今かくあれども

  • みすず書房
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感想 : 5
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  • Amazon.co.jp ・本 (160ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622045908

感想・レビュー・書評

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  • 「それでもなお、信じなくては。やさしくて愛すべきものを、損なわずに保ってゆくよう努めなくては── できるかぎり。」

    彼女の内面を少なからずも知ったあとで彼女の創作を読むのは不思議な感覚(うれしい!)。たしかに彼女は 考えるため に小説を書いているのだ。老齢になる、ということについて。
    牢獄のような老人ホーム。老境をむかえ、意識のなかに閉じこめられてゆくことへの抵抗。尊厳が損なわれてゆくのをただ眺めているしかなくなってゆく哀しみ。わたし自身もこれから向かってゆくであろう精神の監獄。
    そして彼女の豊饒な想念はそれらにたいして絶対の力を与えられた看護師や看守の精神にまでおよんでゆく(スタンフォード監獄実験!)。
    こうした老人ホームの実態はとてもおそろしく、彼女の(メイ自身の)怒りも、頁が燃えてしまいそうなくらいに烈しい。そして子どものいないわたし自身の未来をもおもわずにいられない。もしあと40年くらい生きることができたならいまとはまったく違う未来が訪れるだろうけれど(20年だって)。すべてがAIによって管理されていたりするかもしれないし(たぶんそうなるだろう)、尊厳死も合法化されているかもしれない(「ソイレント・グリーン」みたいに!)。
    「私はいまだに自己実現、いま私の願う完全な自己理解からは遠いところにいる。いまだに私は、私自身にとって謎だ。自分の中核にぐっと迫り、死ぬまでに最後の完全な等式を作り、整然とした全体にまとめるのだ。」
    彼女は50代で76歳の心境をえがいている。わたしたちは果たして、"完全な等式" に、まとめられるものなのだろうか?その答えを見届けるためにも、彼女の今後の日記を読むのがとても楽しみ。




    「老人は、どう感じているか、なぜなのかを問うてくれる人がいないために、萎縮してゆく。」

    「たしかに私は強情にちがいない。けれども私はたったひとりで立っている。その事実には尊厳ななにかがある。」

    「若い人はいわずもがな、中年者にとってさえ、老境とは知らない言語の語られる異国なのだ。」

    「ひょっとすると、精神なんて壊されなくちゃならないのかもしれませんけれど。ここには希望がないし、希望があってはじめて、精神も存在するのですものね。私はいま、絶望のしかたを学んでいるんです」

  • メイ・サートンの日記は邦訳されたものは全部読んでいるが、小説は初めて。でも日記形式の小説のせいかサートン自身との強いつながりを感じさせるもので、面白かった。
    主人公カーロは女性ながら教育を受け、数学教師として生きてきた独身貴族。心臓発作で一人暮らしを断念して兄夫婦のもとに身を寄せるが、義嫁とそりがあわずに劣悪な環境の老人ホームへ転居することになる……というところから始まる。カーロは美人で気が強く、そして内省的な女性だ。
    「どんな逆境にあっても、成長と自覚の内に私が保つべきなにか」である魂を守るために日記を書き始めるが、虐げられて尊厳を奪われ、ただ死に向かうだけの状況で保つべきものとは何なのか、彼女は大きく揺らぎ、希望と絶望を行き来し、破滅的な結末へ向かう。

    はっきり言ってカーロは人好きのする女性ではないと思った。日記では「あなたはこんな場所にいるべき人間ではない」と言われた話が繰り返し出てくるが、他のブルーカラーで教養のない入居者たちはこんな場所で朽ちて当たり前と思っているし、職員の親子も見下している。それを見透かされているから嫌われているが、プライドが高く老いのためにすぐ泣くし、時に癇癪を起こす。最後の選択もとても独善的。
    でもそんな嫌な自分の大波にもまれながら「魂」を保ち、この環境に反旗を翻そうと戦い続ける彼女の内省の記述はとても面白いのだ。好意と同情を持って手を差し伸べてくれる人に対して、老人が泣いて縋り付けば相手を動揺させるだろうし、救う手立てもないのだから、と悟って自分を必死に抑えるところなど、カーロらしい気高さを感じるところである。
    老い、死、絶望、その中で自分を保つとは何なのか、複雑なリアリティをもって迫ってくる小説。他の小説も読んでみたい。

  • 「もし神を信じるなら、私たちは、ときには神よりも強い力、神の王国ではない別の王国、われわれがかつて直面したよりも有能な悪の力をも、平等に信じなくてはなるまい。」「もし神があそこ(強制収容所)にいなかったとしたら、いったいあそこにいたのは誰だ?」「私の死は、緩慢な崩壊ではなく、もっと私らしいものにしたい。」
     ナーシング・ホームという劣悪な老人ホームの環境を、強制収容所のような世界または現実世界の反映のように見せつつ、自由と尊厳の不可能に悶える老女の様が切実に書かれてある。医療のかわりに薬剤がどんどん投与され、はやく死ぬように、しかもできるだけ迷惑をかけずに死ぬように、それでいて、経営のため死なないように死ぬように、世話をされる。疑心暗鬼にとらわれ、いったいどう死んだらいいのかもわからない絶望が書かれてある。最後は、施設を燃やす死を選ぶ。冷蔵庫に入れられた手記を読者が読んでいるという種明かしでストーリーは終わる。
     読書会用の本だったけど、疲れて行けなかった。読書会も、メンバーは年老いた人ばかりなので、どんな風に感想が交わされたか、興味深い。いつ病気して、ぶっ倒れるかわからないものなあ。「年老いても、凛とした精神を保ち続けよう。」それは、一瞬で荒廃してしまうものなのだ。人間の心は弱い。老いた心はもっと弱い。それが見事に描写されている。

  • メイ・サートン。老人ホームに入れられた老女の手記。
    その存在が大き過ぎて、いざ実物を目の前にすると、普通にしてしまうという感覚が共感できた。
    老年になった時慰めというかおそらく支えになる思い出がその時の私にはあるだろうか。というのは思い出せないんじゃないかと思う。そうしたら私に残される手段も目の前のこと、感じたこと考えたことをそのまま書くことだけになるのだろう。
    古本だったので前の持ち主の書き込みがあったけど、自分のポイントとはやはり違うところに線がひいてあったりして興味深かった。20110807

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著者プロフィール

(May Sarton)
1912-1995。ベルギーに生まれる。4歳のとき父母とともにアメリカに亡命、マサチューセッツ州ケンブリッジで成人する。一時劇団を主宰するが、最初の詩集(1937)の出版以降、著述に専念。小説家・詩人・エッセイスト。日記、自伝的エッセイも多い。邦訳書『独り居の日記』(1991)『ミセス・スティーヴンズは人魚の歌を聞く』(1993)『今かくあれども』(1995)『夢見つつ深く植えよ』(1996)『猫の紳士の物語』(1996)『私は不死鳥を見た』(1998)『総決算のとき』(1998)『海辺の家』(1999)『一日一日が旅だから』(2001)『回復まで』(2002)『82歳の日記』(2004)『70歳の日記』(2016)『74歳の日記』(2019、いずれもみすず書房)。
*ここに掲載する略歴は本書刊行時のものです。

「2023年 『終盤戦 79歳の日記』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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