遠い場所の記憶 自伝

  • みすず書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (351ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622032069

作品紹介・あらすじ

「あるべきところから外れ、さ迷いつづけるのがよい」エルサレム、カイロ、レバノン、そして合衆国。遠い記憶に呼びかけながら20世紀の一つの家族と時代をみごとに描く、感動のメモワール。

感想・レビュー・書評

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  • 少年期から青年期にかけてのサイードの自伝。パレスチナで生まれ、エジプトで育ち、アメリカ国籍を持つという複雑な出自、アラブ・ブルジョワジー家庭の厳しい抑圧の中で悶々と苦しむエドワードに何度もエールを送り、感情移入甚だしいウザい読み手と化してしまった。「どこに置いても異質なわたし」という観念に付き纏われ「周辺的」な存在としての内省的自意識が、やがて怒れる知識人へと開花する黎明期。胎動がトクトク伝わってくる。当時のシャーミー上流社会の儚さを歴史の推移と共に綴る記憶は甘酸っぱくてほろ苦い。抒情的なサイードもまたいい。

  • サイードの著作を読むならば『オリエンタリズム』をまずひもとくべきでしょうが、それよりもまずこちらから紐解いた方がよいのではないかという一冊。異文化理解の根本は、実像を辿ること。そしてそれを知ることから始まる。

    異質なものを異質なものと認めることには勇気が必要です。
    しかし、その勇気を省いて、テキトーなイメージで済ませてしまう。
    こここに大きな問題点があります。

    サイードは、パレスチナで過ごした子供時代、そして青春時代の詳細な部分をこの本で映画のように描いております。そこには別の文化や地域の子供達と同じように、サッカーに興じ、こまったひとのためにつくす大人の姿、そして不正義に憤る少年の姿が描かれております。

    難民でもなく、テロリストでもない。しかしパレスチナの悲劇を背景にもつ少年の実像がそこに描かれている。

    こうした実像は、強烈なイメージとしての「異質なもの」を増長させるわけで、均一な人間のイメージを描くわけでもない。

    そうしたところから遠くかけはなれた、生きた人間の記録がそこにある。

    これを洗練させていったところに「オリエンタリズム」が存在する。

  • 長い長い自叙伝。
    土地への帰属精神を持たないアイデンティティへの葛藤が普段の生活の中に現れる様子がよく描写された作品

  • パレスチナ人でありながらキリスト教信者、アラブ系セレブの家に生まれる。パレスチナ、カイロ、レバノンを交互に行き来していたので本当の故郷がどこかよくわからない。
    カイロでは現地の人間からは外国人として見られ、宗主国の人間からはアラブと下に見られる。英才教育を受けてエリートコースを進むも、宗主国側の人間である白人教師からは手に負えない、劣った人種であるアラブ人として侮辱される。

    多感な少年期に普通とは言い難い抑圧された環境の中で、権威に対する反発、不正に対する怒りが将来彼をパレスチナ問題の活動へと誘ったのだろうか。
    名付け親でもある叔母のナビーハは多忙な日々を過ごしながら休日は、家や住む土地を奪われ難民となった人々の悩みを聞き、具体的なアドバイスをしたり、仕事を紹介したりした。浮浪児には教育の機会を与え、お金に困っている人には資金を調達し分配するなど様々な難民救済に当たっていた。彼女のような心ある大人が、彼の人生に大きな影響を与えたのだろうと思う。

    ちなみにこの本はサイードが白血病の治療中に書かれている。
    物語は多数派、強いもの、権力者の視点から描かれるものが多い。この物語は存在すら消されようとしていたパレスチナ人が描いた異質ではあるけれど、誰もが共感できる人間としての普遍的なドラマがある。

  • 絶版になる前に入手しないと…と思いながら、帰省すると買うのを忘れて帰る本筆頭。彼にはもっと長生きしていただきたかった。

  • ところどころものすごく読みにくい、そしてところどころものすごく共感を覚える。
    特に母親と父親、それぞれからの違ったタイプの支配。所属感のなさ。Out of placeな感じなど。
    まだまだこれからも、繰り返し何度も読み返す必要がある一冊。まだまだ、何度も。改めて改めて。
    思うところあってまた読んだ。東京からロンドンに引っ越した2年半前に一緒に持って来た数少ない本の一冊。何回読んだかわからない。

  • 昔のことよくそんなに細かく覚えているな、と感心。

  • エドワード・サイードは優れた批評家だったけれども、ここで書かれていた彼自身による彼の半生・自伝は、コンプレックスに満ち溢れた、ただの「人間」エドワード・サイードだった。少なくとも僕は、スーパースターではないただの人だった彼の幼少期に失望を感じ、読みながら人が自伝を残す意味、自分を語るということの意義について考えさせられた。ただ、読後に一人の人の生い立ちや半生を知り、どういう思想に思い至ったのかを知るということは、その半生を読んだり聞いたりした人間の人生を豊かにし、大きな安心感や勇気、希望を与えるものになりうるのではないか、ということを考えた。

  • エドワード・W・サイードはやはりこの自伝を。

  • 相反するものの間で引き裂かれながら生きるひとりの男の記録。それは20世紀の悲しみと消え入りそうな希望の記録。

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著者プロフィール

エドワード・ワディ・サイード
(إدوارد سعيد, Edward Wadie Said)
1935年11月1日 - 2003年9月25日
エルサレム生まれのパレスティナ人で、アメリカの文芸批評家。エルサレム、カイロで幼少時を過ごし、15歳の時にアメリカに渡る。プリンストン大学を卒業後ハーバード大学に学び、コロンビア大学の英文学・比較文学教授を務めた。サイードはまた、パレスティナ民族会議のメンバーとしてアメリカにおけるスポークスマンを務め、パレスティナやイスラム問題についての提言や著作活動など重要な役割を担った。『オリエンタリズム』(平凡社)、『知識人とは何か』(平凡社)、『世界・テキスト・批評家』(法政大学出版局)、『文化と帝国主義』(全2巻、みすず書房)などの主著が邦訳されている。

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