明るい部屋 写真についての覚書

  • みすず書房
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感想 : 55
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  • Amazon.co.jp ・本
  • / ISBN・EAN: 9784622049050

感想・レビュー・書評

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  • "何が良いとされているか"に従って撮られることによって、一種の権力的な構造の再生産に加担するような写真でなく、分解しきってもしきれない雰囲気を絡め取った狂気的な写真の側につきたい。

  • ロラン・バルトの著作で写真をテーマにした本は『映像の修辞学』を読んだことがあった。
    『明るい部屋』はバルトの後期の作品であり、バルトが実際の写真を前にして、自身の心の動きから写真の本質に深く入っていく構成になっている。前述の本に比べると随想に近いため読みやすい。

    写真は、対象を抽象化したり解釈することなく、ありのままを余す事なく記録するので、対象が「かつて現実に存在した」ことを証明する。この点で写真は他のメディア(絵画など)から一線を画すとバルトは言う。
    それゆえ、肖像写真をどんどん拡大すればその人の実像に迫れるのではないかと錯覚してしまう。しかし、写真は淡々と対象を「見せる」だけで、その人のもつ「雰囲気」といった本質については語ってくれない。
    このあたり、バルトが亡くなったばかりの母の写真と向き合う中で語られるので痛切に説得力があります。

    写真は事実を示すけれど、どんなに解像しても対象の本質については語らない。
    しかし、その人が生きていた時の「雰囲気」、バルトの言葉でいえば「自負心が消えたときに示される」本質が、偶然写真のなかに写りこむことがある。このときに写真に生命が宿るという。バルトはこれを、誰が撮ったかもわからない、母の少女時代の写真に見出します。

    趣味で写真を撮影・鑑賞する身として、写真の本質は偶発性・個別性だというバルトの言にはとても共感でき、ある種の写真を見るときに湧き上がってくる感情を良く言い当てているなあと感じました。
    レンズが解像すればするほど、画像が美しくなればなるほど、対象の本質をとらえるのが難しくなる気がしてしまいます。SNSでバズる写真なんて個別性とは真逆の方向をいっているし。
    どうすれば写真に生命を宿せるかというのは難しいけれど、一回性こそが写真の本質ならば、とにかく目の前にあるものを撮らねばらならない、という気持ちになりました。
    https://indoor-continent.blogspot.com/2021/09/blog-post.html

  • 技術的な写真論ではなく、いかに写真を探究するかについて、バルトの母への思いを混ぜながら語る私小説的な哲学書。

    彼の写真への並々ならぬ思いが伝わってくる。

    4割くらい理解できなかったけど、他は割と腑に落ちた。

    写真は芸術ではなく、それがあったという事実を残す存在である。過去を記録すると同時に、その過去の未来を想像させる不思議な物。

  • 写真の見方は本当に難しいなー、と思っていたのだけれど、この本の内容はいちいちそうだよな!と思うことばかりだった
    時間と存在というメディアの特殊性を明示されて、これから写真展とかに行くのが楽しみになってきた

  • ~狂気をとるか分別か?「写真」はそのいずれも選ぶことができる。

    なんと魅力的な文章か。バルトの解説本よりもバルトの言葉に触れるべきなのだ。

    抽象化を避け、だからといって具体を語り、陳腐化することのない視点。そこがすごい。

    ・写真が芸術に近づくのは絵画を通してではない。それは演劇を通してなのである。
    ・写真が心に触れるのは、その常套的な美辞麗句、技巧、現実、ルポルタージュ、芸術等々から引き離されたときである。
    ・思い出すことができないという宿命こそ、喪のもっとも堪えがたい特徴の一つ。
    ・プルースト:私はただ単に苦しむというだけでなく、その苦しみの独自性をあくまでも大事にしたかった。
    ・写真には未来がないのだ。写真にはいかなる未来志向も含まれていないが、これに対して映画は未来志向であり、したがっていささかもメランコリックではない。
    ・逆説的なことに、歴史と写真は同じ19世紀に考え出された。・・・写真の時代は、革命の、異議申し立ての、テロ行為の、爆発の時代、要するに我慢しない時代、成熟を拒否するあらゆるものの時代でもあるのだ。
    ・私は映画を一人で決して観ることには耐えられない(十分な数の観客がいなければ、十分な匿名状態は得られない)が、しかし写真を見るときは、一人になる必要がある。
    ・写真は、私の気違いじみた欲求に対して、ただ何とも言い表しようのないあるものによって応えることしかできない。・・・そのあるもの、それが雰囲気である。・・・言葉を欠いた悟りであり、「そのとおり、そう、そのとおり、まさにそのとおり」という境位の希に見る、おそらく唯一の明証であった。
    ・要するに雰囲気とは、おそらく、生命の価値を神秘的に顔に反映させる精神的なある何ものか、なのではなかろうか。
    ・一般的なものとなったイメージが、葛藤や欲望に満ちた人間の世界を例証すると称して、実はそれを完全に非現実化してしまうことが問題なのである。

  •  「写真とはそれ自体何であるのか、いかなる本質的特徴によって他の映像の仲間から区別されるのか」。冒頭に置かれたこの問いへ応えるため、著者は本書で「無秩序性(分類が不可能)」、「実践(写真の物理的性質)」、「自己同一性(撮られた自分の写真を、本当の自分ではないと感じる)」などをキーワードに、写真の深部を注意深く探り当てていく。そして、「ストゥディウム(一般的関心)」と「プンクトゥム(著者を惹きつける細部)」という術語により、その特異性を説明できると結論する。
     けれども、まったく突然に著者はそれを取り消す。そして、亡くなった母への思慕や追悼を通過することで写真の本質に迫ろうとする後半では、論理が支配した前半から一転して、本書は私小説の気配を濃くする。
     哲学者・批評家であった著者の個人史と、学術的な写真論が融合した、比類のない一冊。

  • 写真論。論文としても読めるし、私小説としても読めてしまうって驚き。かなりメランコリーに傾いてはいるけれど・・・でも写真史にとっては重要な一冊。文章に、行間に、余白に、母への愛がそっと息をしている

  • バルトは個別的なことと普遍性の間のギャップという問題意識を長く持ち続けたような気がする。この写真論もその問題意識上にあるだろう。個別性をダイアン・アーバス的に普遍性へとつなげようとする姿は、たぶん失敗しているにせよ感動的。

  • 写真のノエマ、それは「それは、かつて、あった」ことを対象から発された光によって示すということ。

    母親が他界したことは彼にとって大きな精神の危機をもたらしたのだろうということは、「温室の写真」にひどく惹きつけられた理由、この写真が曰く言い難い雰囲気を纏いながらもバルトを掴んで決して離さない理由を思考を重ね言葉を尽くす筆致から、痛いほど伝わってる。胸が締め付けられる。

    「温室の写真」へのプンクトゥムを言語化する過程は、喪失や悲しみに向き合い咀嚼する1種のセルフグリーフケアの側面もあったように感じる。私も「何故だか刺さってしまうもの、食らってしまうもの」そういうイメージや写真に敏感でいたい。そういう感覚を、仮にバルトのように大切な人が映った写真でおぼえたとしたら、そのうまく言語化できないということこそが、「私だけの」その写真に映る人に関する思い出というか(ちょっとここら辺は表現し難い、バルトの言ってたことに沿えてるか自信ないけど)、唯一無二のイメージと想いの関係になる気がする。そしてそういうものに人は救われたりするんじゃないかと思う。

  • 私が映像業界へ入ったきっかけの本。ストゥディウム、プンクトゥムを理解すると世界の見え方が変わります。

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