- 本 ・本 (232ページ)
- / ISBN・EAN: 9784622075011
感想・レビュー・書評
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信頼している読友さんが絶賛していたので気になっていた本だが、思った以上の面白さだった。現代詩作家が週刊誌や新聞に掲載したエッセイをまとめた本なのだが、日常や言葉の切り取り方が本当に絶妙で、僕らにも見えているはずなのに、気づいていなかった情景が見事に照らしだされている。ここには、言葉の豊かさが生きる事の豊かさとしっかりと結びついた生活があって、ゆるがない。日本文学史への達見があると思えば、プロ野球やテレビ番組の話もする。いずれも自然体で、嘘がない。ことばがまっすぐ綺麗な姿勢でと立っている、そんな本だと思う。
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「詩とは個人の言語であり、散文とは社会の言語である」
P9 散文がつくる世界
日本で見かける文章の、九九%は、散文である。
P18 山本有三の「半分」
P23 書いたまま
…文芸誌の現在の編集者の多くは「国語教育」という小さな世界から、ぬけだせない。才能のある新人たちの小説の文章やことばに意見をいい、いいところを生かすのではなくて、実はいいところを消すよう、変えるようにいう。それだけが仕事らしい。…「書いたまま」、そっくりそのままを読みたい。
P40
…人は、なまけものだから、文章が目の前にないと、何も考えない。文章があると、その文章を支えに、ものを考える。…
P80 小熊秀雄
…これで終わりなのだ。十分なものだったから。十分であるということは、それで終わりだということなのだ。聞く人が終わりなのだ。
P141 労働文学
「労働文学」のたどる道は平坦ではなかったが、プロレタリア文学の礎となった。自分をすなおに表現した。いまこうして働くことが、ことばを生む。文学を生み出す。働く場こそ人間のたしかな場所なのだと。それは働く人たちに勇気を与えた。地域の現実や、多様な労働形態が示されるという意味でも貴重だ。
P169 実学としての読書
本を読む人が少なくなった。本らしい本を読む人の姿が見えない。
どうして読書が必要か。若い世代の人たちに、それを教えなくてはならない。そう感じるおとなも「読書不在」の時代のなかで、ことばが見つからない。うまく説明できない。おとなも、本を読まなくなったからだ。実用的な本は話題になるが、教養とつながるもの、思考力をためす書物は、遠ざけられる。会社に入るときも、入ってからも、書物への意見を求められることはない。時代に合わせ、あたりさわりのない話をして過ごす。それで十分生きていける時代なのだろう。 -
頭が下がるというか、所々でグサッと来る。
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久しぶりに荒川エキスを注入したくなったので。この人はどこまでも文学に優しく、どこまでも文学に熱いから、好きだ。ちょいちょいいいこと言うところもまたいい。(10/7/5)
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「人間の精神を育て、人間のために力をふるう文学は、実学なのだ。」
文学の楽しさを、伝えてくれます。 -
中で紹介されていた「楽しみ」という詩があり(高見順)
いいなぁこれはすごいいいぞうと思って思わずそのページのコピーをとってしまった。
眼で指を覆い
指の間から外を見る
楽しみ
涙の間から
ものをぼやけさせて見る
楽しみ
つらくても生きていける
生きてけることを そっとたしかめる
楽しみ
高見順
こういう掲載っていけないんだろうか。
こじんてきにたのしむ範囲なのでおゆるしを、、 -
荒川さんの考え方を学ばしてもらった。
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つらくても生きている。生きていることをそっとたしかめる楽しみ。
すべては遠い。いつもいつも人間は社会の中にいるわけではない。こうして社会から遠いところにいることもある。生きるための自分の光を、こんなことひとつで、取り戻すこともできる。
そもそも人の話を聞くことは苦痛なことなのだ。できることならば人の話は聞きたくない。
本を読む人が少なくなった。実用的な本は話題になるが、教養とつながるもの、思考力を試す書物は遠ざけられる。
経済、法律、医学だけを十社会で役立つ実学だと思っている人がとても多いが、はたしてそうか。人間の精神を育て、人間のために力を振るう文学は実学なのだ。人間の社会が不幸な方向に向かっているとしたら文学は役立たないものと決めつける考えを改めなくてはならない。文学だけでない。思想も哲学も歴史も同じ。本を四マナ人が増えるとそんな話題も切り捨てられる。読書をしないのは、他人への興味がなくなったからだと思う。 -
詩人としての荒川さんの作品は、まだ読んだことがない。読書に関するエッセイだけは、なぜか読んでいる。
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荒川さんの詩集、どこにやったっけ?!
著者プロフィール
荒川洋治の作品





