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Amazon.co.jp ・本 (380ページ) / ISBN・EAN: 9784622019329
作品紹介・あらすじ
「……メルロは、ためらって言った、《ぼくは多分、自然について書くことになるだろう》。彼は、私の考えの方向を決めてくれようとして付け加えた。《ぼくはホワイトヘッドの中で、自然はぼろ布の中にあるという、驚くべき文章を読んだのだ》。……私は意味がよくわからずに、彼と別れた。その頃私は《弁証法的唯物論》を研究していたから、《自然》という言葉は、私には、われわれの物理・化学的認識の総体を想い起こさせた。……私は、彼の考える自然が、感覚的世界、われわれが物や動物に出会ったり、自分自身の身体や他人の身体に出会ったりする《思いっきり広範な》世界のことだということを忘れていたのだ。それがわかるには、彼の最後の論文『眼と精神』の出版を待たねばならなかった」。
「……彼は読者に、《作品の中で会う約束》をした。私は彼の読者となるたびに、彼を識るだろうし、それ以上に自分を識ることだろう。彼の未来の著書のうち150頁は難破から救われたし、それに『眼と精神』がある。これは解読するすべをわきまえてさえいれば、すべてを語っているのだ」。(サルトル「生きているメルロ=ポンティ」より)
みんなの感想まとめ
自己と他者の関係を深く探求するこの作品は、現象学的な身体論を通じて、私たちの存在や認識の根本を問い直します。特に幼児期における自己と他者の境界の曖昧さを描写し、成長と共に形成される自己の理解を促します...
感想・レビュー・書評
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あ
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貸し出し状況等、詳細情報の確認は下記URLへ
http://libsrv02.iamas.ac.jp/jhkweb_JPN/service/open_search_ex.asp?ISBN=4622019329 -
(哲学の授業で自己と他者の問題をやった。
サルトルの次にメルロ=ポンティ、最終的にはマルティン=ブーバー『我と汝』につながった。)
授業で名前を知り、偶然図書室にあったので読んでみた。
特に「幼児の対人関係」が面白かった。
幼児期には自己と他者の線引きが曖昧だが、成長に合わせて周りが「自分のことを「私」と言うように」などと言い、自己を形成するように促していく。
自己が出来ることによって他者との境界線ができはじめる、というような内容。
「ねたみは<自己と他者の混同>」には、しっくりきた。
自己と他者の融合があり得るのは正しいのかもしれない。
自己を形成するのには他者が必要だとすると、自己の中には他者が存在することになるのかもしれない。 -
☆twitterより
物事が細分化されすぎた。
学問も復古した方がいい。
今や学問でさえ単なるMethodに成り下がっている。
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そこで手引きになるのがこの本だ。
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☆twitterより
全ての学問の哲学への復古の必要性というのは、
最近私が読み耽っている「眼と精神」
(原題:ELOGE DE LA PHILOSOPHIE L'OEIL ET L'ESPRIT Par Maurice Merleau-Ponty )に書いてある。 -
11/12/29、神保町・明倫館書店で購入(古本)。
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みすず書房のこの本に収められている「幼児の対人関係」は、同じ出版社の『メルロ=ポンティ・コレクション3巻』に入っている。そのためこの本を読むのが遅れたのだが、『メルロ=ポンティ・コレクション』シリーズを集めると、既に持っている『シーニュ』所収の文章とかなり重複してしまう。
メルロ=ポンティの生前出版された最後の論文「眼と精神」をやはり読みたかったので、結局この本を買うことにした。
非常におもしろい本である。
最後の「眼と精神」を除く3つの文章は、講義録ないし講演の内容。
最初の「人間の科学と現象学」はフッサールを論じたもので、なかなか難しい。というのは、私がフッサールをきちんと理解していないからだ。この巻頭の文章が難しいと感じたら、ここは読み飛ばしていいと思う。
次の「幼児と対人関係」は、再読になるが、心理学に興味のある人なら間違いなく、抜群に面白いはずだ。フレンケル=ブランズウィック夫人とか、ヴァロンとか、現在の日本では翻訳を読むことの出来ない心理学者が登場するが、この文章を読めば大体その主旨はわかる。
「他人知覚」が幼児において得られる過程、自己の身体像の獲得など、実に興味深い。鏡像論ではラカンの名も出てくるが、2人の親交はこのとき既に始まっていたのだろうか。
「哲学をたたえて」ではベルクソンの読解が試みられるが、それより最後のソクラテスに関する論述が面白かった。
肝心の「眼と精神」、これは遺稿『見えるものと見えざるもの』よりも当然先に読んでおくべきものだったが、私は逆になってしまった。
知覚の中でもやたら優位に立つと思われる視覚という問題系から、メルロ=ポンティはセザンヌなどの絵画の領域に関心を深めていくのだが、この文章ではクレーなどについても論じられている。
この晩年のメルロ=ポンティの思想はなかなかに難しい。特に最後の方、「存在の裂開」という概念が出てくるあたり、あまり理解できなかったように思う。
それでも目もくらむような知の進展を感じ取ることができた。わからなかった部分は、後日また読み返してみればよいのだ。 -
私は写真家です。哲学は良く知りません。しかしこの本は写真を撮る仕事をしている人間にとって、一度は読むべき本だと思いました。
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いわゆる認知科学にあたる領域の一冊。脳科学の発達でメルロ・ポンティの名前はすでに遠くなっていますが、今をときめく脳科学者でなくとも、さらには脳科学そのものがほとんど認知されない時代であっても、哲学はここまで考え抜くことができる… 偉業だと思います。
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晩年の芸術論(絵画論)『眼と精神』を所収した著作。『眼と精神』第三章のデカルト批判は面白いです。デカルトの『屈折光学』の第6講あたりまでを読んでからどうぞ。
著者プロフィール
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