これが見納め―― 絶滅危惧の生きものたち、最後の光景

制作 : リチャード・ドーキンス  安原 和見 
  • みすず書房
4.36
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本棚登録 : 253
レビュー : 36
  • Amazon.co.jp ・本 (360ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622076162

作品紹介・あらすじ

絶滅危惧種をとりまく状況は最初から、身もふたもなく絶望的。D・アダムスの名作ノンフィクション。序文はリチャード・ドーキンス。

感想・レビュー・書評

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  • ユーモアSF作家ダグラス・アダムスがラジオ番組のために、動物学者のマーク・カーワディンとともに絶滅動物を訪ねに行った体験記。
    序文は「利己的な遺伝子」のリチャード・ドーキンス。ドーキンスの「利己的な遺伝子」では「自然選択の実質的な単位が遺伝子であり、生物は遺伝子によって利用される"乗り物"に過ぎない」などと言う表現からもっとクールで客観的視点の持ち主かと思っていたが、49歳で亡くなったダグラス・アダムスへの慕情に溢れていて実に良い序文。この序文だけでダグラス・アダムスを好きになってしまう。(あ、私ダグラス・アダムスはこれで初めて知りました)

    もちろんダグラス・アダムスの本文も素晴らしい、皮肉さはあっても嫌らしさのない文面、愛情のあるユーモラスな目線、動物たちとの距離感、環境や動植物への乱獲に対する罪悪感とでも生きるためにはそれを自主解決していく思考。そして動物の進化や、自分の感情の動きをSF作家として考えてみる。この思考遊びを聞く(読む)のがまた楽しい。
    動物たちの記述も素晴らしく、とくに対象の動物と出会ったとき描写ときたら引き込まれずにはいられません。

    旅の様子もとにかく楽しい。
    「ほかの乗客から聞いたところでは、フロレス島にはぜんぶ合わせてトラックが三台しかないという話だったが、町に向かう途中の道でそのうちの六台に出くわした」(P36)とか言われて読者が「え?」ってなったりするんだが、島ののんびりさいい加減さに放り込まれた欧米人の戸惑いと開き直りが感じられます。

    さらに写真についている「一言」も楽しめる。
    足を泥沼に突っ込んでいる動物学者の写真に対して虫歯の次に世界で最も多い病気(※貝からの感染症)に見事感染する方法を実演している」。
    保護のため厳重なフェンスに守られている樹木を「強制収容所に入れられた世界で唯一のコーヒーの木」などと。
    そんなユーモラスな説明の中に、原住民の女性の写真が出て「彼女の息子はオオトカゲに食い殺された」などとあるのでドキッとするのですが。

    ダグラス・アダムスと、動物学者のマーク・カーワディンの掛け合いもまた楽しい。なんというか凹凹コンビ。
    まさにすべてのページで笑ったり、唸ったり、うなずいたり、突っ込んだりしながら読みました。

    さて、私がこちらにレビューを残すのは、あとになってその本を読んだ時の感覚を思い出したいからでして、この本は実に実におもしろく、読んだ時の感覚をまた反芻したい…ので以下だらだらと私が感じとったことを書いてゆきます。あくまでも「私がこう感じた」のであり、その通りに書かれているわけではありません。

    アイアイ:
    マダカスカル島のアイアイは、キツネザルの一種。彼らが苦手なのはサル。キツネザルと祖先は同じだが、サルは頭がよく体にも大きく容赦なくキツネザルの生息地を奪って行った。サルは…人間は結局世界を乗っ取ったんだ。
    そんななかでもアイアイがまだ生息しているマダカスカル、そこでわたしは見たんだ…アイアイを!
    その時は気絶しそうになった、なぜかと考えれば、私がサルだからだ。サルがキツネザルを見た瞬間だったんだ。

    コモドオオトカゲ:
    コモドオオトカゲは人間を食う。バリの現地民の足を引き裂いたり子供を食い殺したりする。唾液に毒があるから噛まれて二年後に死ぬことだってある。
    だからバリではオオトカゲのレストランを作っている。観光客の前でヤギを殺してオオトカゲに食わせるんだ。そうすれば少しは人間を食いに行かなくなるし、観光客の落としてゆく金でオオトカゲを保護できる。
    わたしはオオトカゲがニワトリやヤギを食うその眼を見てゾッとした。まるで殺人者にじっと見られたような気分になったんだ。
    動物を擬人化するのは正しくも相応しくもない。
    途方もなく大きなトカゲとして生きるのがどういうことか分からない、それはトカゲ自身にも分かっていない、それなのに人間である自分自身の感情や知覚を当てはめてしまうが、それが正しいわけではない。
    オオトカゲはおなかがすいたら自分の子どもでさえ食うんだ。彼らが絶滅しないのは、まだ小さなトカゲが木に登れるから。
    だから守るためには人間の積極的かつ意図的な介入が必要となっているんだ。
    しかし珍しいオオトカゲを守るために、ありふれたヤギを殺して観光化している。私はオオトカゲの気配に怯えたヤギのあの鳴き声、あの引き立てられる姿をどう覚えておけばいいのだろう。

    ツカツクリ:
    この痩せてすばしっこいニワトリのような鳥を見ることは出来なくても、存在を感じうことは出来る。
    ツカツクリは卵を産むと、土と発行した植物をぎゅうぎゅうに突き固めた円錐状の盛り土の孵卵器作るんだ。植物ん腐敗によって起こる熱と、それを見張って材料を足したり引いたりする親のツカツクリのおかげで卵は安全に孵るんだ。

    トビハゼ:
    トビハゼたちは相変わらず枝の間で無益にピョンピョン飛び跳ねている。
    水中より陸上で生きられるか実験でもしているんだろうか?
    そうだとしたら、人間が三億五千万年かけて人間になったように、トビハゼも三億五千万年かけて地上生物になるのだろうか?だったらある種を絶滅に追い込み、それを救うために別の種族を殺すような歴史は歩まないでほしいと思う。

    マウンテンゴリラ:
    「ゴリラは畏るべき生き物である。(…)山野でこんな生き物に初めて出くわしたときは、頭の中が高速で空転してまるで動けなくなってしまう、たしかにこんな生き物はほかにいない強烈な、めまいにも似た様々な感情が頭に登ってくる。」(P107)
    「だしぬけに、奇妙で説明しがたい感覚―大型トラックに見られていると言う感覚に襲われた(…)
    わたしたちがたどっている道の三十メートルほど先、真っ正面に立っていた。あまりに巨大すぎて、逆に目に入らなかったのだ。マウンテンゴリラだ―というより、むしろゴリラマウンテン(ゴリラ山)と言うべきかもしれない。」(P107)
    リーダーは大人のオスの白い背中、シルバーバックのマウンテンゴリラ!
    人間とゴリラの群れの関係は、シルバーバックとの関係で決まる。
    わたしはゴリラとほんの二メートル近くまで近づいた。ゴリラが何をしているかは見ればわかる。ぐうたらしているのだ。
    動物を擬人化するのは良くないと思っても、だが彼らを擬人化せずにはいられない。「見ればわかる」という衝動を抑えることができないんだ。

    キタシロサイ:
    キタシロサイを始めてみたのは飛行機の上からだ。
    「地上七十メートルから見下ろしても、途方もなく巨大なものが動いているという感覚は信じられないほど強烈だった。」(P130)
    案内してくれたのは、川岸の灌木の茂みにある家に住む動物学者夫妻だ。
    この家は、子供のカバがリビングの鉢植えを齧ったり、ベビーベッドのヘリを枕にして寝たり、ヘビやゾウは庭に来て、ネズミは石鹸を齧り、白アリに床下の柱を齧られてゆく家だ。彼らは都会でバスや誘拐の心配をするのと、ここでライオンの心配をするのは同じだ、と言っている。
    野生で動物たちを見ると、動物園で分かった気になっていることとあまりにも違って驚かされる。
    「巨大な獣が無限と思える空間を駆け抜けてゆく。それはまさしく自分の世界を支配する王者の姿だ。」(P130)
    しかしあまり完璧な王者ではない。だってあっちのシロサイは以前ハイエナにシッポを半分齧られて、もうその気はないよとハイエナに説明しようとして膠着状態に陥っているのだから。
    シロサイの第一感覚は嗅覚だ。人間のように視覚と言語に頼っていると、嗅覚の重用さはピンと来ない。
    そしてサイは、大きい相手は気にしない。だが数が多い相手は嫌がるんだ。だから私たちは一列になって、一匹の獣のようにシロサイに近づいたんだ。
    シロサイが激減したのはその牙のせいだ。精力剤や装飾品として使われたんだ、薬になるなんてなんの根拠もないのに!数千ドルで取引されるシロサイの牙だけど、シロサイを狩る密猟者にはほんの数ドルしか入らないというのは皮肉な話だ。
    しかしキタシロサイよりもっと数の少なかったミナミシロサイは、人間の介入によって数を増やしている。だからきっと人間にはキタシロサイを絶滅から救う手段があるはずだ。

    ケアオウム:
    ケアオウムは山に住むオウムで、すごく頭がよいんだ。くちばしが長くて曲がってて、自動車のワイパーをしょっちゅうむしりとる。
    なんといってもバードウォッチャーには人気がある。だって自分の名前を言いながら飛ぶんだ「ケア!ケア!ケア!」ってね。分かりづらい鳥たちにも見習ってほしいよ。

    カカポ:
    https://matome.naver.jp/odai/2139428906018254001
    カカポは時間に取り残された鳥だ。
    「その大きくて丸い、緑を帯びた褐色の顔を覗き込んでみれば、静かな、それでいて途方に暮れた幼子のような表情が浮かんでいる。それを見ると、思わず抱きしめてやりたくなる。なんにもこわいことはないんだよと、つい心にもないことを言って慰めてやりたくなる」(P168)
    緑のオウムのカカポは、太って飛ぶことを忘れ、天敵の存在を知らないから外敵が現れてもじっと見つめるだけで逃げることも攻撃することもしない、さらに単独生活者でカカポ同士でいることも好きではない。そのうえ彼らの求愛と言ったら!オスの独特な鳴き声は何を意味するのか人間にはとても理解できない。とても低音でとても響く、どこから聞こえてくるのかわからないくらいだ。そう、オスのカカポに会いにトコトコと三十キロも歩いてきたメスのカカポにすら分からないくらいだ。しかもメスのカカポときたら二、三年に一度しか発情しない、いったい彼らはどうして種として生き残ることができたんだ?
    「厳しい競争に生き残る生物を生み出すべしと言う規制から解き放たれて、自然が自由気ままに想像の腕を振るったのではないだろうか『こんなのくっつけてみたらどうかな。別に害はないし、結構面白いんじゃないの』といたずら書きをしてみたというか」(P173)
    カカポがのんびり過ごしている島に、人間たちは他の動物たちを持ち込んだ。そして今度は、カカポを守るためにそれらの動物たちを捕まえては殺している。
    そのカカポをわたしたちは見たんだ、カカポ捜索員の腕に抱かれるその姿はまるで聖母子像だった…!
    「わたしたちの世代がカカポを守り続けることができれば、そこから先は次の世代の仕事です、その頃には新しい手段や技術や化学が生まれているでしょうしね。ですからわたしたちにできることは、自分が生きている限りはカカポを守り続けて、できるだけよい状態で次の世代に手渡すことです。そして私たちと男内容に、次の世代もカカポを大事に思ってくれるように祈ることですね」(P208)

    ヨウスコウカワイルカ:
    ヨウスコウカワイルカは、溺れ死んだ姫君の生まれ替わりだと言われている。その姫君は生前でどんな悪行を施したのだろう、船のスクリューに切り刻まれ、鉤だらけの漁網に引っかけられ、目は見えず、毒を盛られ、耳まで聞こえなくなっているのだから。
    わたしはこのイルカの置かれている状況を感じ取ろうとしてみた。
    まずこの中国。途方もない音に囲まれ、いたるところに痰壺があり、自転車は車の前を横切り、誰かに連絡を取ることなんてとてもできない。
    「だれかがどこかでなにかまちがっていると感じずにはいられなかった。まちがっているのが自分ではないという確信すら持てなかった」(P222)
    そう、まさにヨウスコウカワイルカは同じ気分を味わっているのではないか?のんびり暮らしていた揚子江には船が溢れ、排水は流され、スクリューは四方八方から音を出し続け、慌てて浮かび上がろうとすれば自分を切り刻む。
    「半分目が見えないか、半分耳の聞こえない人が、ストロボ光のショーをやっているディスコで暮らしていて、そこではトイレは溢れているし、天井や通風機のファンがしょっちゅう頭に落ちてるし、食べ物は痛んでいるわけだね、君ならどうする?」(P228)
    いったいどれだけ揚子江の中はうるさいのだろう?わたちたちはその音を録音することを考えた。方法は、音声マイクにコンドームを被せて沈めるんだ。だれかコンドームを持っていないか?誰の荷物にもまぎれてもいないの?では買いに行かなければ。
    やっとのことでコンドームマイクを用意し河に沈めて驚いた。水中のスクリュー音とは交じり合って四方八方から常に聞こえてくるはっきりしない音の洪水だ。
    「この船の下か周囲のどこかに、高い知能を持った動物がいる。この世界をどんなふうに認識しているのかはほとんど想像もつかないが、この混雑し、汚染された騒々しい世界にかれらはいきているのだ、その生(せい)はたぶん、たゆまない困惑と飢えと苦痛と恐怖の連続に違いない」(P254)
    だがその後で出会った保護活動委員メンバーの話を聞いて、わたしはやっと中国人が何を考えているか分かったんだ。
    「この地域の住民は多少の利益を得ています。それは当然のことですが、この計画はそんな浅薄なものではありません、このイルカを種として存続させるのが目的です。私たちの世代で絶やすわけにはいきません。保護はわたしたちの義務です。たった二百頭しか残っていないのはわかっているのですから、防ぐ手立てを打たなければ絶滅してしまうでしょう。そうなったら、子孫やのちの世代に顔向けができません」(P259)

    モーリシャス島の絶滅種保護活動家たち:
    ここはモーリシャス島だ。もともとはオランダの植民地で、オランダが出て行ってからはフランスに支配されて、フランスがナポレオン戦争でイギリスに負けてからはイギリス領になり、だからもとイギリスの植民地で、いまはイギリス連邦の一部で、住民はフランス語かクレオール語を話して、法律は基本的にイギリスと同じだから車は左側通行のはず…なのになぜ我々の乗っているこの車は右側を走っているのだろう?!?!
    この車の運転手であるリチャードをはじめとする絶滅機種保護活動家たちは、強烈な強迫観念の持ち主だ。鳥に執着するカールは、失敗した保護プログラムを打ち切るために派遣されて、そしてその鳥たちを繁殖させ自然に返すことに成功したんだ。まったく彼は落第生だろう?
    カールは言う。「自然保護はお上品じゃ勤まらない、動物をどっさり殺さなくてはならない」(P278)
    「リチャードは腕を後ろに引いた。チョウゲンボウの頭がその動きを正確に追っている。アンダースローで大きく腕をふってリチャードは小さなネズミを空高くほうり上げた。一秒ほど、チョウゲンボウはただそれを目で追っていた。枝のうえでごくわずかに足踏みしながら、瞬時に微分計算をするという途方もない偉業を達成していた。ネズミは急勾配の放射線の頂点に達し、そのわずかな重みでゆっくり回転する。ついにチョウゲンボウは枝を離れ、長い振り子の先についた重りのように空中を滑って行った。その振り子の紐の長さ、支点の位置、そして振動のスピードをチョウゲンボウh正確に計算していた、振り子の円弧は落ちてくるネズミの軌道と鮮やかに交わり、チョウゲンボウはネズミを鉤爪できれいに捕え、そのまま空中を滑って近くの別の木に止まると、ネズミの頭を食いちぎった。」(P286)

    私たちはモーリシャス等から船でラウンド等へ渡った。
    ここには奇妙で貴重な植物がある。だが貴重とは誰にとってなのだろう?
    ここに保護されたヤシノキは、植物園を作るために伐採されそうになったところを植物学者によって気が付かれたんだ。「まれか、ややまれか(レア、ミディアムレア)」はどう判断される?
    そして”まれだ”と気が付かされたとたんにそれを狙う人間たちが集まるんだ。”まれなものを持っていたい”という理由でね。あるコーヒーの木などそんな人々から守るために幾重にもフェンスに囲まれている。まるで強制収容所に入れられているみたいだ。
    そして”まれな”動物たちの首は、それ自身の胴体ではなく自分の家の壁に飾られた方がふさわしいと勘違いした人間たちにより取引されるんだ。

    「地球上の生命は、気が遠くなるほど複雑な系を成している、複雑すぎて、一つの系だということにすら人は長く気付かなかった。生命は単にそこにあるだけではなかったのに。非常に複雑なものがどんんなふうに機能しているか理解するためには-あるいはたんに機能している複雑な何かがそこにあると理解するためだけにでも、人はその全体をごく小さな部分に分けて、一度に一部分ずつ見なくてはならない、だからこと、生命を理解するうえで小さな島はきわめて重要なのだ」(P297)

    最後にマーク・カーワディンが語る。
    「これほど多くの人々が、サイやインコやカカポやイルカなどの保護に打ち込んでいるのは、この理由があればこそだ、それは極めて単純な理由-かれらがいなくなったら、世界はそれだけ貧しく、暗く、寂しい場所になってしまうからなのである」(P316)

  •  絶滅が危惧されている動物たちを見に、SF作家と動物学者が世界各地へと旅する様子をルポした本書は、種の絶滅を追跡・検証する社会派の告発書ではなく、しばしば声を出して笑わずにはいられない、抱腹絶倒の一冊だ。絶滅寸前の動物に会うためにはトンデモない苦労があり、悲劇と喜劇は紙一重。そのことを呵呵大笑の筆致で綴った本文は、読者に笑われるのを今か今かと待っている。
     一方で、地球の生態系は人間が原因で多くの生き物を失ったが、本書では失われたものが何かをよくわかっている人たちが、被害を最小限に食い止めようと奔走している姿もコミカルに描かれる。彼らは狂信的にも見えるが、それは我々が何を失ったかを知らないだけなのかもしれない。なぜなら、著者らがカカポ(オウム目の鳥)に出会う章では、読者はクスクス笑った後に、突然熱い想いに胸を衝かれるのだ。我々は、彼らに何をしてしまったのかと。
     「彼ら(絶滅危惧種の動物たち)がいなくなったら、世界はそれだけ貧しく、暗く、寂しい場所になってしまう」。本書は、こうした危機感を広めることに、一役も二役も買うだろう。

  • 「銀河ヒッチハイクガイド」のダグラス・アダムスがこんな本を書いてたとは。高野秀行さんのブログで知った。さすが著者のこと、一ひねりも二ひねりもある書き方の中に、鋭い洞察があって興味深かった。

    著者はBBCの番組のレポーターとして、絶滅に瀕した生き物を見にあちこちへ出かけていく。アイアイや、コモドオオトカゲ、キタシロサイ、カカポ、ヨウスコウカワイルカなどなど。わたしが一番面白かったのは、コンゴにマウンテンゴリラを見に行った章。ヒトと祖先を同じくするゴリラは、間近で見るとやはりたたずまいが非常に「人間らしく」、どうしてもいったい何を考えているのかと思わずにはいられないのだそうだ。著者はそうした擬人化を厳しく排そうとするが、その葛藤を書いたところが面白かった。

    「ゴリラの顔を見ると『どういう生物かわかった』と思ってしまうが、じつはわかっていない。というか、安易で抗しがたい思い込みによって、理解するわずかな可能性を実際には封じているのだ」
    「そのうち、ゴリラの知性を判断しようとするとはなんと思いあがったことか、という気がしてきた。人間の知性は、どんな意味でも知性を測る基準というわけではないのに。そこで、向こうがわたしたちをどう見ているか想像しようとしたが、当然ながらそれはほとんど不可能だ。想像に基づくギャップに橋をかけようとすれば、どうしてもなんらかの仮定が必要になるが、言うまでもなくその仮定を設けるのはこちらだし、自分でも仮定していると気づかずにする仮定ぐらい、誤解を引き起こしやすいものはない」
    「わたしはまたゴリラの目を見た。知恵と知性を感じさせる目。それを見ていると、類人猿に言語を-人間の言語を教えようという試みに対する疑問がわいてくる。(中略)もともとそのなかから生まれたのでない言語で、かれらの生を語ることができるとでも思うのだろうか。ゴリラがまだ言語を獲得していないのでなく、人類がそれを失っているのではないだろうか」

    ここにあるのは、欧米流の独善主義とは無縁の考え方だ。著者は、別のところで宣教師の一団と飛行機に乗り合わせたとき、「わたしは宣教するというのが好きではない」とはっきり書いている。ここも面白いので引用しておこう。
    「わたしは神を信じていない。少なくとも、英国で英国人のために発明された神は信じていない。あれはとくに英国的なニーズを満たすためにでっちあげられたものだ。(中略)ああいうのを信じる人たちは、仲間内で信じるだけにして、発展途上国に輸出するのはやめてほしい」

    これは一面では、まさに英国流のクールで皮肉なものの見方だろうが、極東の島国人としてはやはり共感してしまう。「欧米」とつい一括りに考えがちだが、「宗教国家」アメリカとは根っこが違うと感じる。

    自然保護をやみくもに訴えるような本ではなくて、いろいろ考えさせられる。ただ、著者得意のクールでひねった書きぶりで(もちろん、笑えるところも多いが)、結局どういうことなのか、ややわかりにくい箇所が幾つかあり、そこがちょっと残念。

  • 最近読んだ漫画で、いつの間にかミノムシが絶滅危惧種になっていることを知りまして、いささかショックを受けました。
    明らかな害虫で、気持ちの悪い虫なんだけど、この世からいなくなり、もう二度と会えないと寂しいですよね。
    種の絶滅が生態系に及ぼす影響が云々とは言わずに「彼らがいなくなると寂しい」という目線で、絶滅危惧種に出会う姿勢は心にすっと入ってきます。
    著者は『銀河ヒッチハイクガイド』のダグラス・アダムス。旅行過程の描写がユーモラスで、不意にスケールの大きな話を繰り広げたりするので、読んでいて飽きません。名著!

    ★取り上げられている絶滅危惧種たち
    アイアイ(マダガスカル島)
    コモドオオトカゲ(インドネシア)
    キタシロサイ、マウンテンゴリラ(旧ザイール)
    カカポ(ニュージーランド)
    ヨウスコウカワイルカ(中国)
    モーリシャスチョウゲンボウ・コーヒーノキ(モーリシャス島、ロドリゲス島)

  • 「ドードーの滅亡で、人間は以前より悲しみを知り、以前より賢くなったというのは簡単だが、数々の証拠から見るかぎり、人間はたんに悲しみを知り、知識を仕入れただけだったようだ。」

    動物たちの悲劇を見るとき、人間の喜劇が浮かび上がる。
    数々の動物を絶滅に追い込みながら、自分たちはまだその道を歩み続けている。
    人間さえ幸せになれれば、自分たちさえ金儲けできれば、という思考から脱却するにはどうすればいいのか。

    最前線ではたらく動植物学者の人間との戦いは、これからも続いていくのだと思う。

    著者の皮肉っぽい書きぶりと、皮肉な現実がみごとにマッチしている。

  • 序文を書いてるリチャード・ドーキンスって「利己的な遺伝子」のリチャード・ドーキンスだよな? 本文もなんか妙な調子があって面白そうだし、と思って読んでみて、もっと大事なことを見逃しているのに気づいた。ダグラス・アダムスって「銀河ヒッチハイク・ガイド」のダグラス・アダムスじゃん!

    本書はドタバタコメディSFではなくて、絶滅危惧種の生き物たちに会いに行くドキュメンタリーのはずなんだけれど、ほとんどドタバタコメディドキュメンタリーだった。相棒の動物学者マークを始めとする登場人物たちも、「銀河ヒッチハイク・ガイド」のへんてこな登場人物たちに勝るとも劣らない変人揃い。あの珍道中をこんなところでもう一度読めるとは思わなかった。

    著者の語り口はあくまでも軽いが、ふざけたり、茶化したりしている感じはしない。深刻ぶりはしないが、ドライでユーモラスな語り口にニヤニヤしながら読み進めるうちに、絶滅の淵に追いやられている生き物たちの悲しみがじわじわと迫ってくる。
    そういえば、「銀河ヒッチハイク・ガイド」も、「銀河ハイウェイ」の建設の邪魔になる地球がいきなり破壊される、というオープニングだった。ぼくらは似たようなことをやっているんだな。

    思いがけない良書だった。

  • ウィルコックス博士のヴェノモスの中で言及されていたので気になって手にとってみたら、カカポの話もあったので飛びついた。果たしてカカポのみにあらず全編非常に面白かった。前半はちょっとスロースタートだが後半はトップスピードで面白いです。もちろん肝が冷えます。"The Hitchhiker's Guide to the Galaxy"のオーサーと動物学者がBBCの番組の撮影で世界の絶滅寸前種を取材したときのダグラスがみたアウトテイクな、非常に西欧人的な視点ではあるがとてもフェア、実に率直で真面目で多くの人に読んでもらいたいと思う、良著。

  •  原題は「Last Chance to See」で、筆者らが絶滅危惧の生物(動物、鳥類。爬虫類)を世界中に見に行ったルポである。
     これらは行くだけでもたいへんな僻地にわずかにいるだけであり、その旅行記というか苦労記でもあるが、それをイギリス人らしいユーモラスというか皮肉というか読む分にはおもしろく描いている。実際には、ものすごくたいへんだったに違いない。
     初刊は1990年で初邦訳は2011年であるが、内容的には決して古いものではない。今なお、それらの絶滅危機は去っていないし、人生を賭けてそれらを守る人々がいるのだ。
     ニホンウナギやクロマグロなど我々にとって身近な問題でもあるのだ。もっともっと話題になって、広く読まれてほしい本である。

  • 「銀河ヒッチハイクガイド」のダグラス・アダムスが、絶滅の危機にひんした動物を見るため、ヒッチハイクさながらに世界をかけまわる。
    動物保護、環境保全、人間の救いようのない愚かしさ、がメインテーマといえるが、大巨匠SFコメディ作家の手腕で、全く押し付けがましさがない。愉快(奇矯に近い)な仲間たちと愉快な珍道中、そして絶滅なんてこと考えたこともない勝手に生きてる絶滅しそうなどうぶつたち。全ページ、イギリス人的ユーモアににやりにやり、時に爆笑。
    新版には、作者と親交のあった「利己的な遺伝子」のリチャード・ドーキンスが序文を寄せている。これも一読の興あり。
    しかしながら、日本語で読む者にとってこの本の魅力は、安原和見さんの訳に負うところは大きい。安原和見さんは「銀河ヒッチハイクガイド」シリーズの訳も手掛けている。

  • 『銀河ヒッチハイクガイド』は1978年にイギリスBBCからラジオドラマとして放送され、その後出版されて世界中で大ヒットしたSFコメディ小説だ。そして、そのユーモアと風刺にあふれた小説の著者、ダグラス・アダムスの著作でしかも『利己的な遺伝子』のリチャード・ドーキンスが序文を書いているとなれば、読まないという選択肢はあり得ないのが本書『これが見納め』なのだ。
     ダグラス・アダムスは動物学者のマーク・カーワディンと共に、絶滅が危惧されている生きものたちに会うために様々な地を訪れる。マダガスカル島のアイアイ、コモド島のコモドオオトカゲ、ザイールのキタシロサイとマウンテンゴリラ、ニュージーランドの太っていて飛べないインコのカカポなど、当然のことながら、絶滅が危惧されている動物が生息しているのは人が訪れるのが困難な場所であることが多い。渡航先との連絡が取れなかったり行き違ったりにイライラし、腐敗した官僚達の対応に辟易し、命がけと思える小型機やヘリコプターに肝を冷やしながら現地にたどり着くと、蜘蛛の巣だらけの小屋に泊まりながら毎夜ジャングルをかき分けたり、灼熱の太陽が照りつけるサバンナで迷子になったりしながら目当ての動物を探し歩く。その様子がユーモアとウイットに富んだ表現で、数々の滑稽な逸話を挟みながら生き生きと描かれているのだから、ページを捲る毎に思わず笑ってしまう。しかし、根底にあるのはその動物を絶滅の危機に追いやった人間の愚かしさへの怒りであり、絶滅から救おうと必死で取り組んでいる人達への敬意であり、絶滅を免れるようにとの祈りである。生物種はどれもその生態系を支える存在であり、ある種が絶滅すればヒトを含む他の多くの種も多大な影響を被る。非常な速さで多くの生物種が絶滅し続けている現在、人は環境保全と生態系の維持について真剣に考えるべきだろう。マーク・カーワディンは結びの言葉で、生物種を絶滅から救うことの一番大切な理由をこう書いている「それはきわめて単純な理由-かれらがいなくなったら、世界はそれだけ貧しく、暗く、寂しい場所になってしまうからなのである」。至言である。
    本書はダグラス・アダムスがコメディ作家としての本領を発揮した大変面白い本であると同時に、環境保護活動家として絶滅危惧種の現状と保護の難しさ、大切さを訴えている本なのだ。数々の写真とともに楽しんで読みながら地球環境問題について考えて欲しい。

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著者プロフィール

1952-2001年。英ケンブリッジ生まれ。1978年BBCラジオドラマ「銀河ヒッチハイク・ガイド」脚本を執筆。翌年、同脚本を小説化し大ベストセラーに。モンティ・パイソンの脚本に携わっていたことも。

「2018年 『長く暗い魂のティータイム』 で使われていた紹介文から引用しています。」

ダグラス・アダムスの作品

これが見納め―― 絶滅危惧の生きものたち、最後の光景を本棚に登録しているひと

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