- Amazon.co.jp ・本 (144ページ)
- / ISBN・EAN: 9784622076148
感想・レビュー・書評
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中井久夫『災害がほんとうに襲った時』のなかにある印象的な言葉。
「災害においては柔らかい頭はますます柔らかく、硬い頭はますます硬くなることが一般法則なのであろう」詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
出版の時期はよかった。あとは特に…
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かつて「神戸」で、被災者からぜひとお菓子や果物を差し出された医者がいた。避難所で物が余っていたわけではない。全財産をなくしても、感謝の気持ちを表したかったから。
阪神淡路大震災の救護に関わった精神科医は、当時、躁状態の中で記録を残した。そこで何が起こり、何が必要だったか。今回の大震災に寄せて、新たに四分の一ほどの頁を書き足した。
まずは、被災者の傍にいること。彼らの恐怖と不安と喪失の悲哀とを、安心な空気で包むのだ。花がいちばん喜ばれる、という話もある。そして救護者への救護。著者も、「神戸」の十日後からおぞましい夢を見、四十日後には二十四時間眠った。救援が成功したように思える時期に、明らかになる問題もある。被災者にとって食料や水や燃料の不足はいっときのこと。不足が解消した時に、いかに外とつながり、生活を再建するかという課題がようやく見えてくるのだ。
(週刊朝日 2011/6/11 西條博子) -
ボランティアから帰ってきて、いまいち地に足がつかない自分に生気を吹きこんでくれた本。
阪神大震災を経験した精神科医の当時の手記。
加えて今回の震災を受けて書き下ろした文章を収録。
『昨日のごとく』を読みたかったが絶版だったため、同じ文章が納められているこちらから読んでみた。
臨場感と筆者の観察力がすごいですね。
記録としても重要な本ではないでしょうか。 -
東日本大震災からまもなく五十日を迎えようとしている。第一次世界大戦の時の記録によると、戦争のプロでも四〇~五〇日たつと、戦闘消耗と呼ばれる状況に陥り、武器を投げ捨てて、わざと弾に当たろうとするような行動に出るものが現れたという。そろそろ新たなステージに入るべき時が、来ているのかもしれない。
本書は阪神淡路大震災の時に神戸大学で精神科医を務めていた中井 久夫氏による五十日間の記録がベースである。ことは今回の震災の際、ノンフィクションライター最相 葉月さんが自宅にて落下してきた本の中に『1995年1月・神戸』を見つけ、著者にネット上での全文公開を要請したことに端を発した。そこに、今回の震災の記録を追記して生まれた一冊が、本書である。
◆本書の目次
東日本巨大災害のテレビをみつつ 2011年3月11日ー3月28日
災害がほんとうに襲った時 付・私の日程表 1995年1月17日ー3月2日
二つの記録は、一つは被災に対しての外部としての立場、もう一つは内部としての立場である。しかし、いずれの立場においても共通しているのは、著者による俯瞰の目線であり、背景を観察する能力である。著者自身、被災後に病院へ出向きすぐに行ったことは、医局の整理、電話番、ルートマップの作成だった。そして、その後も、隙間を埋めること、盲点に気づくこと、連絡のつくところにいることの三点にに徹し、自身の役割を「隙間産業」と定義したそうである。だからこそ、次の災害にも活かされるアーカイヴを残すことができたのであろう。
このような視点は、著者が精神科医であることによるものが大きいのではないかと感じる。目に見える患者の症状そのものに着目するのではなく、その背景にある要因や環境を観察しなければ、真の解決は望めない。被災という悲惨な現状に直面しても、その視点は同様である。神戸という街や、日本そのものが持つ精神を踏まえて行った数々の指摘には、ハッとさせられるものが実に多い。
その一つに「デブリーフィング」というものが挙げられている。ブリーフィングが任務内容説明であるのに対し、デブリ―フィングとはその解除のことである。これを解除宣言として行うのではなく、緊張をほどいてゆき、心理的に肯定し、達成を認めるという儀式が必要なのである。重要な任務についた人たちに、デブリーフィングを行わずに家に返すと、不和の原因になりかねないそうだ。
本書が最も読まれるべきなのは、今回の震災において外部でも内部でもなかった、首都圏に住むような人たちではないだろうか。直接的に被災を受けているわけではなく、どこか申し訳なく思いながら、さまざまな不安やストレスを抱えている人も多い。そういった人たちこそが、お互いをデブリーフィングしあう必要があるのではないだろうか。本当の戦いは、これからである。