古典論

  • みすず書房 (2001年8月1日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (176ページ) / ISBN・EAN: 9784622048107

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  • 古典というものを材料にして、文章の読み方に関する多くの示唆を与えてくれる本

    変奏
    ・「作品が、書き上げられたそのままで、非のうちどころがない、というようなことは、まずありえないとしてよい。・・・推敲も、書き上げた直後にするよりは、しばらく風を入れて、執筆直後のいわば興奮状態を脱して冷静に判断できるまで待って行った方がより有効であることを経験で知っている作者はすくなくない」「表現を改良するということからすれば、推敲は添削に及ばないのは考えるまでもなくはっきりしている」「添削ということは、字句の修正、加除といった形式にあらわれるものでない場合もありうる。岩鼻やここにもひとり月の客」

    引用
    ・「意味はコンテクストによって成立し決定するから、コンテクストが変化して、意味が不変ということはありえない。引用は、新しいコンテクストへ移し換えることであるから、新しく異なった意味を帯びるのを免れることは困難である」

    読む
    ・「解釈は、テクスト自体によって規制されない部分を多く含んでいる。読み手のコンテクストによって大きく左右される」「解釈すること自体がよろこびを与えて、表現は美的価値をもつ」

    編集
    ・「編集という仕事は、原稿を読んで、読みにくいところをはっきりさせる、体裁をととのえるといった形式的なことにとどまるのではない。そういう作業を通じて、プライベートなものにパブリックな性格を与え、そうして表現の新しい生命を付与することをする点に存在理由がある」

    慣用の意味
    ・「ことばの意味は、ことばの内部にこめられているのではなく、くりかえし使われているうちにできる慣用そのものが意味である」

    解釈
    ・「作品をあるがままに理解することはできない」
    ー①「人間はみな、理解力によって、対象を解釈してはじめてわかるのである。それは対象の完全なコピーではなく、理解による加工、処理ともいうべきもので、もとのままではない」「人間はものごとを受け容れようとすれば、必然的に理解という加工、修正、変形を加えないわけにはいかない」
    ー②「受容者とは別に表現そのものに内在する性格によっても、完全な再現的理解ができないようになっている」「表現というものは、どのように細密に再現的であっても、なお完全にすべてのことをあらわすことはできない。表現は必然的に、省略しなければ成立しない」「表現は、目に見えない、うっかりしていては意識されることもない多くの不確定な部分を多く内包している。これを確定的なものにすることによってはじめて表現は理解され、コミュニケーションが成立するのである」

  • 論、と題されているものの、中身ははコラムのようなわかりやすい語り口。
    名著としてしばしば耳にする古典成立の裏話が多数とりあげられており、読み物としておもしろい。

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著者プロフィール

外山 滋比古(とやま・しげひこ):1923-2020年。愛知県生まれ。英文学者、文学博士、評論家、エッセイスト。東京文理科大学卒業。「英語青年」編集長を経て、東京教育大学助教授、お茶の水女子大学教授、昭和女子大学教授などを歴任。専門の英文学をはじめ、日本語、教育、意味論などに関する評論やエッセイを多数執筆した。40年以上にわたり学生、ビジネスマンなどを中心に圧倒的な支持を得る『新版 思考の整理学』をはじめ、『新版 「読み」の整理学』『忘却の整理学』(ちくま文庫)他、『乱読のセレンディピティ』(扶桑社)など著作は多数。

「2025年 『新版 知的創造のヒント』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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