生きがいについて (神谷美恵子コレクション)

  • みすず書房 (2004年10月4日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (360ページ) / ISBN・EAN: 9784622081814

作品紹介・あらすじ

「いったい私たちの毎日の生活を生きるかいあるように感じさせているものは何であろうか。ひとたび生きがいをうしなったら、どんなふうにしてまた新しい生きがいを見いだすのだろうか」

神谷美恵子はつねに苦しむひと、悲しむひとのそばにあろうとした。本書は、ひとが生きていくことへの深いいとおしみと、たゆみない思索に支えられた、まさに生きた思想の結晶である。1966年の初版以来、多くのひとを慰め力づけてきた永遠の名著に執筆当時の日記を付して贈る。

感想・レビュー・書評

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  • 言葉には物理的な座標軸を示す力があって、「上から目線」「横から失礼します」みたいに、相手との関係性を示すものがある。それだけではない。「夢」という言葉は自分から随分と“遠い“が「目標」はそれより“近い“感じもする。

    言葉にはこうした物理的な距離の他にも、言葉の強度、質感などがあり、更には、事象を示す精密さにも大小ある。曖昧か、明瞭か。

    例えば「幸せ」という言葉が生まれたのは、そうした状況を感じた人がいたという当たり前の事と、ある人はそれに欠乏していたという“裏表“を示すのかも知れない。

    「生きがい」という言葉は日本語だけにあるらしい。著者もいう通り、この言葉の存在自体が日本人の心の生活のなかで、“生きる目的や意味や価値“が問題にされて来たことを示すものだ。日本人がただ漫然と流されて来たのではない事も分かる。

    他方で、立ち止まって「生きがい」を考えたくもなるような日常だったとも言える。長い人生に、一度は「生きる意味」を考えることは誰しもあるのではないかと思うが、「生きる甲斐」には悲観的な主語を予感させる。日々の「甲斐、手ごたえ」を考えたくもなったのだろうか。

    ー 生きがいというものが、生活をいとなんで行く上の実利実益とは必ずしも関係がないということである…これは「無償の」活動で人間が単に生物として生きて行くためにぜひ必要ということではない…一種の無駄、またはぜいたくともいえる一面がある。この角度からみれば、ホイジンガのいう「あそび」の性格をおびているといえよう。

    ー 生きがい活動は「やりたいからやる」という自発性を持っている。たとえ海外医療伝道というような召命意識にもとづく献身的活動であろうと、単に「させられる」ものではなく、召命をよろこんでうけ入れる、という自発性がふくまれている。ウォーコップのいう「生きた挙動」である。

    老、死、病、苦。人生の四苦は、人間生存の厳然たる事実である。人間が、どうしても逃れえない重圧にあえぐような、ぎりぎりの状況をヤスパースは“限界状況“と呼んだ。

    だが「限界状況や四苦」を地面にして地に足をつけ、痛みを手触りで感じなければ、生きる実感は差分でしか感じられないのではなかろうか。欠乏を満たす欲求こそ本能的原動力になる。

    ー 「俳句に興味を持ってから、その日その日がみじかすぎて仕方がない。心もいきいきとしてきた。この身も心もぞくぞくうれしくはればれしい心境をば十分味わわせていただきつつ、ひとしお修養させていただいている。」
    … 文盲であった死刑囚が、死の数日前に書きのこした俳句である。
    「子の手紙蠅といっしょに読みました」
    「絵を描いてみたい気がする夏の空」
    「キャラメルで蠅と別れの茶をのんだ」
    俳句をならったおかげで蠅ともあそぶことができます。

    人生には、身体的欲求にある程度は素直に生きて、しかし、それを管理統制し、自らに目的を課すような何かしらの「信仰」が必要なんだと思う。本書にはその知恵と言葉が溢れている。

    蝿を友と見て、生きる甲斐とする。認知により世界を変えるのは「信仰」というOSである。私は、本にそれを託している。

  • ◯生きがいについてを読んで、生きがいを見つけられるわけではない。人の生きがいを感じる精神や背景、それがあることによって何が変わるのか、といった生きがいに関する論考という感じの本。
    ◯緻密に生きがいに対する精神を分析して行っている印象。分析内容は精神的なもの、感情的なものであるため、なんとなくふわふわした感じがしてしまうが、本書の構成から考えると一つ一つ丁寧に考えられている。
    ◯ただ一つ個人的によく分からなかったのが宗教の部分で、これはハンセン療養所の人たちをベースに書かれたものだから出てきたものなのか?と思う。しかし、内容について異論はなく、むしろその後の流れとして必要性を感じる。
    ◯一番ハッとしたのが自然との融合体験であるが、このきっかけとして宗教はあると思うし、しかし宗教がなくても自然との融合はあると思う。
    ◯仕事が暇で、単純な日々を繰り返し、ふとした時に死ぬのが怖いが、なぜ生きているのか分からない。死にたくないから生きているということに意味が見出せない。しかし、今の環境を抜け出し、生き物として自然に触れることができれば、自分の小ささに気がついて、何かが変わる気がする。
    ◯大変面白かった。

  • 時間のあるときに落ち着いて書こう、と思っていると、すぐに目の前のことで忙しくして、読書日記が書けなくなってしまう。
    もっと、ちょっとした感想でもいいから簡単に書くことにして、なるべく読んでからあまり遅れずに、日記を書いていこう。

    *  *  *  *

    久しぶりのブックレビューです。
    しばらく前から、作家の小川洋子さんが毎週日曜日の朝に、TOKYOFMでオススメの本を紹介されている「パナソニック メロディアス ライブラリー」という番組を気に入って聞いています。
    本書は、その中で取り上げられていて、興味がわいた1冊。

    著者の神谷美恵子さん(1914〜1979)は、幼少期をスイスで過ごしたのち、精神科医になられた、「優秀」とう言葉では足りないくらい才気に溢れた女性。
    本書は、彼女が瀬戸内海にあったハンセン病の療養所で行なった滞在・調査経験を軸に、執筆されています。
    「生きがい」とは何か、自分にはなすすべのない出来事によって社会的な地位や人間関係を失ったとき、人を支えるものがあるとすればそれは何か、様々な精神医学の文献や、古今東西の文学作品を引用しながら、体系立てて考察されています。

    文章がとても簡潔で読みやすい、というのが第一印象。
    でも、「生きがいの特徴」「運命というもの」「人生の夢が壊れること」「価値体系の変革」など一つひとつの項目について、自分の人生と重なる部分もあり、理解が及ばない部分もあり。
    読んでいくと、文章の上に自分の内面が映し出されていくような感覚があって、私は、果たして本当に生きがいを持って自分の人生を生きることができるだろうか? という問いがわいてきます。

    今の私が読んで、心に残ったのは、「悲しみとの融和」という一節の中の次の文章。

    「ここで注意をひかれることは、パール・バックが『中心をほんの少しでも自分から外せることができるようになった時』悲しみに耐えられる方向に向かったという点である。つまり自分のかなしみ、またはかなしむ自分に注意を集中している間は、かなしみからぬけ出られないということである。……ここではまさにこうした具体的な、短期の目標が必要であったのだ。それにむかって当座の注意とエネルギーがむけられる、そういう目標を設定することによって悲しみへの集中をふせげたのであった。」

    実家の食卓に『生きがいについて』の100分de名著ムックがおいてあり、聞いたところ、母も若いときにこの本を読んだという。
    私が、母くらいの年になって、この本をもう一度読んだら、どんな感想をもつだろう。
    時間をおいて読み返してみたい一冊です。

  • 思っていた以上に理解するのに時間のかかる本かもしれない。ただ、これがとても深い話で、これからの人生に影響を与えるであろう一冊だということは感じることができた。
    100分名著でもとりあげられていますし、解説本も含めて読んでいきたい。
    ただ「やりたいからやる」ことの方がいきいきとしたよろこびを生む。
    「もっとも多く生きたひととは、もっとも長生きした人ではなく、生をもっとも多く感じた人である」

  • 松岡享子さんのエッセイ集、『ランプシェード』に著者のことが書かれていたので、興味を持って読んでみました。

    途中は飛ばし読みしましたが、共感できるところも多かったです。

    「生きがいということばは、日本語だけにあるらしい。こういうことばがあるということは日本人の心の生活のなかで、生きる目的や価値が問題にされて来たことを示すものであろう。たとえそれがあまり深い反省や思索をこめて用いられて来たのではないにせよ、日本人がただ漫然と生の流れに流されて来たのではないことがうかがえる。」

    「生きがいを英、独、仏などの外国語に訳そうとすると、「生きるに値する」とか、「生きる価値または意味のある」などとするほかはないらしい。こうした論理的、哲学的概念にくらべると、生きがいということばはいかにも日本語らしいあいまいさと、それゆえの余韻とふくらみがある。それは日本人の心理の非合理性、直観性をよくあらわしているとともに、人間の感じる生きがいというものの、ひとくちにはいい切れない複雑なニュアンスを、かえってよく表現しているのかも知れない。」

    「たしかに何か利益や効果を目標とした活動よりも、ただ「やりたいからやる」ことのほうがいきいきしたよろこびを生む。金のためのアルバイトばかりやることを余儀なくされているひとは、金のためでない仕事をする自由にどんなにかあこがれることであろう。」

    「子供にとっては「あそび」こそ全人格的な活動であり、真の仕事、すなわち天職なのであるから、そこで味わうよろこびこそ子供の最大の生きがい感であろう。」

    「現代文明の発達はオートメーションの普及、自然からの離反を促進することによって、人間が自然のなかで自然に生きるよろこび、自ら労して創造するよろこび、自己実現の可能性など、人間の生きがいの源泉であったものを奪い去る方向にむいている。」




  • フランクルの「夜と霧」、エディスイーガーの「選択」と並び、自分の書棚に残しておきたい本が1冊増えました。テーマは「生きがい」です。
    精神科医、神谷美恵子さんが、ハンセン病患者との交流を通じて本当の生きがいとは何なのか?7年かけて考察しています。

    少し厚い本でしたが、心理学の本としては思ったよりも平易に読むことが出来ました。彼女がアカデミックな分析よりも、患者の発言や、作品など実体験を通じた考察を好んで引用しているためです。

    初めてハンセン病患者の療養施設(愛生園)に収容されたとき、患者の多くはどれほど絶望したのか。その中で、どんな発見をしていったのか?
    わたしたちが日頃大切だと「思い込んでいる」お金や、地位、名誉、物的な充足感がいかに皮相的なものなのか。

    そんな誰にとっても大切な話を書斎だけで終わらせず、臨床の中で膨らませている。だからこそ、彼女の一言一言に重みがあります。

    この本の副読本(100分DE名著)を読んで知ったのですが、書中で引用されている話のうち、いくつかは彼女自身の体験だそうです。
    20歳のときに意中の人を結核で失ったこと。
    自分自身も結核で死の淵をさまよったこと。
    癌にかかり、期待していた人生を送れないかもしれないという恐怖。
    生きがいを失うのはハンセン病患者に限った話ではなく、
    生老病死から逃れられない、われわれ全員だと気づかせてくれるエピソードです。

    こうした苦しみを通じて、ハンセン病患者と、神谷さん本人がどのような生きがいを見出したのか?

    たくさんある中で1つ、わたしが手を止めた一節がありましたので、そこを引用して、レビューを締めます。いい本でした。

    『人間が最もいきがい感じるのは、自分がしたいと思うことと義務とが一致したときだと思われる』

  • 看護学生時代の課題図書で、前期の精神看護学の試験がこの本を読んで自分なりの生きがいについて書くみたいなものでした。正直、とっても難しい。言葉がまず昔だし、らいについては知識が浅かったので。なおかつリミットが迫っていて、結局21歳の私が書いた『生きがい』は本作とはかなりかけ離れてしまいました。

    最近臨床を離れてから、精神科医学や精神科看護学について考えることが多くて、いつか読もうと思っていました。
    最近はメンタルヘルスのニーズの高まりもあり看護書を探しに本屋さんに出向くと色々と精神の本が置いてあって、この『生きがいについて』も秋の看護学フェアで再会しました。

    ちょっと勇気を出して購入しましたが、当時より解説を読みながらよんだり、ちょうどアーカイブでしたがNHKで100分de名著という番組で取り扱われたものをみたりでやっと理解にたどり着けたように思います。

    実はまだ、ちゃんと理解に漕ぎ着けておらず、とはいえ私が書いた『生きがいについて』は何となくちゃんと書けていたんだな、という事もわかりました。というのも、個人によって生きがいというのは違うからです。

    ただその生きがいがなんなのかというよりは、その生きがいが奪われるときはどんなときなんなろうと考えてみたり、ありふれた幸せみたいなものに、私達がちょっと当たり前に過ごしすぎていることに気がつかないといけなかったのだなということだけは何となく気がつけていて、弱者と呼ばれる色んな根底を失った人達の生活や感じとるものから、私達が今手にしているものを生きがいとして再び認識することが何となく現代必要なのかもしれないな、、って感じたりします。とはいえまだ途中なのでまた加筆します。(2020.12/14)

  • この本を手に取ったいきさつを忘れてしまったが。今の時代だからこそ、というよりも本に記してあるように、いつの時代でもきっと、生きているうちに、もっと言えば窮地に立たされた時、或いは幸福至極な時に、自分自身に問うていみたり、答えてみる言葉だと思う。仕事の中で対象者の「生きがい」について深く考える立場でありながら、自分自身、なぜその言葉を表出することがなかったか、その理由が何となくわかったような気がする。他人の「生きがい」なんてそうそう語るものじゃないし、「生きがい」そのものの持つ意味すらこの本に巡り合うまで本当にわかっていなかったんだなとつくづく思い知らされた。自分の中で再び言葉を噛み締めて再読してみたい。

  • 神谷美恵子氏(1914~1979年)は、精神科医にして哲学書・文学書の翻訳者、エッセイストである。
    神谷氏は、内務省のエリート官僚だった父の転勤で小学校時代をジュネーヴで過ごし、帰国後津田英学塾に進学したが、オルガン伴奏者として初めてハンセン病療養所を訪問したことをきっかけに、また、自身が結核を患ったこともあり、医学の道を望むようになったものの、当初は父の反対にあった。その後、父の再度の転勤で渡米し、コロンビア大学大学院で古典ギリシア文学を学ぶが、在米中に遂に父から医学部進学の許しを得、コロンビア大学医学進学課程に進み、帰国後は東京女子医学専門学校へ編入した。卒業後は、神戸女学院大学や津田塾大学の教授として、精神医学やフランス文学の講義を行い、その間には、マルクス・アウレリウスの『自省録』をはじめとする哲学書・文学書の翻訳や、本書を含む作品の執筆など、幅広い実績を残している。
    本書は、著者が1957年に開始した瀬戸内海の長島愛生園におけるハンセン病患者の精神医学調査に基づいて、「生きがいとは何か」を問うた作品で、1966年の発刊から半世紀を経て読み継がれるロングセラーである。
    著者は本書で、1.生きがいということば、2.生きがいを感じる心、3.生きがいを求める心、4.生きがいの対象、5.生きがいをうばい去るもの、6.生きがい喪失者の心の世界、7.新しい生きがいを求めて、8.新しい生きがいの発見、9.精神的な生きがい、10.心の世界の変革、11.現世へのもどりかた、という項目を立てて、ハンセン病に罹患した人々の精神の変化をもとに、「生きがい」というものを俯瞰し体系化しようと試みているが、加えて、広範な読書歴を背景に古今東西の多数の哲学者・文学者の思想が引用されており、「いかに生きるか」を考える上で、普遍性が高く、密度の濃いものとなっている。
    印象に残るフレーズは限りなくあるが、ひとつ挙げるなら以下の部分であろうか。
    「死刑囚にも、レプラ(らい病)のひとにも、世のなかからはじき出されたひとにも、平等にひらかれているよろこび。それは人間の生命そのもの、人格そのものから湧きでるものではなかったか。一個の人間として生きとし生けるものと心をかよわせるよろこび。ものの本質をさぐり、考え、学び、理解するよろこび。自然界の、かぎりなくゆたかな形や色や音をこまかく味わいとるよろこび。みずからの生命をそそぎ出して新しい形やイメージをつくり出すよろこび。-こうしたものこそすべてのひとにひらかれている、まじり気のないよろこびで、たとえ盲であっても、肢体不自由であっても、少なくともそのどれかは決してうばわれぬものであり、人間としてもっとも大切にするに足るものではなかったか」
    「生きがい」の見出しにくい今こそ、改めて読み返される価値のある一冊ではないだろうか。

  • フーコーが晩年にたどり着いた境地が、マルクス・アウレリウスの「自省録」。で、その岩波文庫版を訳しているのが神谷美恵子で、この人は、フーコーの「臨床医学の誕生」の訳者でもあって、なんだか面白いなー、などと思いながら、「生きがい論」「幸福論」として著名な「生きがいについて」(初版1966年)を読んでみた。

    おー、なんだか久しぶりに実存主義!という感じだ。引用されるのが、ヤスパース、サルトル、ヴェイユといったところが多い。

    が、古いという感じは全くない。

    内容的には、哲学や心理学の諸外国の成果を踏まえつつ、自身のらい療養院での経験をふんだんに盛り込んだ、とても根源的な人間論になっている。

    最近、ポジティブ心理学などで注目されるようになった「幸福」「充実感」「フロー」などとの議論とも、とてもうまくかみ合っているし、たんに、ポジティブエモーションというだけでない、人間の本質への洞察が素晴らしいものがあると思う。

    それにしても、この人の活動量には、驚くな。最初は、文学をやっていて、西洋古典などを勉強し、その後、医学部にいって、精神科医になる。そして、大学で教鞭をとるかたわら、らい療養院に通っている。さらに、「自省録」を訳し、フーコーを訳し、ヴァージニア・ウルフを研究し、こうして本も書いている。(本を書く時の集中力、情熱がすごい)そして、家庭の主婦でもあった。そして、この本の付録についている執筆日記を読むと、さまざまな洋書(英語、フランス語、ドイツ語)を次々と読んでいて、さらには、ピアノでバッハを弾いたり、いろいろしている。

    あー、そのうちの一つの仕事も自分にはできないだろうなー、と思うと、嫌になる。というか、スゴい人は本当にスゴいなと驚嘆するしかない。

    しばらく、神谷美恵子の他の作品も読んでみる事にする。

  • 前半に出てくる四つの問いが重い。

    自分の生存は何かのため、または誰かのために必要であるか。
    自分固有の生きている目標はあるか、あるとすればそれに忠実に生きているか。
    以上あるいはその他から、自分は生きている資格があるか。
    一般に人生というものは生きるに値するものであるか。

    これを読んで、叔母のことを考えた。
    叔母は独身のまま、親や兄妹の面倒を見て、順に看取り、独りになった。
    気丈で聡明だったが、それが災いしたのか、人付き合いが上手ではなく、親しい友人はいない。
    これまで病気ひとつしたことが無かったが、昨年から急に腰痛になったあたりから急激に衰え、一人で生活できなくなり、老人ホームに入居せざるをえなくなった。
    入れば生活はできるが、自分でやることが何もなくなり、結果的に記憶力や理解力が信じられないくらい低下してしまった。

    これは、上記の4点が全て満たされなくなってしまったからではないか?
    ただ、高齢になると多かれ少なかれ、この様な状況が訪れるはず。しかし全員がなるわけではない。
    神谷さんは隔離施設に入っている方々との交流を通じて論考を深めたと思うが、これは誰もが直面するかもしれない恐怖であり、だからこそ多くの人に読まれるんだろうな。

  • かなり良かった。今の自分に刺さることがあった。将来に対して前向きな感情がないと、生きがい感を喪失してしまう。仕事でもそうだと思う。指示されたり売上のためと自分を殺すことで、生きがい感を失ってる人はたくさんいる。

    高度成長後に書かれた本であるものの、今の方がむしろ刺さるような本じゃないかと思う。

  • ある日突然人生が大きく変わってしまったときに、すがるように手に取ったのを覚えているけれど、巻末と神谷さんの日記から、この本を覚悟なく消費しかけていたと後悔した。
    落ち着いたら再読予定。

  • 本文をちゃんとは読めていなくて、折々に出てくる、世界中の様々な悲しみを表現した詩や言葉を、心を慰めながら読んでいました。

    大きな書店で、この本を含むみすず書房のコーナーがあり、書棚に納められた本の背表紙を眺めるだけで、何かとても静かな力みたいなものをもらう気がしました。

  • 「生きがい」とはなんだろう?生きる意味とは?ずっと考えてきたことを真摯に問うた本。
    二回生まれという言葉に納得。パールバックの苦しみ。ステージによって生きがいも変化する。

    生きがい感の中に自我感情が含まれている。ほかならぬこの自分が生きている意味があり、必要があるのだ、と言う感じである。これは既に直感として感情の中に備わっているのではないかと思われる節がある。というのは精神薄弱児でも自分が邪魔者として扱われているのかそれともかけがえのない存在として扱われているのか、その差を敏感に感じ取るものである。幼児についても同様である事は少し彼らの生活を観察してみれば分かること。したがって人が仕事を選ぶ場合にも、もし生きがい感を大切にするならば、世間体や収入よりもなるべく自分でなくてはできない仕事を選ぶのが良いと言うことになる。

    生きがいとは何かおおまかな問いは次の4つ。
    1、自分の生存は何かのため、または誰かのために必要であるか。
    2、自分固有の生きていく目標は何か。あるとすればそれに忠実に生きているか。
    3、以上あるいはその他から判断して自分は生きている資格があるか。
    4、一般に人生と言うものは生きるのに値するものであるか。

    自由を縛るものは外的なものばかりではない。人間の心の中にある執着、衝動、感情などが外側のものよりもなお深刻に人を縛り付ける。対人関係も愛情、恩、義理などの力で人を精神的な奴隷にする。
    自由を得るためには様々な制約に積極的に抵抗を試みなくてはならない。自由から尻込みする心の根底にあるのは、その対極にある、安定への欲求だ。
    環境への無言の抵抗と自己に対する押さえの力。未来においてより大きな自由を獲得するために現在の小さな自由を放棄する。

    生きがい喪失の世界
    生きがいを失った人は皆一様に孤独になる。人生の明るい大通りからはじき出され、それまでそこにはまり込んで暮らしてきた平和な世界は急に自分から遠のいてしまい、皆の賑やかな忙しそうな生活は自分とはなんの関係もなくなり、全く仲間外れとなる。

    心と体はバラバラになる傾向がある。生きて行きたくないのに、それにもかかわらず生きていかなければならないのは、肉体の精神の状態とは無関係に生きていくからである。肉体の生きている限り生きていかねばならない。肉体に引きずられて生きていく存在。

    悲しみには和らげることができる悲しみと、和らげることのできない悲しみと言う根本的に異なった2つの種類がある。和らげることのできる悲しみは生活によって助けられ、癒すことのできる悲しみ。和らげることのできない悲しみは生活を変化させ、悲しみ自身が生活になってしまうような悲しみ。(パール・バック)

    生きがいを失った人間が死にたいと思う時、1番邪魔に感じるのは自己の肉体である。しかし実際はこの肉体こそが本人の知らぬ間に働いて、彼を支えてくれるものなのである。

    苦しんだことのある人の心には奥行きがある、と時々言われる。生きがい喪失の苦悩を経た人は、少なくとも1度は皆の住む平和な現実の世界から外で弾き出された人であった。虚無と死の世界から人生及び自分を眺めていた人であった。「心の複眼化」心の深さと言うものがこのような現実からの遠のきと心の世界の複数化からくるのであるとすると、これを精神化と呼んでいい。「2回生まれの人間」の方が精神化に傾きやすいのではないかと思われる。「1回生まれの人」、つまり生まれながら現実の世界にうまく適応していける人はともすれば現実に密着して生きていく傾向があるように見える。

  • 何よりも印象的だったのは、神谷さんがライフワークとして長い年月をかけてこれを世に残したということ。大幅に削られたというが、それだけ多くのテキストでこの『生きがい』をとらえようとしたのだろう。自分にとってその対象は何かと考えさせられた。

    自分自身に課せられた、大袈裟に言うと『使命』のようなものを、自分の中に、あるいは自分を取り巻く環境の中に自分で見つけていくこと、そこで小さいながらも『役割』を担いながら暮らしていくこと、それがベーシックな『生きがい』感につながるのではないかと思う。
    それには人と人とのつながりがなくてはならない。そういう意味でも、自分と周りの人を大切にすること。
    教育・学習の場に関しても、その点を留意していることが必要。それがフレネ教育や箕面こどもの森学園にはある。

    最後に、宗教的なことや目に見えないことへの関心を持つことが、より深い生きがいを見つけるための助けになるだろうという感じがした。

    自分を見つめ、運命を受け止めながら、自分の使命を果たすべく、ゆったりと流れに乗って生きていこう。

  • オーディオブックで読了。
    著者は精神科医として岡山県のハンセン病療養施設・長島愛生園に勤務し、多くの著作をのこした神谷美恵子氏。
    <b>
    何故生きるか、どの様に生きるか。</b>

    誰もが一度は通る(と思っているけど、違ったらゴメン)この問いに対して、著者の深い洞察と豊富な人生経験から著者なりの「生きがい」という形にまとめられている。

    本書に書かれている生きがいについても、色々学ぶべきコトがあるのだけど、僕個人としては「この様な仕事ができたらなんと幸せだろう」というのが最初にふっと湧いてきた率直な感想である。

    僕自身、子供が生まれてこの方生きがいについて思い悩んだことがないのだけど、独り身で仕事に忙殺される毎日を過ごしていたときはどこか心に空虚感を感じていた。

    生きがいというのは、自由だから、健康だから、お金があるから良いというものでもなく、じゃあ大病を患えば生きがいを感じられるかと言えば、そういうことでもない。ましてや、心の持ちようなどという、安直な物でもない。

    日々の何気ない、それでいて掛け替えの無いちょっとした幸せ。僕にとってはこれは生きがいを構成する大切な一つであるが、やり甲斐のある仕事や、周りからの評価、一定水準以上の知的生産活動などができていることもまた、生きがいである。

    生きがいというものが人の数だけあるとして、それを一冊の本に「生きがいについて」とまとめきるには、どうすればいいのか皆目見当も付かない。なので、僕はこの本に触れたとき、真っ先に著者に対して「いいなぁ」と羨望の想いを頂いたのであろう。

  • 人は普段、生きがいについて考えることも少ない。
    しかし、普段の生活が一変するようなことがおこると、
    否応なく「生きていく意味」を突きつけられる。
    その答えを見いだせず、虚無にとらわれる者もいる。
    一方で、不幸に見舞われながら、返ってそのことによって、
    生きる価値を見出す者もいる。
    普段人は、仕事や家事など日常の慌ただしさで、目をそむけているが、
    生きていくことの「底知れぬむなしさ」は、実は人生そのものに内在している。

    本書は著者が深くかかわった、らい患者の事例を中心に、「生きがい」について多面的に論じている。
    人生の根本問題として考察しているので、かなりシリアスな内容だ。
    今の自分は目的をもち、それを追求できる状態にあるから、非常に幸せだ。
    しかし、自分も、いつそんなことを真剣に考えないといけない時がくるかわからない。
    不慮のアクシデントに見舞われた時、前向きに生きていけるだろうか?
    ふと、そんなことを考えさせられた。

  • もしかすると読むのは今ではなかったかもしれない。

    そう思せるほど、人生の大事な局面でまた読んでみたいと思った一冊でした。

    正直言って章立ては荒々しく、大事なことがまとまりなく散りばめられているような印象で、決して読みやすいとは言えません。

    ただ、それがスゴくいいのです。

    著者の情熱的かつ詩的な文体から、これを書かずにいられなかった衝動が伝わってきて、生命の躍動をダイレクトに感じられます。

    おそらく今の時代に書かれていたらもっと綺麗にまとまった本になっていたことでしょう。一時代前だからこそ生まれた名著だと思います。

    読むのは今ではなかったかもしれないと言いつつも、今読んで良かったのは、この本を今読むべき人に勧められることです。

  • 軽い気持ちで手にとってしまったが、手軽に読めるという本ではない。

    生きがいというものについて真剣に考えた事がなく、なんとなく日々を過ごしてしまっている自分。

    生きたくても生きられない人。
    病になり生きる意味を見出せない人。

    そのような人たちに対して自分のなんと恵まれている境遇か。また、そんな境遇にいながら日々を大切に過ごせていない自分のなんと罪深いことか。

    全てに共通するが、人のために何が出来るか。使命感。生きる意味を考えさせられた一冊。

    またいつか読み返すと思う。

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著者プロフィール

1914-1979。岡山に生まれる。1935年津田英学塾卒業。1938年渡米、1940年からコロンビア大学医学進学課程で学ぶ。1941年東京女子医学専門学校(現・東京女子医科大学)入学。1943年夏、長島愛生園で診療実習等を行う。1944年東京女子医専卒業。東京大学精神科医局入局。1952年大阪大学医学部神経科入局。1957-72年長島愛生園精神科勤務(1965-1967年精神科医長)。1960-64年神戸女学院大学教授。1963-76年津田塾大学教授。医学博士。1979年10月22日没。

「2020年 『ある作家の日記 新装版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

神谷美恵子の作品

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