福島の原発事故をめぐって いくつか学び考えたこと

  • みすず書房 (2011年8月24日発売)
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本 ・本 (114ページ) / ISBN・EAN: 9784622076445

感想・レビュー・書評

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  •  なるほど。山本義隆は、東大物理を卒業し、東大大学院で素粒子論を専攻していたのだね。東大全共闘議長で鳴らした人だった。その後予備校の講師をしていた。1941年生まれというから、80歳を超えているのか。この本は、2011年8月に出されている。山本義隆が70歳の時だ。
     なぜ福島原発事故が起きたのか?そして、原子力発電とはどんなものか?を、①日本における原発開発の深層底流。戦後政治史。②原子力発電技術の未熟さと隘路、そして稼働の実態と原発事故。技術論。③科学史から見た原発という構成で書かれている。原爆開発と原子力発電開発は、双子のようなものだと読みきって説明している。
     私は、原子力の平和利用は可能なのか?原発にどう向き合うのか?フクシマのメルトダウンから何を学ぶのか?を考えている。あまり、そのことをこれまで考えていなかった空白地帯で、とにかく手当たり次第に読んでいるのだが、まさかここで山本義隆が。という感じだった。
     著者は、単なる技術的な欠陥や組織的な不備に起因しているので、そのレベルでの手直しで解決可能であると考えるべきではないと言い切る。そもそも、原子力の平和利用、そのものが幻想なのだという。原子力の平和利用は、1953年アイゼンハワー大統領が国連会議で「アトムズ・フォア・ピース」と訴えたこともある。原子力の平和利用は、アメリカの原爆を作るマンハッタン計画の延長に過ぎないと著者は指摘する。
     日本において、地震列島にかかわらず、原発が54基もできた始まりは、1954年中曽根康弘をはじめとする政治家たちが、原子力予算(2億3500万円であり、それはウラン235に因む)が成立した。を提出し、1955年に原子力基本法を成立させた。1958年に原子力発電にアクセルを踏んだのが岸信介だった。岸信介は、「原子力技術はそれ自体平和利用も兵器としての利用も共に可能である。どちらに用いるかは、政策であり国家意志の問題である」と言って、原子力発電を国策とした。さらに「日本は核兵器を持たないが、(核兵器保有の)潜在的可能性を高めることによって、国際の場における発言力を高めることができる」(岸信介回顧録)さらに、1958年5月には、外務省記者クラブで「現憲法下でも自衛のための核兵器保有は許される」と述べ、1959年の衆議院予算委員会で、「防衛用小型核兵器は合憲」と主張している。ふーむ。岸信介の憲法改正は、自衛隊を合憲として、核兵器を保有することまで合憲とすることだったのだ。核兵器を持って、国として一人前という岸信介の認識だった。流石に、勝共連合を大歓迎したわけだ。2002年に福田康夫は「核兵器について、法理論的に言えば、専守防衛を守るならば持ってはいけないという理屈にはならない」と岸信介の文脈を受け継いでいる。
     著者は、そういう状況で考えれば、科学者の原子力の平和利用は、楽天的で無批判的だという。原子力の平和利用に尽力したのが、学術会議の原子力問題委員会(のちの原子力委員会)であった。茅誠司や伏見康治だった。トップクラスの物理学者が原子力平和利用幻想を持っていたのだ。
     フクシマの沸騰水型炉(BWR)については、ジェネラルエレクトリック社の安全性を評価する技術者によって「冷却水が失われた時にその格納容器が圧力に耐えきれなくなる」という欠陥を見出して、運転停止を呼びかけたが、上部からその議論を封印して、その技術者たちは原発の安全性に責任を持てないと言って、会社を辞めざるを得なかった。そんな暗黒史もあったのだ。それが、設計上のミスでは済まされなかった。
     また、高木仁三郎が原発は事故ばかり起こるのは、核エネルギーが膨大な力を発するので、パイプなどの亀裂などが起こりやすいと言っている。
     過去に公害を引き起こした化学工学は、有毒物質を除去し、無毒化する技術は開発できる。しかし、原子力工学では、放射能を無害化する技術ができていない。放射能廃棄物を封じ込めるしかないが、それをするには、現状の技術では、数万年末か、莫大な費用がかかる。うーむ。この指摘は、なるほど。原子力発電は、多いところから2022年1月でアメリカ93基、フランス56基、中国51基、建設中19基、計画中24基、インド22基(世界で443基)となっている。世界のエネルギーは、未熟な技術で成り立っている。
     原発がメルトダウンすれば、被害はとても大きく、廃炉する技術なども遅れている。原発とは何かを考える上で、本書は多くの素材を提供できる。核兵器を持つということさえ含んでいる憲法改正というのも、恐ろしい話だった。

  • 福島の原発の災害をどうして招くことになったのか、その淵源を原子力爆弾の開発、さらには産業革命以前にまでさかのぼるなどさすがの一言につきる。ただここで書かれていることに賛成もするのだが、原子力推進派にはなかなか届かない言説になっている。
    これは山本氏に限らず反原発、脱検発の言い分が原発推進者にとどかないのと同じなのである。
    だからと言ってこの本の価値が減じることはない。この本の言い分が届かないという現状から出発しないと何もかわらないことが本当に日本人が考えるべきことなのである。
    産業界が力をもちすぎたことが 一つの悪夢の始まりだが、産業界に距離をおくひとに産業界の歯車をとめる力は生まれない。
    省エネを叫んでも、エネルギー消費社会の舞台からそでに身をひくだけで
    舞台ではあいかわらず乱痴気騒ぎ。
    そして客席からいかにやじっても舞台は舞台ですすむ。
    論理的か、実証的な、説得的かも関係がない。

    放射性廃棄物の廃棄場所も、原発作業者の疾病も、福島の人の移住も関心のない人にはぜひ読んでほしい。

    難しいことを優しく書いているので 読みとばし危険です。

  •  原発反対を主張している。さらっと読んでしまったので、もう一度ゆっくり読みなおしたい。

  • 「原子力は「文明の選択」ではない」
    https://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51737674.html

  • 読了。

    2011年の福島の原発事後から14年が経とうとしている。
    あれだけの事故を起こしておいて、なぜ日本は原発がやめられないのか、かなり深い闇があることを以前読んだ本で知った。

    この本では、
    日本の原発開発のきっかけとこれまでの経緯
    原発技術の未熟さ
    原発の基本的な問題
    その根本的な要因となっている科学技術への幻想
    などについて記されている。
    100ページの本だが、端的にまとめられており非常に内容の濃い本だった。

    ただ、これまで原発に批判的な本しか読んでいないので、今後原発推進派の本も読んでみたいと思う。

    今回特に勉強になったのは
    核燃料サイクルのしくみとリスク
    科学技術への信奉の流れ
    そして、原発を稼働させる理由が
    原発稼働によって核兵器の原料となるプルトニウムを生産し、潜在的核兵器保有国として国際的な影響力を持つという政治的な目的があるということだった。この流れを作ったのが岸信介だというのもある意味で納得だったが...

    〝事故発生以来、日本の原発政策を推進してきた電力会社と経済産業省(旧通産省)
    と東京大学工学部原子力工学科を中心とする学者グループ、そして自民党の族議員たちからなる「原子力村」と称される集団の、内部的には無批判に馴れ合い外部的にはいっさい批判を受け入れない無責任性と独善性が明るみにひきだされている。〟

    13年前の原発事故の対応も問題があったと思うが
    本質的な問題はまた別にある。

    非常にリスクの高い原発を
    「安全」と国民を欺きながら
    地震大国である日本の至る所に原発を建設し、安全対策を怠り、情報を操作し、原発を稼働させ続けた者たち(政治家・官僚・電力会社・一部の学者・マスメディアなど)にも責任があるのではないだろうか。
    なぜその責任が問われないのだろうか。

    原発技術の未熟さとリスクについても
    知らなかったことが多く勉強になった。

    著者のあとがきより

    〝生活が幾分か不便になるとしても、それでも原発はやめなければならないと思っている。
    事故のもたらす被害があまりにも大きいだけではない。
    いずれウラン資源も枯渇するであろう。しかしその間に、地球の大気と海洋そして大地を放射性物質で汚染し、何世代・何十世代も後の日本人に、いや人類に、何万年も毒性を失わない大量の棄物、そして人の近づくことのできないいくつもの廃炉跡、さらには半径何キロ圏にもわたって人間の生活を拒むことになる事故の跡地、などを残す権利はわれわれにはない。
    そのようなものを後世に押し付けるということは、端的に子孫にたいする犯罪である。〟

    今のところ、著者の意見に賛同する。
    自分たちの健康と、引き継がれてきた土地を捨てる覚悟で原発を推進し、稼働させているのだろうか。
    そこまでして稼働させるべきものなのだろうか。

    とてもそうは思えないのだが...
    やはり、今の社会の考え方そのものに問題があると思ってしまうし、自分も考え方を見直していかなければと思う。

    今の便利な生活を維持することが
    最優先事項となっていないだろうか。

    便利さに慣れると、それを手放せなくなる。

    少なくとも、原発を推進し続ける政治家を私は信用しないし、そのような政党・政治家に投票することは今後もないだろう。

    リスクのない発電はないのかもしれないが
    それでもやはり原発は
    人間に許された領域を超えていると感じた。

    仮に放射性物質の無毒化が可能になったとしても
    それまでにどれほどの犠牲が必要となるのだろうか...

    人間にできないことは無いように思えるほどに
    科学技術は進歩を続けてきたが

    どんなに科学技術が発達しても
    人間の想像力は自然の力には及ばないと
    考えておくべきだろう。

    #福島の原発事故をめぐって
    #山本義隆
    #みすず書房

  • 原発による放射性物質の汚染は、子孫に対する犯罪だとする著者の意見は、納得できるものでした。

    原発はクリーンであると教科書的に習ってきたけれど、それは誤りでした。

    原発それ自体はクリーンだとしても、その前後はクリーンではないということもあります。
    原発の原料調達から汚染は始まり、数万年後まで放射線は出続けるということです。

    数万年後は、人類が存在しているかもわからず、存在していても言語や絵が伝わるかわかりません。
    立看板や警句は意味をなさない可能性があります。

    数万年という単位は、人類の管理不能な単位であるということかもしれません。

  • YouTubeで公演の動画など見かけるが、若者に負の遺産を残していることを相当気にされている様子。

  • 原子力発電
    東日本大震災

  • ボリュームはあまりないし、内容も悪くはないのだけれど、ちょっと退屈だったかなぁ。期待が大きすぎたかも。

  • 山本義隆氏の本を読みたかった。
    探してみると、本書が見つかった。
    薄い本である。しかも原発に関する書である。
    今まで私なりに原発や核兵器に関して、本を読んできた。
    氏の原発に対する考え方を知りたかった。浪人生時代を思い出し、あらためて生徒になった。
    先生の言葉を聴き逃すまいと、一文一文ゆっくり読んだ。原発は外交カードであったことを知り、目から鱗が落ちた。先生の知識量に圧倒された。また、先生の正義感と誠実さと優しさも感じられて嬉しかった。
    先生は20年前と少しも変わっていなかった。
    柔らかい表情の奥に光る野武士のような目の輝きを思い出した。

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著者プロフィール

山本 義隆(やまもと・よしたか):1941年、大阪府生まれ。東京大学理学部物理学科卒業。同大学院博士課程中退。科学史家、駿台予備学校物理科講師、元東大闘争全学共闘会議代表。著書に、『重力と力学的世界』、『熱学思想の史的展開』、『古典力学の形成』、『磁力と重力の発見』、『一六世紀文化革命』、『世界の見方の転換』、『小数と対数の発見』、『解析力学Ⅰ・Ⅱ』(共著)、『幾何光学の正準理論』、『近代日本一五〇年』、『ボーアとアインシュタインに量子を読む』、『私の1960年代』、『核燃料サイクルという迷宮』、『物理学の誕生』ほか多数。訳書に、カッシーラー『実体概念と関数概念』、ニールス・ボーア『因果性と相補性』『量子力学の誕生』などがある。

「2025年 『物理学の発展 山本義隆自選論集Ⅱ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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