生きがいについて (神谷美恵子コレクション)

著者 :
  • みすず書房
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本棚登録 : 1295
レビュー : 123
  • Amazon.co.jp ・本 (360ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622081814

感想・レビュー・書評

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  • 時間のあるときに落ち着いて書こう、と思っていると、すぐに目の前のことで忙しくして、読書日記が書けなくなってしまう。
    もっと、ちょっとした感想でもいいから簡単に書くことにして、なるべく読んでからあまり遅れずに、日記を書いていこう。

    *  *  *  *

    久しぶりのブックレビューです。
    しばらく前から、作家の小川洋子さんが毎週日曜日の朝に、TOKYOFMでオススメの本を紹介されている「パナソニック メロディアス ライブラリー」という番組を気に入って聞いています。
    本書は、その中で取り上げられていて、興味がわいた1冊。

    著者の神谷美恵子さん(1914〜1979)は、幼少期をスイスで過ごしたのち、精神科医になられた、「優秀」とう言葉では足りないくらい才気に溢れた女性。
    本書は、彼女が瀬戸内海にあったハンセン病の療養所で行なった滞在・調査経験を軸に、執筆されています。
    「生きがい」とは何か、自分にはなすすべのない出来事によって社会的な地位や人間関係を失ったとき、人を支えるものがあるとすればそれは何か、様々な精神医学の文献や、古今東西の文学作品を引用しながら、体系立てて考察されています。

    文章がとても簡潔で読みやすい、というのが第一印象。
    でも、「生きがいの特徴」「運命というもの」「人生の夢が壊れること」「価値体系の変革」など一つひとつの項目について、自分の人生と重なる部分もあり、理解が及ばない部分もあり。
    読んでいくと、文章の上に自分の内面が映し出されていくような感覚があって、私は、果たして本当に生きがいを持って自分の人生を生きることができるだろうか? という問いがわいてきます。

    今の私が読んで、心に残ったのは、「悲しみとの融和」という一節の中の次の文章。

    「ここで注意をひかれることは、パール・バックが『中心をほんの少しでも自分から外せることができるようになった時』悲しみに耐えられる方向に向かったという点である。つまり自分のかなしみ、またはかなしむ自分に注意を集中している間は、かなしみからぬけ出られないということである。……ここではまさにこうした具体的な、短期の目標が必要であったのだ。それにむかって当座の注意とエネルギーがむけられる、そういう目標を設定することによって悲しみへの集中をふせげたのであった。」

    実家の食卓に『生きがいについて』の100分de名著ムックがおいてあり、聞いたところ、母も若いときにこの本を読んだという。
    私が、母くらいの年になって、この本をもう一度読んだら、どんな感想をもつだろう。
    時間をおいて読み返してみたい一冊です。

  • 神谷美恵子氏(1914~1979年)は、精神科医にして哲学書・文学書の翻訳者、エッセイストである。
    神谷氏は、内務省のエリート官僚だった父の転勤で小学校時代をジュネーヴで過ごし、帰国後津田英学塾に進学したが、オルガン伴奏者として初めてハンセン病療養所を訪問したことをきっかけに、また、自身が結核を患ったこともあり、医学の道を望むようになったものの、当初は父の反対にあった。その後、父の再度の転勤で渡米し、コロンビア大学大学院で古典ギリシア文学を学ぶが、在米中に遂に父から医学部進学の許しを得、コロンビア大学医学進学課程に進み、帰国後は東京女子医学専門学校へ編入した。卒業後は、神戸女学院大学や津田塾大学の教授として、精神医学やフランス文学の講義を行い、その間には、マルクス・アウレリウスの『自省録』をはじめとする哲学書・文学書の翻訳や、本書を含む作品の執筆など、幅広い実績を残している。
    本書は、著者が1957年に開始した瀬戸内海の長島愛生園におけるハンセン病患者の精神医学調査に基づいて、「生きがいとは何か」を問うた作品で、1966年の発刊から半世紀を経て読み継がれるロングセラーである。
    著者は本書で、1.生きがいということば、2.生きがいを感じる心、3.生きがいを求める心、4.生きがいの対象、5.生きがいをうばい去るもの、6.生きがい喪失者の心の世界、7.新しい生きがいを求めて、8.新しい生きがいの発見、9.精神的な生きがい、10.心の世界の変革、11.現世へのもどりかた、という項目を立てて、ハンセン病に罹患した人々の精神の変化をもとに、「生きがい」というものを俯瞰し体系化しようと試みているが、加えて、広範な読書歴を背景に古今東西の多数の哲学者・文学者の思想が引用されており、「いかに生きるか」を考える上で、普遍性が高く、密度の濃いものとなっている。
    印象に残るフレーズは限りなくあるが、ひとつ挙げるなら以下の部分であろうか。
    「死刑囚にも、レプラ(らい病)のひとにも、世のなかからはじき出されたひとにも、平等にひらかれているよろこび。それは人間の生命そのもの、人格そのものから湧きでるものではなかったか。一個の人間として生きとし生けるものと心をかよわせるよろこび。ものの本質をさぐり、考え、学び、理解するよろこび。自然界の、かぎりなくゆたかな形や色や音をこまかく味わいとるよろこび。みずからの生命をそそぎ出して新しい形やイメージをつくり出すよろこび。-こうしたものこそすべてのひとにひらかれている、まじり気のないよろこびで、たとえ盲であっても、肢体不自由であっても、少なくともそのどれかは決してうばわれぬものであり、人間としてもっとも大切にするに足るものではなかったか」
    「生きがい」の見出しにくい今こそ、改めて読み返される価値のある一冊ではないだろうか。

  • フーコーが晩年にたどり着いた境地が、マルクス・アウレリウスの「自省録」。で、その岩波文庫版を訳しているのが神谷美恵子で、この人は、フーコーの「臨床医学の誕生」の訳者でもあって、なんだか面白いなー、などと思いながら、「生きがい論」「幸福論」として著名な「生きがいについて」(初版1966年)を読んでみた。

    おー、なんだか久しぶりに実存主義!という感じだ。引用されるのが、ヤスパース、サルトル、ヴェイユといったところが多い。

    が、古いという感じは全くない。

    内容的には、哲学や心理学の諸外国の成果を踏まえつつ、自身のらい療養院での経験をふんだんに盛り込んだ、とても根源的な人間論になっている。

    最近、ポジティブ心理学などで注目されるようになった「幸福」「充実感」「フロー」などとの議論とも、とてもうまくかみ合っているし、たんに、ポジティブエモーションというだけでない、人間の本質への洞察が素晴らしいものがあると思う。

    それにしても、この人の活動量には、驚くな。最初は、文学をやっていて、西洋古典などを勉強し、その後、医学部にいって、精神科医になる。そして、大学で教鞭をとるかたわら、らい療養院に通っている。さらに、「自省録」を訳し、フーコーを訳し、ヴァージニア・ウルフを研究し、こうして本も書いている。(本を書く時の集中力、情熱がすごい)そして、家庭の主婦でもあった。そして、この本の付録についている執筆日記を読むと、さまざまな洋書(英語、フランス語、ドイツ語)を次々と読んでいて、さらには、ピアノでバッハを弾いたり、いろいろしている。

    あー、そのうちの一つの仕事も自分にはできないだろうなー、と思うと、嫌になる。というか、スゴい人は本当にスゴいなと驚嘆するしかない。

    しばらく、神谷美恵子の他の作品も読んでみる事にする。

  • 何よりも印象的だったのは、神谷さんがライフワークとして長い年月をかけてこれを世に残したということ。大幅に削られたというが、それだけ多くのテキストでこの『生きがい』をとらえようとしたのだろう。自分にとってその対象は何かと考えさせられた。

    自分自身に課せられた、大袈裟に言うと『使命』のようなものを、自分の中に、あるいは自分を取り巻く環境の中に自分で見つけていくこと、そこで小さいながらも『役割』を担いながら暮らしていくこと、それがベーシックな『生きがい』感につながるのではないかと思う。
    それには人と人とのつながりがなくてはならない。そういう意味でも、自分と周りの人を大切にすること。
    教育・学習の場に関しても、その点を留意していることが必要。それがフレネ教育や箕面こどもの森学園にはある。

    最後に、宗教的なことや目に見えないことへの関心を持つことが、より深い生きがいを見つけるための助けになるだろうという感じがした。

    自分を見つめ、運命を受け止めながら、自分の使命を果たすべく、ゆったりと流れに乗って生きていこう。

  • 人は普段、生きがいについて考えることも少ない。
    しかし、普段の生活が一変するようなことがおこると、
    否応なく「生きていく意味」を突きつけられる。
    その答えを見いだせず、虚無にとらわれる者もいる。
    一方で、不幸に見舞われながら、返ってそのことによって、
    生きる価値を見出す者もいる。
    普段人は、仕事や家事など日常の慌ただしさで、目をそむけているが、
    生きていくことの「底知れぬむなしさ」は、実は人生そのものに内在している。

    本書は著者が深くかかわった、らい患者の事例を中心に、「生きがい」について多面的に論じている。
    人生の根本問題として考察しているので、かなりシリアスな内容だ。
    今の自分は目的をもち、それを追求できる状態にあるから、非常に幸せだ。
    しかし、自分も、いつそんなことを真剣に考えないといけない時がくるかわからない。
    不慮のアクシデントに見舞われた時、前向きに生きていけるだろうか?
    ふと、そんなことを考えさせられた。

  • 「生きがい」とはなんだろう?生きる意味とは?ずっと考えてきたことを真摯に問うた本。
    二回生まれという言葉に納得。パールバックの苦しみ。ステージによって生きがいも変化する。

    生きがい感の中に自我感情が含まれている。ほかならぬこの自分が生きている意味があり、必要があるのだ、と言う感じである。これは既に直感として感情の中に備わっているのではないかと思われる節がある。というのは精神薄弱児でも自分が邪魔者として扱われているのかそれともかけがえのない存在として扱われているのか、その差を敏感に感じ取るものである。幼児についても同様である事は少し彼らの生活を観察してみれば分かること。したがって人が仕事を選ぶ場合にも、もし生きがい感を大切にするならば、世間体や収入よりもなるべく自分でなくてはできない仕事を選ぶのが良いと言うことになる。

    生きがい間とは何かおおまかな問いは次の4つ。
    1、自分の生存は何かのため、または誰かのために必要であるか。
    2、自分固有の生きていく目標は何か。あるとすればそれに忠実に生きているか。
    3、以上あるいはその他から判断して自分は生きている資格があるか。
    4、一般に人生と言うものは生きるのに値するものであるか。

    自由を縛るものは外的なものばかりではない。人間の心の中にある執着、衝動、感情などが外側のものよりもなお深刻に人を縛り付ける。対人関係も愛情、恩、義理などの力で人を精神的な奴隷にする。
    自由を得るためには様々な制約に積極的に抵抗を試みなくてはならない。自由から尻込みする心の根底にあるのは、その対極にある、安定への欲求だ。
    環境への無言の抵抗と自己に対する押さえの力。未来においてより大きな自由を獲得するために現在の小さな自由を放棄する。

    生きがい喪失の世界
    生きがいを失った人は皆一様に孤独になる。人生の明るい大通りからはじき出され、それまでそこにはまり込んで暮らしてきた平和な世界は急に自分から遠のいてしまい、皆の賑やかな忙しそうな生活は自分とはなんの関係もなくなり、全く仲間外れとなる。

    心と体はバラバラになる傾向がある。生きて行きたくないのに、それにもかかわらず生きていかなければならないのは、肉体の精神の状態とは無関係に生きていくからである。肉体の生きている限り生きていかねばならない。肉体に引きずられて生きていく存在。

    悲しみには和らげることができる悲しみと、和らげることのできない悲しみと言う根本的に異なった2つの種類がある。和らげることのできる悲しみは生活によって助けられ、癒すことのできる悲しみ。和らげることのできない悲しみは生活を変化させ、悲しみ自身が生活になってしまうような悲しみ。(パール・バック)

    生きがいを失った人間が死にたいと思う時、1番邪魔に感じるのは自己の肉体である。しかし実際はこの肉体こそが本人の知らぬ間に働いて、彼を支えてくれるものなのである。

    苦しんだことのある人の心には奥行きがある、と時々言われる。生きがい喪失の苦悩を経た人は、少なくとも1度は皆の住む平和な現実の世界から外で弾き出された人であった。虚無と死の世界から人生及び自分を眺めていた人であった。「心の複眼化」心の深さと言うものがこのような現実からの遠のきと心の世界の複数化からくるのであるとすると、これを精神化と呼んでいい。「2回生まれの人間」の方が精神化に傾きやすいのではないかと思われる。「1回生まれの人」、つまり生まれながら現実の世界にうまく適応していける人はともすれば現実に密着して生きていく傾向があるように見える。

  • ずっと手元に置いておきたい本。
    無人島に一冊だけ本を持っていけるとしたら、
    迷わずこの本を選ぶ。

    自分はこの本に書かれていることの
    何パーセントを理解することができただろうか。

  • オーディオブックで読了。
    著者は精神科医として岡山県のハンセン病療養施設・長島愛生園に勤務し、多くの著作をのこした神谷美恵子氏。
    <b>
    何故生きるか、どの様に生きるか。</b>

    誰もが一度は通る(と思っているけど、違ったらゴメン)この問いに対して、著者の深い洞察と豊富な人生経験から著者なりの「生きがい」という形にまとめられている。

    本書に書かれている生きがいについても、色々学ぶべきコトがあるのだけど、僕個人としては「この様な仕事ができたらなんと幸せだろう」というのが最初にふっと湧いてきた率直な感想である。

    僕自身、子供が生まれてこの方生きがいについて思い悩んだことがないのだけど、独り身で仕事に忙殺される毎日を過ごしていたときはどこか心に空虚感を感じていた。

    生きがいというのは、自由だから、健康だから、お金があるから良いというものでもなく、じゃあ大病を患えば生きがいを感じられるかと言えば、そういうことでもない。ましてや、心の持ちようなどという、安直な物でもない。

    日々の何気ない、それでいて掛け替えの無いちょっとした幸せ。僕にとってはこれは生きがいを構成する大切な一つであるが、やり甲斐のある仕事や、周りからの評価、一定水準以上の知的生産活動などができていることもまた、生きがいである。

    生きがいというものが人の数だけあるとして、それを一冊の本に「生きがいについて」とまとめきるには、どうすればいいのか皆目見当も付かない。なので、僕はこの本に触れたとき、真っ先に著者に対して「いいなぁ」と羨望の想いを頂いたのであろう。

  • 付箋だらけになった。
    とくにぐっときた最後の文章。
    「人間の存在意義は、その利用価値や有用性によるものではない。野に咲く花のように、ただ「無償に」存在しているひとも、大きな立場からみたら存在理由があるにちがいない。自分の眼に自分の存在の意味が感じられないひと、他人の眼にもみとめられないようなひとでも、私たちと同じ生を受けた同胞なのである。もし彼らの存在意義が問題になるなら、まず自分の、そして人類全体の存在意義が問われなくてはならない。そもそも宇宙のなかで、人類の生存とはそれほど重大なものであろうか。人物を万物の中心と考え、生物のなかでの「霊長」と考えることからしてすでにこっけいな思いあがりではなかろうか。
    (略)
    これらの病めるひとたちの問題は人間みんなの問題なのである。であるから私たちは、このひとたちひとりひとりとともに、たえずあらたに光を求めつづけるのみである。」

  • 長く読まなければと思っていながら読めていなかった。それは「苦界浄土」と同じで、100分で名著で取り上げられたのを機会に、重い腰を上げてやっと読み始めた。全般的に哲学者の引用などが多いのが気になる。愛生園での取り組みをもっと中心にすえて書かれたらよかったように思う。何度もレビューに登場しているが、父は現在老人病棟に入院中である。退院の予定はない。父にとっての生きがいは何であろうか。いや、はたして生きるために生きがいは必要なのだろうか。最後の数行を引用する。「人間の存在意義は、その利用価値や有用性によるものではない。野に咲く花のように、ただ「無償に」存在しているひとも、大きな立場からみたら存在理由があるにちがいない。自分の眼に自分の存在の意味が感じられないひと、他人の眼にも感じられないようなひとでも、私たちと同じ生をうけた同胞なのである。もし彼らの存在意義が問題になるなら、まず自分の、そして人類全体の存在意義が問われなくてはならない。」50年以上前に書かれた文章が、いま社会で起きているゴタゴタを一瞬で黙らせる力があるように思える。

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著者プロフィール

1914-1979。岡山に生まれる。1935年津田英学塾卒業。1938年渡米、1940年からコロンビア大学医学進学課程で学ぶ。1941年東京女子医学専門学校(現・東京女子医科大学)入学。1943年夏、長島愛生園で診療実習等を行う。1944年東京女子医専卒業。東京大学精神科医局入局。1952年大阪大学医学部神経科入局。1957-72年長島愛生園精神科勤務(1965-1967年精神科医長)。1960-64年神戸女学院大学教授。1963-76年津田塾大学教授。医学博士。1979年10月22日没。

「2020年 『ある作家の日記 新装版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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