GDP――〈小さくて大きな数字〉の歴史

制作 : 高橋 璃子 
  • みすず書房
3.90
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本棚登録 : 185
レビュー : 22
  • Amazon.co.jp ・本 (168ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622079118

作品紹介・あらすじ

GDPは経済状態を正確に反映しているのか。何を、どうすることで導き出されているのか。その利点と限界を的確に理解するための必読書。

感想・レビュー・書評

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  • 近代経済小史を通じて、国民経済計算の変遷とこれからの課題についてコンパクトにまとめられた本です(本編は147ページ)。

    国民経済計算は、戦争に当たって戦費がどれだけ調達できるかを把握するために18世紀に具体的な取り組みが始められてきたが、大恐慌におけるケインジアンの財政介入以来必要不可欠なツールとなり、1942年にアメリカでGNPが計算され、以来GDPは経済政策や途上国への援助にあたってのベンチマークとして今日まで用いられている。一方で、経済の変化や複雑化(最も大きな原因は経済が物質的なものから形の無いものにウェイトを移してきていること)、持続可能性(環境や自然資源)に鑑み、GDPのあり方は常に変化を迫られている。その上で、著者の意見は、GDPは福祉指標や真の進歩指標といったものに取って変えられるものではなく、両者は全く別のものであり、GDPは依然として最も力がありかつ不完全な経済指標であり、改善の余地があるものであるとしている(福祉指標のようなものは、それはそれで意義があるので、「ダッシュボード」にGDPとともに並べられる使い方が最も有りうるだろう)。

    そもそも、GDPは経済の様子を知るために恣意的に作り出された指標であり、経済の様子そのものではないことに気を付けなければならない。さらに言えば、GDPは経済政策により操作できる。というのも、経済政策により操作できる範囲の経済を表現したのがGDPであり、その定義を支えているのはケインズが考えた経済モデルであるからである。そして重要なのは、GDPは生活の豊かさを測る尺度ではないし、そのように意図されているわけでもなく、GDPは生産量を測る尺度であるということである。

    一方で、GDPが経済政策のために恣意的に作られたものであるということは、裏を返せば経済政策により達成されるべき目標のための手段であり、その目標が達成されるためであれば手段は問われない。GDPの増加そのものが目的ではないし、現在のGDPがその目標にそぐわなくなっているのならば、存在を守るために自己改革をしなければならない。

    経済指標は豊かさや幸福を測るものではないが、当然経済指標を通じて豊かさや幸福を達成したいと企図されているわけであり、幸福のあり方について考える際にも、この壮大で複雑すぎる存在であるGDPについて理解する意義はあるでしょう。

  •  一国の経済規模を計るもっとも基本的な数字であり、そのために国家の行方を揺るがしうる数字。そのGDPが産まれる経緯や仕組みから見えてくるのは、「経済成長とはなにか、なんのために経済規模を測るのか」ということが、GDPそのもののなかに含まれているということです。それは絶えず生じる技術的な課題であると同時に社会的な問題でもあります。つまり、そのときどきの学術的な議論や世論の論説、場合によっては政治的な要求などによって変化してきたということです。
     経済成長とは何なのか。いまこのように問い直す筆者は、国民総幸福量や持続可能経済福祉指標といった「豊かさ」を測る新しい指標などに対するGDPの有用性を示しつつ、それらの批判を踏まえながらGDPをより適切な指標とすることが必要だと説きます。(クズネッツという人が1937年に豊かさや福祉に関する指標を目指すべきだと唱えていた。GDPに関する問題を先取りしている)
     GDPという数字から、経済の全体像がぼんやりと見えてきます。面白い入門書だと思います。

  • 正直に告白すれば、マクロ経済学に関する啓蒙書をいくら読んでも、このGDPという概念については「肚に落ちる」という感覚を持つことができないでいた。この本を読めばもう少し目が開くかも、と期待し購入したが、やはりそれは変わらず。しかし落胆したかといえば全くそうではなく、寧ろこのような概念が理解できないのはある意味で当然なのだとの思いを強くした。

    何しろこのGDP、計算方法にはっきりとした定めがあるわけでもないため、かなりの恣意的な操作が可能だ。またそもそもその定義すら怪しく、例えば物質的な生産でないいわゆる「サービス」を含めるべきかすら未だ議論の余地を残すほどだ(金融業のようなインパクトの大きい業種ですら付加価値を生んでいるかどうかは決定的でない)。また何よりもcontroversial だと思えるのは、政府支出が現在のように当然にGDPに含められて計算されるようになったのは多分に政策的な意図によるものであり、これを「含める」のではなく「控除する(「含めない」ではない)」とする考え方も十分に成り立つということ。プラマイの符号が逆ということは、それぞれの場合の数値が全く異なるものを追っている可能性を強く示唆している。著者の立場はもし「経済活動に携わる人々の幸福の度合い」を計測するのであれば、後者の方法によるのが合理的だとするもの。確かに政府支出と国民の幸福度が単純パラレルであれば政府はひたすら財政拡大路線を取ればいいわけで、それほど事態がシンプルでないのは少し考えてみればすぐ理解できる。

    「そもそもGDPというものが…政策のハンドル操作で、(少なくとも短期的には)増加するようにつくられている」(p60)…この言葉がGDPという概念の持つ怪しさを十分に表している。もし政府がGDPを数値目標として掲げるならば、それは少なくとも一部は単なるトートロジーの体現である可能性が高い。「GDPが100兆増える?ファンタスティック!」素朴な経済観を持つ人ならばそう思うだろう(それがまさに政府の思う壺なのだが)。「GDPは生活の尺度を測る尺度ではないし、そのように意図されてもいない…GDPは生産量を測る尺度なのだ」(p96)。首尾よく生産目標が達せられたとしよう。しかしその結果実質的にあなたの懐がどの程度暖まるかは、全く異なる次元に属する問題なのだ。

  • この世で最も影響力を持つ統計量、GDPの歴史。あくまで"生産"の指標であり、豊かさの指標ではない。さらに、時代が進んで生産量を測ることのできない産業が多くを占める中、算出は複雑を極め、また恣意性も含まれており、数値の正確性には疑問が残る。しかしGDPによって途上国への援助額が決定し、国の将来予想に使用されるされるという現状。GDPに代わる有効な指標はなかなかないが、ダッシュボード式は面白い。

  • GDP(国内総生産)といえば、泣く子も黙る恐怖の数字である。いや、実際のところ泣く子は黙らないだろうけど、一国の首脳を泣かせたり、あるいはクビを飛ばすくらいのことはできる数字ではある。

    本書では、そのGDPという数字の誕生から今日に至るまでの歴史と問題点について学ぶことができる。一夜にして60%もGDPを増やした国やGDPの改ざんを拒否したために犯罪者になった人物など意外とスリリングな話も織り交ぜられている。

    かつてサイモン・クズネッツが述べたようにGDPは国の真の豊かさを示すものではない。真の豊かさを考えるのであれば、これからのGDPは環境の持続可能性や人的資本を加味したものになる必要があるだろう。そして経済の中心が製造業からサービス業に移行する中で本書は国の豊かさを表す指標のあり方を考えるよい機会になるだろう。

  • この一冊GDP ダイアン・コイル著 統計めぐる問題点を分かりやすく
    2015/10/25付日本経済新聞 朝刊

     偏差値使用の是非が激しい教育論議を巻き起こすように、国内総生産(GDP)を巡る経済議論は尽きない。偏差値信仰が教育をダメにしたという議論がある一方、学力テストの開示が急務という首長もいる。GDPで測られる経済成長はもうやめようという声がある一方、マイナス成長は野党から政府への攻撃材料だ。幾多の批判がありながら、GDPが重視され続ける理由は議論のたたき台となるべき統計が他にないからだ。







     本書は凡百の超越的GDP批判本ではなく、無味乾燥な解説本でもない。市場と成長をもともと重視する手練(てだ)れの著者が、GDPの有用性を認めながらも、内在的な批判と問題点を分かりやすく説明した大変貴重な本である。本書を読むことで、GDPに対する何かもやもやとした気持ちから解放されることが請け合いである。実際、GDPを題材にして、笑い事じゃないけれど笑ってしまうエピソード満載のエキサイティングな本が書けるとは驚きだ。


     本書のポイントは多岐にわたるが、中間投入の計測を巡る以下の諸点が評者には興味深かった。ソフトウエアを原材料中間投入と考えればGDPは増えないが、投資と考えれば増える。金融仲介の生産高の計測は難しく、現行の金利差を使う方法ではリスキーな投融資が大きいほどGDPは増える。そこでリーマン・ショック直後に英国の金融仲介業は空前の成長を遂げたことになってしまった。


     一方、公的部門の生産高は賃金など費用で測られるため、巨大な政府部門の存在は一人あたりGDPの上昇につながっている。つまり金融国家も福祉国家もGDP計測上の技術的な問題から生じる過大評価の可能性がある。これでは偏差値信仰と同じく、我々はGDPという便利なショートカットに振り回されているのではないか。


     本書の限界は国民経済計算という幾多の統計からなるマクロ経済の総決算書の中で、GDPだけに注目している点である。生産高動向を知りたいだけなら、電力消費量などを見ればよい。しかしGDP速報値だけでなく、遅れて発表される確報における統計の相互連関が我々のマクロ経済に対する理解を深めている。昨年度の我が国でも項目別の税収が増えているのに、マイナス成長が発表されるなど各種統計の整合性には謎が多く、相互連関が問われている。本書を再読しながら、12月に予定されているGDP確報(2014年度)の発表を固唾をのんで待つことにしよう。




    原題=GDP


    (高橋璃子訳、みすず書房・2600円)


    ▼著者は1961年英国生まれ。オックスフォード大で学び米ハーバード大で経済学の博士号を取得。著書に『ソウルフルな経済学』など。




    《評》首都大学東京教授 脇田 成

  • 経済学をやっていると経済データが何を表しているかに無頓着となりがちだ。
    本書はGDPの成り立ちについて書いた本だが、現行のGDPの問題点を扱っている後半部分が特に参考になった。
    大きな問題として、現代は多品種少量生産の時代となったため、昔に比べて同一の財・サービスの価格を時系列に比較することが困難になっているということがある。
    別の問題として、金融機関の生み出す付加価値をどう定義するかということがある。英米は金融がGDPに占める割合が大きいが、実は統計の見かけだけで実体がないかもしれないのだ。
    これらの論点を知らずに、表面的なGDPの動きを信じてマクロ経済を語るのは危険である。
    本書は経済学部の学生、仕事でマクロ経済のデータを扱う人に是非一読していただきたい本である。

  • 経済を語る上で欠かせない指標であるのに、よくわからないもの。基本からその歴史、課題まで。

    ・戦費調達のための概念としてのGNP, GDP

    ・GDPは生活の豊かさを測る指標ではない
    →ネガティブな活動によっても増加する

    ・GDP算出の三方法:生産、支出、所得
    ・GDP計算の困難さ
    →実質GEP算出のためのインフレ率を求める各財、サービスのウェイト
    →財、サービスの品質向上を加味できない
    →データ収集が困難、統計の不正確
    →生産に加味できない活動(家事、自己勘定等)

  • 2018/07/27 初観測

  • GDPの歴史を振り返りながら、その強みや弱みがどこにあるのかを理解できる。

    特に大切だと感じたのが、当初は国民の生活の豊かさを計測することを目的に開発が始まった国民経済計算の仕組みが、やがて物質的な生産力という豊かさのあくまで一側面を計測する指標の開発に変化していったということである。

    もちろん物質的な豊かさは全体的な暮らしの豊かさに関係するが、それだけがすべてではない。従って、GDPで測られる豊かさを過信することは、現実の評価を誤る原因になる。

    本書ではそのような誤りを避けるために、GDPが何を「測れないのか」といったことも議論している。

    製品やサービスの多様性、無償の労働といったものが生み出す豊かさや、環境破壊や資源の浪費が生み出す負の豊かさや持続可能性の喪失を、GDPという指標では測ることができない。

    GDPの計測方法自体を改良していくことも重要であるし、GDP以外の視点やそれをもとにした指標も併せて評価に加えていくことも重要であろう。

    最後に、本書の中でも何度か言及されているが、GDPに限界があるからと言って、まったく新しい万能の指標を求めるのはよくないということは、心に留めておきたい。

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