狩猟サバイバル

著者 :
  • みすず書房
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本棚登録 : 137
感想 : 22
  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622075004

作品紹介・あらすじ

「サバイバル登山を通して感じる存在感とは、自分が間違いなく地球の生き物の一種類だと実感する喜びのようなものだ」。自分が食べるものは自分で殺す。ケモノとおなじこの地球の生命体として、自然の掟を前によりフェアに生きるために。著者独自のサバイバル思想と行動につらぬかれた、前代未聞の山岳ノンフィクション。

感想・レビュー・書評

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  • 情景が浮かび楽しく読める

  • 服部文祥さんのサバイバル登山本。
    コンロとかテント持たずに、山で獲れた(採れた)ものだけ食べて山行する。
    ロマンあるし、狩猟興味あるなあ。
    本読んでるだけでなくて、体験しないとね。

  • 2020/04/26

  • 行動の裏付けがあるから説得力を持つというのは否定できまいと思う。

  • 『狩猟サバイバル』は山行中の食料調達を銃による鹿狩りで賄う記録だ。
    夏のサバイバル登山では渓流で岩魚を釣り上げ山行を続けていたが、冬季は岩魚釣りができないので、銃による狩猟を食料調達手段に選んでいる。
    しかし、1週間の山行で鹿を2頭仕留めて携行食料にする思考に付いていけない。自然の中での自身の在り方、狩猟にたどり着いた必然性が書かれており、狩猟についての考え方は理解できるが、1週間の山行で鹿2頭を狩る必然性が理解できない。

    また、山行記の中でしつこいくらいにサバイバル登山とは何か、を主張され、目について仕方ない。こだわりの押し売りのようになっている。著者の初めての登山記、『サバイバル登山家』では、新しい登山の形を見つけ出したキラキラした興奮が読み手に伝わってきていたが、本著ではそれはなくなっている。

    サバイバル登山のスタイルが評価を受けたため、自分自身の中にできた何かを守るために必死で言葉を塗り重ねている印象で、痛々しささえ漂う。

  • 「どちらにせよ、登録費用に加えて、弾代に約1万円、交通費その他の経費などを加算していくとひとシーズンで少なくとも10万円弱の費用がかかることになる。豚肉一〇〇グラム三〇〇円とすれば、三〇キロ強の、一〇〇グラム一〇〇円とすれば一〇〇キロ近くの肉を毎年狩猟経費で買うことができるわけだ。一人の日本人の年間平均肉消費量は四〇キロ弱だという。一日に直すと一〇〇グラム。運よく大物のイノシシを一人で仕留めることができれば、数十キロの肉が手にはいり、元は取れる計算になるが、大イノシシを毎年一人で仕留めるというのは狩猟者としてはかなりのレベルが必要だ。犬や罠などの特殊装備はもちろん、猟場に密着した地域性、ケモノを追って山を走ったり、仕留めた獲物を下ろして解体し、食肉に仕上げる労力もいる。すべてを考えあわせて、肉を得ることだけを考えるなら、もちろん経費分の肉を買ったほうが効率的だ」p.124

    基本的に現代の狩猟は経済システムからは取り残された営為だ。コストもかかるし、安定生産できないので食糧を得る手段としてはリスクが大きい。簡易の職業訓練などでは到底得ることのできない熟練した技能も必要。だから現代の狩猟は食肉を得るためではなく、主に獣害対策の駆除業務として成立する。

    ではなぜ、著者があえて狩猟をするのかというと、工業的に生産される食肉生産によってカロリー/たんぱく質を補充されるシステムへの懐疑と、野生性が削がれていく自分への焦りから。

    その心性は基本的に誰もが持っているものだとは思うが、「鉄砲と米だけ持って山に入り数週間帰ってこない」というような突き抜けのある無鉄砲さ(鉄砲あるけど)は服部文祥ならではで、本作もぐいぐい読ませる。

    一方で「ぼくは猟師になった」「けもの道の歩き方」の著者、千松伸也と服部文祥。同じ時代に狩猟を通して問題提起を行う二人だが、ふたを開けるとアプローチが全然違うのだな、と思った。

    千松さんの方はそもそも動物が好きで、どうせ食うなら自分で手を下したいと思って狩猟を始めるなかで、現代の日本で狩猟を行うことの壁に突き当たって、思考を深めてきたように見える。

    一方服部さんは、完全に「自分の限界」を確かめるために野生動物と相対している。向かっている先はもちろん自然なのだけれども、求めているのは狩猟によってはじめて見出される“他者の命をいただいて生きることを意識する”自分の写像だろう。思考のベクトルが最終的に内に向かっている。

    「私は体験を通してしか、生きることも殺すことも理解できない。それゆえ山に登り、ケモノを撃つ。鹿が死体になって目の前に転がっている事実から、その下手人である自分を強く意識する。私は鹿を殺すことで、自分の存在を確かめているのだ」p.264

    手法もそれぞれ罠猟/銃猟とで異なっているし、千松さんの場合には狩猟は生活の一部になっているが、服部さんにとっての狩猟はテキストにすることを前提にした「チャレンジングな非日常の行為」として描かれている。

    どちらがいい悪いの話ではないけれど、千松さんの本にはより現代社会を「生きる」ことについて考えるヒントがありそうで、服部さんの本にはエンタメ性とぐいぐい読ませる力強さがあって、どちらもおもしろい。個人的には前者に共感するところが大きい。

  • 会社員であり、登山家であり、鉄砲猟師になった著者の経験と想いを綴った本書。今日私たちは、つい昨日まで生きていた豚や牛や鶏を食べているのに、それが”肉”になる過程はどこか違う世界の事のように感じているのではないでしょうか?森の中で自給自足の生活をする彼は、自然の中の一部として、食物連鎖の一員として、「生きる」という事を強く体感しています。飽食の時代、私たちはこの世の全ての食材に感謝をこめて「いただきます(命を)」と言わなければいけないと痛感させてくれる。

  • 狩猟の場面は息づかいが聞こえてきそう。独特の緊張感があります。

    それはさておき、登山する方にとっては、冬季の間ノ岳アタックがかなり面白いですよ。

    雪山シーズンを前にして、雪山の静寂が待ちきれなくなりました。

  • 狩猟にいちいち必要以上の深謀遠慮を見せていて、多少内側で知っている者としては、お箸が転がっても笑ってますなとしか

  • 文章が著者本人の心情吐露と狩猟に対する技術が説明的になりすぎなのが難。書かれている主題には興味も共感も持てるのだが…結局は本も人との相性と似たようなものなのかと思う。個人的には先だって読んだ『山賊ダイアリー』の方が好きだ。同世代の人間として狩猟への入り口、生育環境や幼少期の体験がどのくらい影響するのか気になるところだ。釣りはともかくとして、最初から大型の獲物を狙っているところに無理を感じる。頑張り過ぎず身の丈にあった狩猟こそ生きる道であり生かされる道だと思う

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著者プロフィール

1969年生まれ。登山家、作家。世界第二の高峰K2などに登頂したのち食糧を現地調達する「サバイバル登山」を開始。著書に『サバイバル登山家』『狩猟サバイバル』『サバイバル登山入門』『息子と狩猟に』など。

「2022年 『お金に頼らず 生きたい君へ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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