死すべき定め――死にゆく人に何ができるか

制作 : 原井 宏明 
  • みすず書房
4.52
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本棚登録 : 272
レビュー : 29
  • Amazon.co.jp ・本 (312ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622079828

作品紹介・あらすじ

人類史上もっとも人の寿命が長くなった今、医師やまわりの人は死にゆく人に何ができるのだろうか? 全米で75万部のベストセラーとなった迫真の人間ドラマ。現役外科医にして「ニューヨーカー」誌のライターでもある著者ガワンデが、圧倒的な取材力と構成力で読む者を引き込んでゆく医療ノンフィクション。

【英語版原書への書評より】
とても感動的で、もしもの時に大切になる本だ――死ぬことと医療の限界についてだけでなく、最期まで自律と尊厳、そして喜びとともに生きることを教えてくれる。
――カトリーヌ・ブー(ピュリツァー賞受賞ジャーナリスト)

われわれは老化、衰弱と死を医療の対象として、まるで臨床的問題のひとつであるかのように扱ってきた。しかし、人々が老いていくときに必要なのは、医療だけでなく人生――意味のある人生、そのときできうるかぎりの豊かで満ち足りた人生――なのだ。『死すべき定め』は鋭く、感動的なだけではない。読者がもっともすばらしい医療ライター、アトゥール・ガワンデに期待したとおり、われわれの時代に必須の洞察に満ちた本だ。
――オリヴァー・サックス(『レナードの朝』著者)

アメリカの医療は生きるために用意されているのであり、死のためにあるのではないということを『死すべき定め』は思い出させてくれる。これは、アトゥール・ガワンデのもっとも力強い――そして、もっとも感動的な――本だ。
――マルコム・グラッドウェル(「ニューヨーカー」誌コラムニスト)

感想・レビュー・書評

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  • 原題は"Being Mortal --Medicine and What Matters in the End"。

    著者は現役の甲状腺外科医であり、ハーバード大学関連病院であるブリガム・アンド・ウィメンズ病院に勤務するかたわら、文芸誌「ニューヨーカー」の医学・科学部門の執筆も務めている。本書は同誌に連載されたエッセイが元になっている。

    臨終に際して、人と医療がどう関わるか、またどう関わるべきかがテーマである。
    類書は数々あろうが、本書を際だったものにしているのは、多重性がある視点であり、その柱は3つある。
    1つは、患者とその家族の「その日」に向かう日々を描くルポルタージュとしての側面。1つは、医療界の内幕も知る医師ならではの臨終期医療が孕む問題についての鋭い分析。そしてもう1つは、死を間際にして、よりよく生きるとはどういうことかに関する著者自身の深い思索である。

    現代医療の発展は、かつてないほど人を長生きにした。しかし、終末期医療は、必ずしも人を幸せにはしない。ところどころで落とし穴にはまりながら坂を転がっていくような経過を辿ることも珍しくない。治癒する可能性はゼロではないものの限りなくゼロに近い治療を続け、「こんなはずではなかった」最期を迎える人もいる。
    なぜそうなのか、そうならないためにはどうすればよいのか。多くの実例、分析、考察を示す本書は、示唆に富む。

    病院は、基本的に病気を治すところである。患者の体調に不具合が生じれば、何らかの対処法を示し、実践することになる。その際、示される治療法は、効く可能性もあるが、効かない可能性もある。病気を治そうと頑張る患者は自分が治る方に賭けようとする。医療者が余命はあと数年と思っている場合でも、患者と家族は10年、20年単位で考えている。患者の期待に反する告知をするのは、医師にとってもつらい。こうした認識の相違は容易には解消されない。

    老人ホームは、歴史的に、「医学上の問題」を「長期間」抱えている人の受け皿として発展してきた。慢性疾患や加齢から生じる問題に、従来の病院は十分には対処できなかったため、受け止めきれなかった人々を「ケア」する場所として生まれてきたのである。余命わずかとなった人が残りの人生を豊かに過ごすことを目的とはしてこなかった。

    こうした流れに疑問を抱き、自ら施設を立ち上げた人々の例が本書で紹介される。
    なるべく自分の家と同じように過ごすことを可能にし、本人が望まない医療行為や過剰な管理を止める試みである。もちろん、世の流れに反すると言うことは、簡単なことではなく、こうした施設もすべて丸く収まっているわけではないのだが、可能性を感じさせる事例である。
    これらの施設や緩和医療を中心としたホスピスを見ていくと、「攻め」の医療を施した際よりも、場合によって、余命が伸びる傾向が見られるという。実現可能かわからない未来を目指して現在つらい治療を続けるより、現在を心地よく過ごすための最善の策を採る方が、結果的に、よい効果を生じる場合もあるということだ。

    終末期医療がテーマであるので、出てくる患者はほぼ最期を迎える。患者も家族もつらい時を過ごす。出口が見えない日々、胸を締め付けられるような話も多い。
    著者自身の父も、終末を迎える1人である。著者も両親も医師である。そうした家族にとっても、終末期は簡単なものではない。著者の父は脊髄腫瘍を患った。放っておけば四肢麻痺になるという。化学療法や放射線療法を採ることもできるが、効果はさほど望めない。手術はこれらより効果的と考えられるが、かなりのリスクを伴う。息子である著者はよりよい選択肢を求めて奔走する。父は自分の望む生活と治療のリスクを天秤に掛け、選択をする。
    選択は一度では終わらない。人生は続く。状況は変わる。ときどきの病状に合わせ、治療の効果を見ながら、患者と家族のぎりぎりの選択が何度も何度も行われることになる。

    臨終期が近づいていると感じても、死を前提にした会話をすることは難しい。けれども、患者が本当にどうしたいのか、聞きにくくても聞いておくことは、後の選択に重要だと著者は言う。
    出来るだけ食べたいものを食べたいのか。友人や家族との会話を楽しみたいのか。外へ出ることが大切なのか。ペットとふれあいの時間を持ちたいのか。何気ない希望でも聞いておけば、患者本人の意志を尊重した決定をする一助となる。

    日米の制度上の違いはあろう。そのまま当てはまらないことも多いだろうとは思う。
    しかし、著者の学識と温かい人柄が感じられる本書は、家族の看取り、自身の終末を考える上で、重要な示唆を含んでいる。
    誰しもが「死すべき定め」を負っている。臨終を考えさせ、深い余韻を残す好著である。

  •  医師であるアトゥール・ガワンデが『死すべき定め』で扱っているのは、死にゆく人に対して医療(*1)には何ができるか、ということだ。なかでも「社会情動的選択理論」や終末期医療の話が印象的だった。

     「社会情動的選択理論」とは、簡単に言えば、日々の生活における目標や行動などの志向は、年齢そのものではなく、自身に残された時間をどう認識するか次第で変わるというものらしい。老人はもちろん、残りの人生は短いと考えている。一方でたいていの若者は、まだまだ人生は長いと思っているだろう。しかしたとえば病気だったり不安があったりする場合など、なんらかの事情で先行きに不透明さを感じているときには、若者でも「老人のような価値観」になるそうだ(医学の進歩で寿命が20年も延びたと想像してもらったケースでは、老人が「若者のような価値観」になったとのこと)。
     ここでいう「老人のような価値観」とは、「現在ここにあるもの、日々の喜びと親しい人たちを大切にする」(*2)といったものだ。これは私の好きな言葉である “you have to die a few times before you can really live.”(*3) に通じるところがある。病気になったり怪我をしたりするのは、一時的にであれ死に近づくことだ。それは普通と見なしがちなことのかけがえのなさを、実感するきっかけにもなりうる。

     終末期医療に関しては、以下の部分に驚かされた。

      “がん対処研究に参加した終末期がん患者のうち三分の二が、自身の最期の目標についての話を主治医としたことがなかった。調査が行われたのは平均で死の四カ月前だったにもかかわらず。しかし、残りの三分の一、死について医師と話をした患者は心肺蘇生をされたり、人工呼吸器をつけられたり、ICUに入れられたりすることが前者よりはるかに少なかった。この患者のうち大半はホスピスに入った。あまり苦しまず、体力もより保たれ、そして他者との交流をよりよい形で、より長い間、保つことができた。さらに加えて、患者の死から六カ月後で、遺族が長期間のうつ状態におちいっている割合が明らかに減っていた。言い換えると、最期について自分の嗜好を主治医と十分な話し合いをした患者は、そうしなかった患者よりも平穏に死を迎え、状況をコントロールでき、遺族にも苦痛を起こさない可能性がはるかに高いのだ。”(p.174、訳:原井宏明)

      “病院での通常の治療を諦めた患者は、高用量の医療用麻薬を与えられて痛みと闘っているだけであり、他の多くの人々も私もホスピスでのケアは死を早める、と思いこんでいた。しかし数多くの研究がまったく反対の結果を示している。”(p.175)

      “この教訓はまるで禅問答のようである――人は長生きを諦めたときだけ、長生きを許される。”(p.176)

     一縷の望みに賭けて苦しい治療に耐えながらより長く生きるか、苦痛の緩和を優先してより早く死ぬか、このどちらかを選択するのだと漠然と思っていた。しかしどうやらそれは思いこみだったようだ。

     死に際して多くの人が望んでいるのは、最期の日々を可能なかぎり平穏で価値あるものにすることだろう。会いたい人に会い、伝えたいことを伝え、やりたいことをやり、周囲の重荷にならず、苦しむことなく安らかに死に、最期の姿を悲痛なものにしない。
     残された短い時間をできる範囲で本人の希望どおりにすること、それは死にゆく人のためであり、遺される人のためでもある。どのような生に耐えられて、どのような生に耐えられないか、優先順位や許容範囲は人によってずいぶん違う。望みを叶えるには、まずその望みを知らなければならない。しかし大切な人への思いやりから、望まぬ治療を受けてしまったりもする。
     本当の希望をどうやって知ればいいのだろう? じつは相手の考えを知る秘訣がある。それをここで伝授しようと思う。ニコラス・エプリーが『人の心は読めるか?』で、想像力の価値とその限界や弊害を説きながら導きだした、あの方法と同じものだ。その秘訣とは、相手に訊くこと、話しあうことだ。当然すぎるし冗談みたいな話だが、じっさいこれほど効果的な手段はほかにない。

     ガワンデも『死すべき定め』で、話しあいの重要性を語っている。話しあうことは基本中の基本でありながら、けっして易しいことではない。話題が死ともなればなおさらだ。
     迫りくる現実的な死について語ることの心苦しさは、書中で何度となく示される。限られた選択肢のなかで何を望み何を望まないのか、質問するのもされるのも怖い。口にするタイミングや言いかたなど、配慮すべきこともたくさんある。すべての当事者にとって、まさに「厳しい会話」(*4)であり、避けられるなら避けたいことだと思う。しかしいつかは誰もが死ぬのだ。

     ガワンデはこの「厳しい会話」を、医師としてだけでなく、父親を見送る息子としても経験する。

      “限界を延ばしつづけることから、限界の中で最善を尽くすことに方向転換することはたやすいことではない。しかし、延ばすことによる損失が、メリットを上まわってしまう時点があるのは明らかだ。この時点をいつにするのか、それを決める葛藤を父が乗り越える手助けをしたのは、私の人生を通じて最大の苦痛であったと同時に最高の経験だった。”(p.264)

     患者の具体的な希望は、一様でも不変でもない。価値観の違いだけでなく、容体の変化や現状の理解度でも変わってくる。話しあうことは、患者本人が状況をどう捉えたうえで何を恐れ何を求めているかを、ごく身近な人や医療者が知るのに役立つ。医療者が病状や治療ごとのメリット・デメリットをあきらかにし、患者が現状をより深く理解するのにも役立つ。「厳しい会話」をくりかえすうちに患者は、医療者と信頼関係を築いたり大切な人と絆を深めたりしながら、現実に取りうる選択肢を認識できるようになる。

     しかし選択すること自体が、そもそもあまりに難しい。

      “正しい選択は何だろうか。なぜ選ぶことにそこまで悩むのだろうか。私はふと、選択はリスク計算よりもはるかに複雑なことに気づいた。吐き気の軽減と再び食べられるチャンスの足し算から、痛みと感染症、バッグに排泄する生活を引き算するのをどうやってやればいいのだろうか。”(p.236)

     選択しないこともまた選択になってしまう。決断するのはこれ以上ないほど困難で、いずれにしても賭けでしかない。とはいえ少しでも穏やかな最期をむかえたいなら、熟慮のすえに主体的に選択することは、おそらく避けて通れないのだろう。苦しまないためだけでなく、苦しめないためにも。

     ガワンデが書いているのは、ある意味で生を諦めることだ。しかしそれは同時に、最期までよりよい生を諦めないことでもある。


    *1 基本的に標準医療(標準治療)のこと。標準医療と先端医療(先進医療)の違いに関しては、国立がん研究センターの「がん情報サービス」にある「がんの検査と治療」がわかりやすい。代替医療に関しては、同じく「がん情報サービス」の「補完代替療法(ほかんだいたいりょうほう)を考える」、あるいは、NATROM『「ニセ医学」に騙されないために』などが参考になる。
    *2 アトゥール・ガワンデ『死すべき定め』p.90、訳:原井宏明
    *3 チャールズ・ブコウスキー「breakfast」、『The People Look Like Flowers At Last』p.58
    *4 アトゥール・ガワンデ『死すべき定め』第7章タイトル

  • 490

  • 友人に勧められたんだけど、たぶんすごく賢い人なのかもうちょっと平易な言い方ってあるだろう、と思いつつ、特に前半は割と常識的な内容なので正直「何がそんなにいい本なのか?」と思わないでもなかった。でも読み進むにつれて医者が、そして親を看取った家族が、こんな風に筋道を立てて一生懸命に考えてくれていることに感銘を受けた。特に斬新なメッセージがあるわけではないんだけど、きちんと準備をしておく大切さを伝えつつ、なんだか前向きな気持ちにさせるっていうのはちょっとなかなかないぞ、と思った。

  • 前著『医師は最善を尽くしているか』に続き、読んだ後に色々と教えてしまう本。身近な人ー親や祖父母、場合によっては妻や夫などーが人生の最後を迎えるというのは誰にでも起こり得る。しかも唐突に。そんな時、私ならどう対処できるか。たぶん、多くの人はそんなことを考えたことがないはず。でもそれは誰にでも必ず起きることで、前もって考えておかなければならない。


    本書は今こそ読まなければならない本の1冊。

  • 人の死を看取った人、看取ることになる人はもちろん、いつか死ぬ全ての人が、死について考えられる良い本。

  • 序がいきなり「イワン・イリイチの死」から始まり、引き込まれた。避けられないことがわかっていても、直視できないのは誰もが同じだ。「終末医療」という言葉があるが、狭義の「医療」の領分ではないと考え始めている人が増えている。
    「私は心配しています」…患者にこういう言葉をかける医師が増えることを願ってやまない。

  • これまで読んだ本の中で、もっとも深く考えさせられる本。私たちは「何が原因で死ぬのか」を考え恐れるが、「どのように死ぬのか」、つまり「どのような経過をたどって死を迎えるのか」についてはあまり考えない。そして実際に死が避けられないとわかった時に混乱し、不安のどん底に突き落とされ、決して平穏とは言えない時期を長く過ごす。さらに悪いことに、その場所は病院や施設であり、ほとんど見込みのない(ことが多い)奇跡的回復を信じて、どんな苦痛や屈辱的な状態であっても、最新の医療技術(ただし、その人や家族に最適とは限らない)を受け入れたりする。「死」という不吉で縁起の悪い最悪な話題ではあるが、自分にとっても家族にとっても避けられない一大事であり、その日のために準備が必要であり、話し合いの勇気を持つことが必要だと感じた。ただ、どうして良いかわからない。

  • 死との対面、言葉の慎重さ
    できること、感謝愛情
    対話
    経験を共有できた

  • 【「教職員から本学学生に推薦する図書」による紹介】
    永野宏治 先生の推薦図書です。

    図書館の所蔵状況はこちらから確認できます!
    http://mcatalog.lib.muroran-it.ac.jp/webopac/TW00357866

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プロフィール

1965年生まれ。ブリガムアンドウィメンズ病院勤務、ハーバード大学医学部・ハーバード大学公衆衛生大学院教授。「ニューヨーカー」誌の医学・科学部門のライターを務め、執筆記事はベスト・アメリカン・エッセイ2002に選ばれ、2010年に「タイム」誌で「世界でもっとも影響力のある100人」に選出されている。著書 『コード・ブルー』医学評論社 2004、『予期せぬ瞬間』みすず書房 2017、『医師は最善を尽くしているか』みすず書房 2013、『アナタはなぜチェックリストを使わないのか?』晋遊舎 2011、『死すべき定め』みすず書房 2016)。 [個人サイト]Atul Gawande http://atulgawande.com/

「2017年 『予期せぬ瞬間』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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