死を生きた人びと 訪問診療医と355人の患者

  • みすず書房 (2018年5月2日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (216ページ) / ISBN・EAN: 9784622086901

作品紹介・あらすじ

355人の看取りに関わった往診医が語るさまざまな死の記録。延命のみに長けた現代社会で、患者たちが望み、模索し続けた最期とは。

現代日本では、患者の望む最期を実現することは非常に難しい。多くの患者が、ひたすら延命しようとする医者や、目前の死期を認識しない親族と患者自身、病院外の死を「例外」とみなす社会によって、望まない最期に導かれていくためだ。しかし著者の患者たちは、著者と語り合ううちにそれぞれの望む死を見いだしていく。その結果、7割の患者が自宅での死を選んでいる。鮮烈なエピソードを通じ読者に「どう死にたいか」を問う一冊。

感想・レビュー・書評

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  • 著者は10年以上、地域の在宅医療に携わっている医師である。医師の現在の年齢は80歳。前職は外科医で、40年勤め上げた。定年後に訪問診療に携わることになった、ある種、変わり種の経歴を持つ。
    実は著者の経歴で特異であるのはそれだけではない。森鷗外の娘・小堀杏奴を母に持ち、つまり、鷗外の孫にあたる。

    本書は、著者の一般向けの著作としては最初の1冊である。先頃、NHKのドキュメンタリー番組「在宅死 “死に際の医療”200日の記録」でもその診療の様子が放送されたが、放送より一歩突っ込み、また少し違った視点で、355人の患者の臨終にかかわった記録をまとめている。このうち、76%ほどが在宅死を迎えている。

    著者は患者が臨終に至ったさまざまな事例をパッチワークのようにつなぐ。
    あるものは孤独で空想の世界に夢を見、あるものは離れて暮らす家族が在宅医療に強く反対し、あるものは家族も障害を抱え、あるものは大家に家で死ぬことを禁じられる。
    事例の描写は簡潔で、むしろ事務的ともいえる冷静さなのだが、レポートのような簡単な文章の向こうに、物語が潜む。さまざまな市井の人々が、それぞれの生を終えるとき、それぞれの人生が浮かび上がる。

    本書でもう1つ特徴的なのは、多くの文学作品やノンフィクション、論説記事からの引用がなされることだろう。事例に合わせ、幸田文であったり、中勘介であったり、鷗外であったり、看取りの専門医であったり、絶妙な一文が引かれる。そこに鷗外の影を見るのは著者にとっては本意ではないかもしれないが、やはり代を経て受け継がれる教養、あるいは教養を得ようとする姿勢というのはあるようにも思われる。

    そうしたコラージュから浮かび上がってくるのは、在宅医療の数々の問題である。
    国は在宅医療を推奨しているにも関わらず、看取りまでを自宅で行う例は近年、多くはない。
    その妨げになっているのは、あるいは社会通念であり、あるいは医療者の在宅医療に対する知識の少なさであり、あるいは適切に訪問診療を行える人材の不足である。
    過剰な医療を行わず、しかし無責任に放置するのでもない、「適切な医療行為」の実行はなかなかに困難である。その判断ができる人材の確保が難しく、また医師とは違う役割を果たす看護師も足りない。その根底には報酬の安さがある。
    半世紀前であれば在宅死は普通のことであったが、時を経て、病院での死亡例が多くなってくると、病院勤務の医師自身が在宅医療をよく知らないということも起こる。

    しかし、そもそも、「死」とは医師が「ご臨終です」と家族に告げるべきことなのか。それを行うために、死にゆく人に、家族との別れの時間を与えることもなく、なじみのない環境の中、機械につながれた死を迎えさせなければならないのか。

    在宅医療の可能性と問題点、臨終の形など、多くのことを深く考えさせられる。

  • 何の学会だったか忘れたが著者の記念講演を聞いて興味を持ち読んでみた。外科医が第一線を退き訪問診療の世界に入った。まだ今のように訪問診療が広まっていない時代に。事例をコラージュした文章と謙遜して言われるが、事例の持つ重みがずしっと来る。効率性を重視する現代医療、それは在宅分野にも押し寄せているが、古き良き臨床医の誠実さが文章にも表れている。「『死を恐れず、死にあこがれずに』だれにもとどめることができない流れに流されてゆく患者と、その一人一人に心を寄せつつ最後の日々をともにすごす医師、そのような患者と医師の関係があってもよいのではないか」という最後の一文が本書に一貫して流れるテーマである。まとまった文章の経験はないと言われるが、こころに静かに響く文章、祖父は森鴎外だそうだ。

  • 医療環境のランクはスイスについで2位の日本が、「死の質」については20位以下であるとのこと。理由は様々あるけれど、死を迎える当事者、家族、医療関係者すべてが「死」に対して向き合えていない、考えてこないことが大きな問題であるような気がする。
    病院で人工呼吸器や点滴をつなぎながら生きていくことや、そのまま長い時間をかけて迎える死について疑問を持つ人は、一度「死」に向き合うためにも読んでみても良いかと思います。

  • 著者は65歳まで外科医として
    大学病院、国立医療機関に勤務した後
    訪問診療医として務めている。

    14年訪問診療医として関わってきた患者のうち
    42人の観察記と関連する文章の引用による
    コラージュでなりたっている。

    切り貼りと入ってもそこには
    著者の視点、思い、憤りが強く感じられた。

    死を忌み嫌い、「助かる見込みがなくても最後の最後まで、できる限りの治療するのが良い」と考えるようになったのだ(p85)

    患者側にとっての必須事項は「死を直視すること」である(p144)

    医療が死を敗北と捉え
    多くの人が死を忘れたことに警鐘鳴らしている。

    最早死に帰すると定まりたる病者には快復を望まず安く永眠せしむる事を望むべし(p12)

    患者が食物や水分を口にしないのは、老衰でものを飲みこむ力がなくなったからである。食べたり飲んだりしないから死ぬのではなく、死ぬべきときが来て食べたり飲んだりする必要がなくなったと理解すべきである。(p13)

    死を知らない、だから死を怖がってしまう。
    それを医師が教えてくれて
    サポートしてくれるのなら心強い。

    「老い」が必ず訪れるものとして準備を行うことこそがより賢明な方策であると思う。(p89)

    介護される側になるというのは決して特殊で特別なことではなく、人間にとっては誰しもが迎える普遍的なことであり、自分もそうなるのだ(p91)

    老いには抵抗しなければならない
    老いは悪いことのように
    刷り込まれている自分に
    投げかけられた言葉のようで、
    2度3度と読み直してしまった。

    高齢者に何が必要なのか、高齢者の尊厳を尊重するにはどうしたら良いかについて謙虚に考えないで、自分が良いと思いこんだらそれを一途に押し付けている若者の方がボケが近いと感じました。(p87)

    患者が「通常の会話」に飢えているということであった。(p95)

    「好きにさせてほしい患者」と、善意にせよ「好きにさせてくれない」家族・社会との相克が表れている。(p160)

    頭でっかちになって
    目の前の人を置いてきぼりにしてしまうのは
    本末転倒なのだ。
    得た知識を人の幸せのために
    使ってこそ知恵になるのだ。



  • 498

  • 難しかった またあとでキチンと読みたい

  • 『死ぬときは病院と自宅、何処が良いか』
    社会通念や制度、家族の都合や病院側の意識不足によって本人の希望通りいかないことも多い

    訪問診療医にして森鷗外の孫である著者による本書では、多職種診療に伴うオートメーション医療の問題にも触れてあり、ハッとした

  • ふむ

  • 在宅医療で診るそれぞれの「死に方」。現場で起きる問題ついて、本人の理解、支える家族の捉え方、社会観念、医療制度などを事例を挙げながら解説していて深くも分かりやすい。

    また、症例に対してとても思いやりがあり、家庭そのものに触れる優しさと強さを持って看取りをしているにもかかわらず、鋭い客観的視点で振り返られるところに凄みを感じる。

    2012年新生在宅医療元年として始まった訪問診療。10年が経過してようやくいくつかの診療所で質を高めることに注目し始めている。

    小堀先生の目指していた終末期におけるカルミネーションという考え方が、今でいう「自分らしさ」の実現かと思う。小堀先生が診療を通して、治療以外の関わりの部分で大切にしてきたカルミネーションを、今の時代なら訪問看護に加えて、訪問リハビリが関わることで、多くの人に実現できるだろうと思えた。

  • 私は、私の死についてどれほど考えてきたのか。十分に考えてきたとは言えない。
    「望ましい死」についてじっくり考えようと思う。

  • 個々の患者の死をたんなる事例として終わらせず、「死を生きた人びと」から私たちに遺されたメッセージとして受けとめようとする著者の、すぐれた職業意識と「隣人」的な感性に好感をもった。

    【まとめ】

    ●死は敗北ではない。人は老いて死ぬのが自然。病院は不要な延命によって、患者の「望ましい死」に介入すべきではない。
    ●とはいえ在宅死がすべてでもない。何が望ましいか、何が現実的に可能か、状況は患者や家族により異なる。普遍的な死など存在しない。
    ●「死の質」を高めるうえで、かかりつけ医の存在が今後とても重要に。

    【キーワード】

    在宅医療・在宅看取り・在宅死 本人/家族/医療・看護・行政/社会通念 事例 「死は敗北」「死は自分(たち)とは無縁」「家から死人を出したくない」 [病院主治医]救命・治療・延命/[訪問診療医・在宅医]緩和ケア・「常に慰める」 2025年問題 高齢・認知症・介護・貧困 人生の厚みを想像する 通常の会話 緩和ケアと死の質 生かす医療/死なせる医療 病院以外での死 かかりつけ医 culmination 望ましい死・理想的な死 「本はとても危険だ」

    【目次】

    はじめに

    第1章 在宅医療の世界へ

    第2章 在宅死のリアリティ──死者355名からのメッセージ
    1 在宅医療と在宅死
    2 在宅医療・在宅死の経済的側面
    3 患者と家族にとっての在宅死
    4 医師は在宅医療を知らない
    5 介護関係者・行政・社会にとっての在宅死
    6 常に慰める

    第3章 在宅死のアポリア──情報社会が提供するさまざまなニュースから
    1 「老い」は戦うべき相手か
    2 希望なき生──「先生、死ねる薬はないのですか」
    3 看取るのは医師だけか
    4 医者にかからないで死ぬということ
    5 在宅死なき在宅医療──ビジネス化の行き着くところ
    6 在宅死は理想的な死か
    7 最期を選べない患者たち
    8 未来におけるアポリア
      1 医師は足りるか
      2 訪問看護師は足りるか
      3 介護職員は足りるか
      4 介護施設は足りるか
      5 病床数は足りるか
      6 2025年問題への対応策

    第4章 見果てぬ夢
    1 世界の悲惨/日本の悲惨
    2 オーダーメイド医療/オートメーション医療
    3 ある老医師の手紙

    あとがき

  • 医療者目線で患者と伴走している様子よく分かりました。良かったです。医療を受ける受けないの選択肢と心の揺らぎ、人同士のやりとりができる最期、良いなって思いました。

  • バリバリの外科医が訪問診療をやるようになって、
    患者との交流を通して今の医療の問題点を書いて
    あるが、一番考えさせられたのは、人間はいつか死ぬとわかっていながら、なかなか準備ができない。いつか来るが、明日かもわからない。
    心していなければと思う。
    死までいかに生きるか、いかに準備するか。
    考えさせられた。

  • 死、老い、恐れずに見る。そうはいってもなかなか。
    こういった本を読んで感じて行くしかないかな。
    本よりも、身近にある老いを見ていくしかないな。嫌だけどなー。

  • 誰もが等しく平等に迎える「死」のあり方について、様々な例とともに考察が続いていく。ところどころ著者の茶目っ気のある行動も垣間見れて面白い。私は小堀さんを含め、森鴎外一族のファンです。

    在宅医療というのがひと昔前の医療形態だと思っており、また今は「若者」であり親近者の死が身近でなかった私にとって、少しばかり想像力が必要な本でもありました。この本にも書かれていた通り、それほどまで現代社会は「死」の概念が遠のいているのだと思います。それはわたしが実証例として述べることができます。

    少しこの本の趣旨からは外れていますが、「死」というのはどんな形であれ、他者との関係の中で初めて包摂されるものだと実感しました。物理的な死は皆等しいけれども、そのあり方を決めるには、他者との不断の関係性を持たない限り、自らの意志を持つことすら叶わない。そのためには常に議論を重ねる必要があり、緊急時に備える努力もしなければならない。これらが差となって「最後」に現れるのかもしれない、と考えました。

    大事な人の死を迎える時にどうかこの本を思い出せますように

  • ▼福島大学附属図書館の貸出状況
    https://www.lib.fukushima-u.ac.jp/opac/opac_link/bibid/TB90353605

    (推薦者:行政政策学類 鈴木 めぐみ 先生)

  • 外科医として救命・治癒・延命の仕事で40年のキャリアをつんだ筆者。定年後、堀ノ内病院で在宅医療・終末期医療に携わって13年の足跡がまとめられている。訪問医療と一人ひとりの看取りのエピソードを淡々と事実のみつづる「事実の断片のコラージュ(筆者)」。本人、家族、病気のさまざまなバリエーションのエピソードが語られ、自分なら、と置き換えながら読みすすめた。病床を急激に減らし、在宅医療に舵を切ろうとする日本の現状とを鑑みると、良好なQOLを保ちつつ本人が望む形で在宅で終末期を迎えられるのか、甚だ不安になった。在宅医療は医療費抑制からでなく、個人の尊厳を最期まで保つために行われるものであったほしいと思った。

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著者プロフィール

1938年東京生まれ。東京大学医学部医学科卒業。医学博士。東京大学医学部付属病院第一外科、国立国際医療センター(現国立国際医療研究センター)に外科医として勤務。定年退職後、埼玉県新座市の堀ノ内病院に赴任。訪問診療医として400人以上の看取りに関わる。著書に『死を生きた人びと 訪問診療医と355人の患者』(みすず書房)、『死を受け入れることーー生と死をめぐる対話』(養老孟司さんとの共著、祥伝社)がある。訪問診療の活動を追ったドキュメンタリー映画『人生をしまう時間(とき)』(2019年公開)も話題となる。母は小堀杏奴。祖父は森鷗外。

「2020年 『いつか来る死』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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