いかにして民主主義は失われていくのか――新自由主義の見えざる攻撃

制作 : 中井 亜佐子 
  • みすず書房
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本棚登録 : 74
レビュー : 8
  • Amazon.co.jp ・本 (344ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622085690

作品紹介・あらすじ

いまや新自由主義は、民主主義を内側から破壊している。経済の見かけをもちながら統治理性として私たちを駆動する過程を解き明かす。

いまや新自由主義は、民主主義を内側から破壊している。新自由主義は政治と市場の区別を取り払っただけでなく、あらゆる人間活動を経済の言葉に置き換えた。主体は人的資本に、交換は競争に、公共は格付けに。だが、そこで目指されているのは経済合理性ではない。新自由主義は、経済の見かけをもちながら、統治理性として機能しているのだ。
その矛盾がもっとも顕著に現れるのが大学教育である。学生を人的資本とし、知識を市場価値で評価し、格付けに駆り立てられるとき、大学は階級流動の場であることをやめるだろう。
民主主義は黙っていても維持できるものではない。民主主義を支える理念、民主主義を保障する制度、民主主義を育む文化はいかにして失われていくのか。新自由主義が民主主義の言葉をつくりかえることによって、民主主義そのものを解体していく過程を明らかにする。

感想・レビュー・書評

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  • いわゆる新自由主義を非難する本ではあるのだが、単に上っ面だけの批判に終わっていないところが秀逸である。近代に「市場」が発見されて、それを最大限に活用して社会は発展してきたといえるが、その功罪を問うているところが類書と一線を画す。
    翻訳も流麗な日本語でよいのではあるが、ところどころに日本語の語学力に疑問を感じる部分があるのが残念。

  • 国民が自らを統治する民主主義が、いかにして新自由主義に蚕食されているかを描いている。

    リベラルの大統領であったオバマの演説ですら、経済的な利益になるからリベラルの主張は正しいという論調になっているという分析や、高等教育の新自由主義化が、公的な社会と民主主義の危機に至る描写は唸るものがあった。

    訳者の解説によれば、本書の筆者はフーコーの講義や主張を分析によく用いるようだが、呆れるほどフーコーの引用や大学講義の言葉が繰り返され、よほど西洋哲学が好きな人間でなければこの辺りの理解は難しいだろう。

    なお、本書は、左翼のみが今の絶望的な民主主義の状況を何とかできる存在であるという、半ば祈りのような結びで終わる。筆者も訳者も左翼の人間であるからだが、日本のいわゆるデモとアジテーションに明け暮れるような左翼とはまったく異なることは、本書を読み進めるうちに分かるだろう。

  • 社会
    政治
    哲学

  • 難しいよ…( ´Д`)
    さっぱり分からんよ。
    勉強不足だよ。

    新自由主義は、単に民主種主義の意味ないし内容を恣意的価値観でいっぱいにしているだけでなく、人びとが当たり前のこととして理解している民主主義のもろもろの原則、実践、文化、主体、制度に攻撃を仕掛けている。(序 デモスの崩壊)
    <blockquote>
    わたしたちはもはや道義的自立性、自由、あるいは平等を備えた生き物ではない。わたしたちはもはや、それらのものに到達するための目的や手段を選択できない。わたしたちはもはや、自分自身を満足させるために容赦なく利益を追求する生き物ですらない。この点において、ホモ・エコノミクスを人的資本として解釈することは、ホモ・ポリティクスだけでなく、ヒューマニズムそのものを棄てることなのである。(P.40)</blockquote>

    <blockquote>新自由主義を最もよく理解するには、それがたんなる経済政策ではなく、市場の価値観と評価基準を生活のあらゆる領域へと散種し、人間そのものをもっぱらホモ・エコノミクスとして解釈する統治的合理性であると理解するのがよい。新自由主義はそれゆえ、かつては公的に支援され尊重されてきたものを、たんに私有化する――個人の生産と消費のための市場に委ねる――だけではない。むしろ、それはあらゆるものをあらゆるところで、人間そのものを含めて、そして人間だからこそ、資本の投資と評価の観点から規定するのである。(P.201)</blockquote>
    <blockquote>
    事実、新自由主義の決定的な影響の一つは、民主主義がまさに出現しているときに、民主主義への欲望を、その言説的な理解可能性とともに減じてしまうことである。ゆえに、ルソーの逆説のもうひとつの変装がここにある。つまり、民主主義的文化を養い、民主主義的統治を可能にするような教育を維持するためには、教養教育のみが提供可能な知識が必要なのだ。それゆえ、新自由主義的合理性によって空洞化された民主主義には、民主主義的な市民のための教養教育を再生することなど望めないのである。(P.231)</blockquote>

  • 『いかにして民主主義は失われていくのか――新自由主義の見えざる攻撃』

    原題:UNDOING THE DEMOS: Neoliberalism’s Stealth Revolution
    著者:ウェンディ・ブラウン
    訳者:中井亜佐子

    【書誌情報】
    四六判 タテ188mm×ヨコ128mm/336頁
    定価 4,536円(本体4,200円)
    ISBN 978-4-622-08569-0 C0036
    2017年5月25日発行

     いまや新自由主義は、民主主義を内側から破壊している。新自由主義は政治と市場の区別を取り払っただけでなく、あらゆる人間活動を経済の言葉に置き換えた。主体は人的資本に、交換は競争に、公共は格付けに。だが、そこで目指されているのは経済合理性ではない。新自由主義は、経済の見かけをもちながら、統治理性として機能しているのだ。
     その矛盾がもっとも顕著に現れるのが大学教育である。学生を人的資本とし、知識を市場価値で評価し、格付けに駆り立てられるとき、大学は階級流動の場であることをやめるだろう。
     民主主義は黙っていても維持できるものではない。民主主義を支える理念、民主主義を保障する制度、民主主義を育む文化はいかにして失われていくのか。新自由主義が民主主義の言葉をつくりかえることによって、民主主義そのものを解体していく過程を明らかにする。
    http://www.msz.co.jp/book/detail/08569.html


    【目次】
    序 デモスの崩壊

    〈第一部 新自由主義的理性と政治的生〉
    第一章 民主主義の崩壊  新自由主義が国家と主体をつくりなおす
    第二章 フーコーの『生政治の誕生』  新自由主義の政治的合理性の見取り図
    第三章 フーコー再訪  ホモ・ポリティクスとホモ・エコノミクス

    〈第二部 新自由主義的理性を散種する〉
    第四章 政治的合理性とガバナンス
    第五章 法と法的理性
    第六章 人的資本を教育する
    終章 剥き出しの民主主義が失われ、自由が犠牲へと反転する

    訳者あとがき
    原注
    索引

  • 311.7||Br

  • 東2法経図・開架 311.7A/B77i//K

  • 機会があれば、っていう感じ。

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著者プロフィール

アメリカの政治哲学者。現在、カリフォルニア大学バークレー校政治学教授。邦訳された著書に『寛容の帝国』(法政大学出版局、2010)『いかにして民主主義は失われていくのか』(みすず書房、2017)がある。

「2017年 『いかにして民主主義は失われていくのか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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