明るい部屋―写真についての覚書

  • みすず書房
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本棚登録 : 1128
感想 : 51
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  • Amazon.co.jp ・本 (157ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622049050

作品紹介・あらすじ

本書は、現象学的な方法によって、写真の本質・ノエマ(『それはかつてあった』)を明証しようとした写真論である。

感想・レビュー・書評

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  • ロラン・バルトの著作で写真をテーマにした本は『映像の修辞学』を読んだことがあった。
    『明るい部屋』はバルトの後期の作品であり、バルトが実際の写真を前にして、自身の心の動きから写真の本質に深く入っていく構成になっている。前述の本に比べると随想に近いため読みやすい。

    写真は、対象を抽象化したり解釈することなく、ありのままを余す事なく記録するので、対象が「かつて現実に存在した」ことを証明する。この点で写真は他のメディア(絵画など)から一線を画すとバルトは言う。
    それゆえ、肖像写真をどんどん拡大すればその人の実像に迫れるのではないかと錯覚してしまう。しかし、写真は淡々と対象を「見せる」だけで、その人のもつ「雰囲気」といった本質については語ってくれない。
    このあたり、バルトが亡くなったばかりの母の写真と向き合う中で語られるので痛切に説得力があります。

    写真は事実を示すけれど、どんなに解像しても対象の本質については語らない。
    しかし、その人が生きていた時の「雰囲気」、バルトの言葉でいえば「自負心が消えたときに示される」本質が、偶然写真のなかに写りこむことがある。このときに写真に生命が宿るという。バルトはこれを、誰が撮ったかもわからない、母の少女時代の写真に見出します。

    趣味で写真を撮影・鑑賞する身として、写真の本質は偶発性・個別性だというバルトの言にはとても共感でき、ある種の写真を見るときに湧き上がってくる感情を良く言い当てているなあと感じました。
    レンズが解像すればするほど、画像が美しくなればなるほど、対象の本質をとらえるのが難しくなる気がしてしまいます。SNSでバズる写真なんて個別性とは真逆の方向をいっているし。
    どうすれば写真に生命を宿せるかというのは難しいけれど、一回性こそが写真の本質ならば、とにかく目の前にあるものを撮らねばらならない、という気持ちになりました。
    https://indoor-continent.blogspot.com/2021/09/blog-post.html

  • 技術的な写真論ではなく、いかに写真を探究するかについて、バルトの母への思いを混ぜながら語る私小説的な哲学書。

    彼の写真への並々ならぬ思いが伝わってくる。

    4割くらい理解できなかったけど、他は割と腑に落ちた。

    写真は芸術ではなく、それがあったという事実を残す存在である。過去を記録すると同時に、その過去の未来を想像させる不思議な物。

  • 写真の見方は本当に難しいなー、と思っていたのだけれど、この本の内容はいちいちそうだよな!と思うことばかりだった
    時間と存在というメディアの特殊性を明示されて、これから写真展とかに行くのが楽しみになってきた

  • ~狂気をとるか分別か?「写真」はそのいずれも選ぶことができる。

    なんと魅力的な文章か。バルトの解説本よりもバルトの言葉に触れるべきなのだ。

    抽象化を避け、だからといって具体を語り、陳腐化することのない視点。そこがすごい。

    ・写真が芸術に近づくのは絵画を通してではない。それは演劇を通してなのである。
    ・写真が心に触れるのは、その常套的な美辞麗句、技巧、現実、ルポルタージュ、芸術等々から引き離されたときである。
    ・思い出すことができないという宿命こそ、喪のもっとも堪えがたい特徴の一つ。
    ・プルースト:私はただ単に苦しむというだけでなく、その苦しみの独自性をあくまでも大事にしたかった。
    ・写真には未来がないのだ。写真にはいかなる未来志向も含まれていないが、これに対して映画は未来志向であり、したがっていささかもメランコリックではない。
    ・逆説的なことに、歴史と写真は同じ19世紀に考え出された。・・・写真の時代は、革命の、異議申し立ての、テロ行為の、爆発の時代、要するに我慢しない時代、成熟を拒否するあらゆるものの時代でもあるのだ。
    ・私は映画を一人で決して観ることには耐えられない(十分な数の観客がいなければ、十分な匿名状態は得られない)が、しかし写真を見るときは、一人になる必要がある。
    ・写真は、私の気違いじみた欲求に対して、ただ何とも言い表しようのないあるものによって応えることしかできない。・・・そのあるもの、それが雰囲気である。・・・言葉を欠いた悟りであり、「そのとおり、そう、そのとおり、まさにそのとおり」という境位の希に見る、おそらく唯一の明証であった。
    ・要するに雰囲気とは、おそらく、生命の価値を神秘的に顔に反映させる精神的なある何ものか、なのではなかろうか。
    ・一般的なものとなったイメージが、葛藤や欲望に満ちた人間の世界を例証すると称して、実はそれを完全に非現実化してしまうことが問題なのである。

  •  「写真とはそれ自体何であるのか、いかなる本質的特徴によって他の映像の仲間から区別されるのか」。冒頭に置かれたこの問いへ応えるため、著者は本書で「無秩序性(分類が不可能)」、「実践(写真の物理的性質)」、「自己同一性(撮られた自分の写真を、本当の自分ではないと感じる)」などをキーワードに、写真の深部を注意深く探り当てていく。そして、「ストゥディウム(一般的関心)」と「プンクトゥム(著者を惹きつける細部)」という術語により、その特異性を説明できると結論する。
     けれども、まったく突然に著者はそれを取り消す。そして、亡くなった母への思慕や追悼を通過することで写真の本質に迫ろうとする後半では、論理が支配した前半から一転して、本書は私小説の気配を濃くする。
     哲学者・批評家であった著者の個人史と、学術的な写真論が融合した、比類のない一冊。

  • 写真論。論文としても読めるし、私小説としても読めてしまうって驚き。かなりメランコリーに傾いてはいるけれど・・・でも写真史にとっては重要な一冊。文章に、行間に、余白に、母への愛がそっと息をしている

  • バルトは個別的なことと普遍性の間のギャップという問題意識を長く持ち続けたような気がする。この写真論もその問題意識上にあるだろう。個別性をダイアン・アーバス的に普遍性へとつなげようとする姿は、たぶん失敗しているにせよ感動的。

  • 5回くらい読まないと理解するのは厳しそう。
    でもそんな考えもあるのね、ってのは理解できた。

  • 難しい。分かりそうでわからない、けど分かりそう、みたいな本。
    バルトの他の本も読めばもっと分かりそう。

    「写真はすべて存在証明書である」(p.107)
    加工だけでなく、AIによる生成が可能となった現代の写真に対して、どのようにバルトの写真論が対応できるのかが面白そう。

  • 「ストゥディウムとプンクトゥム」。写真だけでなく、およそ芸術作品というものをどうとらえるかという際に、根源的なヒントを与えてくれる二つの要素である。
    バルトの著作といえば、とかく難解なイメージであったが(自分の読んだ本がたまたまそうだったのかもしれないが)、このバルとの最後の著作と言われるこの本は、不思議なくらいストレートに理解できた(ような気がした)。

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著者プロフィール

(Roland Barthes)
1915-1980。フランスの批評家・思想家。1953年に『零度のエクリチュール』を出版して以来、現代思想にかぎりない影響を与えつづけた。1975年に彼自身が分類した位相によれば、(1)サルトル、マルクス、ブレヒトの読解をつうじて生まれた演劇論、『現代社会の神話(ミトロジー)』(2)ソシュールの読解をつうじて生まれた『記号学の原理』『モードの体系』(3)ソレルス、クリテヴァ、デリダ、ラカンの読解をつうじて生まれた『S/Z』『サド、フーリエ、ロヨラ』『記号の国』(4)ニーチェの読解をつうじて生まれた『テクストの快楽』『ロラン・バルトによるロラン・バルト』などの著作がある。そして『恋愛のディスクール・断章』『明るい部屋』を出版したが、その直後、1980年2月25日に交通事故に遭い、3月26日に亡くなった。
*ここに掲載する略歴は本書刊行時のものです。

「2023年 『ロラン・バルト 喪の日記 新装版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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