- Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
- / ISBN・EAN: 9784622075929
作品紹介・あらすじ
貧困・難民問題など、社会的につくられる苦しみの可視化されない実相をいかに掘り起こすか。P・ファーマー、A・クラインマンらによる精選論集。
感想・レビュー・書評
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個人の事にフォーカスせず苦しみを社会的に切り込んでいく論文の集まり。
社会によって苦しめられている人達がいる。そのしゃかきにあなたはいるから責任がある。赤の他人であっても。というのが本書のテーマ。
論文の集まりなので頭に入ってきやすいものと難しいものに分かれた。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
3.53/136
『貧困・難民問題など、社会的につくられる苦しみをグローバルに捉える際、統計の網にかからない実相を捨象するのはあまりにたやすい。数値化の威力ばかりが叫ばれる時代にこそ、「質的な」側面へのアプローチが切実に求められる。
収録の論考は、ハイチにエイズを蔓延させる社会構造(ファーマー論文)、移民が民族と国家を失うプロセス(ダニエル論文)など、社会的につくられる苦しみについての当事者自身による「表現」を掘り起こしつつ、同時にそれをグローバルな視座から位置づけている。「ケヴィン・カーターの写真と同じように「他者の苦しみへの責任」は何らかの形で可視化されなければならない。商品になってしまうことも承知の上で、より強く訴える表現手段を用意しなければならない。この論集もそういう意図から編まれたものだ。」(「解説」より)
特に注目してほしいのは、社会的な苦しみにも「トリアージ」が必要だという、最貧困層の人々の支援を視野に入れたP・ファーマーによる訴えである。本書中でも苦しみに統一的基準を持ち込むことへの懸念を語るクラインマンらの見解との間に緊張が生じており、社会的苦しみをめぐる議論の焦点であることが見てとれる。この問題への定見をもつためにも本書は必読といえるだろう。』
(「みすず書房」サイトより)
原書名:『SOCIAL SUFFERING』
著者:A・クラインマン, J・クラインマン, V・ダス, P・ファーマー, M・ロック , E・V・ダニエル, T・アサド
訳者:坂川 雅子
出版社 : みすず書房
単行本 : 304ページ
発売日 : 2011/3/23 -
『他者の苦しみへの責任――ソーシャル・サファリングを知る』
原題:SOCIAL SUFFERING (1997)
著者:アーサー・クラインマン
著者:ジョーン・クラインマン
著者:ヴィーナ・ダス
著者:ポール・ファーマー
著者:マーガレット・ロック
著者:E・ヴァレンタイン・ダニエル
著者:タラル・アサド
訳者:坂川雅子
解説:池澤夏樹
【書誌情報】
四六判 タテ188mm×ヨコ128mm/304頁
定価 3,672円(本体3,400円)
ISBN 978-4-622-07592-9 C0036
2011年3月22日発行
貧困・難民問題など、社会的につくられる苦しみをグローバルに捉える際、統計の網にかからない実相を捨象するのはあまりにたやすい。数値化の威力ばかりが叫ばれる時代にこそ、「質的な」側面へのアプローチが切実に求められる。
収録の論考は、ハイチにエイズを蔓延させる社会構造(ファーマー論文)、移民が民族と国家を失うプロセス(ダニエル論文)など、社会的につくられる苦しみについての当事者自身による「表現」を掘り起こしつつ、同時にそれをグローバルな視座から位置づけている。「ケヴィン・カーターの写真と同じように「他者の苦しみへの責任」は何らかの形で可視化されなければならない。商品になってしまうことも承知の上で、より強く訴える表現手段を用意しなければならない。この論集もそういう意図から編まれたものだ。」(「解説」より)
特に注目してほしいのは、社会的な苦しみにも「トリアージ」が必要だという、最貧困層の人々の支援を視野に入れたP・ファーマーによる訴えである。本書中でも苦しみに統一的基準を持ち込むことへの懸念を語るクラインマンらの見解との間に緊張が生じており、社会的苦しみをめぐる議論の焦点であることが見てとれる。この問題への定見をもつためにも本書は必読といえるだろう。
〈http://www.msz.co.jp/book/detail/07592.html〉
【目次】
序論(アーサー・クラインマン/ヴィーナ・ダス/マーガレット・ロック)
●遠くの苦しみへの接近とメディア●
苦しむ人々・衝撃的な映像――現代における苦しみの文化的流用(アーサー・クラインマン/ジョーン・クラインマン)
●声なき者の表現を掘り起こす/インド・パキスタン●
言語と身体――痛みの表現におけるそれぞれの働き(ヴィーナ・ダス)
●トリアージの必要を問う「極度の」苦しみ/ハイチ●
人々の「苦しみ」と構造的暴力――底辺から見えるもの(ポール・ファーマー)
●医療テクノロジーと人権/日本●
「苦しみ」の転換――北米と日本における死の再構築(マーガレット・ロック)
●移民の苦しみのありか/スリランカ・英国●
悩める国家、疎外される人々(E・ヴァレンタイン・ダニエル)
●抑圧装置の解体●
拷問――非人間的・屈辱的な残虐行為(タラル・アサド)
解説(池澤夏樹)
訳者あとがき
原著の収録論文
執筆者略歴 -
他者の苦しみを本当に理解することは可能なのか、というテーマのもと、構造的貧困、構造的暴力、構造的苦しみについての6つの論文が収録された本。ひとえに貧困といっても、そこには経済的・文化的・人種的・階級的・宗教的…さまざまな問題があって……読んでて眉間のシワが深くなってくる。2011出版で古い上、あんまり書店に置いてなさそうな本ですが考えさせられる本。悲観的にならなくてもいいけど、なんだろ、物事に対する自分のスタンスとか考え方を再考させられる…みたいな…。
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苦しみを個人的なものではなく社会的な構造の中で捉えることが大切であることが述べられている。
他人の苦しみを感じるということの背後には、文化的な壁、メディアを介することによって生じる変容などがある。
また、苦しみにも、肉体的なものや物理的なものだけでなく、構造的に作り出され隠蔽されるものもある。それらはより多くの人を苦しめている場合であっても、表面化することが少なく、また、捉えること、理解することが難しい。
これらの要因から、苦しみを定義し、計量し、政策的に軽減していくといったことには非常な困難が伴う。本書においても、苦しみの計量に対して否定的な見解もあるが、一方で、その構造を捉え、本質的な働きを把握することで、どの苦しみを取り除くことに限られた資源を投入すべきかを考えていく必要性を訴えている見解もある。
苦しみを解消し、その傷を癒すためには、個別のケアによるところと政策的なアプローチの両面が必要と思われるが、本書が扱っているような幅広い観点から「他者の苦しみ」を捉えることは、大切なことであると感じた。 -
久しぶりにイッキ読みしました。
とても面白かったです。
図書館で借りていたので、さっそく購入し蔵書の一部とします -
ソーシャルメディアでは、他者の苦しみに同情したり拡散したりというのをよく見る。新聞だって、概ねそんな記事ばかり。知っている人ならいざしらず、知らない人の苦しみに怒ったり責任を感じたり、僕はなかなかできない。そんなだとまずいのかな、と反省しつつ、できっこないとも思っていた。複数の視点・事例からの他者の苦しみの論文集なのだけど、やはり責任を持つのではなく、従来の思いを強めて、結論を出さずにもやもやし続けるのだなあと嫌になった。でもきちんと嫌になれてよかった。
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本書の原題は『ソーシャル・サファリング』で、直訳すると<社会的苦しみ>となる。これは、社会の構造と力によって苦しみを受けている人(たとえばスーダンの飢饉や、スリランカなどでの人種差別)に対して、その社会に属している側の我われには、一律に責任があるという考え方だ。本書には、そうした苦しみに異なる観点から取り組む、5つの論考が収められている。
スーダンやスリランカから、距離的にも心理的にも遠く離れている我われが、彼ら (の苦しみ)に対して責任があるというのは、飛躍した考え方だと思うかもしれない。彼らにできることなどないと思うかもしれない。我われだって、手の届く範囲の平和を守ることで手一杯だ。けれども、5つの論考のうちの1つは、日本が舞台なのだ。
我われは今、見ず知らずの多くの人たちから手を差し伸べられている。その返礼のためにも、見ず知らずの人たちの苦しみに気づく力が必要とされている。 -
必読の書と呼ばれる所以が、私には非常に理解できた。
人間なら生きているときにここに書かれているいろんな場面に頭を抱えることもある。
必読の書ではあるが、机上のことだけにとどまって欲しくないと著者も思うことだろう。共感とは言葉では簡単だが、実際にそこまで達せられて(もしくは自分に引き寄せてこそ)やっと踏み入れられることもある。