- Amazon.co.jp ・本 (319ページ)
- / ISBN・EAN: 9784622050261
感想・レビュー・書評
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マラーノ:イベリアのユダヤ人追放の際にキリスト教に改宗し故国に残留する道を選んだユダヤ人。
「我々はユダヤ教を密かに守り続けてきました。来る世代も来る世代もまたその次の世代も不安と恐怖のうちに過ごしてきた。」
フリッツ・ハイマン『死か洗礼か』
スペインは美しい国である。今日でも中世末期の姿をはっきり見ることができるヨーロッパ唯一の国。
異端審問制度から100年の1930代
ヒトラーから逃れて多くのユダヤ人がスペインに流入。当時珍しい親ユダヤ。バルセロナに。
コルドバが生んだ不世出のセルファディ系哲学者モーゼス・マイモニデス
スペインは1935、36にギリシャとエジプトと国家条約を締結。これらの国々に移住を余儀なくされたセルファディ系ユダヤ人の権利保護。
しかし失業者増大と社会的状況の急速な悪化で内外のセルファディ保護を阻止しようとする過去の亡霊が活発化。-スペインの反動勢力やファシストそして教権派。ユダヤ人陰謀論。
フランコ独裁政権時代にはユダヤ迫害が始まる。人殺しのユダヤ人というテーマはこの頃のプロパガンダによって現代に受け継がれる。
一方では娘にカトリックの名前を与えて、他方ではユダヤ教への復帰を遺言。父親は祖国亡命のときに身の栄達をはかり貴族との縁組を推し進めることによってどれほど一家の社会的地位向上に努めても結局は歴史からも国家からも外された人間にすぎない。
セファルディはクロアチアやセルビアに流れこむ。
スペインは二つの偉大な文明を体現するユダヤ教徒とイスラム教徒が故国から切り離され流浪の民となっていた15世紀を今日もはっきり見せてくれるヨーロッパ唯一の国。
マラーノ発生の系譜
イスラム支配下のスペインではユダヤ人は領土的野心を持たない聖書の民として独自の宗教経済文化的伝統の中でその能力を発揮。ユダヤ人の社会的経済的地位は最も地位の高い宮廷ユダヤ人の最上層部、商業金融業に従事するかなり裕福な中間層、都市周辺のあらゆる業種に携わる下層階級まで多様。生活は概して安定。
しかしキリスト教徒のレコンキスタを確実にした14世紀半ばユダヤ憎悪が表面化。ユダヤ大虐殺が繰り広げられる。ここでユダヤ教はイスラムと同様に宗教的国民的敵にされた。経済不安とペストの流行で民衆だけでなく聖職者にもユダヤ憎悪が広がる。
中世の終わり頃スペインで最も反映したかつてのローマの自治都市セビリア。ユダヤ人はこの地で揺るぎない地位を築き文化的経済的繁栄。そこで反ユダヤを煽り立てたフェランド・マルティネス副司教。「ユダヤ人はスペインを奴隷化する」
ポグロムのあと二分。
ー旧キリスト教徒以上に熱心な信者
ー形式的改宗のあと先祖の宗教を守り続けたもの
迫害後は改宗者たちの多くが貴族との縁組を推し進め司法行政軍隊大学教会で活躍。これへの嫉妬からマラーノと呼ぶように。改宗か追放かを迫られるように。
存在と非在、ユダヤ教とキリスト教とに引き裂かれたマラーノ。
ユダヤ人移住の旅。徒歩。バレンシア、バルセロナ、まらが、カディス。15万人のうち12万人がポルトガルを目指した。ポルトガル王は納付金を目的に8ヶ月の条件つき滞在許可。それからインド、ブラジルへ。その後国王の交代で再び追放令。ユダヤ亡命者を歓迎したトルコにたどり着いたものは少ない。
ドン・アントニオはマラーノとして一切の力あるものから追放され差異化された自己の中へ繰り返し立ち返って行かざるを得なかった。こうした孤独な剥奪状態の中で彼は打ちひしがれた自己を修復しながら下界との関係の回復にひたすら思考を凝らしていた。権力者との新しい関係さえ蘇ってくれば絶対的他者であるフィリペをうつためにこの無力さと貧しさの中から立ち上がると我が身に言い聞かせていた。
「魔女セレスティナ」
理性崩壊溢れる場所では「救い」「希望」という言葉を恋愛的大衆的文脈に置き換えなければならない。(!)
カフカ「罪、苦悩、希望、真実の道についての考察」
ある一点を越えるともはや後戻りはありえない。この一点に到達することが目的だ。
スピノザ
知性改善論は彼の中の分裂にどう決着をつけるかという方法論。スピノザが憤慨したカバラ思想は終末にたいするメシア思想。
スピノザが問題にしていたのは社会的集団的心理というより個人的問題。喜び悲しみ憎しみ愛。愛が大きいほど憎しみも大きい。
モーゼスメンデルスゾーン、ハインリヒハイネ
イスラエルの神秘都市サフェド
カフカはアシュケナージだけどマラーノ的。それは現代人全てに共通。ポーランドのザモシチにはイベリア半島のエリート層がやってきた。
隠者のようにではなく死者のように書く。それは祈りに近い。
所属と所有を当然のものとみなしている定住者の世界に身を置きながら同一化の権力から離脱し外の世界にさまよい出て行く向こう見ずな人。その危険な旅によって精神が一層透明な輝きを増す人。内にいながら外に生きる。カフカ文学は民族主義によって排除追放された世界中の多くのよそ者たちにさまよい続ける勇気を与えるだろう。(ディアスポラの根源)詳細をみるコメント0件をすべて表示