バーデンハイム1939

  • みすず書房
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本棚登録 : 29
レビュー : 6
  • Amazon.co.jp ・本 (181ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622046073

作品紹介・あらすじ

暗雲立ちこめる1939年の春。ヒトラーは数か月後にヨーロッパを席巻する。しかし、ウィーンにほど近い架空の保養地バーデンハイムでは、今年もホテルや街角はさんざめき、典型的な同化ユダヤ人の町のシーズンが始まる。かれらは、いくつもの小さな変化に気がつかない。運命の日は迫っているというのに…。現代イスラエルを代表する作家の一人、アッペルフェルドの初期の傑作。簡潔な文章と寓話のような語りに滲むメランコリーは、カフカの世界を彷彿とさせる。

感想・レビュー・書評

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  • 歴史的な意味を示す明らかな刻印はどこにも押されていない。土地の名前が示されるだけ。オーストリアの地方都市。それが何時のことかすら表題の数字がなければ明示されることはない。それとても原題には無かったことを知る。静かな怒り、そう言ってしまうのは余りに陳腐。だが、史実を積み重ねることを敢えて避ける意図を、そのように受け止める以外のやり方で理解する方法がわからない。

    東欧ユダヤ人、という言葉を聞いてその意味するところを即座に理解できるほど歴史に精通している訳ではない。その意味で「ユダヤ人」と一括にした第二次大戦下のドイツ政府と何も違わない。自分たちは既にオーストリア人であると認識する人々と、イディッシュ語を解しポーランドへの移送を楽観的に捉える人々の対立の差は、物語の終わりヘ向けて強制的に小さくなり、より大きな流れに絡め取られていく。もちろんそれは本当の終わりではない。本当の終わりなどある筈がない。アハロン・アッペルフェルドの静かな主張は深々と沁み入る。

    「不死身のバートフス」にも共通する非当事者感のようなもの。それが物語全体を通底する。不合理さをどのように受け止めるのか、そもそも受け止めるべきなのか。そんな逡巡、怒りの矛先の不透明感。自らの出自の否定の否定。錯綜し、落ち着くことのない感情。それらがこの物語では、何人もの登場人物の視点を通して表現され、実態の見えない恐怖を植え付ける。バートフスのように一人の内に巣食うその複雑な葛藤として描かれればもっと直截に響いてくるものが、分散され淡々と語られることによってより深い意味を掬い取って染み透る。それが真綿で首を絞められるかのような息苦しさに通ずる。

    ところどころに翻訳者の拘りが強い訳語があり、躓きそうにもなるが、原文の持つ複雑さ、社会的構成、狭い意味での民族性、母語の違いなどが表現されているであろう元の文章のことを想像すれば、それも小さなこと。多くの人に読まれるべき本だと思う。

  • 強制収容所から生き残った作家が死去したというニュースを見て本作を手に取った。舞台はウィーンに近い架空の保養地バーデンハイム。ユダヤ人たちは例年のごとくバーデンハイムにやって来たのだが、なぜか町は封鎖されホテルに留め置かれる。自分たちに何が起こっているのかわかるはずもなく、移送の日はやっとポーランドに行ける、と期待して馬車を待つ。やってきたのは薄汚い貨物列車。ナチスの影が忍び寄っているのに、当のユダヤ人たちはこんなに何も分からない状態なのかと怖くなった。

  • (あ、これは「保養地」ではない)と気づいたとき、物語の世界の恐ろしさが迫ってきてぞっとなった。私たちは歴史がどう動いたかを知っているが、そのただなかにいる人々は何が起こっているのかわからない。ゆっくりと、じわじわと物事は動き、そして気づいたときは取り返しがつかなくなっている。ナチ時代だけでなく、こうしたことは世界のあちこちで、紛争や異常気象の中で起こっている。
    ただ正直物語の世界には入り辛かった。原文からこのようなのか、訳文のせいなのか。「楽士」「楽師」「演奏家」「芸術家」これは全部同じものを指しているのではないか。ばらつきが気になった(それとも原文では「楽士」と「楽師」は違うのだろうか)。2108.1.4著者死去を悼んで読む。

  • 架空の保養地バーデンハイム、ある音楽祭を待つ人々の日常に忍び寄る,衛生局の名前を借りたナチスの影,少しずつ違和感が広がり、気が付いた時には気がつかなかったことにしてしまう恐ろしさ.見たくない物を見ないで、運命に逆らえず向かう先の不安をごまかして,,,とても怖い物語だ.

  •  ナチスによるユダヤ人迫害を書いた本はいろいろありますが、この小説はその中でも異色の作品です。舞台はウィーンに近い架空の保養地バーデンハイム。この町のユダヤ人たちが、じわじわと行動を規制されていき、最後に強制移送される様子が描かれているのですが、当のユダヤ人たちは自分たちの身に何が起こっているのか全く気づかないのです。正しい情報をえるすべもなく、何が何だかよくわからない状態のまま、ナチスの手におちていくユダヤ人たちの様子が、淡々と描かれているがゆえにおそろしくリアルで、読み終わったあとで彼らのその後の運命を思うと、背筋に寒気が走ります。ユダヤ人迫害についてだけではなく、国家による情報操作の恐ろしさをひしひしと感じる作品です。

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著者プロフィール

アハロン・アッペルフェルド(Aharon Appelfeld)
1932年1月16日 - 2018年1月4日
ホロコーストを生き延びたイスラエルの現代作家。ウクライナ西部のチェルノヴィッツ、ドイツ人に同化したユダヤ人家庭生まれ。1940年、ナチス・ドイツのホロコーストにより母が殺され、父とともにゲットーに移住させられトランスニスタリア強制収容所へ。その父からも引き離されたのち、1942年に収容所から逃亡。第二次世界大戦後はイタリアに難民として移住し、1946年イギリス委任統治領のパレスチナへ移住、1952年ヘブライ大学で学ぶ。1957年、生存していた父親をイスラエルで発見。1979年から退職するまでの間、イスラエル南部のベン・グリオン大学の教授を務めた。

1964年に最初の著作を発行して以来、小説・詩など40作以上の著作を記した。1983年にイスラエル最高の栄誉賞であるイスラエル賞、2004年にヘブライ語からフランス語に翻訳された"Histoire d'une vie"( סיפור חיים )にてメディシス賞外国小説部門受賞。1996年に来日している。

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