ショパンの詩学 ピアノ曲《バラード》という詩の誕生

  • みすず書房 (2019年2月9日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (408ページ) / ISBN・EAN: 9784622087595

作品紹介・あらすじ

ショパンはその生涯に多くの歌曲を書いた。古典主義からロマン主義への過渡期にあった同時代6人の詩人の詩にショパンが付曲したものが主であるが、生前には刊行されず、ショパン作品群の中での位置づけは低い。一方で文学ジャンル「バラード」と共通する詩的な題名をもつ作品を、ショパンは4つ残した。ピアノを弾く人、聴く人に愛され続けてきた《バラード》1番から4番である。ピアノ独奏曲にバラードの語を用い始めたのはショパンが最初だが、その意図については、特定の詩作品との関連説が根拠なく有力視されてきた。ショパンの死後150年以上ものあいだ、なぜそのような解釈が許容されてきたのか。
これまで軽視されていたショパンの歌曲について、本書はまず詩の精緻な分析を行った上で、ショパンの付曲がいかに見事に各詩に対応しているかを明らかにする。つまりショパンには、文学作品を構造的・理論的にとらえる高度な能力と、それを音楽で表現する技量があった。その発見を梃子に著者は、《バラード》の構造を詩学と音楽学を駆使してつぎつぎに、よどみない筆致で紐といてゆく。そして浮かび上がるショパンの《バラード》は、特定の詩にインスピレーションを得て思いつくままに書かれたようなものではない、壮大な芸術的営みである。
ショパンは感傷的なサロン音楽の作者と目されがちで、そのような意味で「ピアノの詩人」と呼ばれてきた。しかし本当は、まったく別の意味でそう呼ばれるべきだったのではないか。作曲家の真髄を研究史の死角から救い出した、若手研究者の快挙。

感想・レビュー・書評

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  • 想像した内容とは違ったが、かなりマニアックで深い内容であった。

    ショパンのバラード以前にはバラードという曲調の存在がなく、その特徴は時代などからリズムや詩から紐解いていこうという趣旨のようだ。

    まったくこの手の本は思い切らないと買えない値段で勇気必要があり。
    半分まではなかなか読み難いものであったが、いよいよ折り返しからショパンのバラード登場。
    作曲風景には音楽家だけでなく文学人も多かったりショパンからも影響を受けた人がたくさんいた。

    この本はこれとこれが繋がっているとか、これと似てるんだよほら、という楽譜や詩やリズムが記してある。
    ショパンのバラードというジャンルがいかに詩的であるか、叙情詩的に聴いてみたくなった。

  • 松尾梨沙『ショパンの詩学』 あとがきの周辺 - みすず書房
    https://www.msz.co.jp/topics/08759/

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    ショパンはその生涯に多くの歌曲を書いた。古典主義からロマン主義への過渡期にあった同時代6人の詩人の詩にショパンが付曲したものが主であるが、生前には刊行されず、ショパン作品群の中での位置づけは低い。一方で文学ジャンル「バラード」と共通する詩的な題名をもつ作品を、ショパンは4つ残した。ピアノを弾く人、聴く人に愛され続けてきた《バラード》1番から4番である。ピアノ独奏曲にバラードの語を用い始めたのはショパンが最初だが、その意図については、特定の詩作品との関連説が根拠なく有力視されてきた。ショパンの死後150年以上ものあいだ、なぜそのような解釈が許容されてきたのか。
    これまで軽視されていたショパンの歌曲について、本書はまず詩の精緻な分析を行った上で、ショパンの付曲がいかに見事に各詩に対応しているかを明らかにする。つまりショパンには、文学作品を構造的・理論的にとらえる高度な能力と、それを音楽で表現する技量があった。その発見を梃子に著者は、《バラード》の構造を詩学と音楽学を駆使してつぎつぎに、よどみない筆致で紐といてゆく。そして浮かび上がるショパンの《バラード》は、特定の詩にインスピレーションを得て思いつくままに書かれたようなものではない、壮大な芸術的営みである。
    ショパンは感傷的なサロン音楽の作者と目されがちで、そのような意味で「ピアノの詩人」と呼ばれてきた。しかし本当は、まったく別の意味でそう呼ばれるべきだったのではないか。作曲家の真髄を研究史の死角から救い出した、若手研究者の快挙。
    https://www.msz.co.jp/book/detail/08759.html

  • ショパンが編み出した「バラード」という楽曲のジャンルの特徴を、文学作品としての「バラード」やショパンの歌曲を参照しながら解き明かしていく本。

    一般に、「バラード」というと第1番から第4番まで、それぞれにミツキェヴィチの詩が対応し、その詩の世界の情景が描かれているというアルフレッド・コルトー以来の解釈が広く知られている。

    しかし、筆者は曲の構造やリズム、旋律の分析などをもとに、ショパンはバラードという文学作品の様式に見られる性格を音楽的な形式に応用して、この新しいピアノ曲のジャンルを開拓したのではないかと結論付けている。

    そして、ショパンのバラードは各曲を特定の詩と結びつけなくても作曲家の意図が把握でき、それによりより自由な解釈ができると考えている。

    このことを考えていくために、筆者は本書をまずショパンの歌曲の分析から始めている。

    ショパンの歌曲は約20曲が現在に知られている。これらは生前には1曲も出版されることはなかったものの、ポーランド語の詩に対して綿密な分析と解釈が行われたうえで付曲されていることが分かる。

    詩の音節が作り出すリズムや言葉の韻はもちろんのこと、それらが音節詩として読まれるときのアクセントの変化や、複数の連の間の対応関係や対照的な状況などを考慮に入れたうえで、曲の形式(有節歌曲か否かなど)、スタイルの選択(マズルカ、民謡的な2拍子など)、ハーモニーの付け方などを決定している。

    これらの事実は、ショパンがポーランドの詩を母国語の作品であるということを超えて、文学的なレベルで深く理解していたということを感じさせるものである。

    このことは、バラードを考えるうえでも、それが特定の詩の情景にインスピレーションを受けて作曲されたというよりも、バラードという新しい詩の様式をより深く分析したうえで、その特徴が楽曲を形づくるうえでも参照できることにショパンが気付いていたということを示唆していると、筆者は主張している。

    それでは、ショパンが導き出したバラードという詩の特徴と、それがどのように音楽としてのバラードの作曲に反映されたのか? 筆者は「叙事詩」「抒情詩」「戯曲」という3つの文学ジャンルの特徴を参考にしながら、この点を解明しようとしている。

    詩としてのバラードの統一的な定義は難しいものの、民謡的な出自を持ちながら、それが上述の3つの文学ジャンルの特徴を得て成立した詩のジャンルであるという。

    そして、筆者によると、ショパンはそれぞれのジャンルから「人物」「出来事」「背景」に関する特徴的な関係性を取り出し、それを「主題」、「形式」、「調性(和声)」の各側面における曲の特徴へと応用したという。

    まず「叙事詩」としてのバラードとショパンのバラードの関係性であるが、バラードは叙事詩としては比較的小規模な作品であるため、主要な登場人物は通常2~3名であり、それらの人物がいくつかの「出来事」における対立関係を演じながら、物語が展開していく。そして、短い作品であることから、場面の急な展開、複数の視点や回想シーンを活用することにより話が進められ、その都度作品の「背景」は大きく変化する。

    ショパンのバラードも、4曲とも2つの主題が登場し、それらが交互に表れながら数回の山となる出来事を展開しながら曲がつくられている。そして、その曲調の展開は一つの主題が複数の調性で登場したり、異なるハーモニーを付すことによって、巧みに形づくられているという。これは、叙事詩としてのバラードと音楽作品としてのバラードの間の大きな共通点である。

    続いて抒情詩としてのバラードとの関係性であるが、筆者はまず、抒情詩の中におけるナレーターの位置づけの揺らぎと、反復構造や音韻などによる感情表現に着目している。

    バラードにおいては、詩の語り手が客観的且つ既知のものとしてストーリーを展開するのではなく、語り手自身が発見的に物語を語り、その中で感情の揺らぎが生まれる。そしてこの事実が、バラードのナレーションのあり方にも作用している。

    また、バラードのナレーションは、物語りでありながら、各連での特定のフレーズを反復したり詩の前半と後半の連を同じフレーズで対応させることで、情景や心情の対立や交叉構造を生み出している。これは叙事詩的な特徴というより、詩の構造による効果を生み出だす抒情詩的な特徴であるという。

    ショパンのバラードにおいてこの特徴をよく表しているのが、モティーフの処理である。各曲において、特徴的なモティーフが繰り返し現れ、それぞれに少しずつ音高や音価、リズムの面でアレンジが加えられることで、曲の中での心情の揺らぎを表現している。

    また、ナレーターの位置の曖昧さについては、バラードの和声構造が、主調がどの調であるのかが分かりにくく多義的な解釈をできるものになっている点に表れているという。冒頭の調で終結しない第2番や、どちらがトニックであるかが意図的にあいまいにされている第3番の主題Bの提示部などが特徴的である。

    最後に、戯曲としてのバラードとの関係性であるが、ここでは戯曲の持つ「停滞と衝突」の構造や幕間を効果的に使った場面転換を取り上げている。

    バラードにおいても、戯曲の展開において特徴的なように「主人公」と「対抗勢力」の関係性が停滞と衝突を繰り返すことで作品が展開していく。このような特徴は、2つの対比的な主題を持ち、それらが様々な形で展開するショパンのバラードにも承継されている。

    そして、戯曲の幕間のように、「総休止(ゲネラルパウゼ)」を有効的に活用したり、導入部に主題の調とは異なる調性を彷徨する序奏を持ってくるなど、ショパンのバラードにも様々な形で劇場的な効果が見られる。また、4曲のバラードがそれぞれ単音(ユニゾン)のロングトーンや連打から始まっているというのも、戯曲の冒頭において観客の視点を集中させる技法との関係性が見受けられる。

    これらの戯曲的な特徴によって、バラードの持つ「今・ここで」体験するという戯曲的側面がショパンのバラードにおいても生みだされているという。

    以上のように、詩としてのバラードの文学的な特徴とショパンのバラードの音楽的な特徴を対比させながら見ていくことで、ショパンがバラードという名称をこれらの楽曲に与えたのは、単に特定の文学作品の情景を描くということではなく、バラードという様式が持つ可能性を音楽的に探究したからなのではないかということが感じられるようになる。

    このような特徴は、ソナタなどの他の形式と比べても独自の要素を持っており、そうであるがゆえにショパンはこの新しい曲の形に「バラード」というこれまでピアノ曲に付けられたことのなかった名称を与えたのであろう筆者は考えている。

    本書で述べられたこのような視点を持つことで、ショパンのバラードを詩の内容との対照ではなく形式として捉えることによって、曲の全体像や表現の可能性についてより幅広く理解することができるようになると思う。そういった意味で、本書の研究は非常に意義があると感じた。

    歌曲もバラードも多くの作品が譜例と共に参照されており、非常に具体的且つ分かりやすく書かれている。

    また、本書を読んでもう一つ収穫であったのが、これまでほどんど聞いたことのなかったショパンの歌曲を知ることができたことである。ショパンがこれほど深い理解をもって歌曲を作曲していたということは知らなかったし、それぞれの曲の中にショパンの音楽的な工夫が数多く散りばめられていることを改めて認識させられた。

    ポーランド文学やバラードを深く分析してそれをショパンの楽曲の分析に適用するという点や、ショパンの歌曲の分析からショパンの文学に関する造詣の深さを明らかにするといった視点などは、非常に独創的であると感じたし、このような観点から今後も研究が進んでいくと良いと思う。

    複数のジャンルをまたいだ研究により、これまで光のあてられることのなかった角度から作曲家の意図を明らかにするという点で、非常に興味深い本であった。

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著者プロフィール

1983年、福岡県生まれ。慶應義塾大学文学部卒業。東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了。2010-2013年、ワルシャワ大学音楽学研究所へ留学、同大学ポーランド文学研究所でも学ぶ。日本学術振興会特別研究員DC1を経て、2018年3月、東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。現在、日本学術振興会特別研究員PD(一橋大学)。専門は音楽学、比較芸術。ピアノを迫昭嘉氏に師事。第53回全日本学生音楽コンクール福岡大会ピアノ部門第2位。著書『ショパンの詩学――ピアノ曲《バラード》という詩の誕生』(みすず書房、2019)。

「2019年 『ショパンの詩学』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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