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本 ・本 (400ページ) / ISBN・EAN: 9784622071044
感想・レビュー・書評
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この本でのエジソンは発明家というより実業家、インフルエンサーに近い。ライバルであるウェスティングハウスも、おなじく。
直流と交流を巡る電流戦争は、電気椅子の可否を巡る技術的問題から倫理的問題に移っていくが、前者の要点は登場人物の多数、もしくは世の中の全員が「電気についてよくわからない」という点。後者は「人道的に正しいかどうかわからない」という点。前者は現在では解決可能(と少なくとも思いこむことはできる)なので、過去の歴史的記述として読める。後者は解決不可能(のように思える)な問題なので、いまでは無関係な過去の一部が、現在にもつながる問題に接続される流れが鮮やかだった。 -
直流交流戦争の本を探して。安定のサイモンシン。
と思ったら読後にサイモン・シンじゃなかったことに気づいた。 -
いわゆる電気椅子での処刑については、映画(洋画)で何度か目にしたことがある。
⒚世紀末、それまでに行われていた絞首刑の執行に伴う不備を是正すべく新たな刑の執行法を模索していた。そして、時は同じくして電気という文明が芽吹く。電力産業を牛耳るために、絞首刑にかわる処刑法として電気処刑がまつりあげられ、人類最初の電気処刑者であるケムラーは処刑された結果、異臭を放ち黒焦げとなった。
極刑は人道的であるべきという倫理問題が、迅速で苦痛でないという技術的な問題に、そして最終的には残酷で異常という法的な問題にすり替えられていった過程をよく表している。
著者は最後に自己責任と極刑を科すこと、そしてそれに社会全体がどう絡んでいるかについて言及している。多義性のある人道的という言葉も、著者が最後に言及したこの言葉を深く掘り下げることにより、見えてくるものがあるのかもしれない。極刑の是非については議論をよんでいるが、科学技術的問題や法的問題のみにとどまらずに考える必要があり、それは現在の報道方法にも少なからず関係しているのである。
深く重いテーマが隠されている一冊ではあるが、久しぶりに考えさせられた。 -
題名がサスペンスっぽいけれど、歴としたノンフィクション。電気椅子による処刑法が提唱された背景にあるエジソンvs.ウエスティングハウスの電流戦争の内実をえぐる前半は正しく「知る人ぞ知る」で文句なしに面白い。電気椅子で処刑された最初の死刑囚、ウィリアム・ケムラーの半生と司法闘争、及び死刑そのものに対する反対論を展開する後半は言っちゃあ悪いが「付け足し」のようなものである。あるのだが、前半だけでも一読の価値はあろう。
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2009/11/28購入
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なぜ、アメリカの死刑は電気椅子なのか?その超以外な理由。これ一冊で電気椅子博士の気分。途中でちょっと飽きたけど。
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未購入。副題「エジソン、電流戦争と電気椅子の発明」タイトルにしびれちゃう。小さい頃から、死刑の本って結構読んじゃうのね。
[2004/11/16追記]
2004/11/14の<a href="http://book.asahi.com/category/s_book.html?code=4622071045&flg=0">朝日新聞書評</a>に取り上げたれてました。注目度が増すのでは。
<a href="http://www.msz.co.jp/titles/06000_07999/ISBN4-622-07104-5.html">>みすず書房</a>
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