が集まり、PTAの雰囲気が変わって来た。

    そして、PTAの雰囲気が変われば「人」が来る。今まで「PTAなんて激務だしやるだけ損だよな」と思っていた人々の意識がほんの数ミリ変わる。「ちょっと興味あるかも」と考えている人の背中を後押しする。すると、やらされていた人ではなく自発的にやりたい人が役員に就くようになり、また活動が少しずつ前向きに変わっていく。

    その前向きさがPTAのT(本書では校長)に伝播し、親と教師によって自発的な組織としての柔軟さが整っていった。
    その象徴として、本書では運動会にまつわるエピソードが登場する。運動会は5月だが、この年は既に暑かったため、子どもたちや観客向けに涼む場所が必要だった。しかし、学校の先生たち、特に施設管理者である校長や副校長は、一般的に「なるべくなら教室を保護者の方々に開放したくない」という考えだから、校長によっては「教室は閉めて、暑ければ体育館で休んでもらう」という方針に固執する場合も多い。しかし校長が新しい人になったことで意識がアップデートされた。「エアコンの効いた教室で待機してほしい」と、保護者向けの「教室の開放」が実施されたのだ。
    たったこれだけのことで、学校の雰囲気は変わっていく。みんな「助かったぁ!今日、本当に暑いよねぇ?」なんて言いながら、自分の子供の教室に移動していった。
    そしてその間、PTA役員は「窓から足を出したり乗り出したりしている子供たちへの注意喚起」「教室で勝手に充電をしている人たちにやんわりと注意をする」「教室内にあるものは極力手を触れないでほしいという声がけ」を、自分たちの判断でやっていたのである。ただの一度も「会長、○○したほうがいいですよね?確認お願いします」という質問はなかった。お茶出しの廃止一つ自分たちの判断でできなかった大人たちが、現場で自己判断できる人間に変貌したのである。まさに、筆者の「改革」が成功した瞬間だった。
    ―――――――――――――――――――――
    私は本書を読みながら一つの考えを巡らせていた。それは「人が制度を作るのか」、それとも「制度が人を作るのか」についてだ。

    例えば、悪名高い「ベルマーク集め」の廃止について。ベルマークは収集、切り抜き、台紙への貼付けといった膨大な労力に対して、得られる報酬はわずかだ。30人で4時間ぐらいやって4000円ほどしか得られないという。PTAの活動資金に困っていなかったこともあり、筆者はこれこそ「無くすべき制度」と提案した。
    しかし、結果的には存続させた。それは庶務の田上さんの一言がきっかけだった。
    「会長のおっしゃることもごもっともだし、すんごい時間かけて、日がなあんなことやってるのもおかしなものなんですけど、やっぱりベルマークは止められません。……というか止めたらママたちからクレームが出ると思うんですよ」「実は、ママたちって、ベルマーク切り取って、集めて、台紙に貼ってなんてやりながら、延々とダンナとダンナのお母さん、同じマンションの人の悪口ばーって言って、チョー盛り上がってるんですよ!」「そう!ガス抜き、ガス抜き!だから、止めますなんて伝わったら、みんなチョー悲しがって、がっかりすると思いますよ。そういう役割もあるんですよ。ベルマって!」

    また、前述の「古紙回収」を廃止しようとしたときのこと。若いママさんの一言によって、これまた存続が決まった。
    「会長。私、あるママから聞いたんですけど、PTAのポイントって、みんなそれぞれいろんな意味を込めてるんですよ。古紙回収の1ポイントもそうなんです。ママたちの中には、私みたいに3人産んじゃって、もう本当に手が足りなくて、毎日が戦争で、だから全然PTAの活動とかする余裕がなくて、いつも『すみません。全然手伝えなくて』っていう気持ち抱えてるんです」「だから、古紙回収の1ポイントって、『ごめんなさい。これくらいしかできなくて。下の子もう少し手がかからなくなったら、必ずもっと協力できると思います。今は、この古紙回収があることで、ほんのちょっとだけど、恩返しができてるなって思えるんです。いつもいろいろやってくださる役員さんに申し訳ない気持ちでいっぱいです』という気持ちの表現手段なんですよ。そういう気持ちってあると思うんです」

    いずれも、制度が本来の目的を超え、「人の気持ちを体現する場」となっている。
    PTAにまつわる制度は前例踏襲を続け、「なんとなく昭和からやってきたこと」「簡単にポイントを稼げる方法」として本末転倒のまま存続していく。しかし、その制度に関わり続けた人間は、やがてガス抜きや謝罪といった違う意味を乗せ始める。
    そうした種々の要素は外から見えるものではなく、非会員からは「何でこんな意味のないことやってるの?」と思われるに違いない。その取り組みが参加者からの合意を得られないか、嫌々やっているならば「不要な制度」として廃止すべきだろう。しかし、それが不要かどうかは決して、理論やルールの分野から突き止められるものではないのだ。
    だとすると、「役員さんの負担が重すぎるから止めましょう」ではなく、そこに込められた気持ちを汲んで、「細々とでも古紙回収は継続」するが、負担となっている作業を「どうすれば減らせるか」「どうやってシェアするか」を考えるのが、参加者の心に沿ったやり方になる。

    PTAを変えるのは、制度と人の両方を知る必要がある。賛同する人と反対する人の目線を持ち、前例と改革案の功罪を比べ、滞っている原因を現場から見つめてみる。そしてその両方を理解した先には「結果的に何も変えない」という選択もありうる。
    だが、表向きは何も変わっていなくても、そこに人の前向きさが携わっていることを知れば、不思議と「ああ、いい仕組みだなぁ」と思えてくる。

    きっと、人が制度を作ると同時に、制度が人を作っていくのだ。
    ―――――――――――――――――――――

    【まとめ】
    0 まえがき
    友人や知人には、管理教育で有名だった地方、学校長が率先してPTA改革の旗を振る地方など、いろいろな土地でPTAをやっている人たちがいる。東京と違って、「校長先生の権威がまだ相当強い」とか、「PTA会長と地元の市議会議員がタッグを組んでいろいろと口出しができる」とか、「選挙の度にPTAが動員される」みたいなトンデモないことがなされていたりする。

    自治とは「自分の生活や人生に直接関わる決め事は、できれば自分で考えて、自分で判断したい」という気持ちに支えられた生活の技法だ。
    でも、自治という政治学の思考のフィルターを通してPTAを見ると、多くの人たちが「さほどそれでいいと思っているわけでもない」のに、誰が作ったのかもよくわからない決め事に縛られてとても苦しそうだし、そこから生まれるネガティブな気持ちを起点に苦行のようにPTAをやっている人も多い。だから、なにやらボワーンと「やらなきゃだめなもの」とされてしまっているPTAをめぐる出来事を「これは自治(自分たちで決める)の話なんです」と伝えたいのだ。

    そして、この「自治」は、少しトーンを変えて「適切な組織運営」、「良いネットワーク機能」などと変換するだけで、企業やPTAといった社会を維持するのに必要な、多くの人間集団の話に引き寄せて考えるきっかけにもなるはずだ。


    1 手荒い歓迎
    PTA会長を打診され、渋々ながらOKした筆者。内定者の自己紹介スピーチや顔合わせの段取りを行うべく集められた場所で、いきなり言い争いが始まった。
    Xさん「ちょっと待ってください!私たちが何度も次期会長の候補者の名前を尋ねたのに、どうしてそれを隠し通して、騙し討ちみたいに、こんな選考会をやったんですか!?おかしいじゃないですか!どういうつもりなのよ!(怒)」
    選考委員長「何を言ってるんですか?言ってること無茶苦茶でしょ?新役員は選考委員会が決めるんですよ?そもそも、あなた誰ですか?あなた役員ですらないじゃないですか(場内どよめく)。そこにいる役員さんの幼稚園ママ友でしょ?関係ないじゃない!?余計な口挟まないでくださいよ。あなたに説明する義務なんかありません!(毅然)」
    ママ同士ってこんなに感情を露わにするのかという驚きと、新役員に内定している3分の1の人たちがXさんに賛同していた事実に、筆者は呆然としてしまった。

    Xさんは次期副会長に内定していた遠井さんだった。3月の頭、筆者は遠井さんに「確認しておきたいことがありますのでPTA室まで来てください」と呼び出され、尋問に合う。彼女は、間髪おかずに、問題の抽象度のまったく異なる個別の課題や気がかりや心配事を未整理のまま投げ続けてきた。
    筆者はこう言った。「そんな細かいこと、実際にやってみないとわからないですよ。どれもこれもみんな、その時にみなさんと相談して決めればいいことばかりじゃないんですか?」
    すると、「そんな曖昧なこと言われても不安は払拭されません!」と怒られた。


    2 膨大な引き継ぎ
    小学校のPTAは、国の政治で言うと「内閣」にあたる「役員さん」と、「四役さん」と言われる四つの委員会(文化厚生委員会、広報委員会、校外委員会、学年委員会)、そして各種イベントや行事の個別の「係さん」といった役割を集めて作られている。役員さんは、前年度のうちに選考委員会が決めるが、各種の委員会の正副さんや委員は、各クラスの担任が仕切る「保護者会」が終わった直後の時間に決められる。
    そして、そこで決まったそれぞれの委員、お役目ごとに、引き継ぎが行われるのが「合同委員会」だ。つまり、合同委員会の日には、ものすごい数の引き継ぎ作業が行われる。

    何かの委員会の正副さんが、前年度の人たちと引き継ぎをしている。すごいのはそのオーラだけではない。膨大な書類と資料の数だ。ぎっしりと何かが書き込まれた書類、ファイルが配られ、蛍光ペンでチェックを入れながら、全員が真剣にやり取りをしている。何も前年と同じことをやらなくても構わないのにだ。

    「どうして、そんなに去年の書類を学習しちゃうの?もっと今年の委員さんで、自由にやればいいじゃないですか」
    筆者がそう聞くと、尋ねられた委員長は、こう言うのだ。「会長。ちゃんと引き継ぎしないと、私たちも不安ですよぉ。だって、ちゃんと引き継ぎしてくれて、ちゃんと申し送りしてくれなかったって、後から何か言われるのって、それ、ちょー不安じゃないですか?」
    また「不安」だ。引き継ぐほうも、引き継がれるほうも、不安なのだ。お手本がない不安と、お手本を渡さなかったと責められる不安である。

    そして会長引き継ぎの番が来た。
    「引き継ぎは5時間ぐらい必要です」
    前年度会長の赤川さんはそういった。赤川さんが持ってきた会長業務一覧表に書かれていたのは「○○小学校入学式出席」とか「○○中学校開校記念式典出席」といった地獄のような大量の会合。そして赤川さんは、これら大量の会合において、一度も発言することはなく、ただ「いただけ」だったという。


    3 ポイント制度
    PTA活動への貢献度の「見える化」のためのやり方として、ポイント制は、全国の各学校単位のPTAで採用されている。それは、多種多様な活動の大変さや重要度に応じてポイントを割り振り、6年間の活動の評価の標準として一定ポイントを目安にして、保護者たちの参加のインセンティブにするというものだ。簡単に言えば、「フリーライダーを防ぎ、一定ポイント分のPTA業務を何かしらやらせる」きっかけとしての制度だ。
    筆者のPTAでは「12ポイント」が目安だ。保護者の多くは、このポイントをどうやって効率的に稼ぐかで知恵を絞り、生活設計をする。例えば、本部役員の副会長は1年やるといきなり17ポイントで、庶務役員は15、四役委長は8などと、その負担と拘束される時間などを総合的に判断してポイントが決められている。

    このポイント制度が改革のブレーキになっている。
    例えば古紙回収の仕事。ポイントは1年で1ポイントもらえる。現代では新聞を購読しなくなっているため、負担の割に集まる古紙はわずかである。筆者が廃止を提案すると、次のような反論が来た。
    「ママたちの中には、月一ステーションに新聞置くだけで負担少ないから、それを毎月やって、毎年やって6年生まで続ければ、それだけで6ポイントだからって、計算して、もう組み込んで、決めちゃってる人がけっこういるんですよ。だから、今更、古紙回収のポイント無くなりました、なんて言えないですよ。ポイントついてるんですから」
    中には「せっかく回収しているのに古紙の量が少なくて申し訳ないから、新聞を2つ取ろうか」と思い詰めている人もいるようなのだ。
    これを本末転倒と言わずに、なんというのだろうか。

    彼女たちがそうまでして続けたいのは、止める、提案することへの「不安」だ。

    その後、筆者は運動会のお茶出し(運動会開始の9時からお昼まで、30分置きに役員に輪番でお茶を出し続ける作業)を「ペットボトルでいい!」と廃止宣言した。みんなは最初こそ動揺したが、「え、ほんとに?やめていいの?」という感情が徐々に広がり、最終的には全員が喜んで受け入れた。まだまだ何かを変えることは「不安」なのだろうが、「変えてもいいんだよね?」という当たり前の発見と経験と感動が、少しずつ広がっていったのだ。


    4 なぜ「不安」が起こってしまうのか
    筆者はPTAのリーダーとして改革を進めようともがいていた。PTAは、今を生きる人たちの生活の足かせになっている。これを変えないと、みんな楽しく暮らせない。だから、それを見出したら、提案することに慣れていない、慎ましくてあまりはっきりとものを言う習慣がない人たちの気持ちを代弁しなければならない。声にしづらい声を束ねてみんなに呼びかけて、少しでも地域と子供と自分たちが幸福に暮らせるように体を張る。それがリーダーの役割だ。
    一方で、他区のPTA会長はリーダーとは違う。彼女らは「オペレーター」だ。やると決まっていることを粛々とこなし、極限まで精度を高めてコンプリートするような人である。オペレーターにとって、システムや各所の部品や仕様が「変わること」は想定外であり異例の事態だ。変えることは、彼らの仕事の範疇に入っていない。オペレーターにとってみれば、マシンの仕様を変えよと、あるいはそれを強引に推し進める行為は、システムの停止とマシンの破壊を意味するのかもしれない。
    そして、それが彼女らに「不安」をもたらすのだ。

    もちろん、オペレーターが悪だというわけではない。リーダーとオペレーターは担うべき役割が違うだけだ。司令部と現場、2つの異なるフィールドで両者が仕事をこなすことで、相乗効果が発揮される。問題は、オペレーターがリーダーの役割をしていることにあるのだ。

    これは日本の教育制度に原因があるのかもしれない。
    外部環境を観察して、臨機応変に対応できるような「作り込み」が弱いのは、欧米を追いかけて近代化を進めたという事情があったために、まずは近代産業社会という環境を動かぬ前提にして、最新の「システム」と「仕様」を脳と体に叩き込んだ、「歩く手引き」のような人材を大量に作らねばならなかったからだ。それは、アジアに奇跡のような近代国家を短時間で作るために必要なことだったのだ。リーダーがイコール、オペレーターで国は発展してきた。
    しかし、そこにもっぱら重心を置くやり方は、今日もはやバランスが悪すぎる。「経済成長のない超少子高齢化社会という未曾有の事態」に、マニュアルなしに立ち向かえる、つまり自分の頭で考えるリーダーを、この国の教育はこれからあと100年くらいかけて、もっとたくさん生み出さねばならない。


    5 空気が変わると組織が代わり、人材があらわれる
    PTAのブラックでネガティブなイメージが少しずつ変わっていくと、保護者たちにいい雰囲気が伝播していく。そして、空気が変わると人が降りてくる。

    スリム化をはじめとする改革によって、PTAに対するポジティブなイメージを少しずつ浸透させていった結果、なんと翌年の役員が、たった一日のPTA懇話会で、立候補者と他薦者だけで全て決まってしまったのだ。
    もちろん筆者も継続して会長をしてほしいと他薦された。所要時間はたったの90分。血みどろの言い争いが行われた昨年の選考活動は何だったのか、と思えるぐらいの早さである。
    なおも驚いたのは、「来年ももう1年役員を継続してやりますよ」という現役員が複数いたことだ。そして、新役員に決まった人たちの中に、「パパ役員がもう3人」増えて(全員立候補)、次年度の役員会は「男性が5人」という前例のないメンバー構成になったことだった。その男役員の中には、ハードワークを強いられる印象の強い企業で働くフルタイム・ワーカーが複数含まれていた。

    組織が変わった理由の1つは「フェアネス」だった。ここでいう「フェアネス」とは、「公平に、平等にみんなに負担してもらう」という「一人一役」とは異なる。そうではなく、「やりたい人、やってもらいたい人、推薦したい人の名前を、その理由と共に明記して、透明性を高める」という意味だ。誰がどんな理由で役員に相応しいのかを自分、他者、すべて含めてきちんと公開するという王道の手法だった。
    これまで行われてきた候補者選びは、他薦された人が最初にその知らせを受けて「何かしらモヤモヤとしたもの」を感じるやり方だ。時として他薦は「押し付け?」、あるいは「意地悪?」、場合によっては「いじめ?」といった疑心暗鬼すら生み出すものだったかもしれない。たとえそのような子供じみたものではないにしても、名前もわからない人からPTA役員に「特筆する理由もないのに」推薦されるということは、何とも言えない「風通しの悪さ」を集団に残してしまうものだ。だから、選考委員会は、名前をきちんと示して、推薦者の人格を明らかにして、かつ推薦したい理由をきちんと書いた推薦書を提出することで、「する側もされる側も得心をして進める」ことになった。
    もう1つの理由は「PTAをちょっと気になっている人」を後押したことだった。会合を「役員を決める日」ではなく、きちんと「PTAのこと、学校のことをもっとちゃんと知ってもらえるように、現役員さんとお茶をする日」と位置づけ、「行ったら役員にされる」という不安を可能な限り払拭し、ランダム抽出アプリを使って声がけしたのだ。これにより、あと少し勇気が欠けている人たちのハードルを下げることに成功したのだ。


    6 「一人一役」「全員平等」の罠
    PTAは無償のボランティアだ。そして、ボランティアとは本来不平等なものだ。
    ボランティアとは、もともとは「求める」「欲する」という意味の「ウォロ」というラテン語から生まれた言葉だ。そこには「人と比べて」という発想はない。「あたしがやりたい。やってあげたい、やらずにいられない」からやる、というシンプルな前提があるだけだ。
    他方、「平等」という考え方には、必ず何かを基準に他者と比べるという発想がある。「同じ労働をしているのにどうして女性の賃金は男性よりも低いのか?」というこの世の理不尽を訴える時には、平等とは、世界をきちんと正すために必要な言葉だ。
    でもこれをPTA活動の話に大雑把に持ってくると、話の基本がおかしくなってしまうのだ。

    「PTAなんだから、みんな公平負担じゃなきゃおかしくない?」
    これは、言い換えると「好きでやってあげたいっていうことなんだから、公平じゃなきゃありえなくない?」というヘンテコな理屈になる。そして、どうにも私たち社会の真面目でまっとうな人に限って、この「平等」という言葉に弱い。というか、逆に「不平等だ」とか「○○ばっかりいい思いをしてる!」とか、つまり「自分が公平に扱われていないのではないか」というハートに火がつくと、その中身まで一息ついて考えることなく「平等なんだからまあいいじゃない?」という大雑把なところで止まってしまう。
    そして、そこに軸足が残ってしまうと、「負担とか、そういうことじゃなくてやってあげたい、その気持ちで活動できる幸せ」という、ボランティアの「一番ありがたいところ」が裏側に押しやられてしまう。そうなると、「平等だけどなんか辛い」、「公平負担なのに、サボってる人がムカつく」、「一人一役ったって、役員と古紙回収じゃ負担比べものになんないし」といった、正直でネガティブな気持ちが頭をもたげて、全体としての雰囲気が「結局やらされてる」感で染まってしまうのだ。

    「一人一役」「全員平等」という言葉には、実に注意しなければならないのである。

    だから、もしどうしても「平等」という言葉を使いたい人がいるならば、こう言い換えねばならない。
    ボランティアはもともと不平等なものだよ。でも、それは「幸福な不平等」でしょう、と。

    そして、やらされているわけではない人、「やりたい」と思って役員をやってくれる人が集まれば、PTA自体も「面白い活動」に変わっていくのである。


    7 わかり合えなかった人々たちとの観点の違い
    今を生きる保護者ではなく、これまでずっと活動をしてきた地域の人たちとは、「子供のために」という点で、どうしても僕の考えていることと、彼らの足の置き場が広く重ならずに、結局わかり合えずに今に至ってしまっている。

    彼らは、PTAが地域とつながるような活動をする際に、その間でいろいろと仲立ちしてくれる街のベテランさんたちだ。各学校のPTA内だけの活動に関わる担当役員は、直接そうした人たちと接する頻度は低いから、気を使う関係を持つのはイベント担当役員や、そうした地域での活動の係の班長たちで、このポジションには近隣とうまくやっていくというミッションがある。
    それだけに、これまであまり接したことのないタイプの男が、「自分たちの長年やってたことに文句つけている」なんて噂を耳にしたら、その時の感情や緊張は、PTAと地域とで連動するのだ。なぜなら先人たちには、警戒しながら「私はあなたのような肩書きはないけど、この街じゃあみんなのためにいろいろ頑張ってきたのよ」というプライドがあるはずだからだ。

    現在のPTAと地域の人々との話し合いの中には、貴重な時間を使って、例えば「子供たちの地域お散歩」のような行事・現場運営に際して起こる「その場で判断すればいいようなこと」をめぐって、延々とやり取りをしているものがある。何度も同じ言葉が頭をもたげてくる。「それ、今ここでやる話ですか?」と。
    しかし、そうした分かり合えなさを直接指摘した結果、意見が食い違い、地域の人が「筆者は何も理解していない奴だ」という感情を持ってしまう原因となった。

    筆者は学校運営委員の重鎮である多治見さんとよく意見が衝突し、そのたびに諫めるような物言いをしてしまった。言葉を受け入れる、受け止める基盤のない人たちに、正論を投げつけてしまったのだ。
    多治見さんが基盤としていたのは「ふれあい」であった。彼女が地域の会合や行事に関わることで最大の喜びとしているのは、「みんなとワイワイ楽しく触れ合って仲間の確認をすること」だった。「あたしたち昔からずっと一緒に子育てしてきた仲良しで、こうやってずっとやってきたのよ。まるで家族や親戚みたいに」と。だから行事もそのための会議も、「ここが幸せになる場所なの」という気持ちで大切にしてきたのだ。幸福のイメージは不動だ。

    しかし、今を生きるママたちのモヤモヤをいろいろ背負ってここにやってきたという経緯を持つ筆者は、「大人の交流と共同性の確認」、そしてその視点から「子供の幸せを大人が決める」ということに違和感があったのだ。もちろん「自分と共にある仲間たちとのやり取り、幸福の確認」は地域活動をする醍醐味の一つだ。しかしそれは「大人がみんな集まって子供のために何ができるか」という、本筋を外さない尽力をした後に見えてくる風景ではないか。だから必要なのは、「子供にはこういうことをやってあげないと」という大人が決めた「良きこと」を定期的に検証して、「今、目の前にいる者たちは本当はどんな気持ちを抱え、何を言わんとしているのか」に耳を傾けることだ。大人が地域の合議体にどう関わるか、その点について、多治見さんたちベテランとは求めているものが異なっている。

    昔から子供なんてそういうもんだと、大人が考える子供の幸福から逆算していないか?
    声を聞くための基盤は、毎日子供を見ている、今、共に生きている親たちの声を聞くところから始まるのではないのか?
    我々大人は、子供の聞こえにくい小さな声をちゃんと聞いているのか?
    そこを軽視して、現役の親たちに昔通りの役割を期待していないだろうか?

    かつて筆者は、「すべては子供のためですから」という学校管理者の論理の基盤は、保護者とは立場を異にするのだと悟った。そして今度は「子供のため」という誰も反対しない大雑把な言葉の中に含まれる、切り分けられていない中身について、多治見さんと意見を異にした。そして両者はどちらも食い違う前提のもと、自分たちのやり方を相手に求めていたのだ。

  • 政治学者でもある筆者がPTA会長を引き受けた3年間の体験談…。私もPTA活動にも携わっていて、回り番だからと大役も引き受けたこともあるのですが、PTA活動の地域差みたいなものをすごく感じました!うちの地域ではこんな風にはいかないだろうな…そんな気持ちで最初から最後まで読んでいましたが、そんな先入観をもたずに読めるのなら良い作品ではないかと思いました。

  • 現代のPTA問題をコミカルに描いた私小説的な側面ももちろん面白かった。ただし、組織論の副読本として読むと、著者のいいたいこともより鮮明になると思う。それは一言でいうと先人へのリスペクトを持てということ。もう少し組織論に引きつけていうと、組織的慣性によってのみ維持されているとみえる旧来的な施策にも、表面に上がってこない裏のニーズがある場合があるし、過去の一時点では表面の部分でも合理的であった可能性があるということ。
    その他に面白かったのは補佐役としての久部君の存在。組織にナンバーツーを置くのは分派を防ぐために有効なのだなーと思った。不満や反感も主流のラインで吸収してしまうシステムすげえなーと。属人的なご人徳もあるんだろうけど。
    なにかで連載していたときにジェンダー的な観点から批判されていたがあの批判は当たらないなーと感じた。

  • 小学校教員の身からすると、本当に申し訳ない限り。
    はじめの方にある教員の書かれ方(総会中の虚無っぷりとか)が、リアルすぎて…でも読み進めていくと教員の、本当に手が回らない(回せない)実情が浮き彫りになっていって…
    …電話回線2つが当たり前だと思ってた。世間でうんざりするほど言われる教員の社会経験の無さは、あぁ本当にそうなんだな、と

    私含め先生方、本当に余裕がないし、時間がない。そんな中でも、時間が取れる年度始めに、この本を読めてよかったと思う。勤務校でもするべきところはスリム化を進めていきたいし、少なくとも親御さんに寄り添っていきたい。

    もう職員室に置きたいというか、校長先生に読んでほしいな…

  • リーダーは状況に合わせ、不透明な未来に対しての決断を示し、結果を真っ先に受け止める者であるのに対し、オペレーターは先行事例や計画を忠実に実行し、安定的な結果を確保するための管理人である。
    とことん問い詰めて考え、読み、書き、議論してきたという政治学者の自負に対し、「言葉を受け入れる基盤のない人に伝わらない言葉を投げつける」未熟さというミスマッチ。
    「やりたいからやる」というボランティアの本質は不平等であり、公平などにはつながらない。

  • スンバラシイ本だ。
    現代で売れる本とはこういうものなんだろう。

    ・PTAという謎の組織の内実を教えてくれる
    ・日本に民主主義が根付いていない理由や思想の一端に触れられる
    ・学校の先生がどんな苦労をしているのか見えてくる
    ・大学教授っぽくないオッチャンの勢いのある文章読める
    ・不思議で理不尽な仕組み奔走させられる、特別でないフツウの人たちのあるあるに共感できる
    ・本の装丁がキレイ

    どの1面を取り出しても楽しめる。
    難しく考えても良いし、難しく考えてなくても愉しめる。

    こんな生活を、私もしていくのだ。

  • タイトルからは、政治学者がその知見からPTAを改革する!という話かと思ったら、思ったよりそうではなく、自治というものに対しての正論vs人間、という構図の話であった。常に作者が反省、反省を繰り返しながら、少しずつPTAは変わっていく…が、新たな課題の出現による再反省や、なくすべきと思っていたものの意外な存続意義、そしてコロナウイルス…という、各ステージごとに課題、悩みが巻き起こってとてもおもしろかった。

    特に、従来PTAをやっていた方への敬意、という点は、組織があくまでも人間の善意で運営されている、ということを痛切に感じさせるし、正論だけでは渡れない世の中の構図が見える。

    自分としてとても共感できるのは、自分が参加していた地元の町内会や青年会といった非営利的な活動に関して、少なからず同様の構図が見られたからだ。その場合重要な、最後に書いてある自治のための不文律を意識しながら今後の活動を行いたいと思った。

  • 面白かった。都会のptaって大所帯だから難しいとこもあるんだな。でも、いろんな組織に通じる考え方あり

    学び
    そもそも奥様方に民主主義的な考え方を広めるために立ち上がった
    目的は見失わないように問い続けよう
    人の力を信じる、そのためには話をする、しやすい環境を作る事

  • 文章が好き ◯
    作品全体の雰囲気が好き ◯
    内容結末に納得がいった ◯
    また読みたい
    その他

    一年間、クラス役員の長を経験しました。
    私の心身にしつこくまとわりついて溶けなかった不安と戸惑いが、この一冊で見事に言語化されています。
    読み出したら止まらない。

    PTAを経験する前の予習として読むか、経験してから「あれはこういうことだったのか」とあらためて歯ぎしりするか、どちらをとるかはアナタ次第。

    「PTA」はやらなくてすむのならやらないほうがいいです。
    どうしたって何かを犠牲にしなければやっていけない。
    でも、そのおかげで絶対に話すことはなかっただろうなぁ、という先生方とお話できたし、学校の中をしることもできました。なにより、息子の様子をよく知ることができたことが大収穫。息子のことを先生に相談しやすくなったことが本当にありがたい。

    ・・・・
    PTAって日本の民主主義の縮図なのでしょうか。

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著者プロフィール

政治学者、専修大学法学部教授。1962年、東京生まれ。
著書に『政治学者、PTA会長になる』(毎日新聞出版)、
『なぜリベラルは敗け続けるのか』(集英社インターナショナル)、
共著に『転換期を生きるきみたちへ』(内田樹編、晶文社)など多数。
愛称オカケン。広島カープをこよなく愛する2児の父。


「2023年 『教室を生きのびる政治学』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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