物語の構造分析

  • みすず書房
3.52
  • (15)
  • (19)
  • (39)
  • (4)
  • (2)
本棚登録 : 607
感想 : 16
  • Amazon.co.jp ・本 (232ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622004813

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • ロラン・バルトの、おそらく代表的・入門書的なものの一つと思われるが、バルトに熱中した30代前半に何故か読まずにいた本。
    比較的初期の文章から、70年代初め頃の文章まで入っている。
    冒頭の「物語の構造分析序説」(1966)は構造主義時代の重要作らしいが、文章が生硬で、バルトらしいエロティックな美しさに欠ける。
    むしろ「作者の死」「作品からテクストへ」がわかりやすく、面白かった。
    私にとってロラン・バルトに対する興味は過去のものだろうか?
    彼はもちろん哲学者ではなかったし、「思想家」でもなかった。もともと文芸批評家であって、その点は日本の吉本隆明や柄谷行人などと同じだ。そのテクストは美しい音楽のようで、それ自体が芸術的だけれども、哲学書と同じように読むことはできない。そんな気がした。

  • 最初の2論文は、ひたすら退屈でとばしてしまいました…。

    逆に「作者の死」と「作品からテクストへ」はがぜん面白く読めました。

    そこから後は、僕のテンション的には横ばい、あるいは下降気味だったかな。

    テクスト理論あたりからバルトのことを知りたい方は、とにかく「作者の死」と「作品からテクストへ」の2つがおすすめです。

  • 「君は誰だ」..明らかになっていく..二重人格性。ロラン・バルトの「作者の死」[^1]後の文書(テクスト)を思わせるように自己同一性の揺らぐ人格は錯綜する。現実(リアル)と仮想現実(ワイヤード)。役割を与えられることによって始めて躍動し始める人の性(さが)。役割演技(ロールプレイング)[^2]。自己同一性(アイデンティティ), 銘柄(ブランド)[^3], 標章(エンブレム)。此等の憑依し憑依されることによって疑似構造化される「社会」[^4]なるもの。

    ---
    [^1]: バルト, ロラン. 1967(1979). 物語の構造分析, 作者の死.

    [^2]: ゴッフマン, アーヴィング. 1959(1974). 行為と演技. // 表局域と裏局域。

    [^3]: ケラー, ケビン・レーン. 1998(2000). 戦略的ブランド・マネジメント.

    [^4]: ラトゥール, ブルーノ. 2005(2019). 社会的なものを組み直す, 21. // ラトゥールは「社会」なるものの意味を再考察する。自らの学を呼べることなら「社会」学よりも連関学(アソシオロジー)と呼びたいのだと。軽妙にそう呼べばよいのに。

  • 大学生の時、フランス語の教師から『零度のエクリチュール』のことを聞いたのが、バルトのことを耳にした最初ではなかったかと思う。
    その後、その本を買い求めはしたものの、長く積読状態にしたままだった。
    ずいぶん前に、なんとか読んではみたが、印象は全く残っていない。
    今回、本書を読んだのは、ローラン・ビネ『言語の七番目の機能』が、バルトの交通事故死を殺人事件に見立てた話だということで、それを読むにあたって、僕自身のバルトについての理解をいま少し深めておきたかったからだ。
    残念ながら、僕の目論見は無惨にも打ち砕かれてしまい、「作者の死」以外の文章はほとんどピンと来ず、バルトの印象はいまだに霧の中ではあるが、幸い本棚に『表徴の帝国』、『映像の修辞学』、『批評と真実』、『彼自身によるロラン・バルト』などがあり、理解することさえ棚に上げてしまえば、どれも読み易そうなボリュームなので、折角なのでもう少しバルトにつきあってみたい。/


    目次:「物語の構造分析序説」、「天使との格闘ーー「創世記」三二章二三-三三節のテクスト分析」、「作者の死」、「作品からテクストへ」、「現代における食品摂取の社会心理学のために」、「エクリチュールの教え」、「逸脱」、「対象そのものを変えること」/


    【「作者」を遠ざけること(ブレヒトにならって、ここでは真の《異化作用》〔=距離をおくこと〕について語ることができよう。「作者」は文学の舞台のはずれで小像のように小さくなっていく)、これは単に歴史的事実であり、エクリチュールの行為であるというだけではない。それは現代のテクストを完全に一変させる(あるいはーーこれも同じことだがーー今後テクストは、その内部のあらゆるレベルから作者が姿を消すように作られ、読まれることになる)。

    ー中略ー

    現代の書き手は、テクストと同時に誕生する。彼はいかなることがあっても、エクリチュールに先立ったり、それを越えたりする存在とは見なされない。】(「作者の死」)/

    おやおや、ここでバルトがまさに問題にしているのは、現在の僕自身の文学観であるようだ。
    突然どこからか声が聞こえてきた。
    【「ようライアン! まだこんなところをうろうろして、相変わらず鈍間だな。】(ドラゴンクエストⅣ「導かれし者たち」より。)


    【われわれは今や知っているが、テクストとは、一列に並んだ語から成り立ち、唯一のいわば神学的な意味(つまり「作者=神」の《メッセージ》ということになろう)を出現させるものではない。

    ー中略ー

    ひとたび「作者」が遠ざけられると、テクストを《解読する》という意図は、まったく無用になる。

    ー中略ー

    こうしてエクリチュールの全貌が明らかになる。一編のテクストは、いくつもの文化からやって来る多元的なエクリチュールによって構成され、これらのエクリチュールは、互いに対話をおこない、他をパロディー化し、異議をとなえあう。しかし、この多元性が収斂する場がある。その場とは、これまで述べてきたように、作者ではなく、読者である。読者とは、あるエクリチュールを構成するあらゆる引用が、一つも失われることなく記入される空間にほかならない。

    ー中略ー

    読者の誕生は、「作者」の死によってあがなわれなければならないのだ。】(同上)

  • 構造主義を理解することはポスト構造主義をここ数十年続けている現代を理解することに等しいと思っている。
    あとは俗っぽい話でいうと、前々から構造主義は裁判書面を読む際の一つの着眼点として利用できる気がしていた。実際に本書を読んで、「序説」における機能レベルの分析手法は、自分が実際に現在扱っている事件の相手方の書面に対する違和感を整理してくれた。お陰で効果的な反論を展開できそう。
    他方で他のレベルの分析手法はきちんとその内容を書かれておらず、消化不良。こんなもん世に出していいのか?
    その他の文章も難しくも楽しいものでした。

  • NDC: 901

  • なにか新しい発見があったかというとあんまりだった。古典の部類なのかもしれない。

  • 僕の頭が悪すぎて全然読み進まない

    しかし、どこまで言っても、要素に分けたがるのね、こいつらの文明は

    イームズのパワーズオブテンという映像があるけど、あれこそまさにこの、最小単位と、その集まりによる構造体と、その集まりによる次の構造体と、、、というのの視覚化のベースなんだろう

    住所を小さい単位から書いてくのと同じで

    歴史の始めに、神は素粒子の集まりから出来たと思ってるのかな?

    神が素粒子を作ったとは考えられないのかな?

    素粒子は、知性でしか観察できない、ということの寓意をもう少し考えてみるべきかと思う

    要素が構造を作って全体になる、のではなく、全体が構造を見せ、要素を孕む、じゃダメなのかな?

    何せ、構造や要素を発見するときに、人は要素としてではなく、全体として機能してるんだからね

    そもそも要素なんて不確定だって証明しちゃったのに

    物語の構造分析叙説

    ・芸術は、(情報理論における意味での)雑音を知らない
    ・物語の観点から見れば、われわれが時間と呼ぶものは存在しない
    ・読むということは、命名するということである。聞くということは、ある言語活動を認知するだけでなく、それを構築することでもある。
    ・小説の作者が研究されているのであって、それが果たして語り手であるかどうかは問われていない
    ・詩は要約できないという確信
    ・あるシークエンスの起源は、現実の観察にあるのではなく、人間に与えられた最初の形式、つまり反復を、変異させ、乗り越える必要性のうちにある

    とかとか

    バルトはフランス人に向けて本を書いてるのかなーということを思った
    まぁ、フランス人がフランス語で書いてるから当然なんだけど、読みにくさはそこにある気がする
    あと、エクリチュールとかが、日本語訳されると必要以上にニュアンスを帯びてしまってる気がする
    横文字に負けてしまう

    そもそも作者というもの自体、近世の産物ですが、その「作者の死」と読者の誕生、ということ
    これをもっとうまくやったのが、ホックニーが写真並べて1枚の絵を作ってるような作品とかはまさに、鑑賞者の頭の中にしか像が存在しない絵になる
    印象派もそういうところがある
    ミケランジェロやカラヴァッジョでは、あくまで作品があって作者がある

    「作品からテクストへ」は、テクストという訳の仕方が、横文字の権威感や新しい言葉感を醸し出すのを知ってて使うという楽をしてる感じが腹立たしいんだけど、こういうのってむしろ、ただのカタカナにしたことで誤訳になってると思うんだよね
    うーん、、、
    言葉はもう少し精度上げて選ぶべきというところを、ざっくりとした理解なのでざっくり言えば、歴史から文脈へ、ということでしょうか
    違うかな

    「エクリチュールの教え」がわかりやすく面白かった
    表徴の帝国をもっかい読みたくなる

    ヨーロッパにとって、意味を攻撃することは、隠すか逆にすることだが、文楽は意味を不在にするという方法をとる
    とかね

    隠さないことで、逆に何も隠れてないことを証すという方法は素晴らしいよね

  • 私にはまだ早かった

  • やっぱり抽象的。用語が多かった。
    でも『表象の帝国』よりは抽象的なものを扱ってる分、おおざっぱでいいのかしら。

    個人的に、物語は構造で要約できるが、詩を要約したら「愛」と「死」しか残らない、というのに納得(それしか覚えてないっ)

全16件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

1915年、シェルブールに生まれる。1980年、パリにて没する。哲学者、記号学者、批評家。主な著作に、『零度のエクリチュール』(1953年。みすず書房、2008年)、『モードの体系』(1967年。みすず書房、1972年)、『S / Z』(1970年。みすず書房、1973年)、『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(1975年。みすず書房、2018年)、『恋愛のディスクール・断章』(1977年。みすず書房、2020年)、『明るい部屋――写真についての覚書』(1980年。みすず書房、1985年)などがある。

「2021年 『恋愛のディスクール』 で使われていた紹介文から引用しています。」

ロラン・バルトの作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
ロラン・バルト
J.L. ボルヘ...
フランツ・カフカ
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×