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Amazon.co.jp ・本 (164ページ) / ISBN・EAN: 9784622004714
感想・レビュー・書評
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p.1990/2/13
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アフォリズムである。真のロランバルトの理解には自分はまだ遠い。
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バルトがテクストについて追究していたものは、音楽でいうならば、12音技法のようなものだったのだろうか?しかし、技法にとらわれないということならば、それとも違っているのかもしれない。
いずれにせよ、テクストについて箴言の形式で書かれ、理論的構築を目指して書かれてはいないことから、その意図するところを読み取ろうとするのは、なかなかに困難を伴うのである。 -
日常世界を線形的に同じ感じで進み行くわたしが書物の表紙を開くことは、別の存在を開くことに止まらず、風を切って知的世界の裂け目に入るという意味を持っている。同じ裂け目の中に、同じ声を聞いている、同じ気持ちの人たちがいるのを感じ、流れ星がたどり着いた場所にいるような感じもしてくる。
一番ときめくのは、永続的な反復練習に似た比較で、複数の泡を熱心に学び、複数の対象を執拗に知悉して、ある全然違う日常世界が見え、一瞬だけ全然違う自分の在り方が見えた瞬間。過去から未来から時を融和させ、偶然ではありえない壮麗な世界を視る。 -
「マラルメだけが自分の肌を自由にできた」とは、『ニューロマンサー』のパンサーモダンズたちのような特性か。その点、バルト自身は「横切る」だけと述べている。すべての逆を行き、テクストを楽しむ。その快楽は説明できない、とまで言う。
この本の各章の表題は伏せられていて、巻末に目次として記されている(しかも訳者あとがきの後にだ)。p71「読書」で語られるバシュラールがいい。それはエクリチュールからは自由な態度、感覚のテクストだろう。固定しない、されたくないバルトは、揺らぎの中で読まなくてはならず、その用語は常に定義されない(させない)。日本人のありようにも似た中庸性。
論理的に真理を追求する生面目さの対局に「快楽」がある(沢崎氏のあとがきより)。 -
定義されること、わか“られる”こと……これらを忌避し続けたテクストが提供できるものは、ただ快楽のみになるだろう。ということを、定義されることを避けながら、意味を揺るがせながらバルトはテクストを提示し続け、トピックをアルファベット順に並べるという方法を用いて逃げ切っている。こういった手法というか嗜好は、むしろ現代小説に求められるものではないだろうか。
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Amazon、¥840.
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正直なところ知識が足りない部分が多かったですし、わかりませんでした。
抽象的であるようで、しかし、自らの読書体験をふり返ると、重なるところがあります。
終わらせることの快楽というのは、これまでの読書ではよくありました。
しかしテクストそのものの快楽とは…… -
バルト大好き!!
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714夜
ロラン・バルトは物語のサスペンスを追って行く「直線的読書」を知的な快楽と規定したうえでこういっている。「もしすべての物語が『父』を登場させることにあるとすれば、それはオイディプース的な快楽なのである」と。・・・-前田愛『文学テキスト入門』p31の記述 -
読了
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テクストで快楽。
バルトとわたしの間の決定的な違い発見。 -
断章形式で書かれている本書の内容は完璧に理解し得る性質のものではない。はて、テクストの快楽とは?あとがきでも書かれているようにそれは文中で定義されない。東京から田舎への長距離バスの車中、つい2、3時間前に読み終えて、そのときは書こうとしたことがあったのだけど、もう忘れてしまった。「テクストの快楽」とは現代的に言い換えてみると、アイドルに対する「萌え」と近いのではないか。確かそのようなことが浮かんだと思うのだが、酒も飲んでいるし、今は書けそうにないな。
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バルト=セイゴオ同等式 @千夜千冊 by 松岡 正剛
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