エコラリアス

  • みすず書房
4.36
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感想 : 7
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  • Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622087090

作品紹介・あらすじ

子どもは言葉を覚えるときに、それ以前の赤ちゃん語を忘れる。そのように、言葉はいつも「消えてしまった言葉のエコー」である。そして、忘れることは創造の源でもある。
言語の中にはつねにもうひとつの言語の影があり、失われた言語が響いている。言語の崩壊過程に言語の本質をみたヤコブソン、失語症を考察したフロイト、複数の言語を生きたカネッティ、死んだのに語る口を描いたポー、母語についてはじめて語ったダンテなどを導きに、忘却が言語の本来もつ運動性であることが浮上する。
アガンベンの英訳者として知られ、30代で本書を著し、恐るべき知性として話題を呼んだ、ヘラー=ローゼンの主著。流離こそが言語の核心であることを明かす、言語哲学の最重要書である。

感想・レビュー・書評

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  • 谷崎由依『鏡のなかのアジア』文庫版解説でこの本を知った。嬉しい出逢いになった。

    豊かなテクストを取り上げながら、記憶と一体の忘却に言語の本質を問い直す知的探求とノスタルジー。よくある読書体験、言語体験、ついでに昔齧った言語学を思い起こしながら楽しんだ。発音しない「h」、非文を示す星印、失語のメカニズム、多言語学習、エトセトラ……。各章、いずれも個性的な導入から深遠な示唆へと伸びて、あわせてシンフォニックな知の楽しみが尽きない。言語と切れない関係の文学が素材になることも多く、それがまた古今のバラエティに富んで面白かった。自分たちの持つ言語を絶えず見つめながら文学をものし、さらにそれを忘れることで(かつて居たはずの)未踏の境地へ到達しようというのが詩なのだと、それは詩人でない身にも分かる気がする。
    解説で紹介されている他の著作も気になる。邦訳で読めないかな……。

  • 著者のヘラー゠ローゼンは、プリンストン大学で比較文学を講じている。本書はおもに英語圏で活躍している著者の、初の邦訳書である。
    「エコラリアス」とは「谺する言語」のことを指す。今ここに現前する言語ではなく、忘却された言語や記憶の中に、痕跡としてしか認められない言語の谺。
    一貫して本書を貫いているのは、人が言語を獲得することと、言語を忘却することの共犯的な関係性についてである。人は新たな言語を獲得するとき、それ以前の言語を一定度忘却する。そのような、言語的な忘却の創造性にヘラー゠ローゼンは関心を寄せている。(中央館3階、請求記号801.01//H51)

  • これは期待外れだった。帯には「言語哲学の最重要書」なんて書いてあって、「どんなに難解な理論が書かれているんだろう」とわくわくしながら読み始めたが、実際には、言語をテーマとした緩い連作エッセイであり、ジャンルは哲学というよりも文学に属するものであった。
    著書はアガンベンの英訳者として有名であるらしく、なるほどアガンベンの本がしばしばそうであるように、ポエティックな醸成にテクストが収斂していく辺りがよく似ている。
    本書の21の断章は基本的にそれぞれが独立しており、言語が「忘却」されたり新しい言語に移行したりするような歴史上の事象に言及したりもするのだが、そのことの意味をずっと奥まで追究することなく、ポエティックな余韻を醸し出すだけで終わってしまうから、「だからどうなんだ?」と思ってしまう。
    シリアスな哲学書ないし学術書なら、思考をどんどん先まで進めていって、いわば地核に向けて穴を掘ってゆくところだが、本書では、地殻のほんの表層だけ軽く掘って、「そのなかから見る景色は素敵だなあ」なんて嘆息するだけで、次はまた横に移動して再び浅い穴を掘り始める。そうやって、地表に浅いクレーターを並べていくだけなので、地中の真実は全然見えてこないのである。
    だから「言語哲学」などと呼ばずに最初から「エッセイ集」とでも銘打ってくれていれば、余計な期待を抱かずに済んだのに、と思う。
    知的ではあるが軽いエッセイ集なので、寝る前に1章ずつ何となく読むというスタイルで読み通した。
    この著者の別の本ではもっと違う、地核めがけて掘り進むような求心的な探究があるのかもしれないから何とも言えないが、本書はそのように、軽い書物だった。学術的な期待はしない方が良い。

  • すごくいい。美しい文章だ。何度読み返しても心地よい気持ちになる。

  • めちゃ面白かった。著者が若いのでびっくり。

  • 『エコラリアス――言語の忘却について』
    原題:ECHOLALIAS: On the Forgetting of Language
    著者 Daniel Heller-Roazen (1974-)
    訳者 関口涼子(1970-)

    【版元】
    四六判 タテ188mm×ヨコ128mm/336頁
    定価 4,968円(本体4,600円)
    ISBN 978-4-622-08709-0 C1010
    2018年6月8日発行

    子どもは言葉を覚えるときに、それ以前の赤ちゃん語を忘れる。そのように、言葉はいつも「消えてしまった言葉のエコー」である。そして、忘れることは創造の源でもある。
    言語の中にはつねにもうひとつの言語の影があり、失われた言語が響いている。言語の崩壊過程に言語の本質をみたヤコブソン、失語症を考察したフロイト、複数の言語を生きたカネッティ、死んだのに語る口を描いたポー、母語についてはじめて語ったダンテなどを導きに、忘却が言語の本来もつ運動性であることが浮上する。
    アガンベンの英訳者として知られ、30代で本書を著し、恐るべき知性として話題を呼んだ、ヘラー=ローゼンの主著。流離こそが言語の核心であることを明かす、言語哲学の最重要書である。
    https://www.msz.co.jp/book/detail/08709.html

    【目次】
    第一章 喃語の極み
    第二章 感嘆詞
    第三章 アレフ
    第四章 消滅危惧音素
    第五章 H & Co.
    第六章 流離の地で
    第七章 行き止まり
    第八章 閾
    第九章 地層
    第十章 地滑り
    第十一章 文献学の星
    第十二章 星はまた輝く
    第十三章 ニンフの蹄
    第十四章 劣った動物
    第十五章 アグロソストモグラフィー
    第十六章 Hudba
    第十七章 分裂音声学
    第十八章 アブー・ヌワースの試練
    第十九章 船長の教え
    第二十章 詩人の楽園
    第二十一章 バベルの塔

    解説 ダニエル・ヘラー=ローゼンとは何者か?
    訳者あとがき
    原註
    参考文献
    索引

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