夜と霧 新版

制作 : 池田 香代子 
  • みすず書房
4.23
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本棚登録 : 9296
レビュー : 1092
  • Amazon.co.jp ・本 (184ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622039709

感想・レビュー・書評

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  • 心理状況は三つの段階に変化する。第一は収容、第二は収容生活、第三は出所、解放。

    第一の収容によりショック状態になる。毎日周りで死人が出ると死を恐れなくなる。これは自己防衛のためだった。

    第二、収容生活に慣れると、感情が消滅する。周りの人が鞭うたれてもなんとも感じなくなる。だが収容生活を支えるのは離された家族を思う愛だった。家族を思い描くことでなんとか耐えられる。こうして内面が深まると、芸術や自然の美しさに接することが強烈な経験となった。沈む夕日は苦しい状況を忘れさせる圧倒的力を持った。収容所内で歌や詩の朗読、ギャク これらも現実を忘れさせた。

    収容所生活で人間の内面生活がいびつにゆがむのは、最終的には個々人の自由な決断いかんにかかわっていた。内的なよりどころを持たない精神的に脆弱な者が弱かった。未来に目的を持てたものが生き延びた。

    収容所であれほどの残虐行為がなぜなされたか。第一には監視者の中には厳密に臨床的な意味のサディストがいた。また監視隊には選り抜きのサディストが選ばれた。また監視者は長年、収容所内の嗜虐行為を見慣れて鈍感になっていた。しかし、人間には良心のある人と無い人の二種類がいた。それはドイツ兵だろうと囚われのユダヤ人だろうと同じだった。人間はつねに何かを決定する存在だ。ガス室を発明したのも人間だし、ガス室で毅然と祈りの言葉を口にしたのも人間だ。

    第三、解放。解放されてもその場で喜べなかった。うれしいとはどういうことか忘れていた。故郷に戻った時の不満と失意。そこで会う人はおざなりの言葉をかけてくる。待ち受ける愛する家族がいない現実。

  •  再読。
     何度読んでも色々な思いが心をよぎる。
     壮絶、なんて言葉が陳腐に感じられてしまうような体験をしたにも関わらず、著者の言葉からは、強制収容所に収容させられてしまった自分の運命に対する「恨みつらみ」が殆ど感じられない。
     逆に収容されたことによってのみ、掴み取ることが出来た「生きる」ということの意味に感謝しているようにすら思える。
     いずれにしてもすべての言葉、すべての文章に力強い説得力が宿っている。
     強制収容所での精神科医の体験記、としてではなく、これからどう生きていこうか、それを自分の中で今一度確認する、あるいは覚悟を決めるための手助けをしてくれる本でもある。
     必要なのは「未来」であり、「自己放棄」しないための勇気。

  • 人類が受け継いでいかなければならない一冊。筆舌に尽くしがたい苦しみの中、人間としての尊厳を失わず、生きる意志を持ち続けた作者にはただただ頭が下がる。平和の中、些細な事にくよくよしている自分が本当に恥ずかしくなった。

  • なるほど、名著。読んで良かった。
    心理学者が体験した強制収容所のエピソード、と簡単には表現しきれないのは、中盤以降の精神性について深く語られるくだり。絶望の中で、ここまで崇高であれるのか。
    と、小難しい?ことを言ってみたのですが、単にすっごく感動しました。著者が妻を想うシーンでは、僕はこれほどまで強くて純粋な想いを自分の妻に対して抱いて、それを表に出せているだろうか、と自問したし、収容所で著者が語ったシーンでは、まっすぐな言葉が胸に刺さりました。
    ボリュームだけなら比較的薄い本なのに、とても濃厚な大作を読みきったような気分。訳も非常に読みやすく、あとがきからも心を砕いておられたのが推察できます。

    しかし、ちょっと脱線するのですが、これをブラック企業に勤めているような状況の方が読んだとして、どうなるんだろうか?とも思ってしまいました。逃げずにその場でできる最善を尽くすというのは大事なことだとは思うのですが、収容所よりブラック企業の方が相対的にマシだ、なんて思ってしまうと著者が浮かばれません。

    ともかく、本としては、裏表紙に「言語を絶する感動」とあり、序盤ではどうかなと思ってましたが、読みきって納得。
    生きるとは何か、生きることを意味あるものにするにはどうするのか。極限の場所で著者が得た結論は、非常に具体的で、納得感のあるものでした。

    ドストエフスキーの引用が2回くらい出てきたので、次はそっちにチャレンジしてみようかな。

  • たった今読み終えた。人間の非道に私は最初絶望しおののいた。恐ろしいだけの本だと思った。しかし、最後に、著者がその極悪非道な人間に勝る瞬間がやって来る。
    強制労働と偶然の翻弄に耐え抜いた、その精神が、人の命に尊厳を見出だす時が、まるで彼の見上げた夕日の美しさのように、突然やってくる。
    この史上ない体験をした、彼だからこそ知り得た境地が分かりやすく惜しみ無く語られる。

    私は日々不毛な思いを抱いて過ごしているかもしれない。愛もなく、熱意も夢もないかもしれない。それは何よりも空しいことかもしれない。
    人は平生でも、他人を無感動な目で見ることが出来るのかもしれない。

    一般的な幸せ、行動から得られる幸せが得られなくとも、私が私として悩み、かけがえのない苦悩と向き合うそれも、また、人として尊厳を持ち生きた証だと言う著者の言葉に、私は心慰められる。

    乾いた私の心に、このようなこのうえない潤いをもたらしてくれるその事実が、既にわたしをも救ってくれている。

    賢明な班長の元で暗がりのなか言葉を紡いだ彼の惜しみ無く与える勇気を私も持ちたい。

    私は苦しいときにこそなぜか、風景や自然はことさら美しく感じる。彼もそう感じたのだと思うと、私は切ない。

    本の末尾を締めくくる言葉が私は、大変好きである。何人の努力をも誇りに思わせてくれる言葉である。

    どうか、どうか、二度と人がもう、行方も知れず音もなく、歴史のなかに消えぬよう。

  • この本を読んだ人の中にもまともではない人はいるし、読んでいない人の中にもまともな人はいる。
    でも、読んでいたら取るべき行動に変化が生まれる余地がある可能性があるから、もちろん読むに越したことはない。

  • 旧版を読んだのはもう三十年以上も前、学生の頃だった。「読んでいなければならない本」の一つだったと思う(かつては確かにそういうものがあったのだ。「読んでいないとは言えない本」という方が正確かもしれない)。とても重いものを受け取ったような読後感が忘れられない。だが、間違いなく今の方が、この本のメッセージをより深いところで理解できたと思う。若い頃の自分と二人で読んでいるような気持ちだった。

    あとがきで、旧版には「ユダヤ」という語がただの一度も使われていないと知り、驚くとともに、なるほどと腑に落ちる思いだった。フランクルは徹頭徹尾、「人間」について書いていたのだ。「ナチス」を裁いて事足れりとするのではない、人間性への透徹したまなざしが全編を貫いている。

    「人間とは、ガス室を発明した存在だ。しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りの言葉を口にする存在でもあるのだ」

    「人は強制収容所に人間をぶちこんですべてを奪うことができるが、たったひとつ、あたえられた環境でいかにふるまうかという、人間としての最後の自由だけは奪えない」

    「生きるということとはけっして漠然としたなにかではなく、つねに具体的ななにかであって、したがって生きることがわたしたちに向けてくる要請も、とことん具体的である。この具体性が、ひとりひとりにたったの一度、他に類を見ない人それぞれの運命をもたらすのだ。だれも、そしてどんな運命も比類ない。どんな状況も二度と繰り返されない」



    旧版訳者の霜山徳爾氏が寄せている一文が感動的だ。
    「新訳者の平和な時代に生きてきた優しい心は、流麗な文章になるであろう。いわゆる"anstandig"(これは色々なニュアンスがあって訳しにくいが「育ちのよい」とでもいうべきか)文字というものは良いものである」
    こういうことを言える旧世代の方というのはなかなかいないと思う。

  • 「flier』
    収容所のような状況下でも自分を保っていた著者は、
    ①未来への希望
    ②行動を選択できる自由
    があるから人は生きられると説く。

    ①については、興味を持っただけで一生懸命取り組んだことがあるなら共感できる。

    さらに主体を未来に置き換えると、運命に選ばれたかのように人は生き抜くと言うが、信じがたい。

    でも、神や空想上の概念を主とする信者らの熱心さを見れば、「自分は導かれている等』の行動指針は精神に余裕を与えるのかもしれない。

    また、周りに左右されて現実を嘆く者は必ずいる。

    現に僕がそうだ。

    自分を肯定できない人間は周りに依存するしかなく、満足な人生は歩めない。

    だから②を読んだときは、生きるられるんじゃないかという微かな思いが浮かんだ。

  • ◯凄惨な極限状態における思索ではあっても、人間の心理を客観的に見つめて得られたことであり、それは普段の我々の日常においても、我が事のように顧みることができる。
    ◯毎日決まった時間の満員電車で通勤し、時に気まぐれな上司の命令に従って、昼となく夜となく働き続け、仕事に悩む。
    ◯比較的に人権は守られている分、同じ状況と考えることはおこがましい。確かにそうかもしれない。ただ、この本を読んで、人間として、自分が生きる目的もう一度見つめ直してもいいのではないだろうか。
    ◯そして、こう考えられるのは、人間としての心理・精神が普遍的なものであり、著者の分析が的確であるからこそ、多くの人の心に響くのではないだろうか。

  • ナチスの強制収容所に収監されたユダヤ人の心理学者が、強制収容所の中で見てきた恐ろしい事実を記載した本であることも事実。確かにそういう怖い本だ。

    だけど、私がこの本の中から読み取ってほしいのは、その事実にも関わらず、強く美しく生きた人がいたということや、人間はどんな状況に見舞われても、それに対して自分がどのような態度を取るかということは、自分の手に委ねられているというフランクルの気高い主張である。

    この本は何度も何度も丁寧に読み返す必要がある。なぜなら、一度読んだだけではおぞましい事実にショックを受け、そのショックに囚われてしまい、本当にフランクルが伝えたかったことを受け取ることがきっとできないからだ。

    決して楽しい読書体験にはならないかもしれない。
    でも、勇気をもって何度もこの本と向かい合って欲しいです。

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著者プロフィール

ヴィクトール・E・フランクル(Viktor Emil Frankl)
1905年、ウィーンに生まれる。ウィーン大学卒業。在学中よりアドラー、フロイトに師事し、精神医学を学ぶ。第二次世界大戦中、ナチスにより強制収容所に送られた体験を、戦後まもなく『夜と霧』に記す。1955年からウィーン大学教授。人間が存在することの意味への意志を重視し、心理療法に活かすという、実存分析やロゴテラピーと称される独自の理論を展開する。1997年9月歿。
著書『夜と霧』『死と愛』『時代精神の病理学』『精神医学的人間像』『識られざる神』『神経症』(以上、邦訳、みすず書房)『それでも人生にイエスと言う』『宿命を超えて、自己を超えて』『フランクル回想録』『〈生きる意味〉を求めて』『制約されざる人間』『意味への意志』(以上、邦訳、春秋社)。

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