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Amazon.co.jp ・本 (296ページ) / ISBN・EAN: 9784622045083
感想・レビュー・書評
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MoMAのインスタレーションで生きる芸術作品になった美の化身、Tilda Swintonがオーランドーなら、それはもう性別問わず恋人に立候補したいよ。
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「わが主人公オーランドーは16世紀のイギリスに16歳の少年として登場し、17世紀には「男」から「女」に性転換、さらに生きつづけ、巻末の1928年において齢なお36歳である。「時」の限界と「性」の境界を超えて、多様な「読み」を誘発するメタバイオグラフィの傑作」というのが、本の裏表紙にある紹介文。
どんな奇想天外な話なんだろうと思って読み始めるのだが、ある意味とっても自然に展開していく。
ある日起きたら、女になっていた、みたいな調子で主人公も含めて、だれもそんな驚かない。
3世紀以上、生きているわけだから、周りの人間は、どんどん死んでいくのかと思えば(何人かいなくなる人もいるのだが)、主人公の他にも何百年も生きている友人もいたりする。つまり、数世紀生きる人もいるというのが自明のこととして扱われている。
いたるところで、時間の感覚がづれていて、合理的な辻褄をあわせることなく、話は世紀をまたぎながら、進んでいく。
途中、英国による無敵艦隊への勝利とか、ナポレオン戦争とか、第一次世界大戦とかあったはずなのだが、それらが表面にでてくることはあまりなく、ときどき軽く暗示される程度。
物語の最後は、1928年10月11日で、これは「オーダンドー」が出版される日。その時点で、主人公は36才。
ウルフの作品では、時間の流れというのが、行きつ、戻りつ、またある人の意識の記述が、いつのまにか、他の人の意識の記述に変わっているということはよくあるのだが、それを時間軸を数世紀に設定することで、一人の多様性のなかで表現したということかな?
小説なんだけど、ときどき著者の解説的なものも入り、その意図として、一人の人間のなかにある性的多様性、人格的な多様性、つまりは自己の複数性、そして、その社会的構成ということを狙っているんだな〜と。
今、読んでもモダーンだな〜。
こう書くと、小難しい小説に思えるかもしれないけど、調子として明るく、楽しく、エネルギーがある。一つのエンターテイメントとして読めた。 -
以前読んだ別の著者の本で言及されており興味を持ちました。
少年期から始まり3世紀を経て30代の女性で終わる一人の人物の『ある伝記』と言う設定に驚き。
感覚や感性を重視して読む本で時折顔を出す『伝記作者』のコメントがユーモラスでした。 -
これは原文で読んだらさらに面白そうだけど難しいだろうなぁ。笑
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奇想天外な幻想小説とでも紹介したくなる『オーランドー』だが、副題には「伝記」と記されていて、この信じがたい物語を作者は伝記として読むように示唆しているのだなということが分かる。始まりは16世紀、ところが、最後は自動車の走る現代で終わる。しかも、主人公オーランドーは四世紀を股にかけて詩を書き、恋に生きるだけではない。何と17世紀末あたりで、女性に変身してしまうのである。
オーランドーが起居する館は中世以来の歴史を持ち、「一年の日数に倣った365の部屋と週の数を踏まえた52の階段があり、大小7つの中庭は週の日数を表している」と書くと、これは作者の想像上の産物だろうと考えたくもなろうが、実はこの館は実在している。20世紀半ばまで、名門貴族サックヴィル家代々の本拠であった。
『オーランドー』には様々な仕掛けがあり、読者の知識如何によっては、何通りもの楽しみ方ができるようになっているが、ここでは「伝記」の意味について触れてみたい。実は、この書はウルフ崇拝者の一人であったヴィタ・サックヴィルに捧げられている。両性を生きた詩人オーランドーに、『大地』という詩集も書き、男装の同性愛者としても有名なヴィタの影を見るのは容易い。しかも、その行状は、歴代の館の当主の事跡になぞらえてある。つまり、『オーランドー』は、サックヴィル家の年代記であると同時にヴィタの伝記でもあるのだ。女性であるというだけで館を相続することができなかったヴィタだが、敬愛する女性が描いた本の中で、我が物顔に館を闊歩出来るという仕掛けだ。『オーランドー』が「文学の中で最も長くて最も魅力的なラブ・レター」と称される所以である。
詩人であるオーランドーは、4世紀に渉って詩を書き続ける。それぞれの時代の文人たちとも交遊し、影響も受ける。その詩は、ちょうど4世紀に渉る英国詩のパロディとなる。『オーランドー』は、英国詩或いは英国文学の「伝記」になっているといえるだろう。因みにオーランドーが女性に変身した17世紀というのは、それまで男性の天下であった文学の世界に女性が登場してくる時代でもあるという。
ヴァージニアは座談の名手だったようだ。機知に富んだその話しぶりは仲間内の語り種になっている。ところが、皮肉なことにウルフは、一人の話者が神のような全知視点を持ち、登場人物を思うように操って物語を語り進めてゆくそれまでの小説を批判して、登場人物の意識の流れを追う実験的な小説を試みていた。それだけに、自分の思いをあけすけに語り、思う存分逸脱することのできる特権的な語り手の存在を自らの小説では封印してきた。『オーランドー』では、その鬱憤を晴らすかのように、伝記作家という人物を登場させ、言いたい放題おしゃべりをさせている。軽やかで華やかで饒舌なウルフがそこにいる。
『ダロウェイ夫人』『燈台へ』『波』と、それまでの小説とは一線を画した、人間の心理の襞に分け入り、人生とは、死とは何かを追い求めたウルフ特有の心理小説群を読むのは他の小説では代え難い喜びである。とはいえ、おおよその性格を想定し、後は人物を気儘に動かせばいいという小説ではない。外界と内界を照応させ、一時もじっとしていない人間の心理を追うことは文字通り彫心鏤骨の作業であったろう。
「騙し絵」めいた仕掛けを駆使し、意匠を凝らして拵えられた『オーランドー』だが、これを書いている時のウルフの気持ちは、三部作を書いている時とはかなりちがっていたのではないかと想像される。宿阿ともいえる精神的な病に終生苦しんだウルフのために、何よりそれを喜びたいと思う。
著者プロフィール
ヴァージニア・ウルフの作品
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