- 本 ・本 (400ページ)
- / ISBN・EAN: 9784622019725
感想・レビュー・書評
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人類学に興味を持ったからには、この金字塔を
手に取らないわけにはいかない。これは
運命である。
と、読んでみましたが、なかなか
わからない!
トーテミズムの構造を記号で
解き明かしている箇所が
もう、とにかくとにかく難解でした。
そもそも、ネイティブアメリカンについて
知らないので、無理(涙)
科学的認知は人類の直線的な進化、
って考えたら間違いよ。
のあたりは、ホンマに興味深かった。
もっと平易な解説本を探すことにします。
アイルビーバックです。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
シン・ウルトラマンが地球人を知るため、この本読んでいたシーンを契機に、読み始める。
本書で言及されている器用仕事(プリコラージュ)は、よく引用されている。印象強かったのは、藤森照信「茶室学」。そんな訳で、以前から、いつかは手を出さなきゃと思っていた本。
しかし、何でこんな有名な本が文庫化されてないんだろう。
事細かに説明があるんだけど、段落最後のまとめが、なぜそういう結論になるのかさっぱり判らない。大学ゼミで輪読して読み解いたら面白いんだろうな。自分の頭の悪さを思い知らされた。
トーテミズムとか、命名のルールとか、婚姻のタブーは、自然から読み取ったルールを未開の地の人々は器用仕事で人間のルールに当てはめているということか。神話は要点のみで無駄がないというのが不思議。記号的なものなのか。
最終の第九章はサルトル批判。
「自我の明証性と称されるものの中にまず自らの位置を定めるものは、もはやそこから出ることはない。」人間の普遍性への認識とか時間意識とか辛らつな言葉が続く。
かなり未消化で終わった。いつかは、読み返そうと思う。 -
取り敢えず読了。構造主義人類学の代表作たる本書であるが、非常に難解であった。私は読み終えたものの、ほとんど理解できなかった。本書の中で頻繁にソシュールとヤーコブソンが引用されていた点から、レヴィ・ストロースが構造主義言語学の影響を強く受けていることは窺い知れた。通時態と共時態、恣意性、差異に基づく二項対立などの構造主義を人類学で応用する様はとても興味深かった。訳者のあとがきに本書のタイトルについての言及があったが、タイトルにここまで意味が込められているとは思わなかった。
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「文明化された社会に対して、未開発な社会の思考体系は、実用的、具体的なものに限られる」との本書刊行当時の考え方に対して、あらゆる文化において抽象度の高い構造的な思考体系が発達しており、それらの基盤は共通して観察を基に抽象思考を構築し、具体的な周りの事物を分類するという、科学的な姿勢が形作っている。
膨大なケースが記述されているため、集中力に乏しい私は本書を読むのに難儀しましたが、上記が要旨の一つと理解しています。例えるのであれば、根を同じとする木の枝の片側は剪定され、もう片側は無作為に伸びているようなものであり、方法論は違えど、観察を基に仮説を構築し、個々の事物を体系化するという、世界に対する向き合い方は人類共通であると述べています。
冒頭に述べた「文明化された社会」という言葉が既に強い偏見を含んでおり、どの文化も等しく高度な思考体系を有しているという主張は、本書刊行当時は勿論のこと、現代においても知らずの内に偏った我々の意見を改めさせてくれます。
本書の内容についての感想とはズレますが、本書を読み終わって、熟読しないと何が書いてあるのか分からないような、難解な本を読むことは大切だと改めて思いました。色々なことをわかりやすく説明してくれている本は巷に溢れており、読んでて楽しいものや、為になるものも多くあるのですが、知識を増やすのにはよくても、理解力を向上させるにはあまり役立たないと感じています。食事と読書には共通点が沢山あると思うので、食事で例えると、サプリや栄養剤を使えばもしかすると効率よく栄養を吸収できるかもしれませんが、硬いものを噛み砕く顎の力は養われないのに似ていると思います。トレーニングも兼ねて意識的に難しい本にチャレンジしてみようと思います。ただし、適度に。。。 -
ピレネー山脈のこちら側での真理が、あちら側では誤謬である。緯度の3度のちがいが全ての法律をくつがえし、子午線の一つが真理を決定する。川で仕切られる滑稽な正義。ブレーズ・パスカルPascal『パンセ』1670
リンゴを思い浮かべる。すると赤くて丸い果物のイメージが出てくる。それが意味内容。意味されるもの。このイメージを音や文字を使って指し示したい。それが意味させるもの。日本語だと「りんご, ringo」、英語だと「Apple, ăpʹ(ə)l」。赤くて丸いあの果物を「ringo」と呼ぶ必然性はなく、「apple」と呼ぶ必然性もない。恣意的なもの。▼日本語は蝶と蛾を区別するが、フランス語では蝶も蛾もパピヨンpapillon。蝶や蛾がまずあって、それに言葉を当てはめているのではない。蝶と蛾、別のものだと言葉で区別するから、蝶と蛾は存在する。▼言葉や行為を関係づけて意味を与える規則の体系がある。この体系の枠組みの中で言葉や行為は意味付けられる。この体系は言葉や行為に先立って存在している。F・ソシュール『一般言語学講義』1916
用いる言語によって物の見方・感じ方が異なる。イヌイットの言葉には雪を表す単語が複数ある。サピア=ウォーフ仮説1929
アメリカのナヴァホ族は独特の方法で動物・植物を分類する。文明社会から見ると「非科学的」に見える方法。しかし、彼らが野蛮で文明水準が低いのではない。彼らの知的能力が低いのではない。人間が世界に対して抱く関心の深さや細かさは社会によって異なる。思考の枠組み・考え方のパターンは異なる。人は自由・主体的ではなく、条件づけられている。人は文化(構造)によって規定されている。レヴィ=ストロースLévi-Strauss『野生の思考』1962
この世界は言語(意味させるもの)によって構造化されている。人間は無意識のうちに言語が生み出す社会的な規範・秩序(大文字の他者 cf. 超自我)に支配されている。ジャック・ラカン -
レヴィ=ストロースの、超有名な一冊。人類学に興味を持ち、何冊か関連の本を読む中で、やはりストロースを避けて通れないと感じ、読んでみました。
めちゃくちゃ難しい。まず、「トーテミズム」とかいまいちはっきり理解できない言葉が多いのと、『~性』で説明される特徴の類似と差異が掴みきれず、かなり苦戦しました。
それでもわからないところは飛ばしながら読んでいくと、示唆に富んだ記述が多々あり、なんとなく面白いですが、名前の付け方の章などはかなり混乱しました。
文化人類学者とは、客観と主観の間で悩む存在なんだろうと思います。差異の中に類似を、類似の中に差異を認め、そこに法則を見出す、その考察はちょっと深すぎて理解できないとこも多々ありましたが、「こんな風に考えてるんだ~」程度で緩く読むのでいいのかもしれません。
余談ですが、本の余白のバランスが悪く、縦横比としては読みにくい印象を強く受けました。その辺の改善のためにも、早く電子化してほしいですね。 -
十分理解できたとは言えないけど、凄いということは伝わってくるような本です。
レヴィ=ストロースを読むのはこれが2作目ですが(最初に読んだのは「悲しき熱帯」)、本当の意味で頭がいい人なのだな、とただただ畏怖することしか出来ないような感覚を味わいました。
未開で遅れていると考えられてきた民族について詳細に調査考察することによって、西洋人の彼らに対する考え方に大きな転換をもたらしたとされている本書ですが、ただ記憶力が良い、または頭の回転が速いだけの人ではこの仕事はなされなかったのではないかと思います。
ある社会における正論に疑問を投じるのはーーそのことによって自分たちの優位性が脅かされるのなら尚更ーー困難なことだというのは想像に難くないでしょう。
それを平然とやってのけられるのは、真に賢い人間だけだと思いますし、そこにしびれますし、憧れます。 -
自然と文化の断絶を媒介する野生の思考を描く。栽培の思考が事物を無色透明の概念として無毒化するのに対し、野生の思考は事物を曖昧性とゆらぎを含む記号として理解する。クズリの説明に象徴されるように、このイマジネーションは無限のシニフィエを生み出し、自然と文化を架け橋する。人間は少なくとも文化と自然の双方に跨らざるををえない存在である以上、この思考が無意味で野蛮なものとして切り捨てることは不可能であろうし、むしろより原初的かつ根源的なものとさえ言えるだろう。この点においてAIの登場が革新的となるのではないだろうか。純粋に概念のみを扱うAIは、もはや自然との接点がなくなる。
この本をセンセーショナルなものとした後半部のサルトル批判は、進歩主義的歴史観に対するものとも言える。チューリンガに見られるように、「未開」社会の歴史は共時態として常に現在に存在し続け、過去や未来を形成することがない。クラストルが示したように、これは恣意的で通時的な歴史への「抵抗」という意図的な形態として現れている。
サルトルの権威を失墜させたとはいえ、この手の進歩主義は未だに今日も健在であるどころか、SDGsなどの言葉を用いてより深刻さを増しているのではないだろうか。 -
意味が分からないので図書館に返却。
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悲しき熱帯に比べてかなり抽象的である。部族の例はわずかだが出ているが旅行記のようではない。サルトルとの比較も書かれているが、それが構造主義であるということを明確に示すにはもっと読み込むことが必要であろう。
クロード・レヴィ・ストロースの作品





