現象学の理念

  • みすず書房
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感想 : 5
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  • Amazon.co.jp ・本 (200ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622019213

感想・レビュー・書評

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  • 初期フッサールによる現象学解説。厳密学。還元。

  • 2016.6.23
    竹田さんの「超読解 現象学の理念」を片手に、訳注も参照しながら、なんとか読みきった本。しかし読み終えて思ったことは、実は表現が難しいが、言っていることは少ないということである。もっとぎゅっとすれば半分くらいの紙面で終わる内容ではなかろうか。しかしそれでもここまで難解な言葉を尽くして回りくどく説明しなければならないのは、この現象学的還元という方法が普段我々が認識の際に使っている主観客観図式という、いわばもはや習慣になってしまった当たり前の捉え方に反した、不自然な認識方法だからだろう。あとがきにもあったが、フッサールの言ってることを理解するのに重要なのは、まずはこの哲学語についての理解を深める、つまり語彙力を増やすこと、言葉の各概念を理解することと、そして何より、フッサールがどのような問題意識でこのようなことを言ったのかを理解することに尽きるだろう。彼はとにかく、もう疑えない認識とは何なのかということを考えたかったのだと思う。我々も普段、例えば様々な本を読むことでいろんな学説や解釈が乱立する中で、または友人といろんな議論をしていて様々な意見が飛び交う中で、じゃあ結局正解って何?と思うことはないだろうか。私の友達に「まぁ結局価値観は人それぞれだからね」が口癖の人がいる。確かにその通りであるし、そう考えたほうが人間関係上も、自分の精神衛生上も得である。しかしフッサールはそういう様々な意見が飛び交う中で、どれが正しいのか、を考えずにはいられなかった。そして、どれが正しいかを判断するためには、何を以って正しいと言えるかという根拠が必要である。それは何かを考えたのではないか。デカルトから出発する彼は、すべてを、目の前にあるコップの存在すら疑い、そこまでして初めて、しかし目の前にコップがあるという意識上の確信は疑えないことを発見し、つまり意識という内在と、意識つまり私の外にある超越とを分けて、この内在は疑うことができない、よってここにこそ正しさの根拠があると考えた。これが現象学的還元である。と、レビューを書きながら、やっぱり私自身まだよくわかってないことをしみじみ感じている…。しかし私もまた、正しさを求める、もしくはその根拠を求める人間として、価値観人それぞれ主義に甘んじたくない人間として、このフッサールの問いを共有しつつ、粘り強く彼と付き合っていこうかなと思う。

  • 読む前に「『客観』とは何か?」と自分なりによく考えることが必要。厨二病な疑問だが、意外に深いはず。
    やろうとしていることはシンプルで、永遠の厨二病なのに(これをかわいいととるか、変人ととるか…)、もったいぶった言い回しや気取った小難しい言葉をつかうので大いに誤解され、また埋もれてしまったエドムント・フッサール。彼の創始した「現象学」の彼自身による最もわかりやすいもの。


    フッサールは、現象学は従来の思考の枠組みの中でその枠組みを批判しているから、とても窮屈(単調、退屈、無駄に繁雑)な方法。やろうとしているのは、とっくに従来の哲学を越え出ようとしているのに、無理やり押し込めている。ぎゅうぎゅうの旅行鞄に荷物をなんとか小さくしてさらにどうやって入れようか考えているみたいだ。また、用語のつかわれかたが単調なので、誤解を招いたりする。熟練ドライバーが居眠り運転するようなもの。

    それでも事前に「『客観』とは何か?」を考えて読むと、フッサールが生涯をかけて粘り強く取り組んだ課題とその成果の大きさがよくわかる。

    「『客観』とは何か?」と いうのは、「あなたがみている 空の青と、私がみている空の青 は同じ青なのか?」というよう な問い。こういう問いにたいし ては多元的、多角的な観点か ら、ユーモアでこたえるのがい いというのが私の所感。フッ サールは真面目すぎる。

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