アラブ、祈りとしての文学

著者 :
  • みすず書房
4.24
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本棚登録 : 154
感想 : 23
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  • Amazon.co.jp ・本 (319ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622074236

作品紹介・あらすじ

小説を読むことは他者の生を自らの経験として生きることだ。絶望的な情況におかれた人々の尊厳を想い、非在の贖いとしての共同性を希求する新たな批評の到来。

感想・レビュー・書評

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  • なぜ私は小説を読むのか?結果的に知識が身に付くことがあるとしてもそれが目的ではない。娯楽を求めて、というのはある。けれど娯楽の為だけにこれほど身を窶しはしない。なにやら得体の知れぬ渇望によるとしか言いようがない。それは何なのか。答えの糸口を見出した思いでいま奮えている。アラブ文学を土台としているが、ネイションを超えた全ての文学に通ずる導きだ。例え文学が直截的に無力だろうとも、我々読者の意識を、世界の見え方を変えてくれる。それは祈りとなり、我々は世界と関わって生きている。この祈りが無意味であろうはずはない。

    文学を嗜む全ての人に読んでほしい、と切に願う。

  • 勝手に『ガザに地下鉄が走る日』のようなものかと思っていたが、こちらはアラブ文学の紹介を通した諸々でした。全然邦訳されてない/絶版になっているのに、取り上げられている話が面白そうすぎて、読みたさが募る一方笑

    いくつか平たく言うと唸った視点があった。
    一つ目は、「ホロコーストを体験したユダヤ人がなぜパレスチナ人に同じことを繰り返すのか、という問いをよく聞く」という段。まさに『ガザに地下鉄が走る日』を読んだあとに私自身もその問いを持っていた。
    …ホロコーストはそれを体験した人間たちに何を教えたのか?ホロコーストという出来事とは、実は人間とは他者の命全般に対して限りなく無関心である、という身も蓋もない事実を、言い換えれば「人間の命の大切さ」などという普遍的な命題がいかにおためごかしかということを否定しがたいまでに証明してしまった出来事ではなのだろうか。それはかつて起こったのだから、また起こるかもしれない。人間にとって他者の命などどうでもよいのだから。そのことをとりかえしのつかない形で体験してしまった者たちにとって、同じことが二度と繰り返されないためには、人間の命の大切さなどという普遍的命題をおめでたく信じることではなく、それがいかに虚構であるかを肝に銘じることのほうがはるかに現実的と思われたとしてなんの不思議があろう。…彼らのシニシズムは、彼らの振る舞いが、ホロコーストを経験したユダヤ人「にもかかわらず」ではなく、むしろホロコーストを経験したユダヤ人「だからこそ」なのだということを物語っているように思えてならない。(p.29-31)

    目から鱗というか、なるほどたしかにそういう見方はあるなと思った。とはいえ多くの経験者の子らはこの理論を正当化に使ってはならないと思うが。

    なるほどその2は、イメージについて。
    …世界から忘れ去られ、苦難に喘ぐ人々がもっとも必要としているもの、言い換えるならば、世界に自らの存在を書き込み、苦難から解放されるために致命的に必要とされるもの、それは「イメージ」である。他者に対する私たちの人間的共感は、他者への想像力によって可能になるが、その私たちの想像力を可能にするのが「イメージ」であるからだ。逆に言えば、「イメージ」が決定的に存在しないということは、想像を働かせるよすがもないということだ。(p55)

    まさにそうで、パレスチナの表象は数もないがゆえに、あまりに遠い。逆にイメージを流布させた方が勝ちみたいなこともあり、あまりに不利。

    そしてタイトル、最初の問いへの答えに帰着する
    …では、祈ることが無力であるなら、祈ることは無意味なのか、私たちは祈ることをやめてよいのか。しかし、いま、まさに死んでゆく者に対して、その手を握ることさえ叶わないとき、あるいは、すでに死者となった者たち、そのとりかえしのつかなさに対して、私たちになお、できることがあるとすれば、それは、祈ることではないのだろうか。だとすれば、小説とはまさに祈りなのだ、死者のための。人が死んでなお、その死者のために祈ることに「救い」の意味があるのだとしたら、小説が書かれ、読まれることの意味もまた、そのようなものではないか。(p301)

    このような日々で、自分の無力さにやるせない気持ちが生れることもあるが、私はまずは本を読むことを通じて、連帯を示しているのだと赦されたような気がした。

    …とはいえ小説は、その本質において反国家的なものである。私たち自身がいかなるネイションに属そうと、小説を読むことで作動する人間の想像力は、人間的共感を「われわれと同じネイション」のあいだだけにとどめて他者の人間性を否定するイデオロギーと、根源的に対立せざるをえないからである。だから、小説を読む者たちは潜在的に非国民である。(p306)

  • 大学入試の小論文で「文学は戦争の対義語たりえるか」という題で出てとても感銘を受けた。爾来、自分が将来やりたいことを考えるたびにそれって果たして世の中にとって意味あるものなのか、という視点を考えるようになったし、広い世界を見ようといろんな国をバックパックするようになった、1つのきっかけになった文章です。

  • ナクバの悲劇。小説の背景にある悲劇。暴漢に殺される幼児には反応するが、冬を越せず命を落とす無数の路上者には無関心である。

  • 岡先生の授業を追体験するかのような本。ミクロの作家個人や、登場人物一人ひとりへの関心や理解が鮮やかだからこそ描ける全体像の切実さと危機感を思い出す。抑制的な装丁と裏腹に、アラブ地域の悲劇への無関心への警鐘を鳴らす本。

  • 文学

  • 嘘と創造の紙一重 140811

    小説が嘘によるつくり話なのか
    創造による美意識なのか
    それは個人的な倫理観を背景にしているかいないかに
    関わっている

    もしそれが社会的な価値観である道徳や権利欲によるものならば
    洗脳を手段とする暴力の嘘と秘密を持つつくり話である
    その意味でも社会性の強いプロは嘘つきだし
    個人的な倫理観に基づくアマチュアに嘘はないといえるだろう

    趣味性の大きなモノほど
    奥が深く幅広く追求できる可能性を秘めている

    詩は元々ドキュメント性が強く
    さほどの嘘を必要としないから
    その多くが職業性に乏しい
    それでもスマートで簡潔で洗脳力があるから
    詐欺するために詩の形だけを使って貪欲な依存社会に利用される

    「小説はその虚構ゆえに真実を描きうる」と作者は言う

  • 色々作品が紹介されていて、面白そうなんだけど、入手が難しいものが多くて残念。アラベスクスを読んでみたい。ナクバという単語は覚えておこうと思った。

  •  中東の地域では長く戦火が絶えず、悲劇は今も繰り返されている。著者は、そうしたアラブ圏の現代小説を研究する文学者だ。
     本書で作品が紹介されるパレスチナ、ヨルダン、エジプトなどでは政治的・宗教的制約が多く、表現の自由は保障されていない。そのため、小説の真のテーマは何層にも折りたたまれ、活字の下に潜むことになる。その、目には見えない作家の意図をていねいに、そして論理的に著者はたぐり寄せていくのだが、その手つきが持つ崇高とも言える共感力が、本書を単なる文学案内から遠く隔てている。
     著者は本書の冒頭で、罪のない人々が遠い地で虐殺されているときに、文学に何ができるのかと自らに問う。答えは出ないが、ジャーナリズムでは伝えられないことがこの世界にはあり、だからこそ文学が与えられたのだと、本書は著者を超えて発信しているように思える。
     震災後、著者と同じ思いを抱いた人は多いだろう。本書はそうしたすべての思いへの応答だ。

  • 文学論と、アラブ諸国。
    どちらも普段そこまで掘り進めて読んだり考えたりすることではなかった。
    そんな自分にとっても、この本で描かれるそれらは心にくるものがあった。

    非常に情緒的に、詩的に、書かれているので、読み方としては一気に通読するよりも少しずつ噛み締めるように読んだほうが良かったのかもしれない。しかし一気に読んでしまっても、それはそれでこの本の良さが味わえると思う。

    思うに、問題関心を先ず持つためにはある程度情緒的な文章が入り口として効果的なのだろう。この本で描かれているような社会情勢について、この知識だけをもって弾劾したりするつもりはさらさらない。僕はよく知らないことが多すぎるし、その場合は口をつぐむしか無い。

    でも少なくとも、これらの領域に関心をもったことは確かだ。そしてそれは紛れもなく一つの文学的な力なのだと思う。

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著者プロフィール

京都大学大学院人間・環境学研究科教授
専攻:現代アラブ文学、パレスチナ問題研究
主な著作:『彼女の「正しい」名前とは何か――第三世界フェミニズムの思想』(新装版、青土社、2019年)、『ガザに地下鉄が走る日』(みすず書房、2018年)、『アラブ、祈りとしての文学』(みすず書房、2008年)、『棗椰子の木陰で――第三世界フェミニズムと文学の力』(青土社、2006年)、『記憶/物語』(岩波書店、2000年)。

「2023年 『記憶と記録にみる女性たちと百年』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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