- Amazon.co.jp ・本 (247ページ)
- / ISBN・EAN: 9784622051398
感想・レビュー・書評
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労働と思索が刺激し共鳴し合う日常が沈着しており、ホッファーの頑固一徹な持続性を読み取ることができる。日記という内省的な形式の中に潜む格言はすっと馴染むものもあれば、大衆やアメリカへの過大評価と思われる思考に眉を顰めることも屢々あった。それでも沖仲仕という仕事の清々しさが前面にあるので心地良い佇まいは崩さない。密接した人間関係を拒み敢えて孤独の中で思索することを自由とするスタイル、潔い生き方が自然に日常に組み込まれている。寂しさとの戦いは致し方ないこと、時々吐露しながらも克服している。かっこいい人だ。
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4月6日(p197)
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死ぬまでに一度といわず再読の機会を設けて、波止場日記と対話する。
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この本の叙述は、力強く簡明なスタイルに貫かれている。日記の冒頭では、ほぼ決まって、船名、その国籍、労働時間、その内容と感想を置いて、日記は綴られていく。1日1日と進めていく日記の内容とそのスタイルの反復が、アメリカ人である彼のこのうえない自信と、「知識人」と対置された「大衆」の人々への信頼(言い換えればアメリカという個の自負と自由への信頼)の言葉を強めて読み手につたえる。日記の内容は多岐にわたる。「知識人」と「大衆」のふたつの思索を軸に、アメリカやソ連・東欧諸国を中心とした各国の情勢や人種問題など、あまたにのぼるが、「書物の世界と世界という書物」を見聞していく日々が、徐々に積み上げられていくに従い、彼の思索の底流から「変化」というキーワードが浮かび上がってくる。この日記は、知識人たちが操作、支配、搾取する、その「理論的思考や観念操作の思考回路」に大衆の側面から「実用的知性」を導入して「その知識と器用さ」(実用的知性とは何ぞや?)に対する確信を取り戻そうとしてはじまった。そして「変化」という言葉にぶつかるにあたって、彼はこの日記の達成を得たと締めくくる。それぞれの思索を真摯に記録していき、ひとつの形をなしていくこの日記は、一見その地味な思考の歩みが、肉体労働と禁欲的な彼のライフスタイルと相まって、何か美しく素朴な思考の肉声をつたえて、こちらの胸を打つ。
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アメリカで沖仲士として労働のかたわら思索・文筆に励んだ思想家エリック・ホッファーの日記。1958年。
荒川洋治の『日記をつける』に紹介されてたと思う。
ホッファーは知識人に関心があるとしながらも、自らをそういったマイノリティではなくあくまでも一般大衆とみてる。支配階級への反発、そしてその思想を地でいくような生活に好感がもてる。発展途上の思索の過程、そのラフな質感が日記ならでは。
ところで日記なので文章が内省的なのは仕方ない。当時のアメリカの様子はちっともだから、彼の言わんとするところをつかめないのは多々。
しかし、「普通の人間の潜在的創造能力に、創造の過程一般に関心があり」と彼が書いているように、創造に関する記述はとても興味深かった。 -
この人の生き方に興味がある、藤代冥砂推薦
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ホッファーの特異な人生、知的生活に魅せられて、早速、読み始めたが、この人が語る考えに疑問を感じることが多々あったが、また、わかりにくい部分も会った。しかし、それを
裏付けるだけの読書、知識がないので、不確かである。
でも、自分を大切に価値のある人間と考えない方がいいという考えには、共感を覚えたし、うなづく部分だった。
この著者がすすめるエセーでも、そのうちに読み始めようと尾思う。 -
毎日日記は、その日に荷役に携わった船の名前と働いた時間から始まる。だいたい8時間。多い日は10時間。相方の印象。多様な人種の多様な性格の人々。出かけていっても仕事をもらえない日もある。せいぜい3日か4日。日銭を数える。週に1日は最愛の“息子”と過ごす。それ以外の社交はほとんどなし。部屋にいるときは読書。2~3日に1冊のペース。歴史や世界情勢。特にソヴィエト共産主義について。思索と書き物。なかなか構想がまとまらない。煙草は吸うが酒は飲まない。食事も最小限。
このときホッファーは56歳。2冊の著書を持っていたが、ほかに何物をも持たない。
「大切なのは自己を重視しないこと。世間は私に対してなんら尽くす義務はない。人間は『存在の客』である」
民衆への信頼と“知識人”への敵意。民衆の夢の国だったアメリカ。 -
840夜
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2年前にある人からこの本を薦められて(というか本人は薦めた気はないかもしれないが勝手にそう思った)、せっかくだから原書で読みたいとずっと思っていた。ところが本屋にも図書館にもなく、はじめてアマゾンを利用して手にいれた。エリック・ホッファーの日本語訳は比較的入手が可能(本屋で平積みならぬ平立てしてあるのをみた)なのに原書である英語版の方はそうはいかず、日本の出版情況は捨てたものではないなと感心した。
1958年の5月からつけられた1年間の日記。著者は港湾労働者として働きながら、思索する「沖仲の哲学者」で、新聞社などから原稿依頼を受けて書いたりしている様子もでている。哲学者としてのことばの中には暗誦したくなるような鋭いものもあれば、逆説的にとれて理解に自信のもてないものもある。それは私自身の歴史一般に対する無知に端を発しているからだったり、著者の考え方が既成観念、一般論を木っ端微塵にするほどラディカルだからであったりする。おかげでこの本はポストイットだらけになってしまった。だからこそ再読の愉しみもあるわけで、本棚でなくいつも手に届くところに置いておきたいと思う。
ホッファーの労働者、哲学者としての二重の生活が読書の二重の愉しみとなっているところもユニークだ。毎日の生活の中で特にこれといった理由もなく楽観的になったり悲観的になったりする気持ちが愛しいほど率直に書かれている。彼は一定の雇用者の雇われているわけではなく、その日毎に貨物を下ろしたり、積んだりする船のために働いているため、一緒に働く面子も変わる。各々の仕事相手の叙述が生き生きとしていて小説を読むような面白さがある。港湾労働者というのは変わった人が多いからかもしれない。組合員のバッジをおおっぴらにつけることにためらいを感じるという仕事仲間に、そんなこと気にしていたら、精神病院行きになるよ、と著者が言うと、まさにその精神病院からでてきたばかりだという返事が返ってきたり!こういう上司、部下、同僚などなく働く相手が毎日変わる仕事もいいなと思ってしまった。
50年近く前に書かれ、この50年で世界は激動したのにホッファーの言説は古びれていないばかりか、今だからこそ、その重さが余計に感じられる部分も多い。たとえば旅行中の旅人同士が旅先では譲り合いのマナーをもっていることをひきあいにだして、世界中の人間が自分はよそから地球にきた「お客さん」と考えればもっと他者に対して相手の立場を尊重するようにふるまえるのではないかといってるところなど、世界の大地主、救世主といわんばかりにふるまうブッシュやトニーブレアに聞かせてやりたい。「自由」とうまくわたりあっていけないタイプの人間が力で他者を抑えてつけようとするというコメントには長年のくすぶっていた疑惑が晴れたような気持ちになった。
著者自身が「知識人」のひとりであるにも関わらず「知識人」とよばれる人たちに対して確固たる(そして健康的な!)懐疑心をもっていて、これは驚異的。深い思索の提示で知的刺激をもたらす「知識人」は星の数ほどいるが、これほど素直で、真摯で、「知識人」としての気取りやてらいから自由でいられる人というのはそういまい。
人やシステムのばかばかしさに大なり小なり苛まれながら毎日を過ごしていると感じている人(はい、私です。このこと自体がホッファーにかかればおバカさんの驕りということになるのかもしれない)には力強い励みになる本でもある。