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本 ・本 (488ページ) / ISBN・EAN: 9784622086284
作品紹介・あらすじ
〈彼は愚かではなかった。まったく思考していないこと――これは愚かさとは決して同じではない――、それが彼があの時代の最大の犯罪者の一人になる素因だったのだ。このことが「陳腐」であり、それのみか滑稽であるとしても、またいかに努力してみてもアイヒマンから悪魔的なまたは鬼神に憑かれたような底の知れなさを引き出すことは不可能だとしても、やはりこれは決してありふれたことではない。死に直面した人間が、しかも絞首台の下で、これまでいつも葬式のさいに聞いてきた言葉のほか何も考えられず、しかもその「高貴な言葉」に心を奪われて自分の死という現実をすっかり忘れてしまうなどというようなことは、何としてもそうざらにあることではない。このような現実離れや思考していないことは、人間のうちにおそらくは潜んでいる悪の本能のすべてを挙げてかかったよりも猛威を逞(たくま)しくすることがあるということ――これが事実エルサレムにおいて学び得た教訓であった。しかしこれは一つの教訓であって、この現象の解明でもそれに関する理論でもなかったのである〉
組織と個人、ホロコーストと法、正義、人類への罪… アイヒマン裁判から著者が見、考え、判断したことは。最新の研究成果にしたがい、より正確かつ読みやすくし、新たな解説も付した新版を刊行する。
感想・レビュー・書評
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「ナチVS哲学」というセンセーショナルなひと言でまとめると非常に興味深く感じられるよね
もちろんひと言ではまとめられんのよ
はい、わいの大好きな哲学の先生、國分功一郎さんの著作にも度々登場する20世紀を代表する政治哲学者ハンナ・アーレントが、ホロコーストにおいてユダヤ人の絶滅収容所への移送の責任者だったアドルフ・アイヒマンのエルサレムで行われた裁判の記録と考察を記した『エルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告』です
ナチと哲学、うーんまさに興味津々の組み合わせ、きっとユッキーも興味あると思われたので、まずは師たるわいが読んでみた
結論から言うと「おすすめ!」とは言い切れないかな〜
いや、良かったんだけど、文字多いわw
もうぎっしり詰まっていて、かなーりたいへんだった
でもって興味の中心であるアーレントの考察は全体の1割くらいなんで、これまた辛い
そして、ちゃんと時間をかけて読まないとダメだと思うので、もし読むならかなり時間的余裕のある時に”自己責任”でw
あと、ジャンルとしては「ホラー」でした
いやもうめちゃくちゃ怖いっすわ
あんまり冗談めかしてもいけないんだが、マジ怖い
アイヒマンがしたことってのは「とんでもないこと」なんだが、じゃあなぜそんなことしたのか?っていうと主目的は出世のためなんよ
怖いよね
でもって、「そういう法律だったから」「命令されたから」で、自分には責任ありませーん
みんなも自分と同じ立場だったらそうしたんじゃね?なのよ
アーレントはこれを「陳腐な悪」と表現してるのね
ちょっと分からないでもない
もっとちゃんとした深淵なる理由がほしいよね、たとえそれが狂ってるとしても
こいつ、何にも考えてねーだけじゃん!っていう
でも、アーレントはだからって別に許されねーわ!とも書いていて
もちろん、そりゃそう
そしてね
暴虐な行為に対して沈黙すること、考えないこと、何もしないこと、それもやはり罪なのよ -
先ずは言わせて欲しい。
読み進めるのに物凄く骨が折れました…。
ひまわりめろん師匠が先に毒見して下さったので、難解かつ、ハンナ・アーレントの考察は1割という事は覚悟して挑みましたが、予想以上だった。
上下段で小さな文字がビッシリ。翻訳が堅苦しくてたまに何言ってるかちょっと分からない。専門用語がみっちり。漢字の横にカタカナの別の読み方の振り仮名が打ってあり、少年漫画の技名みたいになっている。(かっこいい)
眼科で「本を読む時は距離を置いて!」と注意されたにも関わらず、みっちりすぎてどんどん近付く私と本の距離!これで緑内障になったらアイヒマンを訴えてやる!
まあ「私は命令に従っただけ」とか言われるんだろうな。
しまった、これもおふざけしてる場合の本では無かった。
ハンナ・アーレントの著作は何度も挫折している私、果たして読み切れるのか…?!
読み切れました(引き続き、結論を引っ張らないスタイル)
先ず本書を紹介するには前提としてアドルフ・アイヒマンが何者かをご説明しておかねばなりません。
結論から言うと、第二次世界大戦時、数百万人におよぶユダヤ人の強制収容所への大量移動「最終的解決」の指揮的役割を担った人物です。当時はユダヤ人のスペシャリストとしてヘブライ語やイディッシュ語も必死に習得していました。
移送されたユダヤ人がどうなったかは皆さんご存知の通り。
どんな極悪人なんだと思われるかも知れませんが、この人、普通どころかパッとしない人なんです。
学生時代、成績が悪く留年の挙句に14歳で学校を退学。その後、父と母のコネを使って就職するも会社が倒産したり、転職してもセールスマンとして成績は最悪。
そんな折に偶然訪れたナチスの党大会で感銘を受けたアイヒマンは親衛隊に入隊。ところが訓練所での軍務に耐えられず、どうやって抜け出そうかとばかり考えていました。
そんな折にSD(親衛隊(SS)内部におかれた情報部)の人員募集を目にして早速応募。人手不足だったSDは、誰でもええわいとあっさり許可。
ここからがアイヒマンの人生の絶頂期です(詳しくは長くなるので割愛しますが、本人もそう語っています)
ユダヤ人に対する弾圧がいよいよ激しくなり虐殺が始まるのですが、当初アイヒマンはこれに対して抵抗感を覚えており、収容所の視察の際に銃殺現場を見てショックを受けたり見ていられないと逃げたりしています。
ところがこの意識を変えてしまうのが悪名高き「ヴァンゼー会議」
この会議が何かと言うと「総帥がさあ、もうユダヤ人問題を解決するにはさあ、絶滅しかないって言うわけよー。だからさあ、収容所に送って処理したいんよ」というような最終的解決を決議する恐ろしい会議です。(気になる方は『ヒトラーのための虐殺会議』という映画をご覧下さい。)
虐殺に関しては「恐ろしい」と発言していた彼が、仕事を遂行することは自分にとって「義務」だと思い込み始めたのです。怖すぎる。
SS内でしか出世できなかった男、アイヒマン。後にアルゼンチンに亡命しましたが、エルサレム諜報員に暴かれて逮捕されました。
このアイヒマンの裁判を傍聴していたのがハンナ・アーレントです。
本書の内容を細かく説明しているとそれこそスクロールし過ぎて見て下さっている方の指がもげてしまうので何とかまとめてみます。
ハンナの考察は以下の通り。
アイヒマンは、反ユダヤ主義の強い信念を持つ人物ではなく、上司の命令と法律に従う平凡な官僚である。彼女は「凡庸な悪」と呼んでいます。
全体主義社会では個人の思考が停止し、命令と法律に盲目的に服従することで、個人の道徳的判断力を奪い、平凡な人間が周囲に同調することによって残虐行為を犯す可能性がある。これが全体主義社会の恐ろしい所であり、この「凡庸な悪」が全体主義を支える重要な要因だと仰っています。
「自分はカントの道徳哲学にもとづいてヒトラーの命令を履行した」とアイヒマンは法廷で主張しましたが、カントの道徳哲学は個人の自律的な判断を重視するものなので、ハンナはこれを批判。
思考を放棄する事は全体主義に繋がるというわけです。
これはひまわりめろん師匠が常に仰っている事ですね。自分で思考をする事が平和への第一歩だと。
(師匠、凄いな。今後ハンナ・ヒーマワリとお呼びするべき?)
はい、考察これだけです。
まとめてみると本当に1割だった!!
でもですね、この1割はかなり重要な事を言っているのですよね。
個人的思考をきちんと持って、凡庸な悪にも真の悪意にも立ち向かわないといけない。完全に平和な世界は難しいかも知れないけれど、過去に一万年も平和を保てた日本人ならば、思考する事で何か変えられるかも知れない。
もし本書に興味がある方がいらっしゃいましたら、先にアイヒマン裁判のドキュメンタリー映画『スペシャリスト』をご覧頂いた方が、より理解度が増すとは思うのですが(何せ翻訳が異国語のようなので)どこにも配信されてないんですよね。
TSUTAYAディスカスにはあったと思います。
本書は図書館の書庫入りしていたのですが、所々に波線が書かれていたり、誤植を書き直したりしていました。
私が時々遭遇する、誤植絶対に許さないマンと同一人物なのかどうか気になり過ぎて夜も眠れません(嘘です、今も眠たいです)
にしても、そんなに覚えたい箇所があるのなら買えば宜しいのに…。もしや寄贈本…?
線の引いてある文章は様々だったのですが、1番濃い線が引かれてあったのが以下の文です。
「絶滅だったのだ!」
許さないマンの心理状態が心配です。-
2025/04/13
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ゆーきさん、あの奥さんですよね…ユダヤ人の使用人への一言が人間てこんな事言えんの?!って震えましたね…
環境って怖い。
ヘスとアイヒマンは軍...ゆーきさん、あの奥さんですよね…ユダヤ人の使用人への一言が人間てこんな事言えんの?!って震えましたね…
環境って怖い。
ヘスとアイヒマンは軍人だし敎育と洗脳もあるからまあ…って感じですが、確かにお子様の将来が心配ですよね。道徳観念を敎育し直さないと。゚(゚´ω`゚)゚。2025/04/13 -
クマさん、いえいえ、いつでも嬉しいです!
うわー、ありがとうございます!でもこれ、クマさんと師匠の受け売りなんですよね。
クマさんが古墳の事...クマさん、いえいえ、いつでも嬉しいです!
うわー、ありがとうございます!でもこれ、クマさんと師匠の受け売りなんですよね。
クマさんが古墳の事を教えて下さった時に、縄文時代の平和の歴史について感動して少し調べたんです。
思考する事は師匠に教わりましたし、お2人のお陰でこういう風に考えられるようになりました!
ありがとうございますm(_ _)m
はい、これからも平和の発信をしてみたいです!
『ハンナ・アーレント』見てみます!『ヒトラーのための虐殺会議』は淡々と怖いですが2時間ほどなので、是非♪2025/04/13
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本書の存在を知ってから10年。辛うじて読了。内容は副題のとおり。社会の一員として、誰もがアイヒマンになりうる可能性を心に留めていきたいと思う。
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イスラエルの諜報機関である「モサド」によってアルゼンチンから連れてこられ、裁判を受けさせられて刑場の露と消えた男であるアドルフ・アイヒマンを哲学者であるハンナ・アーレントが書いた裁判傍聴記録です。
本書はアルゼンチンに潜伏していたところをイスラエルの諜報機関である「モサド」によって拉致同然に連れてこられ、裁判を受けさせられて刑場の露と消えた男であるアドルフ・アイヒマンを哲学者であるハンナ・アーレントが書いた裁判傍聴記録です。
あまりにも有名でありながらも、有名なアイヒマンの言葉である
「私は書類に判子をついただけだ」
は余りにも重く、今の今まで読むことを躊躇していたわけですが、それを変えるきっかけになったのは再放送されていた『BS世界のドキュメンタリー「実録 アイヒマン裁判」』とハンナ・アーレントの生涯を描いた伝記映画『ハンナ・アーレント』を相次いで見たことからでした。
アーレントはアメリカの高級誌『ザ・ニューヨーカー』からの依頼でイスラエルにて行われ、後に『アイヒマン裁判』と呼ばれる歴史的裁判に立ち会い、そのルポルタージュであり後の本書の基なる連載をを発表するわけですが、その内容が
「アイヒマンを擁護している!」
とのことで「身内」であるはずのユダヤ系コミュニティーですら轟々たる批判を受け、彼女が孤立を深めていく姿が描かれるわけですが、本書の中で言及され、「悪」というものを考える上で国際的な「スタンダード」となりつつある
『悪の凡庸さ』
という概念について、アーレントは裁判の傍聴体験を基に考察を深めていくのです。
彼女の眼差しを通して浮かび上がる「稀代の犯罪者」の実像は、我々の隣にいる人間なのかもしれないということであり、実務的には有能で、己の職務に誇りを持って取り組み、その成果に責任と自信。そして所属意識を感じる。一見なんら落ち度はなく、むしろその賞賛され、おそらく現代社会を構築する大体の組織、社会文化や規範に照らし合わせてみても、「立派な社会人」「一人前の組織人」と見なされ、評価を受けることでしょう。
しかし、それが
「一つの民族を地球上から抹殺する」
方向に振り向けられると世界史上類を見ないほどの大量虐殺が生まれるのかと。その「事実」に文章を書いていて慄然とする思いがするのです。
アイヒマン本人は本書が指摘するように根っからの「悪人」ではなく、「凡庸な人間」が外部からの「力学」によって、または自らの「職業的良心」に忠実であろうとするが故に(規模は違えど)「悪」をなしえることが往々にしてある。本書は我々に強く訴えかける一冊であり、その「想い」は人の世が続く限り何度でも繰り返し、問われ続けることでしょう。
【追記】
本書は『エルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告【新版】』(みすず書房)として2017年8月24日に用語を中心に大幅に手を加え、用字法なども今後の読者のために読みやすく書き換えた。関係年表も一新。四六判になって生まれ変わり、再販されました。 -
理系大学受験のため、世界史は試験をパスする程度の知識しか学んでいなかったため、本書の前半は読むのに相当苦労した。出てくるカタカナの人物名・組織名を把握しきれず、相関関係なども分からなかった。それゆえほぼ流し読み状態であったが、当時のナチス政権が広範に渡ってユダヤ人の絶滅を、かなり熱心に行っていたという事は充分理解できた。
アイヒマンという人物は「ユダヤ人を絶滅させる熱意に満ちた極悪非道な人物」ではなかったようだ、という記述は本書で何回も出てくる。ナチスという政治団体で、上からの命令に従って動いた歯車に過ぎなかったのである。その事を言い訳にして、罪はあまり重くはないかのようにアイヒマン自身は思っていたらしい。
最終的に、アイヒマンは主として〈"人類"に対する罪〉で裁かれ、死刑が執行された。いわゆる戦争犯罪を真の意味で公平に裁く事の難しさも読み取れた。アイヒマン含めナチスが行ってきた事を擁護する気は一ミリたりともないが、その時点の法に照らし合わせた時に、彼らが行った罪は明確にはなかったのである。もしナチスを"人道"に対する罪で裁くとすれば、勝利側の連合国軍にも罪に問われる行為があったことは否定しづらいのではないか。しかし、ナチスはユダヤ人の殲滅という明確な思想を持ち、熱狂的に計画を実行していたのだから、"人類"に対する罪に問うのは適切であろう。
本書から受け取る印象として「悪の陳腐さ」というのは誠に的を射ていると思う。悪というものは正義の真反対などという明確なものではなく、複雑かつ曖昧であり、そこら中にありふれているのだでは、「悪」を犯さないためにはどうするべきか?…これは人類がこれからも永遠に考え続けなければならない問いである。はたして、正解は出てくるのであろうか。 -
好きな人が読んだから読んだ
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カタチ的には一周したが、まだ読めていない。
読んでよかったし、今読んでよかった(若いころだとたぶん、ほとんど、今よりもずっと、この本の意義がわからなかったと思う。いまは、意義があることだけは、すごくわかる)
ヒトラー率いるドイツ帝国の、ユダヤ人問題の〈最終的解決=絶滅〉において、ユダヤ人を殺戮収容所に輸送する任務に着いていた、アドルフ・アイヒマンについて書かれているこの本は、ずっと思っていたように、舌鋒鋭く「陳腐な悪」を断罪するものではなかった。これは裁判記録ーーしかも、不親切なほど注釈が少ないーーである。
「ザ・ニューヨーカー」で連載されたこの報告(レポート)は、エルサレム裁判の法廷のようすからはじまり、主に、裁判で(または裁判の前に)明らかになっている「ユダヤ人の輸送」について、順を追って述べている。
正直なところ、歴史や地理、人名がほとんど分からないので、「本書の大部分には、ユダヤ人の輸送が、各国や地域の状況に応じて進められてきたことが書かれている」ことしか読み取れていないが、これらの部分の、アイヒマンのどちらかといえばつまらない人物像と、「その裁判の場がどのような意味を帯びていたのか」「裁判でなにが裁かれているのか」を語るとき、筆者の思いが強くなっている、気がした。
また、ドイツ帝国のユダヤ人絶滅にかかわる要求に対して、各国が軒並み肯首するなかで、政治的理由からデンマークが、人間的?文化的状況からイタリアが、簡単にユダヤ人の迫害に協力しなかったこと、また、逆に、ルーマニアはドイツより早く、むごい形でユダヤ人を虐殺し、引き際もドイツより早かった、という部分が印象的だった。
たぶん、この本の宣伝文句に取られている、読みどころでもある部分は、「エピローグ」と「追記」だろう。「エピローグ」でアーレントは、けっきょくアイヒマンが何によって裁かれるべきだったのか、その唯一の理由を、判事による仮定の呼びかけの形で語る。また、「追記」では、この本が巻き起こした論争を整理したうえで、この本が扱っている問題について、改めて述べている。
彼女によると、アイヒマンは、かつて例のない、そして、人類の未来に再び起こりうる、起こった時点の法では裁き得ない罪、すなわち「人類に対する罪」によって裁かれるべきである。たとえば、国家の政策としてある民族を追い出すとか、利害関係のある国の人間を大量に殺すとかではなく、その必要がないのに、無意味に、ある民族を地球から殲滅する計画に服従(服従とは支持である)した、というのが、彼の罪であるという。
また、後者について、アーレントは「どの程度までエルサレムの法廷が正義の要求を満たすのに成功したかということ以外には何も語っていない」という。すごく俗っぽく大雑把に、言葉ではなくこの部分から受けた印象を述べるならば、「あることを一般化しすぎたり矮小化しすぎたりするのではなく、ひとつの、この事象のなかに、人間が正義や法を考えるための『なにか』がある」という感覚とか、「それが何なのかという考えを拙速に導こうとしたり、本に書かれていることの一部を取り出して賞賛とか批判とかを加えたりするのではなく、ただ、きちんと事実関係と関連する文脈を追って、ひとのことばやアリモノの思考に頼らず、自分で意味づけすべきだ」という信念とかを、このあたりは述べている気がする。
いずれにせよ、まごうことなき名著だし、この本が世界にある意味とか、人が思考し語り残すことの意味みたいなことをきちんと思ったはじめての本かもしれない。 -
ナチスの大量虐殺がどのように生まれたのか、その主犯格の裁判の様子を本にしたもの。
悪の陳腐さの副題通り、ハイヒマンはただヒトラー、ナチスに認めて貰いたかっただけ。
入党の理由として、就職難でたまたま入っただけ。
それが、虐殺の理由。途中から人を殺す感覚が麻痺して来た。
自分で考えなくなることがいかに危ないか、また人は認められたいという理由でも人を簡単に殺せる。
人の本質的な一面を捉えた本。 -
ちょうどこの本を読み終わった日の朝刊にポーランドで、ナチスによるユダヤ人のホロコーストに「ポーランド人が加担した」などと記載すること禁ずる(罰則付き)法案が可決されたという報道が。
アーレントが読んだらどう思うだろうか? -
イスラエル・パレスチナ問題、そして関連するテーマについて考えたいと思ってリストアップした中で最初はこれと選んだ本。ナチのホロコースト政策の詳細や関連する裁判等の戦後処理の経緯について細かくは知らなかったので前提知識が足りなすぎてなかなか読むのが大変だったし、有名な本なのである程度の骨子というか位置付けは知っていたけど、それでもやはり読んで良かった。「悪の陳腐さ」という本文最後の一節があまりに有名で、確かに重要なポイントではあるけれど、裁判全体のそもそもの位置付けや検察・弁護側そして判決に対してのアーレントの視点からの考察も重要。アーレントがいま生きていたら、現在のこの事態について、そしてイスラエルについて何を考え、言葉にするんだろうというのが、考えたいことの大きな一つでもあるのでこの後読む本も含めて考えていきたい。本書の段階では最後にアーレントが自身を判事と仮定したアイヒマンへのメッセージ「政治とは子供の遊び場だはないからだ。政治においては服従と支持は同じものなのだ。(略)これが君が絞首されなければならない理由、しかもその唯一の理由である」について、現在のイスラエルに置き換えるとすると、誰にどのような形で投げかけうるのかを問うてみたい。
著者プロフィール
ハンナ・アーレントの作品






ハイデガーと恋人だって事に1番びっくりしました笑
本当だ、批判ばっかりしてる(^^;
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自己責任です_| ̄|○ il||li
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