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Amazon.co.jp ・本 / ISBN・EAN: 9784622023517
感想・レビュー・書評
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奥州守山領の『御用留帳』142冊をもとに、近世庶民の医療事情について特に「疫病」と「狐憑き」を中心に読み解いていく一書。地域医療史というのは近年とりわけ盛んだと思うのだが、その先駆的業績として挙げても本書を良いのではないだろうか。
「狐憑き」を扱った章で面白かったのは、近世といえど精神障害者を勝手にふん縛ったり座敷牢のようなところにたたき込んだりということはなく、藩の許可を得たうえで「指籠」(木造の座敷牢)に入れていたという点(p.109)。幕藩権力としては、勝手に人々がある人間を閉じ込めてしまうというのは暴力の独占という観点からも、また再生産のための人民把握という点からも、許せなかったということがうかがわれて興味深い。
また、精神病者をなんでもかんでも「狐憑き」として理解していたわけではなく、「病気」として認識していたという指摘も興味深い(p.81)。逆に「狐憑き」として理解していた事例は、そう多くないとも述べられている(p.84)。近世において精神病の理解が、近代的な意味でいう「非合理的」ではなかったということはいえそうである。もちろん、だからといってただちに「合理的である」ということは意味しないのだが。 -
2009/11/17購入
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こちらも同じく近世の疾病と医療に関する本.同様に知人から紹介を受けたもので,前者よりも精神病の扱いに重きを置いた記述になっている.フーコーの「狂気の歴史」を念頭にして読み進めた.やや余談染みるが,かつては,フーコーの論説をそのまま生で持ってきて,日本の中世,近世に当てはめるような乱暴な論説が罷り通ったことがある.つまりWikipediaから引用すれば
<blockquote>フーコーは『狂気の歴史』(1961)で、西欧世界においてかつては神霊によるものと考えられていた狂気が、なぜ精神病とみなされるようになったのかを研究する。彼が明らかにしようとするのは、西欧社会が伝統的に抑圧してきた狂気の創造的な力である。第2段階は、先に概観した知の変化についての考察が中心となる。この考察は、もっとも重要な著書である『言葉と物』(1966)にしめされている。</blockquote>
これは言うまでもなくフーコーの作業仮説,あるいはフーコー自らの内面的問題意識であって広く世界に一般化できるような性格のものではないことは明らかなのだが,今でも世に舶来思想礼賛の気味からその悪影響は多方面に見ることが出来るのではないか.
本書で豊富な資料から明らかにされる現実の日本近世の「狂気」に関する社会的扱いは,到底 Foucault の説が当てはまるようなものではなく,むしろ極めてプラグマティックなものである.中世の神秘意識に基づく神霊的憑物と病理としての狂気は必ずしも相互排除関係になっているというわけではないのだ.
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