疫病と狐憑き

  • みすず書房 (1985年10月1日発売)
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Amazon.co.jp ・本 / ISBN・EAN: 9784622023517

感想・レビュー・書評

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  • タイトルから想像して、当時は「狐憑き」だと思われた現在で言う精神病の方に対する、社会認識やその処遇についてが主なテーマなのか?と思って読み始めたが、もっと幅広い内容をカバーしており、興味深くて知識欲をとても刺激される一冊。

    江戸時代、奥州守山領(現在の福島県の一部)の領主が書き留めた164年間(1703〜1867年)の公的記録を基に、当時の医療状況を丁寧に分析している内容。

    個人的に興味深かった部分:当時使用されていた精神病状態を表す言葉を読み解くことで、日本人の中世から近世への価値観の変遷を考察していた点。
    江戸時代(近世)の精神病状態を表す言葉として「乱心」「乱気」「狐付」が用いられていたが、これは近世の価値観から生まれた言葉らしい。
    対して中世では、同様の状態の原因を怨霊・生霊・死霊等の超自然的存在〈物の怪-もののけ〉と捉え、「ものぐるい」「ものつき」と表現していた。
    中世の「ものぐるい」→近世の「乱心」「乱気」という言葉の変化には、もののけという捉えどころのないものではなく、個人の気や心の乱れが原因だと思われるようになっていたことが分かるし、中世の「ものつき」→近世の「狐付」という言葉の変化からも、原因がより身近で即物的なニュアンスの「狐」に置き換わっていることが分かる。
    このことから、神秘主義の世界観で人々が生きていた中世と比べ、近世では、人々の信仰は世俗化・現世化していたと考察されていた。
    勿論、神隠しなどはまだまだ信じられていたけれど、「(近世では)『もののけ』自体はもはや憑いたり迷わしたりすることはなく、中世の闇に身をひそめる」という一文が印象的だった。

    その他、精神病の方を野放しにしていたら不安だから所謂座敷牢に入れたい(指籠入れ)場合でも、家族単位や村単位で勝手に行うのではなく、奉行所の許可を得てから行なっていたという記述・精神病の方が罪を犯してしまった場合の責任能力の有無による減刑制度などの記述も興味深かった。当時、医療技術や知識という面では勿論まだまだ未発達だけれど、制度としては、想像以上に整えられていたことが驚きだった。
    また、湯治に行きたいとか伊勢参りに行きたいとか、そういうことだけでもいちいち領主かそれ以上の役職に許可取りが必要で、村や領地の人の出入がかなり厳しく管理されていたのも読み取れた。そのような制度から、一般的に昔話でイメージされるような「余所者への風当たりが強い、排他的で閉じられた村」の原型が作られたのか、と想像が広がった。

    高校までの歴史の授業で習ったことに毛が生えた程度の知識で江戸時代をイメージしていた自分にとって、かなり目から鱗な情報ばかりだった。当時の民衆の生活の解像度が上がるのは非常に楽しく、とても良い読書体験だった。

  • 奥州守山領の『御用留帳』142冊をもとに、近世庶民の医療事情について特に「疫病」と「狐憑き」を中心に読み解いていく一書。地域医療史というのは近年とりわけ盛んだと思うのだが、その先駆的業績として挙げても本書を良いのではないだろうか。

    「狐憑き」を扱った章で面白かったのは、近世といえど精神障害者を勝手にふん縛ったり座敷牢のようなところにたたき込んだりということはなく、藩の許可を得たうえで「指籠」(木造の座敷牢)に入れていたという点(p.109)。幕藩権力としては、勝手に人々がある人間を閉じ込めてしまうというのは暴力の独占という観点からも、また再生産のための人民把握という点からも、許せなかったということがうかがわれて興味深い。

    また、精神病者をなんでもかんでも「狐憑き」として理解していたわけではなく、「病気」として認識していたという指摘も興味深い(p.81)。逆に「狐憑き」として理解していた事例は、そう多くないとも述べられている(p.84)。近世において精神病の理解が、近代的な意味でいう「非合理的」ではなかったということはいえそうである。もちろん、だからといってただちに「合理的である」ということは意味しないのだが。

  • 2009/11/17購入

  • こちらも同じく近世の疾病と医療に関する本.同様に知人から紹介を受けたもので,前者よりも精神病の扱いに重きを置いた記述になっている.フーコーの「狂気の歴史」を念頭にして読み進めた.やや余談染みるが,かつては,フーコーの論説をそのまま生で持ってきて,日本の中世,近世に当てはめるような乱暴な論説が罷り通ったことがある.つまりWikipediaから引用すれば
    <blockquote>フーコーは『狂気の歴史』(1961)で、西欧世界においてかつては神霊によるものと考えられていた狂気が、なぜ精神病とみなされるようになったのかを研究する。彼が明らかにしようとするのは、西欧社会が伝統的に抑圧してきた狂気の創造的な力である。第2段階は、先に概観した知の変化についての考察が中心となる。この考察は、もっとも重要な著書である『言葉と物』(1966)にしめされている。</blockquote>
    これは言うまでもなくフーコーの作業仮説,あるいはフーコー自らの内面的問題意識であって広く世界に一般化できるような性格のものではないことは明らかなのだが,今でも世に舶来思想礼賛の気味からその悪影響は多方面に見ることが出来るのではないか.
    本書で豊富な資料から明らかにされる現実の日本近世の「狂気」に関する社会的扱いは,到底 Foucault の説が当てはまるようなものではなく,むしろ極めてプラグマティックなものである.中世の神秘意識に基づく神霊的憑物と病理としての狂気は必ずしも相互排除関係になっているというわけではないのだ.

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