私の西洋美術巡礼

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  • みすず書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (217ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622042365

作品紹介・あらすじ

政治犯として祖国の獄中にある兄たちへの思いを抱きつつ、巡るヨーロッパ。寺院や美術館の内側から、受苦の魂が叫び、ささやく声が聞こえる。異色の美術紀行。

感想・レビュー・書評

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  •  興味深かったのは、ここフランドル地方独特の、エビ、魚の切身、瓶、銀器、皮をむきかけたレモンなど、その質感、量感ともに容易に描き難い対象ばかりを選んで、精微のかぎりに描き込んだ17世紀の静物画の数々であった。画家たちは、また絵の注文主たち(多くの場合承認などの市民階級であっただろう)は、何故かくも、写実それ自体に拘泥したのだろうか。(p.5)

     シンプロン。トンネルを抜けると、いきなり大気の色が一変した。スイスの大気は叩けばカンと響くように透明だったが、アルプスのこちら側では、ちょっと湿りを含むのか、旧い総天然色映画を思い出させる赤っぽい暖色である。通過する駅の機関区ごとに赤旗がはためいているのも、いかにもイタリアらしく好もしい。
     ミラノで乗り換え、ロンバルジア平野を列車が走る頃には、あたりをスミレ色に染めて夕闇が降りて来た。ポプラの並木、収穫を終えた畑、遠く見える農家の小さな焚火までがいじらしく、懐かしかった。(p.17)

     ウフィッツィ美術館では、ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」「春」はもちろんのこと、ダ・ヴィンチ、ラファエロ、カラヴァッジオ……、豊饒すぎる名画の洪水に溺れそうな思いをした。「素晴らしい!しかし、過剰だ。饒舌だ」と、その時の私の手帳にある。(p.18)

     ボッティチェリの「受胎告知」では、受胎を告げる大天使ガブリエルは、たったいま駆けつけたばかりというように右手を差し伸べ、処女マリアの驚いて身をよじる姿は、両手といい、腰つきといい、まことに表情豊かである。画面全体に、受胎告知の一瞬をスナップ写真に撮ったかのようにダイナミックな動きが漲っている。(p.20)

    (フラ・アンジェリコの「受胎告知」について)描かれた場面はまさしく修道院の回廊であり、飾り気のない塀に囲まれた庭には緑の草が生えているが、花々は小さく可憐である。処女マリアは、他の「受胎告知」の図像では祈祷台を前にひざまづくか、あるいは読書をしているのだが、ここでは何も持たず木の椅子にただ端然と腰掛けている。また、歳暮の純潔の象徴である百合の花、あるいはオリーヴの枝を手に持つことになっているガブリエルのほうも、ここでは、その背の翼こそ色彩豊かであるものの、両手には何も持たず胸の前に交差させているだけだ。
    マルティーニにあったビザンチン風の華美な装飾も、一切退けられている。過剰や饒舌、大げさな身振りは、ここでは嘘のように影をひそめている。いや、時間の流れから言うと私のほうが遡行しているのだから、影をひそめる、というのは正確ではない。神が地上に降り人間に近付くように、あるいは、受胎した生命が次第に活発に活動を始めるように、これ以降、ルネサンスの進行とともに、描かれた神や聖人たちは急速に躍動感を強め、多弁になってゆく。
    しかし、ここでは、神はまだ地上に片足を着けたばかりであり、受胎された生命はまだあまりにも繊細である。
    マリアは、ここでは、吐息のように、かそけくつぶやく、
    「われ、未だ人を知らぬに……」と。
    それでいて、マリアもガブリエルも、ともに、まるで恥じらうようにほんのりと頬を染めて、生命の歓びを表しているのだ。この簡潔さ、慎ましい優美さが、フラ・アンジェリコの「受胎告知」を、他のあまたの「受胎告知」から区別し、特別なものにしている。(pp.22-24)

    現世的な価値観に対する純粋な抵抗を貫くのにも、衣食住などの現世的な裏付けは必要だ。(ゴッホの場合は画材も。しかも、これはわずかな金額ではなかった。)この単純な矛盾が古今の創造者、求道者、革命家を苦しめてやまない。そこで、彼らは自らに鞭を振るうのだが、それは、その鞭の意味を理解する者をも同時に打ち据えずにはおかない。彼らは、自分自身だけでなく他者に対しても、創造者、求道者、革命家であることを不断に求める。創造者、求道者、革命家の純粋性を護るためには、彼らの理解者は、その鞭の痛みを堪え忍ばれなければならない。
    それが、「重荷」ということだ。
    だから、「悲しみと孤独」は、ゴッホだけでなくテオの側にもあった。それを凄絶な色彩感覚で表現することが兄の役割であり、それを無言で甘受することが弟の役割だった。テオは、まさにそういう仕方で、兄ゴッホの創造の苦闘に当事者として参画したのである。(pp.61-62)

    「スペインの戦争は人民と自由に対する反動の戦争だ。私の全芸術的生涯はただ芸術の死と反動に対する闘いのみであった。私が制作中の『ゲルニカ』と呼ぶことになる作品と、最近の私の全作品において、スペインを恐怖と死の海に沈み込ませた軍事力に対する私の恐怖感をはっきりと表現している」
     本物を観なければその素晴らしさなりもの凄さなりがわからない絵というものがある、すべて名作とされる絵はそうだとも言えるが、「ゲルニカ」の場合がまさにそれである。たとえ、「ゲルニカ」においてピカソが採った表現の斬新さや奇抜さのようなものは伝わるとしても、その悲しみの深さ、怒りの烈しさは伝わり難い。それらを表現するためにこうした斬新さが苦しみの中から産み出されねばならなかったことの、やむにやまれぬ必然性を得心することはできない。(p.78)

     日本には戦争協力画はあっても、「ゲルニカ」に比すべきものはついにない。戦争賛美は論外だが、名人大家たちが多くの戦争協力画を描いたことそのものを「なかったこと」のようにカギ括弧にくくって白ばっくれている退嬰した精神からは、「ゲルニカ」の生まれようもないのは当然のことだ。このことこそ「まったく美術上の観点」からいって、大問題でなければならない。(p.79)

     彼女は絵空事のなかの人物ではなく、500年前のフランドル地方に実際に生活し泣いたり笑ったりしていた人物でもある。見れば見るほど、なるほど確かにそうであっただろうとしか思えない。リアルな実在感、というのはこういうことを言うのだ。この時代には実際的な目的で肖像画がたくさん描かれるようになり、絵師たちは写実の職人芸を競いあったのだが、この「婦人像」は徹底した写実の極致において、若い女性の内面のかすかな人間的情動までも描き出すことに成功している。(p.163)

     大聖堂が――一般に言って、西洋の古寺が――私の胸に掻き立てるのは、ロダンの言う「信頼、安心、平和の気持ち」とは正反対の想いだ。大聖堂の床や壁には「無数の骨が埋まっている」。それは、それ自体、壮麗でグロテスクな石棺だ。そこには、劫罰へのおののき、暗愚な熱狂、血みどろな殺戮の思い出が瀰漫している。この石棺の淀んだ空気が、私を息苦しくさせ、かつ、静かに酩酊させる。そして、次第にはっきりとしてきたのだが、このもの狂おしい酩酊感に私は魅了され始めていたのだ。(p.186)

  • この本を読むきっかけは、ある先生が書いた短い文章にあった。それは推薦図書に対する紹介の一文で、学生時代、留学しようとする彼女に指導教授から渡された一冊がこの本だという。「せっかくヨーロッパに行くのだから研究だけではない視野を持ちなさい。」そういう言葉を添えて。
    この教授の行為にまず私はひかれた。多分、一人で新たな地へ旅立つ教え子に、本を渡す、それも専門とは全く関係ない本を。いいなぁと。
    そして読み始めて、ただの美術鑑賞の本ではない事にささやかな衝撃を受けた。著者は在日韓国人。両親を亡くし、看取ってくれた妹とヨーロッパに旅にでる。そんなところから始まる本は全体的に暗くせつない。著者自身の過去や孤独、祖国が絵画とシンクロしながら旅は進む。何故、この人はこんなに苦しい思いをしながら、旅を続けるのだろう…。そう思いながら読み進めた。
    美術鑑賞はある意味肉体労働。みるだけでもそうで、さらに作者の意図を探り、自分自身を見つめ直すとなったらかなりキツイ作業だ。
    私は、美術はかなりの苦手。絵にコンプレックスがあり、鑑賞する機会も少なかったせいか、絵を見て何になるのか、と思っていた時期がある。わざわざ現物を見なくてもガイドブックや美術書で十分、そう思っていた。今だって、そうきちんと鑑賞出来ているとは思わないけど、でも、あの空間の中で実物と向き合う時間は貴重な体験であると感じる。本当は一気に見るのではなく、数枚をじっくりと時間をかけて見られれば、なお良いのだけれど…。旅先ではなかなかそうもいかない。
    彼の旅もなかなかハードである。閉館ぎりぎりに入れてくれと交渉してみたり、気管支炎になりホテルで悪夢にうなされながらの鑑賞旅行。それはタイトルにもあるように一種の巡礼である。

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著者プロフィール

徐 京植(ソ・キョンシク)1951年京都市に生まれる。早稲田大学第一文学部(フランス文学専攻)卒業。現在、東京経済大学全学共通教育センター教員。担当講座は「人権論」「芸術学」。著書に『私の西洋美術巡礼』(みすず書房、1991)『子どもの涙――ある在日朝鮮人の読書遍歴』(柏書房、1995/高文研、2019)『新しい普遍性へ――徐京植対話集』(影書房、1999)『プリーモ・レーヴィへの旅』(朝日新聞社、1999)『新版プリーモ・レーヴィへの旅』(晃洋書房、2014)『過ぎ去らない人々――難民の世紀の墓碑銘』(影書房、2001)『青春の死神――記憶の中の20世紀絵画』(毎日新聞社、2001)『半難民の位置から――戦後責任論争と在日朝鮮人』(影書房、2002)『秤にかけてはならない――日朝問題を考える座標軸』(影書房、2003)『ディアスポラ紀行――追放された者のまなざし』(岩波書店、2005)『夜の時代に語るべきこと――ソウル発「深夜通信」』(毎日新聞社、2007)『汝の目を信じよ!――統一ドイツ美術紀行』(みすず書房、2010)『植民地主義の暴力――「ことばの檻」から』(高文研、2010)『在日朝鮮人ってどんなひと?』(平凡社、2012)『フクシマを歩いて――ディアスポラの眼から』(毎日新聞社、2012)『私の西洋音楽巡礼』(みすず書房、2012)『詩の力―「東アジア」近代史の中で』(高文研、2014)『抵抗する知性のための19講―私を支えた古典』(晃洋書房、2016)『メドゥーサの首――私のイタリア人文紀行』(論創社、2020)ほか。高橋哲哉との共著『断絶の世紀 証言の時代――戦争の記憶をめぐる対話』(岩波書店、2000)『責任について―日本を問う20年の対話』(高文研、2018)や多和田葉子との共著『ソウル―ベルリン玉突き書簡――境界線上の対話』(岩波書店、2008)など。韓国でも多数著作が刊行されている。

「2021年 『ウーズ河畔まで 私のイギリス人文紀行』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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