思想としての〈共和国〉: 日本のデモクラシーのために

  • みすず書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (276ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622072218

作品紹介・あらすじ

"共和国"の思想を問うドゥブレの論考を導き手に、共和主義を論ずる地平より、議論を展開。迷走状態にある、現代日本の政治を撃つ、鋭敏な思考を提起する。

感想・レビュー・書評

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  • 共和国→フランス:国家が宗教から自由。理性主義。政治家が理想。公務員が重要。
    デモクラシー:宗教が国家から自由。実業家が理想。私人間の契約を旨とするため、法律家が重要。

  •  教育基本法が改正されて、その後教育現場は何も変わっていないというので、日々の安穏の生活に戻り、子どもを追いかけまわしているあなた。突然総理大臣が辞めてしまうこの美しい国に対してとりあえず何とかなるだろうという根拠のない信頼を置きながら不平不満を言っているあなた。自由と言われれば無条件にいいことだと思い、自由を少しでも抑制すれば管理だ、弾圧だと不平を唱えてしまうあなた。人間はみんな無条件に平等で人権は天から与えられたと思っているあなた。日の丸は嫌いだけど星条旗やトリコロール(フランスの三色旗)については敬意を表し、君が代は嫌いだけどゴッド・セイブ・ザ・クィーンやラ・マルセイエーズは無自覚に受け入れているあなた。日本の民族主義は嫌悪するのに在日外国人の民族主義には同調しちゃうあなた。そのくせワールドカップやオリンピックは日本選手団を応援してしまうあなた。もしくはそんなものは愛国心を助長するものだと言ってテレビを消してしまうあなた。この国と、この国に対する自分自身の責任について考えているかい?
     この国というのはもちろん日本国のことだ。天皇制国家でありながら帝国とか皇国を名乗らずに敢えて日本国と称している謙虚なこの国のことだ。少しは深刻に考えた方がいいと思う。なぜならばこの国は戦後六〇年を過ぎて戦後民主主義の制度疲労が末期的な症状を来たしているからだ。戦後民主主義が朽ちて滅ぶならば次に来るものは何か。それを考えるだけで恐ろしいから何とかしなくてはならないのだ。先にあげた「あなた」の症状はすべて戦後民主主義制度疲労症候群だ。その最大の症状は国家に対する無責任性だと言っていい。
     自国に対する無責任さは突然その食を放棄した首相のみならず、無原則にアメリカに追従していれば愛国者だと勘違いしている人びと、日本嫌い(反国家的)であれば進歩主義者だと勘違いしている人びと、選挙にも行かず、組合にも入らず、愚痴や不満も言わない人びと、そういう日本国民全体に蔓延している。このところ下がりっぱなしの投票率は国家と国民の乖離を端的に示している。
     私たちが自由とか、人権とかを主張するときそれは国家との関係においてどのように位置づけて語っているのだろうか。おそらく幼子が駄々をこねるように欲しい欲しいと叫んでいるに過ぎないのではないだろうか。そしてそのような駄々が説得力を持つ論理であるはずもないのだ。
     本書のタイトルは『思想としての〈共和国〉』だ。世界が近代化という時代転換をしたのは近代市民社会の成立による。そして、その近代市民社会がフランス革命によって生み出されたものであるということは世界史をちょっとかじった方には覚えがあるだろう(未履修の人はいざ知らず)。〈共和国〉というのはその近代市民社会の基本原理だと言えば理解してもらえるだろうか。トリコロールが示しているように基本原則は自由、平等、博愛だ。人権思想はここから生まれている。サブタイトルに「日本のデモクラシーのために」とあるのは日本社会ないしは日本国家のありように国家・社会の基本原理からものを言いたいという著者たちの願いが込められている。
     本書はフランス文学・思想の研究者である水林章氏らがフランスの思想家レジス・ドゥブレの一篇の論文に刺激を受け、その論文をたたき台に日本のデモクラシーを再考しようとしている挑発的な著作だ。冒頭にドゥブレの「あなたはデモクラットか、それとも共和主義者か」という問題の論文を載せている。次いでフランス研究の三浦信孝氏とドゥブレ氏の対談、更に水林氏の論文、そして憲法学の樋口陽一氏と三浦、水林氏の三人に「共和国の精神について」という鼎談でまとめられている。
     まずはドゥブレの「あなたはデモクラットか、それとも共和主義者か」という論文を読んでみよう。この論文は長いものではないし、水林氏によるていねいな訳注がついているので、理解しやすい。後の対談や論考はドゥブレ論文の応用問題だから、このドゥブレ論文だけを読むことで終わってもいい。それだけ意味深い論文だ。
     このドゥブレ論文は一九八九年に書かれたものでもう二〇年近く前の作品だ。しかし、今の日本の私たちにとっては新鮮であるし、それだけ私たちは自分たちの社会と国家についての思考をサボタージュしてきたかを思い知らされる。
     この年フランスではいわゆる「イスラム・スカーフ事件」というものが起こった。パリ郊外の公立中等学校で三人の女子生徒がイスラムのスカーフをかぶったまま教室に入ろうとしたのを校長が見咎め、スカーフを外すように指示したが、生徒らはこれを拒否して図書館で自習をしたという事件である。ドゥブレはまず読者に問いかける。さて校長の判断をどう思うか、と。
     たぶん、日本のお人好しの人権主義者たちは信教の自由だとか、表現の自由だとか、それが人権だとか言って女生徒たちの味方をするにちがいない。ほら、君もそうだろう。しかし、共和主義者であれば校長の判断を当然だと言うだろう、ドゥブレは言う。

     フランス革命は人間が神を克服して近代市民社会を作った。だから、市民たるべきものはその社会=国家の一員として責任を持つものなのだ。それが〈共和国〉の思想なのだ。だから市民としての権利があり、それを人権という。一方で、アメリカ的デモクラシー(水林氏はそれを民主主義とは訳さない。)は神によって予定調和的に作られた社会である。そのちがいを象徴しているのが

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著者プロフィール

1940年パリ生まれ。作家・思想家。1960年代にカストロのキューバ革命に共鳴、チェ・ゲバラとゲリラ活動に参加、『革命の中の革命』(晶文社 1967)を刊行、20代で神話的存在となる。70年代初めにフランスに帰国し、左翼連合に貢献。80年代にはミッテラン大統領の外交顧問をつとめ、代表的左翼知識人として活躍、数多くの小説・エッセイを発表する。その後ミッテランと袂を分かちメディア化する権力を批判、近年は宗教についての考察を深めている。著書に『メディオロジー宣言』(レジス・ドブレ著作選1、NTT出版 1999)、『一般メディオロジー講義』(レジス・ドブレ著作選3、NTT出版 2001)、『屈服しないこと』(ジャン・ジーグラーとの共著、《リキエスタ》の会 2001)、『娘と話す 国家のしくみってなに?』(現代企画室 2002)、『思想としての〈共和国〉[増補新版]』(樋口陽一・三浦信孝・水林章・水林彪との共著、みすず書房 2016)ほか。

「2016年 『思想としての〈共和国〉  [増補新版]』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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