わたしの非暴力 1

  • みすず書房
4.00
  • (0)
  • (1)
  • (0)
  • (0)
  • (0)
本棚登録 : 6
感想 : 1
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (251ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622003304

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 1920年~1940年のガンディーの言葉を編集したもの。
    日本では1970年に翻訳されている。
    第二次世界大戦におけるガンディーのメッセージも多数ある。
    中でも興味深いのは、日本から賀川豊彦が訪ねたとき。
    わたしなら自分の異端をきっぱりと宣言して撃たれるでしょうね。(中略)
    あなたの内なる友が「こうせよ」と命ずるとき、世の友人の言葉に耳を傾けてはなりません。また友人というものはどんなに良い友でも時にはわたしたちをけっこう騙すものです。わたしは友人たちの言葉に耳を貸しませんでした。その結果わたしは牢獄の四つの固い壁の中に閉じ込められたとき自由のかがやかしいよろこびを見出したのです。わたしは暗い独房に居ましたがそれらの壁の内からはすべてが見えるが外からは何も見えないことに気づいたのです。

全1件中 1 - 1件を表示

著者プロフィール

1869-1948。モーハンダス・カラムチャンド・ガンディーはインド西海岸の小藩王国の宰相の家に生れる。19歳でイギリスに留学、3年後弁護士の資格をえて帰国・開業したが、生来の内気のために成功しなかった。1893年に商社の顧問弁護士として南アフリカに渡ったが、上陸後まもなく白人の言語道断の人種差別を体験、これが決定的な人生の転機となった。
1915年にインドに帰り、南アフリカでの貴重な体験を生かして、農民争議やエ場ストライキを有利に指導して注目された。1919年にインドにおける最初の大衆非協力運動を開始した。1922年に民衆の不祥事件を理由にこの運動を中止、自らも投獄されたが、彼にあってはあくまでも手段(非暴力)が目的に先行しなければならなかった。1930年にガンディーの「塩の行進」をのろしとして、インドは国をあげて第二次非協力運動に突入、1942年には、「インド撤退要求」を合言葉に激しい対英抗争を展開した。けれども念願した「一つのインド」は実現せず、1947年インドとパキスタンは分離独立した。1948年、狂信的なヒンドゥー教徒の凶弾によって生涯の幕をとじた。

「2021年 『わたしの非暴力【新装合本】』 で使われていた紹介文から引用しています。」

マハトマ・ガンディーの作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×