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Amazon.co.jp ・本 (248ページ) / ISBN・EAN: 9784622079637
作品紹介・あらすじ
ロシア戦線で左手を失い、故郷の山あいの村で郵便配達人として働く17歳のヨハンを主人公に、同じ年でドイツの敗戦を経験した作者が自分の生きてきた時代が犯した過ちを正面からみつめ、誰もが等しく経験せざるをえなかった「戦争の本当の姿」を渾身の力をこめて描く。
感想・レビュー・書評
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第二次大戦末期のロシア戦線で左腕を失い、故郷ドイツの山あいの村で郵便配達人として働く17歳の青年ヨハンの物語です。ヨハンの郵便物には「死亡通知書<黒い手紙>」の配達があり、戦地からの帰りを待ちわびる村人たちの慟哭の叫びがこだます、逃れようのない戦争の悪夢の日々が描かれていきます。熱狂的なヒトラ-支持者、SS隊員の孫の戦死を受け入れずにいる老婆、ポーランドやウクライナからの強制労働者など戦時下に生きる人々のエピソ-ドと衝撃的な結末は、敗戦国ドイツが背負った贖罪の物語として、胸が締め付けられる物語です。
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パウゼヴァングは、残された人生を、自分が体験し、そして今後決して同じようなことを体験させてはならない、ナチスドイツ時代を書き残すことに全力を注いでいる。
『そこに僕らは居合わせた』では、様々な立場の人々を描いたが、この本では、ドイツ中央部の森林地帯、つまりドレスデンなどの都市と違って、直接空襲を受けず、田舎の人々の生活が比較的守られた場所で、戦争がどのような惨禍を引き起こしたかを丁寧に、そして周到に描いている。
すべての登場人物がリアルだが、物語の仕掛けを忘れず、読み物として最後までひきつける工夫をしているのは、やはりどうしても最後まで読んでほしいからだと思う。
主人公の父、預言者のような少年、顔をなくした男など、すべての登場人物が、必ず何らかの役割を物語の上で果たしている。
物語としてたいへん読みやすく面白いので、万人に薦められるし、映画にしてもいいと思う。いや、ぜひしてほしい。
『見えない雲』よりいい作品になると思う。 -
グードルン・パウゼヴァングの『片手の郵便配達人』を読んでみた。
第二次世界大戦の終戦近い1944年8月から物語は始まる。かつて生粋の愛国少年だったヨハンは戦地で左手を失い、17歳になった今は故郷のヴォルフェンタン地方で郵便配達人として村々を巡り歩いていた。
戦地から離れたこの地方の人びとにとって、貴重な情報源でもある郵便配達人は、戦地からの生存を知らせる希望をもたらす存在であり、戦死を伝える「黒の手紙」によって絶望をもたらす存在でもあった。しかしヨハンはその仕事を自分の意志で引き受ける。彼にとって郵便配達人は単に手紙を届けるだけではない。父の戦死を伝える「黒の手紙」を受け取って悲嘆にくれる母子にも、息子の戦死という現実を受けいれられずにいる老婆にも寄り添い続ける。村の人びとの心に寄り添う仕事なのだ。そんな信念を理解してか、村人らのヨハンに対する信頼も厚いことがうかがえる。
郵便配達人は人びとにとって、戦争の状況や村同士の細かな情報を伝える情報源でもある。ヨハンの日常を通じて、戦争の影響がこの田舎にも徐々に波及してくる様子が描かれる。戦地にならずとも戦争の影響はやってくるのだ。疎開してくるさまざまな国の人間。彼らを自宅に受け入れる村人たち。増えてゆく「黒の手紙」。自殺を図る村人。
もっとも、戦争の影響という点でいえば、その下地でもある人種主義、愛国主義的な価値観に対する人びとの影響というものも考えずにはいられない。田舎だからか、ナチスやヒトラーに対して批判的な人も多くいるけれど、積極的にナチスを支援する人もいる。ヨハン自身、そうした価値観のもとで教育を受けたからこそ英雄として名を挙げたいと望んだのであり、それによって失った左手を「勇敢であった」と一言で片づける教師によって、その価値観は壊されたのであった。
パウゼヴァングの物語に共通するのは、戦争への強い反感と平和への願い、そしてそうした願いが思い通りにならない現実のやるせなさではないかと思う。戦争への強い反感というのは明らかで、それはヒトラーを批判し続けるヨハンの母親などに象徴的に描かれているところでもある。そして愛国少年だったヨハンや、最後までヒトラーの勝利を疑わなかったマリエラは、かつての著者自身の投影なのかもしれない。
そしてやるせなさ、こちらが物語の中心にあるように思えてならない。よかれと思ったことが裏目に出ることは現実にもよくあるけれども、それが思わぬかたちで結末に現れる。それは衝撃的であると同時にやりきれないものがあり、不愉快であると同時にどこかで納得もしてしまうような結末だ。誰が生きて誰が死ぬのか。誰が善人で誰が悪人なのか。善悪そう単純に割り切れるものではないし、戦争がもたらす現実は無慈悲だ。腹立たしいけれど、どうしようもない。そんな無力さを思い知らされる本だった。 -
見事に「静謐な文学の内に秘められた戦争の不条理さを訴える文学」だと感銘を覚えた。古今東西問わず、声高に訴える文学はあまたあるが女性でありながら「恒久平和」を死ぬまで己が勤めと思い続けている魂に打たれる。
フィクション故、万人に受け入れられるような普遍性のあるストーリー・・心現れるような美しい文体、アダルト文学と言ってもいいような平易な文章が好ましい。
17歳という人生の出発点で受けたダメージに挫けることなく立ち上がり、すがる母の愛も失い、最後には愛するひとすら去って行った彼。余りにもというような惨い運命の選択肢すら、受け入れようもない出来事。
パウゼヴァングはここまで厳しい事実を彼につきつけることにより、戦争の惨さ、降り注ぐ雨つぶの如きものとして後世に伝えたかったのだろうか。
郵便配達人と言えば『イル・ポスティーノ』の彼、中国映画の「山の郵便配達夫」を思い出す。どの人物も「定点観測」に立つ自身の任務を果たすことで人々の日常を見つめ、伝えてくれている。
70年かけて伝えてくれている筆者の熱い言葉に私は首をたれた~日本も独と同じように周辺諸国に非礼な数々をなして来た。その事実とどう向き合ってきたのでしょうかと・・向き合ってきていないと、私は思います。
これが真実の姿だと。 -
本屋で見つけて気になっていた。
戦争中の日常が静かに描かれる。
みんな普通そうに見えるが、普通じゃない。
いや、普通だと思っているだけだ。
普通に人を殺すし、傷つけるし、
人は傷つけられるし、殺される。
読みなおした文字列になんともいえない気分になった。
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文学
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戦争を知る人がいなくなるから、このような良書は残し、語り継がれるべきだと思う。それにしても、ラストはただただ、びっくり。
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衝撃のラストシーンに、陰鬱な読後感。
第二次世界大戦のドイツ、小さな村に住む片腕の少年郵便配達人の物語。
手紙を配達する、村をつなぎ止め、そして自分もその中で生をつなぐ。切ないほど、誠実な少年と戦争の道化じみた社会。
素晴らしい小説だった。
今、日本人として背負うもの、課題を考えさせられる。
こんなレベルの小説、最近の日本には見当たらないのはなぜだろう。 -
「ライフ・イズ・ビューティフル」にも似た、切ないラスト。
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ドイツの山間の片田舎を舞台とした、第2次世界大戦終盤の1年弱の物語。郵便配達員として山間の村々を毎日20キロほど歩きまわる主人公の若者ヨハンと、そのヨハンが郵便を届ける人々のお話。若い郵便配達員のヨハンは、前線に出てすぐ片腕を失って再び故郷に戻って郵便配達員をしている。ドイツの旗色が悪くなってきた終盤の人々の日常生活が舞台。戦場が舞台ではなく、この様な時期のドイツの人々の生活を描いた物語を読むのは初めてだったが、日本の終戦直前と大差ないと感じた。色んな村と、多くの人々が登場してくるんだが、やはりカタカナの名前がどうも覚えきれず、読んでて誰だったか分からなくなるのが難点。邦訳書籍には、人物リストと、村々の場所の関係を表す地図を掲載して欲しかった。あと、主人公がラストに向かえる悲劇がとても切なくてやりきれん。
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第二次大戦中のドイツの田舎、前線からは遠いが、戦争によって愛する者を奪われる人々を、郵便配達員の目を通して描いている良作。ではあるけれど、途中からフラグ立っていてラストがある程度予測できてしまうのが惜しい!
3月8日、世界女性デー中央大会で、郵便局の労働組合の人たちは「二度と赤紙を配達しない」とおっしゃっていたけれど、ほんとうにそうでありますように。
主人公のヨハン(愛称ハネス)は『遺失物管理所』を思わせるような感じのいい若者なのだが。ドイツ版『厳重に監視された列車』といった感じか。 -
衝撃のラスト、と書評にあったので何の気なしに読んでみた。本当に衝撃を受け、その晩はうなされました。
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1941年夏のことだった。国の政策は昔ながらの図書館をめちゃくちゃにしてしまった。中身がガラリと変えられたのだ。ユダヤ色や共産主義色のある本は、アーリア、ゲルマン、原初ドイツ的な本と入れ替えられら。山のような箱が届き、新しい本が並べられた。
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戦場で片手を失いあっけなく故郷に帰ってきた若い郵便配達人の日常を淡々とつづる。
悪化していく戦況とはうらはらに季節の移り変わりをキラキラと輝くような繊細な描写でつづりながら、しかしこれは、なんという、なんという結末。戦争とはこういうものだ、と現実に引きずり戻される。 -
朝日新聞の書評欄で知る。見習い兵士として前線へ行った2日目に左手を失くし、帰郷して郵便配達の仕事に復帰した17歳のヨハン。彼が地元の7つの集落をめぐって郵便を配達し収集する日々を記した、1944年8月から1945年5月の10ヶ月間の物語。淡々とした筆致で進められる物語はドイツの物語なのにモノローグで進む仏映画のよう。衝撃的な描写(負傷兵の傷、それぞれの家庭の事情)はあるけど、あまり起伏のない物語に正直最初の2、3章は読みながら眠ってしまった。しかし読み進めるうちにいつしか自分がヨハンになったかのように7つの集落の住人たちと知り合いになり、その事情を知り、同じように黒い郵便(死亡、行方不明通知)にドキドキするようになる。ヨハンは愚直に郵便配達の仕事に従事し、手紙を受け取る人々の悲喜交々、とりわけ悲劇が重なっていく。訳者あとがきにあるが、現実の世界でも軍事郵便を待っていた人々がやがて郵便配達人が家の前を素通りすると安心するようになったという(日本でも同様の話を聞いたことがある)。戦時中だが7つの集落で戦闘はなく、ただ砲弾の音が聞こえる程度。当たり前だが戦時中でも季節は移ろいゆく。秋から厳冬、春、初夏と移る季節の描写が美しい。ところが終戦を迎えた途端にこの7つの集落の地に戦争の現実が入り込む。それまでのんびりしたテンポだったのが最後に畳み掛けるようなテンポとなり、そして衝撃の結末。正直あまりに救いのない結末に読後感が悪く、就寝前だったので悪夢を見ないよう、しばし他のことを考えたり音楽に気持ちを移してから寝た。こんな結末にする必要があっただろうか。実際この著者の作品について「いたずらに不安を煽る。」(訳者あとがき)という批判があるそうだ。しかし結末はともかく、”奇跡の兵器”(原爆?)で勝利するというプロパガンダとそれを信じる人々、”原始ドイツ的”な本が置かれるようになった図書館、ナチスを盲信する若い世代が描かれているところは現代に対する警鐘として描かれるべきことだろう。一方でこの時代にこんな発言ができたかと思うほど反ナチ的発言もが多い。秀才児に未来を予言するようなことを(「ヒトラーは自殺すると思う」など、それらはすべて現実に起こったことなのだが)次々と言わせてみたり。ヨハンが恋に落ちるイルメラは、彼の母と同じ助産婦であり、生命を導く仕事をしている人間らしく「これからはいい時代が来る。私が取り上げた男の子たちはもう決して戦争に行かなくてすむ。戦争を経験した世代がそうしなくちゃ。そのひとたちが生きている限りー」それは寓話の形でなしたこの物語のところどころにそっと挟み込まれた著者からのメッセージだと受け取った。
グードルン・パウゼヴァングの作品
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