- 本 ・本 (272ページ)
- / ISBN・EAN: 9784622083740
感想・レビュー・書評
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時間切れにつき、途中でリタイア
また借りてきたいなぁ
冒頭のこの部分が印象的で、ホッファーについては何も知らずに借りたのだけど、これを踏まえて以降を読むと、なんか冷めてるなっていう印象のもとはここなのかな?って思う。
自分自身の幸福とか、将来にとって不可欠なものとかがまったく念頭にないことに気づくと、うれしくなる。いつも感じているのだが、自己にとらわれるのは不健全である。
役者あとがき、解説者日記を先に読んだ。
面白かった。自分が好きだと思う本はあとがきや解説も面白い。当然か。
ホッファーの自伝が読みたくなった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
正規の教育を受けられなかった独学の探求者、エリック・ホッファーの1958-1959年にかけての日記です。
ホッファーは一時的な失明によって学校教育を断念し、視力回復後に読書で知識を求めた労働者です。
過酷な肉体労働を行いながらの思索と執筆に、人生の全てを捧げました。
在野研究者の鑑といえる彼のプライベートが垣間見える一冊。 -
とても面白くて時には歩きながら読んだ。人の日記はどうしてこんなに面白いんだろう。
沖仲仕として働く哲学者である、というホッファーのイメージがそのまま現れている。両者が両立することに矛盾?違和感?を感じ、だからこそホッファーが気になった人にとっては共感できる部分が多いだろうし、自分もそうだった。一方で求めていた物とも違ったという感覚もある。
多分それはホッファーが哲学的思考に向かったことによるように思う。ブコウスキーは詩と文学に向かった。孤独と葛藤で揺れる自分のバランスを取るために労働を選んだホッファーと酒とギャンブルを選んだブコウスキー。僕が慰められるのはブコウスキーにだ。
知識人への腹立ちや愛おしい存在をコントロールしたい欲求も、どれも理解できる。それを多くの人に伝わる思想に昇華させる力はやはりすごいのだろう。20年前なら心酔したかもしれない。 -
港湾労働者として働きながら思想や哲学をしたためていたエリック・ホッファーが1958年~1959年間に記していた日記。
自分もブルーカラーとして働いているのでエリック・ホッファーは憧れである。彼ほどの教養や知識はないけれども、彼の生き方に学ぶところは非常に多い。
そして今後も幾度となく読むことになるだろう書籍に出会えてとても幸運である。 -
美しいほどの洞察に満ちた日記。たまに日記ものは読みたくなる。これと確かまだ手元に未読のウィトゲンシュタインの日記があったはずだ。
松岡正剛はホッファーを「思いやり」という。ちなみにこの本は松丸本舗最終日に買った。
・宗教は貧乏人の夢
・人間が不死となるには、不滅の主義主張を抱くか、または現実に永久に生きるしかない
・自然はまったく機械的で自動である。自然の姿に似せて何かをつくるのは、機械をつくることだ。
・科学とロマン主義の共通点はなにか。明らかに、自然への回帰。ともに「人間性=自然」という等式を前提にしている。
最後のほうの以下の洞察も素晴らしい
・モーゼは奴隷となっているヘブライ民族を自由人にしたかった。しかし、モーゼはよくわきまえていた。奴隷から自由人への変質は自由人から奴隷への変質よりも困難で苦しい。他の多くの根本的変化が必要である。まず第一に、一つの国から別の国への飛躍ー移住。したがって出エジプト。さらに重要なのは、解放奴隷に新たな自己意識と再誕意識を与えること。モーゼの5書全体は、再誕激の上演を扱っている。大団円は何であったか。モーゼは、いかなる移住も、いかなるドラマも、いかなるスペクタクルも、いかなる神話も、いかなる奇跡も、奴隷を自由人に変えないことを発見した。そこで彼は奴隷を砂漠に連れ戻し、奴隷の世代が死に絶え、新しい砂漠で産まれ育った世代が約束の地に入る準備ができるまで40年間待った。 -
50年代を想起するためには役に立つかも。つまり、カリフォルニアの60年代とかをポパイとか読んで過大評価してきたところを正常化するくらいの意味を感じた。
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とても良い読後感。薄っぺらい文字シンボルのみを操る知識人への反感、自由とは何か、働くことと思索すること、いろいろと改めて考えさせられる。他の著作も読んでみよう。
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・奴隷は自由人にはなれない。
・隣人に寛容であるためには乗り合わせの旅行客と思うこと -
普通、日記というのは公表したくないものかなと思う。だいたい世に出されても、著者の死後というイメージがある。ホッファーがどうして刊行する気になったのかは分からないけど、自分の意思で世に出せば、"編集"も可能(といっても、編集しているのかも分からないけど)。
やっぱり他の著作と違って、日記だから時々の心情が吐露されていて興味深い。"理想的な仕事"としていた沖仲仕については、「楽な」とか「楽しい」とか書かれている日が多い感じ。端から見たら大変な仕事だと思うけど、それをこなしながら思索も出来ることをホッファーは証明している(とはいいつつ「頭が回転していない」と漏らす日もある)。仕事がつらいなんて、言い訳にすぎないな…。
おや、と感じたのは、当時の情勢があるんだろうけど、ロシアに対してかなり手厳しい批判(過激ともいえる)をしている。そして、大衆(とくにアメリカの)へは絶大な信頼をよせている印象を受けた。その辺りを読んだ時、偏向はその物事のもう一方の状態から目を逸らさせることになりはしないか?と。大衆については、自分も興味があるので同著者の『大衆運動』も読んでみたいが、ル・ボンの『群衆心理』も読んでみたい。この二冊は大衆(群衆)の捉え方が違うと思うので、比べてみると面白いと思う。
著者プロフィール
エリック・ホッファーの作品





