エイズの起源

  • みすず書房 (2013年7月5日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (400ページ) / ISBN・EAN: 9784622077787

感想・レビュー・書評

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  • WHOの熱帯病調査団を率い、後にエイズの研究に取り組んだ著者がアフリカの社会構造の変化、ウイルスの分子生物学的な考察からHIVがいつ現れ、どう伝わって行ったかを詳細に考察している。ゲイや売春、あるいは薬害エイズが一般的な感染ルートのイメージだがどうやら善意の医療行為や商業的な売血が爆発的な感染に大きく寄与していた。

    現在ギニアを中心に流行しているエボラ出血熱同様、エイズの起源も中央アフリカの猿だった。(エボラはコウモリ宿主説が有力)中央アフリカに暮らすチンパンジーの1種がSIVに感染していて(カメルーンでは5.9%)ピグミーやバンツー族などがチンパンジーを補食する際に血液感染したと言うのが患者ゼロだったと考えられている。しかし、1920年代までは血液標本を調べてもHIV感染者は見つからず、1960年代までに大規模な流行はなかった。チンパンジーは銃器がなければ簡単に捕まえられる獲物ではない。

    1930年の人口統計からチンパンジーの生息域でチンパンジーと接触したと考えられる人口は推定1350人。そのうち5.9%がSIVに接触する可能性があったとすると80人だ。一回の曝露あたりの感染確率は0.3%というのが医療従事者の感染確率から推定されている。外傷があれば感染確率は高まるが恐らく1〜3人が患者ゼロだっただろう。恐らく狩りをする男性だった。性交渉による感染は男性→女性は女性→男性より起こりにくく、平均寿命が短く都市化されていない社会では感染はあっても流行はなかったのだろう。

    コンゴ川流域を探検した冒険家と言えばスタンリーが有名で、コンゴ共和国の首都で同じく冒険家の名を取ったブラザビルとコンゴ民主共和国の首都キンシャサ(旧名はコンゴの旧領主ベルギー国王の名をとったレオポルドビル)はマレボプール(旧名スタンリープール)というコンゴ川下流の湖を挟んで対峙している。上流にはキサンガニ(旧名スタンリービル)という都市も有りこれらの都市が1960年代にHIVの最初の流行場所になった。

    1960年にコンゴ民主共和国がベルギーから独立し、同じくコンゴ共和国がフランスから独立した。このころレオポルドビルの人口は50万弱に達した。ブラザビルでは12万人といずれも過去2〜30年で10倍ほどに増えている。1955年の国勢調査ではレオポルドビルの男女比は1.72、その後も独立時の争乱から避難知った住民が大量に流入し失業者が増えた。そして貧困が不特定多数相手の売春を増やした。では初期のHIVは売春を関して拡がったのだろうか?

    1980年代後半の調査ではキンシャサの売春婦の感染率は27〜40%、ブラザビルで34%と高い値を示している。高いリスク集団であることは間違いないが潜伏期間が約10年でエイズ発症後の余命2〜3年からするとこれは過去10年の平均的な新規感染率を示していると見ていい。キンシャサで乳幼児検診を受けた女性のうち1970年には0.25%が80年には3%がキャリアだった。1970年頃までは低い感染率で推移していたようだ。感染者が増えてくるともう一つのイベントが感染者を爆発的に増加させる。それが注射器を使い回す予防接種や医療行為だ。静脈注射の場合少量の血液が残る、血液が混ざった場合の感染率は90%と恐ろしく高い。医療と不特定多数相手の売春の組み合わせが感染者を増大させ、地域を拡げて行った。

    1981年ころアメリカではじめてエイズが報告された頃のリスク集団は3H(ヘロイン、ホモセクシャル、血友病)ともう一つのHハイチだった。分子生物学的な研究からアメリカで流行したエイズの型はアフリカではマイナーなもので患者ゼロが持ち帰ったものだ。コンゴ独立後、フランス語を話せる教育を受けた黒人としてハイチ人が国連に雇用されコンゴにやってきた、この内の患者ゼロがHIVを持ち帰った。ハイチでHIVを蔓延させたのは売血だと著者は考えている。採血後貧血にならないように血漿以外の成分は献血者にもどされる。ほとんどの血液製剤はその製造過程でウイルスは死ぬか不活化しているが戻される血漿には注意が向けられなかった様だ。そしてアメリカにはハイチから持ち込まれた。1990年代初頭の中国の例でも最初は黄金の三角地帯から麻薬患者が持ち込み、同じく売血を介して拡がったらしい。このハイチの型は今では西ヨーロッパ、タイ、オーストラリア、中国に拡がっている。

    かなり専門的な内容に加え中部アフリカの近代史も盛りだくさんなので科学的読み物としてはやや取っ付きにくい。それでもこれだけの肉付けをした推理には高い説得力がある。

  • HIVにせよコロナウイルスにせよ、その感染拡大はウイルスそのものによって決まるのではなく、ヒトの文化的、経済的、社会的な活動の在り方によって決まることを教えてくれる。
    寝た子(ウイルス)を起こしているのは、ヒト自身なのだ。

  • ノンフィクション
    医学

  • ☆HIVはチンパンジーから人へと。売春・注射器により拡大

  • [偶然の悪夢]世界中で年間100万人もの人が亡くなる原因となっているエイズ。今では広く知られるようになったその病気とHIVウイルスが、いつ・どこから来て、どのように短期間で世界中に広まっていったかを研究した作品です。著者は、世界保健機関の熱帯病調査団を率いた経験を持つジャック・ペピン。訳者は、『新型インフルエンザ』等の作品を自身でも著している山本太郎。原題は、『The Origins of AIDS』。


    予想しなかった事実を読者が次々と突きつけられるであろう作品。特定の社会的・経済的・思想的背景がAIDSの流行をもたらした事情を説明するとともに、ときに人々の病気撲滅に向けた善意すらがその蔓延をもたらしたとする記述は衝撃的でした。医療関係に興味を持つ方はもちろんですが、特に中部・西部アフリカの社会的事情を詳述しているため、社会学的な観点からそういった地域に関心を抱いている方にもオススメの一冊です。

    〜エイズがもたらした一つのメッセージは、善意の下に行われた介入が、良い結果だけでなく、微生物レベルでの危機的な状況の出現を思いがけずもたらした、ということである。〜

    まったく知らない扉が開いた読書経験でした☆5つ

  • (後で書きます。良書)

  • 定説に至る経緯をなぞるので知的インパクトは少なく、細かな情報の洪水に気圧される。
    相当詳しく知りたい、という目的以外ではお薦めできない。

  • 20世紀前半から1970年頃に焦点をあて、なぜエイズがこれほどまで拡散したのかその理由がかなり分って来た現在でのまとめ。
    異種間伝播の部分はツェゴチンパンジーが数百年持っていたSIV(サル免疫不全症候群)が、人間に殺されてそこから移ったとする.
    がこの部分は確たる証拠もありそうではないのであくまで推測であり、この本のメインは医療機関に残された文献、データ、そして試料に基づいて、その最初のHIV-1がどのようにこの規模になったのかを裏付ける。その大前提として、20世紀初頭ヨーロッパ諸国がアフリカにおいて植民地化を急速に進め、大量の男性人口が都市に集められ半強制的に労働に従事させられたことがある。
    ①医原性 当時労働力を阻害する問題として考えられた、マラリア、結核、梅毒、ハンセン病において、静脈/筋肉注射による治療法が生まれていたがその副作用は知られておらず、注射針の非殺菌などにより、残った汚染された血液が拡散した。(HIV-1で性交渉の10倍の確率)
    ②男性過多による売春の横行 無理な都市化により人口構成がゆがみ、それまでの文化を全く変えるような売春の構造が生まれ、都市での感染率が大幅に上がった。
    ③汚染された血液製剤 ハイチでは貧しい人々による売血が国家によりビジネス化(血漿だけなら月2回できる)され、それがまた汚染された注射針を生み、汚染された血液製剤が全世界にばらまかれた。

  • 私は最初、表紙に写っている人は小さな子供なのかと思っていました。ですがカバーの説明を読むとこの女性はエイズに8人もの子を奪われたのです。この写真が一番私の心を打ちました。


    要約
    1981年から30年間で2900万人以上がエイズで死亡し、その過程で1600万人以上の遺児が残された。2009年の時点で3300万人がHIV感染者である。
    流行がわかりやすいエボラ出血熱と異なり、HIVは静かに蔓延していった。
    HIVにはHIV-1とHIV-2がある。これらは人にエイズを引き起こす2つのレトロウイルスである。HIV-1とHIV-2は遺伝子レベルで異なるウイルスと考えられる。
    HIV-1は中部アフリカで誕生した。それはこの地域がHIV-1祖先ウイルスの宿主である霊長類(ツェゴチンパンジー)の居住地だったからである。
    HIV-1にはグループM、グループO、グループN、グループPの4つに分かれる。
    グループM(HIV-1M)は世界全体のHIV-1感染の99パーセント以上を占める。グループP(HIV-1P)は中部アフリカ以外の地域からの報告はない。
    HIV-1MはさらにA、B、C、D、F、G、H、J、Kという9つのサブタイプに分けることができる。アルファベットにはあまり意味はない。サブタイプEとIはのちに本当の意味でのサブタイプではないということがわかり削除された。HIV-1は複製に際ししばしば間違い(変異)を犯す。元のウイルスの塩基配列の20パーセント近くが複製間違いを犯すと新しいサブタイプと定義されることになる。
    一つのサブタイプに感染したのち別のサブタイプに感染することもある。これにより二つのウイルスの組換えを引き起こす。
    サブタイプDはほかのサブタイプより病気の進行が速く早期に死亡することが多い。
    サブタイプCはほかのサブタイプより流行しやすいといわれている。
    世界全体で見れば、サブタイプCがすべてのHIV感染の50パーセントを占める。次いでサブタイプAとBが10から12パーセントを占め、サブタイプGが6パーセントとなっている。だが、各サブタイプの分布状況は地域によって大きく異なる。
    HIV-1Oはカメルーンが震源地である。HIV-1OはHIV-1Mより感染性が低い。
    HIV-1Nは人における感染性でいえばHIV-1Oよりさらに低かった。今日までに13例しか確認されていない。HIV-1Nの塩基配列はカメルーン南部の同じ地域に生息するツェゴチンパンジーに感染しているサル免疫不全ウイルスとよく似ていた。HIV-1Nは単系統で遺伝子的多様性にも乏しい。それはHIV-1Nの人集団への持ち込みがHIV-1MやOより近年だったからだと思われる。
    HIV-1Pはゴリラのサル免疫不全ウイルスと近縁関係にあった。
    HIV-2の由来はスーティーマンガベイ(西アフリカの海岸地域に生息する小さなサル)である。その生息域はHIV-2の地理的分布と一致する。スーティーマンガベイのサル免疫不全ウイルスとHIV-2の遺伝子配列は非常に相同性が高い。
    HIV-2は遺伝子の多様性から8つのグループに分類される。人の間で流行しているのはグループAとBだけである。グループCからHはリベリアやシエラレオネ、コートジボワールで個別的な感染例が報告されるだけである。HIV-2の分布は主に西アフリカに限られ震源地はギニアビサウにあることが明らかにされた。HIV-2はHIV-1より血中ウイルスが低量でその結果感染性が低いことが判明した。
    HIV-2の感染は性的接触によっておこったというよりもむしろ注射によって伝搬した可能性が高い。医原性感染が大きく減少したため緩やかにではあるが、今後HIV-2は消えていくだろう。
    もし注射による感染がギニアビサウにおけるHIV-2の出現に重要な役割を果たしたとすれば、同じことが大陸のほかの地域で20~30年前にHIV-1が出現した際に起こったとしても不思議はない。

    サル免疫不全ウイルスは植民地化以前にはHIV-1に変化しなかった。なぜなら火器がなかった当時サルの狩猟は今よりもっと難しかったに違いない。性的接触や注射器を介して大規模な増殖を許すことになった環境もまだ存在していなかった。
    前植民地時代に狩猟者や料理をする女性がサル免疫不全ウイルスに感染したとしても感染は疫学的袋小路に入り込みそのまま消滅した可能性が高い。
    患者数は少なかったので奴隷貿易の時代にウイルスが大西洋を超えることは少なかったし、20世紀初頭にアフリカを訪れた熱帯医学の先駆者たちによって病気が発見されることもなかった。
    1921年にツェゴチンパンジーが生息している国の一つにウイルスに感染した人が2人いたとする。性感染では40分の1や80分の1の確率でしか売春婦に移さないことになる。
    しかし、注射器や注射針の再利用によって感染拡大は避けられないものになった。最初は同じ病院や移動診療班によって治療を受けた患者に限定されるが、ひとたび感染者の数が数百人に達すると都市に移動し売春婦に感染させ性的接触による感染が起こる可能性も増える。
    1960年から61年ごろにかけてレオポルドヴィルに1日に何人も客を取る売春婦が現れると感染がさらに拡大した。
    HIV-1MサブタイプBウイルスは1966年ごろに中部アフリカからハイチへ輸出され、ハイチからアメリカへ数年後に再輸出された。
    ハイチ人エリートがコンゴで働くのにはいくつか利点があった。第一に彼らは黒人だった。第二に彼らは高い教育を受けフランス語を話した。第三にコンゴへの派遣は国で働くより高給を保証してくれた。何百人ものハイチ人が教師や医師としてコンゴへ向かった。
    コンゴから帰ってきたハイチ人が女(おそらく売春婦)に感染させた。そこから感染の連鎖が回り始めた。
    だがなぜHIV-1のハイチへの持ち込みは、疫学的袋小路に陥らずに拡大に成功したのだろうか。それは商業的売血と血液貿易である。血液提供者から血液受容者への伝搬だけでなく血液提供者から提供者への伝搬も起こった。注射器や注射針、チューブの再使用から感染は起きた。これはHIV感染にとって最も効率が良い感染様式だったはずである。
    受容者は1回の治療に当たり、数千人から数万人の血漿中に存在する病原体に暴露されることになる。
    ハイチからアメリカへ血漿が輸出され1980年代に入ってHIV-1MサブタイプBウイルスはアメリカから西ヨーロッパに輸出された。この輸出にはいくつかの経路が存在した。第一は男性同性愛者、第二は非加熱血液製剤による経路、第三は薬物常用者を通じた経路である。アメリカはまたHIV-1をカナダや中南米、オーストラリア、南アフリカ共和国へも輸出した。
    約10年の潜伏期間の後、患者は様々な日和見感染症を発症した。それが1981年に『疫学週報』に発表された画期的な記事によるこの新たな病気の認知へとつながっていくことになったのである。エイズはこうして生まれたのであった。

    エイズが出現した第一の要因は中部アフリカで見られた社会変化である。第二には滅菌されていない注射器と注射針の再利用である。善意のもとに行われた介入がいい結果だけでなく微生物レベルでの危機的な状況の出現をもたらした。

    作者は、「宇宙探検は愚かなことである。地球の資源は完全に異なる形の、人類に無害である保証のない微生物を地球に持ち込む危険を冒すような科学的冒険に使うのではなく地球を守るために使われるべきではないか。」と問いかけて終わっている。

  • 第1章 アウト・オヴ・アフリカ
    第2章 起源
    第3章 タイミング
    第4章 カットハンター
    第5章 過渡期のアフリカ社会
    第6章 最古の商売
    第7章 ウイルスの感染と伝播
    第8章 植民地医学の遺産(1)
    第9章 植民地医学の遺産(2)
    第10章 その他のヒト免疫不全ウイルス
    第11章 コンゴからカリブ海へ
    第12章 血液貿易
    第13章 感染のグローバル化
    第14章 パズルの組み立て
    第15章 エピローグ

  • エイズの発生と流行の経路を、最新の科学成果を使って予測したもの。話の展開がおもしろく、ひきこまれる。またアフリカの植民地時代やハイチでの流行期の歴史・文化についても記述されていて、情報量が豊富、また非常におもしろい。
    訳も秀逸。

  • ジャック・ペパン『エイズの起源』みすず書房、読了。HIVはいつ現れ、どのように世界に広まったか。その考証を、80年代前半、アフリカのザイール(現・コンゴ)での医療経験と膨大な資料を踏まえ、著者は、発生と拡大の経緯を本書で詳論する。 http://www.msz.co.jp/news/topics/07778.html

    HIVはSIV(サル免疫不全ウイルス)をその源ととする。植民地開発の進行は、ツェゴチンパンジーまで食用へと踏み込む。捕獲、解体の過程での血液・体液の接触が種を超えた感染を導く。加えて近代医療の不徹底な導入(例えば注射針の内回り)が加速させる。

    医学の歴史とは感染症との対応の歴史と言ってよいが(加藤茂孝『人類と感染症の歴史』丸善出版)、HIVの特色とは、開発、貧困、人道支援が密接に錯綜することで短時間で拡大することに。明日に備える上で基礎的経緯を詳論する本書の意義は大きい。

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