アーレント政治思想集成 1――組織的な罪と普遍的な責任

制作 : ジェローム・コーン 
  • みすず書房
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本棚登録 : 43
感想 : 3
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  • Amazon.co.jp ・本 (328ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622070122

作品紹介・あらすじ

ハンナ・アーレントの思考は、大戦間期という虚ろな空間で、まずは培われた。その後、ナチズムの席巻するドイツからパリをへてニューヨークに亡命し、その地で「アウシュヴィッツ」の事実に接することで、絶望をくぐりぬけた著者の世界に対する見方は、徐々に確固たるものになってゆく。20世紀を具現した思想家の前半生(1930‐54)の思考の全貌を、全2巻で公刊。本巻には、不朽の論考「実存哲学とは何か」をはじめ22篇を収録する。

感想・レビュー・書評

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  • アーレント政治思想集成〈1〉組織的な罪と普遍的な責任
    (和書)2012年02月17日 22:29
    ハンナ アーレント みすず書房 2002年10月


    この本を読んでいる内に、僕自身についていろんな批判をしてみようと思えるようになった。今までどうしても行き詰まっていたことや、どうしても解らないことがある。それに対してどうすればいいかずっと途方に暮れていた。しかしアーレントさんの本を読んでいるとなんだか思考すること、解けなくとも思考する価値のある謎などについて指摘される。それがとても的確であり、アーレントさんの思考を自分自身でやってみることが必要だと感じる。

    「荒野の誘惑」について考えてしまった。ナザレのイエスの宗教批判とマルクスの宗教批判。悪、陳腐な悪という思考停止、悪魔の誘惑。そういうものを考えていかなければならない。僕自身が思考停止していた部分かも知れない。「荒野の誘惑」は福音書にあるがそれが現在の単独性としてある人間に対する、複数性とは違う全体主義として思考停止又はそれによる悪というものが悪魔として現象するということを僕は体験した。それは深刻な病と言う人もいるが、悪魔として現象したのだと思う。それは砂漠である。それこそ荒野の誘惑そのものなのだ。

    そういったことを考えながら読んだ。

  • "1994年にまとめられたアーレントの遺稿集。

    「政治思想集成」とあるが、原題は“Essays in Understanding 1930~1954""ということで、アーレントの活動の全期間を扱っている訳ではなく、ユダヤ人問題についてのエッセイは、別にまとめられている。というわけで、タイトルからイメージされるように、これでアーレントの全貌が明らかになるというわけではない。

    アーレントの政治社会にかんするいわゆる主著「全体主義の起源」をまだ読んでいないのに、この本を先に読むのは、どうかな?と思ったのだけど、1965年のインタビュー記事「何が残った?母語が残った」が冒頭に収録されていて、この記事がアーレント入門に一番いい、という説もあるみたいなので、読んでみた。

    2巻に分かれていて、全部で、41編、600ページを超える大著だが、「何が残った?母語が残った」をはじめとして、全体として、結構、読みやすい。(まあ、アーレントもかなり読み慣れてきたせいもあるけど)

    アーレントのいわゆる主著は、客観的な記述をベースとしながらも、皮肉や反語、さまざまな古典からの縦横無尽の引用などで、複雑で、難解なものになっているのに対して、無名時代のエッセイは、テーマが明確で、一般(?)の読者にも、できるだけ分かり易く書こうみたいな感じがあって、なんだか素直で、愛(?)があるな〜、と思う。

    一方、「全体主義の起源」発表後のエッセイは、「全体主義」問題のエキスパート(!)みたいな貫禄というか、迫力がある。といっても難解ではなく、「主著」より意図が明確だったり、違う角度から問題に迫ったりしていて、アーレントの考え方が、立体的に浮かび上がる感じである。

    内容的には、「全体主義の起源」につながる、あるいはそれを補う論考が中心であるが、のちに「人間の条件」や「革命について」につながって行く論考もたくさん含まれている。とくに、「実存哲学とはなにか」「フランス実存主義」「ハイデカー狐」「近年のヨーロッパ哲学思想における政治への関心」などの論考の明確さと冴えは、ハイデカーやヤスパースの直弟子アーレントの面目躍如という感じ。

    もちろん、「全体主義」関係の論考のクオリティは極めて高い。よくぞ、この時点で、ここまで見通せていたんだなと、慧眼に驚く。

    アーレントは、63年の「イェルサレムのアイヒマン」で、普通の人間が淡々と想像を絶する悪をなし得るという「悪の陳腐さ」を発見したとされるが、戦時中、戦争直後の論考で、すでに、ナチスの幹部が基本的には普通の家庭人であること、常識人、組織人であることを指摘している。

    53~54年くらいに書かれた「人類とテロル」、「理解と政治」、「全体主義の本性について」、「エリック・フェーゲンへの返答」といった論考が、この論文集の白眉かな?

    「全体主義」という経験を過去の知識の連続として説明するのではなく、今、起きている全く新しい経験として、手探りながら、理解への努力を続けて行こうという姿勢が感動的ですらある。そして、それは1人で完結することではなく、他者とのコミュニケーションのなかで、生まれでてくるプロセスなのだ。

    「理解することは、正しい情報や科学的知識を持つこととは違い、曖昧さのない成果を決して生み出す事のない複雑な過程である。それは、それによって、絶え間ない変化や変動のなかで私たちがリアリティと折り合い、それと和解しようとする、すなわち世界のなかで安らおうとする終わりのない活動なのである」(理解と政治)

    そう、原題の""Essays in Understanding""は、「理解しようとする試み」と直訳的に理解すべきなのだ。"

  • 烏兎の庭 第一部 書評 11.1.03
    http://www5e.biglobe.ne.jp/~utouto/uto01/yoko/arendty.html

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著者プロフィール

1906-1975。ドイツのハノーファー近郊リンデンでユダヤ系の家庭に生まれる。マールブルク大学でハイデガーとブルトマンに、ハイデルベルク大学でヤスパースに、フライブルク大学でフッサールに学ぶ。1928年、ヤスパースのもとで「アウグスティヌスの愛の概念」によって学位取得。ナチ政権成立後(1933)パリに亡命し、亡命ユダヤ人救出活動に従事する。1941年、アメリカに亡命。1951年、市民権取得、その後、バークレー、シカゴ、プリンストン、コロンビア各大学の教授・客員教授などを歴任、1967年、ニュースクール・フォー・ソーシャル・リサーチの哲学教授に任命される。著書に『アウグスティヌスの愛の概念』(1929、みすず書房2002)『全体主義の起原』全3巻(1951、みすず書房1972、1974、2017)『人間の条件』(1958、筑摩書房1994、ドイツ語版『活動的生』1960、みすず書房2015)『エルサレムのアイヒマン』(1963、みすず書房1969、2017)『革命について』(1963、筑摩書房1995、ドイツ語版『革命論』1965、みすず書房2022)など。

「2022年 『革命論』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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