古典というものを材料にして、文章の読み方に関する多くの示唆を与えてくれる本
変奏
・「作品が、書き上げられたそのままで、非のうちどころがない、というようなことは、まずありえないとしてよい。・・・推敲も、書き上げた直後にするよりは、しばらく風を入れて、執筆直後のいわば興奮状態を脱して冷静に判断できるまで待って行った方がより有効であることを経験で知っている作者はすくなくない」「表現を改良するということからすれば、推敲は添削に及ばないのは考えるまでもなくはっきりしている」「添削ということは、字句の修正、加除といった形式にあらわれるものでない場合もありうる。岩鼻やここにもひとり月の客」
引用
・「意味はコンテクストによって成立し決定するから、コンテクストが変化して、意味が不変ということはありえない。引用は、新しいコンテクストへ移し換えることであるから、新しく異なった意味を帯びるのを免れることは困難である」
読む
・「解釈は、テクスト自体によって規制されない部分を多く含んでいる。読み手のコンテクストによって大きく左右される」「解釈すること自体がよろこびを与えて、表現は美的価値をもつ」
編集
・「編集という仕事は、原稿を読んで、読みにくいところをはっきりさせる、体裁をととのえるといった形式的なことにとどまるのではない。そういう作業を通じて、プライベートなものにパブリックな性格を与え、そうして表現の新しい生命を付与することをする点に存在理由がある」
慣用の意味
・「ことばの意味は、ことばの内部にこめられているのではなく、くりかえし使われているうちにできる慣用そのものが意味である」
解釈
・「作品をあるがままに理解することはできない」
ー①「人間はみな、理解力によって、対象を解釈してはじめてわかるのである。それは対象の完全なコピーではなく、理解による加工、処理ともいうべきもので、もとのままではない」「人間はものごとを受け容れようとすれば、必然的に理解という加工、修正、変形を加えないわけにはいかない」
ー②「受容者とは別に表現そのものに内在する性格によっても、完全な再現的理解ができないようになっている」「表現というものは、どのように細密に再現的であっても、なお完全にすべてのことをあらわすことはできない。表現は必然的に、省略しなければ成立しない」「表現は、目に見えない、うっかりしていては意識されることもない多くの不確定な部分を多く内包している。これを確定的なものにすることによってはじめて表現は理解され、コミュニケーションが成立するのである」