富岡日記 (大人の本棚)

  • みすず書房 (2011年2月17日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (208ページ) / ISBN・EAN: 9784622080879

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  • 1873年に富岡製糸場に勤めた士族の娘の手記。信州松代藩の出で、国家の募集があった時に志願者がなかったことから、率先垂範する意図があった様子。さらに、地元に民間の製糸場ができるのに備え技術を習得する意味も大きかった。
    当時のことだから病人が出たのは事実だが、その看病にかかりきりになることもでき、休日に神社へ出掛けたり人によっては給金で掛け買いしたり、自由もあった。
    長州藩の女子に対して冷遇されたが、訴え出た点に対しては待遇が改善されたこともわかる。
    貴重な手記。森まゆみ氏の解説もよい。

  • おそらくガッコの青空市場でもらってきた、「みすず」って冊子で紹介されてたやつ。

  •  大震災の3日前、岡本健彦の展覧会を見るために群馬を訪れたとき、JR高崎駅の書店で、復刊されたばかりの和田英『富岡日記』(みすず書房)を買い求め、帰りの上越新幹線で1/4ほど読み進めた。しかしその後は周知のごとくカタストロフの日々となり、仕事面でも対応に大わらわとなって、そのまま「積ん読」となってしまった。
     ここへきて『富岡日記』を再び手に取ったのは、大震災による喪失感を埋め合わせる(「あの日に戻りたい」)という不毛なる妄想に駆られたゆえであろうか。ともかく、そのような的外れな愚考におよぶのは、どうやら私だけのようである。

     信州・松代藩の中級藩士の長女として生まれた和田英(わだ・えい 1857-1929)は、1873(明治6)年、16歳のとき、同郷の女子15名と共に出発。前年に群馬県富岡に完成したばかりの「富岡製糸場」の伝習工女となっている。この勝ち気な少女を突き動かしたのは、〈富国強兵〉〈殖産興業〉の観念そのもの。初めて製糸場の門前に立ったとき、「煉瓦造りの建物など稀に錦絵で見るばかり」であったため、「夢かと思いますほど驚きました」。まさに〈文明開化〉の光景である。
     英に糸のとり方を初めて教えたのは入沢筆という心優しい女性だったが、筆が新平民(維新後に平民となった賤民)だと人から教えられた英は、筆を敬いつつも、心の中では「人が何とか申しはせぬか」と考えてしまい、すまないことをしたと述懐している。人間精神の限界は、やはり自分の内面から壊していかねばならないが、時代による壁は容易に壊すことができない。ちなみにこの新平民のくだりは、1978年の中公文庫版ではカットされていた。
     とかく『女工哀史』『あゝ野麦峠』のイメージで語られることに、当の「富岡製糸場」はずいぶん当惑していたそうである。少なくとも英が勤めた創業時代においては、工場幹部は工女たちを「令嬢」として遇していることが、本書の英の回想でわかる。リーダーシップに長けた英はやがて、後発の「長野県営製糸場」の教授にまで任じられるが、23歳のときに軍人の妻となり、製糸業から足を洗った。

     「富岡製糸場」は大々的に官営で創業されたものの、その後は民間に払い下げられ、転々とオーナーが替わった。そして最後の持ち主は、「キヤロン」の「片倉工業」である(2005年に建物等を富岡市に寄贈)。1922年竣工のモダニズム建築である京橋の「片倉ビル」は、2009年までこの会社の本社だったが、再開発のため無残に破壊された。映画美学校創設の地である。

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