灰色の魂

  • みすず書房 (2004年10月20日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (272ページ) / ISBN・EAN: 9784622071143

感想・レビュー・書評

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  • 暗い出足。
    少女が殺された。

  • 第一次大戦の頃、前線にほど近いフランスの田舎町。1917年12月のある朝、この町の川から、少女の死体が上がった。犯人は誰なのか。小さな町にすむ人々に訪れる悲しみ。全てが過ぎ去った今、語り手である「私」は、過去と現在を行きつ戻りつしながら、苦しみに引き裂かれ喘ぐ魂の物語を書き残す。

  • 時は1917年12月の最初の月曜日、所はフランスの一寒村。居酒屋の看板娘で、その美しさから「昼顔」と呼ばれていた十歳の少女が殺された。現場は村人が「城(シャトー)」と呼ぶ宏大な屋敷近くの岸辺。首を絞められた後で川に投げ込まれたらしい。「城」の当主は近くの市の検察官を務めるピエール=アンジュ・デスティナ。早くに妻を亡くして広い屋敷に僅かな使用人と暮らしている。感情を表に出さず、人付き合いもよくはないが村人には一目置かれていた。

    独仏国境近くにある村には、長引く戦争で傷ついた傷病兵が大量に流れ込んでいる。少女殺害の犯人として逮捕されたのは二人の脱走兵だった。一人は自殺し、もう一人は拷問の末に自白。これで解決と考えられたが、実は事件当日「昼顔」と親しげに話をしているデスティナを見た人物がいた。

    こう書いてくると、いかにも推理小説めいて聞こえるかも知れない。事実、物語は少女殺害の真犯人をめぐる謎を追う形で展開し、中盤に差し掛かったあたりで、語り手である「私」は刑事であったことが分かってくる。しかし、話者の語りに引き込まれるように読み進めながら感じるのは、謎解き小説を読んでいる時とはまるで異なった感興である。その印象を一言で言えば、いかにも重苦しく暗い。

    ついこの間書かれたばかりのはずなのに、まるで19世紀の小説を読んでいるような気がしてくる。それではそれが嫌か、と聞かれるとそれはちがう。近頃ではあまり流行らないらしいが、人生というものの持つ重さや、人と人の出会いの不思議さ、人間の数奇な運命などという一昔前の主題群が、対比を駆使した典型的な人物造型、卓抜な譬喩、陰影を帯びた人生観を感じさせる警句、そして何よりも「民衆的な、時には卑俗とも言える文体と、詩的かつ叙情的な文体の混淆」に支えられて重厚な輝きを帯びて迫ってくるのだ。

    小説は、事件の関係者であった元刑事の回想録とも手記ともいえる体裁で展開される。しかし、年老いた男の回想は記憶の小路を彷徨うように往々にして横道に逸れ、時間を遡行し、行きつ戻りつを繰り返し、なかなか謎の解決にはたどり着かない。しかも、男は事件の最中に最愛の妻を死なせるという悔恨を背負ってもいる。人生の終わりに近づいた人間がこれだけは語っておかなければ従容として死の床につくことができない、その謎とは何か。事件に関係する二人の男やもめと、検察官の敷地内の館に住まうことになる美しい女教師の関係はどうなるのか。女教師のモロッコ革の手帖に書かれていた秘密とは。近頃、こんなに読む愉しみを堪能させてくれる小説を読んだことがない。一気に読まされてしまった。

    「ろくでなしだろうが、聖人だろうが、そんなのは見たことがないよ。真っ黒だとか、真っ白なものなんてありゃしない、この世にはびこるのは灰色さ。人間も、その魂も同じことさ…」。「泣ける」という触れ込みの本や映画が流行る昨今だが、自分の魂の色も知らずして、手放しで泣いていられるほど、この世界も人間も単純ではない。全編をおおう戦争の影、愛する者を喪失した人間の魂の悲哀を描いて近頃稀に見る力作。人の営みの愛しさが読後にしみじみとした余韻を残す。

  • 陰鬱な小説である。

    文体も決して読みやすいとは言えず、属性がくどいほど精緻過ぎたり、さほど重要でない人物の名前や風貌の描写も時として割りこんでくる。

    しかし、読み進むうち、作者が綿密に計算した用意周到なプロットの罠に陥ちたことに気づくのはそう遅くはない。

    この小説には語り手が存在する。
    「私」の素性ははっきりしない。
    まるで、バルザックの『サラジーヌ』の語り手のように、一見第三者的だが、『サラジーヌ』の語り手よりもその情報は多く「私」はその事件の時や人々と絡み合っている。

    第一次世界大戦の前後、フランスの田舍町で、10歳の少女が川で発見された。
    少女は大聖堂の向かいにある食堂の末娘で、可愛らしく、店でも人気者だった。

    この田舍の町には城があり、その城の城主は検察官であったが、少々変わり者で手伝いの者はいたが一人暮らしをしている。
    彼は妻を亡くし、孤独であったが、威厳のある紳士であり城主であった。

    やがて、その町の学校に、前任者が狂人になったため、後任として若い女性の教師がやってくる。
    彼女は検察官の城内にある家に住むことになったが、暫くのちに突然死んでしまう。

    そして、私の妻もはじめての子の出産で命を落とし、それから時は流れて検察官も死に、また時が流れ、誰も居なくなった城で、私はモロッコ革で覆われた赤い手帳を見つける。

    時代、町、人々、殺人事件、戦争、愛憎、不信、悔恨、煩悶、これらが私の回想のなかで絡まり合い決してほどけることはない。それらは読者の心に一種のわだかまりを残し、謎解きのため、少女が沈められていた川の岸辺に、検察官の城に引き寄せられる。
    赤い手帳は読者の謎をすべて解くことができるのだろうか。

  • 一人称の文章からしばしば感じ取れる不確かさ、ごまかしの気配はここにはなく、すべての過去は陽の光のもと、私たちの前にひっそりと差し出されている。ただし、とても遠いところから。
    開かれてはいるけれど、とても遠い。その距離を前に、真実すらも頼りなく揺らめくが、こちら側は投げかける言葉を持たない。
    かつて人々がいた。その事実だけが最初から終わりまで、ぴんと張り詰めた糸のようにこの小説を支えている。語り手を前に、物語のために、目を閉じる。

  • フランス文学らしい文面だった。

  • 『あちこち揺れ動くものなど、はるか彼方の出来事のように思える。もはや私の物語とは言えない、ある大きな<物語>の渦のなかで、私は生きている。私は徐々に自分から離れてゆく』

    この作家は過去の出来事を、その場の空気も写し取るように細かく登場人物に語らせながら、いつでも語られていない何かがあることを伝えるのが巧みだ。しかもその語られていないことが、あたかも<真実>と呼ばれる類のものであるかのように思わせることが。

    フィリップ・クローデルは「リンさんの小さな子」を読んだのが最初だったけれど、語られていない何かがあるという雰囲気はその本にも通底していたように思う。しかし、真実、と呼んでみたところでその言葉がどれ程のことをつかまえられるというのだろうか。語られなかったというのは語る必要がなかった、ほんの些細なことであったのだ、とも言えるのかも知れない。

    その場の空気も写し取るようだと書いたけれど、その空気はめったに乾いていないし暖かくもない。こちらの身に着けているものまでずしりと重たくなったような気にさせる空気に満ちている。その重さはもちろん冷たい水気によるものだ。そんな感慨に囚われると、たちまちの内に湿った冷たさが肌に絡みついてくる錯覚に襲われる。着ているものの外側は雨とぬかるんだ泥に少しずつ覆われてゆく。汗と血と、ありとあらゆる体液が衣服に浸み込み、ますます重たくなる。その重さに耐えかねて、その場に、冷たい泥の中に押し込められてしまいそうな気になる。それを、フィリップ・クローデルの描く物語の悲惨さのせいであると言うこともできるだろう。

    しかしある種の悲惨さは砂丘でまとわりつく砂粒のように振る舞うこともある。それは一端体に張り付くけれど、ゆっくりと乾き、手で払い落とせばさらさらと剥がれ落ちてゆく。しかしこの作家の描くものは違う。それはじっとりと身に着けているものに滲み込み体温を奪ってゆく。振り落とそうとしてもそれは衣服と渾然一体となってしまっている。だからと言って服ごと捨てて行こうにも、そこは余りにも寒さが厳しくて服を脱ぐことは適わない。その内に身に着けたものは形を失い粘土か何かのようになる。一つ一つの輪郭を失いやがて皮膚との境さえあいまいになる。

    物語の中盤でやや唐突な形で描かれる神父の白い肌。濡れた服を脱ぎ取った下にあるものが白い肌であることの意味は、だからとても象徴的であると思うのだ。一方物語の語り手の肌は既に澱のようなものに覆われて白くはない。かといって黒でもない。つまりは灰色で、それはさっきまで身に着けていた服の色とさして違いはない。

    この物語の中で、人々の人生は言葉によって語られてゆく。けれど、そうやって言葉が集められれば集められるほど、その物語の意味が失われてゆくように感じてしまうのはとても奇妙な感覚だ。言葉は、言葉を発したものから何かを抜き取ってゆく。やがて死がそのものに訪れ全てを奪ってゆく前に。死は全ての意味を押し流してしまう、と言ってしまえば余りに紋切り型に過ぎるけれど、一人の人間の中にあったものが言葉によって少しずつ写し取られ、別な物語の中に吸収されてしまった後では、言葉を発したものは用済みになるしかない。

    しかし人はすがるように言葉を頼る。それが誤解されてしまおうと、何かを永遠に留めておくことなど叶わないと知っていたとしても。そうやってすっかり自分の中から吐き出す言葉がなくなった時、死が訪れる。語り切ったことが、真実を伝えきったこととは必ずしも同じことではないのは、余りにも必然なのだ、という感慨が残る。

    『「ろくでなしだろうが、聖人だろうが、そんなのは見たことがないよ。真っ黒だとか、真っ白なものなんてありゃしない、この世にはびこるのは灰色さ。人間も、その魂も同じことさ…。あんたは灰色の魂、みごとに灰色、みんなと同じようにね…」「そんなものはみな言葉だ…」「言葉に恨みでもあるのかい?」』

  • 第1次世界大戦中の戦場の第1線に近い、フランスの小さな村がこの作品の舞台。 1917年に、村でレストランを経営者の子供で、「Belle de Jour」と呼ばれている10歳の可憐な少女の絞殺死体が発見された。

    この未解決の事件を当時担当した刑事であった主人公の回想を通して、この殺人事件が起こった、冷たくて暗いフランスの田舎の村に住む人々の姿と、戦争がもたらす悲劇を幾つもの違った角度から描き、人間の悲しみと、苦しみ、そして辛さを、静かに、しっとりと、心の襞に染み入りるような、
    灰色を思わせる静かな文体で綴った作品。

    最後の最後まで、読むものの心を揺さぶり、動揺させてしまう。そんな力を持っている小説。

    暗いながらも、奇妙なやさしさと、ほんのりとしたユーモアに彩られた、「La petite fille de Monsieur Linh 」に比べると、心の底に滓となり残るような暗さが漂う作品でしたが、この作品は、2003年にルノドー賞、Elle誌の読者賞を受賞し、フランスの書評雑誌Lire で、「2003年度の最優秀作品」に選ばれています。

    本レビューは、以前ブログ(http://lireenfete.blog27.fc2.com/blog-entry-298.html)にアップした、「Les Ames grise」のレビューを元にしています。邦訳は未読。

  • “バルザック風”と訳者に評された、本書の“細部の念入りな描写”にまず魅せられる。
    第一次世界大戦前後のフランスのとある小さな町。戦場にはならなかったが、砲弾の音と硝煙が届くほどには前線に近いその町のたたずまい。町にあふれる傷病兵の有様。ごくわずかしか登場しない人物でさえも、くっきりとした陰影をもって描かれた町およびV市の人々。
    下々(ほとんど全町民にあたる)から、診察代をとりたてることを良しとしない、情に篤い善意の人である医師のリュシー。語り手である“私”と秘密を共有したこの医師の、その性情故の悲惨な最期。人間の推し量り難さをみせてくれる“私”の幼馴染のジョゼフィーヌ。戦争神経症を病む町の教師、などが特に印象深い。そして何より、V市の検察官であり、町では「お城」と呼ばれる大邸宅に一人住むピエール=アンジュ・デスティナが。

    10歳の少女の殺害という<事件>と自らの人生が分かち難く絡み合ってしまった語り手が、なぜ20年もの間この問題にとらわれ続けたのか。この語りが、目を向けられずにいた自らの真実、そのたった一つのことを妻に語るがためであったことが明かされるラストは、哀しい。それにしてもなぜ20年なのか、ということを考える。子どもが成年に達するまでと、自らに課した縛りだったのかと、ふと思う。“生き延びてきただけ”とされた、それらの年月を思うともっと哀しい。

    断ち切られた愛がもたらす孤独、死が救済とも思えるほどの、誰とも分かち合えない孤独というものが、胸に食い込んでくる。

    ――Les Ames Grises by Philippe Claudel

  • 20世紀の初頭、フランスのある田舎町で、うつくしい少女が殺されます。彼女は一体誰に、そして何のために殺されたのか?
    物語はそこから始まりますが、決してミステリーのお話ではなく、 長い長い冬の中で、冷えた肌の中にこころを隠してしまったひとたちが、ゆっくりと見えない道を歩いていくようなお話でした。
    物語のキーパーソンとも言えるピエール=アンジュさんを、ノートルダムの鐘のフロロー判事で想像しながら読んでました。ちょっと顔が凶悪すぎるけれども…でもこの本で初めておじいさまと結婚したいという願望が生まれました。名前の通り、石のこころをもった天使でした。

  • 2003年から2004年にかけてフランス文学界に〈事件〉を巻き起こしたベストセラー小説。舞台は第一次大戦下の小さな町。冬の運河に浮かんだ10歳の美少女の死体から始まる「私」の物語は、あるいは時代をさかのぼり、あるいは後日談を明かしながら、さまざまな人間模様を綴ってゆく。謎解きは幾重にも絡み合い、読み出したら止まらない。この手記を書いている「私」とは誰か? パンクロック世代の作家が圧倒的な力量で書き上げた本作は、哀切きわまりないラストに向かってひた走る。

  • ミステリーでも一味違う。さすがみすず書房

  • 第一次大戦下のフランスの片田舎の小さな町で起こる連続殺人事件というトピックだが、王道の推理小説でもなく、むしろアンチミステリーといった趣だが、静かな語り手による物語の展開はいたって緩慢である。この小説の要は語り手にある。語り手「わたし」の、急くことのない正確な状況描写(わかることのみを語る)は、事件の因果関係を明るみに出していくのだが、どうにも不透明な町の空気がその謎を覆い続ける。この町の人々は、戦時下にありながら戦争に駆出される兵員もおらず、日々の生活をただ送っているだけである。ただ遠くにはつねに砲撃の音を聞き、それを冷徹に見守るこの町の住民の無関心ぶりが「不思議な静けさ」を醸しだす。殺人事件の不可解さはこの町の人々の心の在り処と密接に関わっているのである。大作とはいえないが、訳者の見事な翻訳ぶりが伺える。

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著者プロフィール

株式会社メディカルクリエイト

「2013年 『今すぐできる!問題解決型思考を身につける基本スキル』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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