夜と霧 新版

  • みすず書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (184ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622039709

感想・レビュー・書評

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  • 生きることの意味を漠然と曖昧な言葉で語るのではなく、生きることに具体的な行動で答えていくこと。その状況は人それぞれで、人それぞれが答えを出していけるはず。
    強さと希望をもらえる一冊。

  • 尋常ではない想像を超える環境の中で、どうやったら生き延びる、生きることができるのか著者がユダヤ人であったために実際にアウシュビッツ刑務所に入れられて体験した内容を通して語られる、人類に生きる勇気を与える強烈な示唆を与えてくれる本である。
    この本を読むことは、いかなる大変な逆境にいる人も、これ以上ない不幸の中で生きていると思われる方も、自分がどれだけ、それでも幸せなのかと感じられるだろう。それだけどんな境遇であろうと人は希望を失わず人生において生きることの目的を持つことが、その人にどれだけの救いをもたらすかわかってきます。
    誰もが1度は読んでおくべき指南の書と言えるでしょう。

  • 何度も何度も読み返したくなるほどの濃い内容でした。ページ数としては短いのでとても読みやすいです。そこにいるような臨場感、死生観、極限状態のときの人間心理をまとめくれています。自分もどんなときでも自分を見失わず確固たる意志をもっていこうと思えました。

  • 一読では名著の核心まで染み渡って来なかったので、これは何度も読み返す度に深めていくものなのだろうと捉えておく。

  • 夜陰に乗じて霧にまぎれて人々が何処ともなく連れ去られ、消え去ったというナチス大量虐殺。
    ユダヤ人というだけでアウシュヴィッツ強制収容施設に囚われ被収容者である著者が、一心理学者の奇蹟的な体験として綴ったもの。
    過酷で人としての扱いはなく、常に死と直面し、いつ終わりが来るかわからない中でも精神を保つには、未来の目的を持つこと。
    人生が自分を待っているということ。
    人生はどうなるかわからない。
    くるものをただ受け、その中で生きようと行動すること。
    227冊目読了。

  • 精神科医が収容所での体験を記している。そして、人間性とは何か、生きるとは何かを文章化しており感銘を受けた。何度も読み返したい本。

  • 本の裏に「想像を絶する感動」とあったが、特段感動はしなかった。しかし、心理学を通して極限状態に陥った人間が取る行動というのは興味深かった。
    身体的に極限状態に陥った人間が取る行動の例を著書で見た時に、過去に家にいたほぼ寝たきりの祖父のことを思い出した。祖父は話し好きであったのに、体の苦痛のことばかり話し、世間話や趣味の話をよくしていたのだが寝たきりになったらパッタリと話をしなくなった。自己が無くなり、苦痛に支配された肉体に精神さえも囚われ、苦しみに喘ぐ肉塊と化した祖父。このような極限状態で自我を保ち、生理的欲求が満たされていない状態でいかに人間らしさを出して生を確立していけるというのだろうか……。
    「生きる意味」という言葉について著書を読んだら誰しも考え直すことだろうと思う。私自身考えたことはあっても深く考えたり結論を出したりしたことはなかった。だが、「なぜ生きるのか知っている者はどのように生きるのかを知っている」という言葉を見たときに生きる意味を問い、考えることは皆深くやっていないが、結論が出れば迷わず生きれるとなればとても魅力的であると感じた。
    しかし、「人は暫定的な存在である」とも書いてあり、移ろい行く自己の精神、周囲の環境に合わせた納得できる人生の意味を見つけるのは大変厳しい作業であるとも感じた。

  • フランクルの名作。もう生きていたくない、死んでしまいたいと思った時に読みたい。
    子どもたちにはぜひ読んでほしい。なんのために生きるのか、ではなく生きて死ぬ、それこそが尊いのだと訴えかけてくる。

    「飢えた者の心のなかで起こっている、魂をすり減らす内面の葛藤や意志の戦い。これは、身をもって体験したことのない人の想像を超えている。」
    「まるで自分がすでに死んでいて、死者としてあの世から、この幽霊じみた町を幽霊になって見下ろしているような気がした。これはなまなましい管楽科だった。」
    「人は内に秘めた愛する人のまなざしや愛する人の面影を精神力で呼び出すことにより、満たされることができるのだ。(略)愛する妻が生きているのか死んでいるのかは、わからなくてもまったくどうでもいい。それはいっこうに、わたしの愛の、愛する妻への思いの、愛する妻の姿を心のなかに見つめることの妨げにはならなかった。」
    「ユーモアの意志、ものごとをなんとか洒落のめそうとする試みは、いわばまやかしだ。だとしても、それは生きるためのまやかしだ。」
    「このひとりひとりの人がにそなわっているかけがえのなさは、意識されたとたん、人間が生きるのいうこと、生きつづけるということにたいして担っている責任の重さを、そっくりと、まざまざと気づかせる。自分を待っている仕事や愛する人間にたいする責任を自覚した人間は、生きることから降りられない。」

  • 想像を絶する生活を虐げらてきた人々の心と体の有り様を記録した本作
    人間としての尊厳、精神、肉体を奪うことの計り知れない罪の大きさを感じた。
    戦争、独裁によってこれらの地獄が決して生まれぬよう、国の平和を守っていきたい。

  •  本棚に置いて10年目で読み終えた。50年前旧訳霜山氏の本が母の書棚に会ったときほんのグラビアを見て強制収容所の見るに堪えない写真がこれでもかの如く掲載されててに届かなかった。
     今、東北震災、コロナの時代日本が閉塞感の中で生きる意味を説いているこの本は、人間が一民族をガス室に送り家畜以下の生活をさせ、明日の命もわからない状況に追い込む人類の歴史と、その状況下での一心理学者のルポルタージュはいつの時代にも読み継がれていかなければならない、珠玉の本である。

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著者プロフィール

ヴィクトール・E・フランクル[Viktor E. Frankl]はウィーン大学の神経学および精神医学の教授であり,同時に25年間にわたってウィーン市立病院神経科科長を務めた。彼が創始した「ロゴセラピー/実存分析」は,「精神療法の第三ウィーン学派」とも称される。ハーバード大学ならびに,スタンフォード,ダラス,ピッツバーグの各大学で客員教授として教鞭をとり,カリフォルニア州サンディエゴにあるアメリカ合衆国国際大学のロゴセラピー講座のディスティングイッシュト・プロフェッサー(注:Distinguished Professorは,日本語の名誉教授,特別栄誉教授に似ているが,厳密にはそのどちらの概念にも当てはまらない)でもあった。
 フランクルは1905年にウィーンに生まれた。ウィーン大学で医学博士号を取得し,のちに哲学博士号も取得した。第二次世界大戦中は,3年間にわたってアウシュヴィッツ,ダッハウ,その他の強制収容所での生活を経験した。
 フランクルは40年もの間,世界を股にかけて数え切れないほどの講演旅行に出た。ヨーロッパ,北アメリカおよび南アメリカ,アジア,アフリカで二十九もの名誉博士号を与えられている。アメリカ精神医学会のオスカー・フィスター賞,オーストリア学術アカデミーの名誉会員資格などの表彰や名誉資格も多数ある。
 39冊の著作はこれまでに43か国語で出版されている。“…trotzdem Ja zum Leben sagen”(注:邦訳名『夜と霧』)の英語版はミリオンセラーとなり,「アメリカでもっとも人々に影響を与えた十冊の本」に選ばれた。
 ヴィクトール・フランクルは1997年にウィーンで没した。

「2016年 『精神療法における意味の問題』 で使われていた紹介文から引用しています。」

ヴィクトール・E・フランクルの作品

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