大人から見た子ども

  • みすず書房
5.00
  • (1)
  • (0)
  • (0)
  • (0)
  • (0)
本棚登録 : 50
感想 : 2
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622087830

作品紹介・あらすじ

児童心理学の分野で長年読まれてきた「幼児の対人関係」を中心に、著者が1950年前後の数年にわたりソルボンヌ講義を通して考えていたテーマを再編集する。「心理学的に見た幼児の言語の発達」「大人から見た子ども」「幼児の対人関係」「表現と幼児のデッサン」の4編収録。本書は、哲学関係の読者というよりは、看護関係、教育関係、福祉を中心に児童にまつわる多くの組織に広げたい。ピアジェやメラニー・クライン、フランソワーズ・ドルトの読者にも。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 眼と精神を10数年前挫折して読了せずに売ってしまった。
    頭脳王IQ貴公子で出演していた田村正資さんが、東大大学院でメルロ・ポンティの研究をしているということを知って、読みやすそうなこの本を選んだ。
    訳者のきめ細かい配慮のおかげで訳本にありがちな独特な言い回しは少なく、自然な日本語なので夢中になってしまった。
    ポストイット貼りまくりです。
    ラカン、ピアジェ、ワロン、クラインなどの主張をきちんと勉強しないとついていけないところはあるが、講義を受けているような臨場感がある。
    まだ未消化の部分があるので何度か読み返す必要あり。
    鏡ってとても重要な役割と知り、きれいに磨こうと思う

    覚書
    初語の出現は記号と意味されるものとの関係を突如顕在化
    もろもろの音素対立の体系が意味作用へ向かってゆく
    模倣は目的の共有 対象の共有
    幼児自身の名前が使われるようになるには他者のからわらにある自分の居場所を指すために使われる
    知覚は他者理解においてきわめて重要な役割
    幼児がまだものを理解しない時期と理解するようになる事典とのあいだには見のがしようのない非連続性がある
    自己中心的言語 集団的独語
    理解という概念には二つの側面 全体を意味する小さな真実
    行為の規則についての研究(倫理学)
    客観的知識に向けられる研究(児童心理学)
    子どもに対する大人の反応に向けられる研究(教育学)
    家庭内の葛藤、幼児の心的外傷経験は女性の置かれている不当な状況に由来
    両親自身の幼児期の記憶が、自分の子どもたちに対する彼らの行為を二重に規定している
    自分の両親に同一化、権威的抑圧的な行為が生じる
    自分の子どもに同一化、共犯的連帯的行為が生じる
    鏡像の出現は自分の身体の一種の奪回という意味
    自分の身体を自己受容的意識のうちで視覚的に統合
    無人島で暮らさないといけない場合に一緒に連れていきたいと思うリストに両親を加え忘れるという結果
    嫉妬を克服する際の問題は全て脱中心化
    幼児は極めて早い段階から顔の表情を感じる
    鏡の助けを借りて獲得する自分自身の身体の視覚像から、人は互いに孤立しあっているものだと学ぶ
    鏡像は遊びや戯れの素材
    体感の障害は対人関係の障害と密接に結びついている
    病者たちは、自分の話しかける声が、みぞおちのあたりとか腹とか、胸、頭などから聞こえてくる
    イヌのねたみ 可愛がられたいという欲望は、積極的な欲望であるよりも、むしろ他のイヌに与えられている愛撫が自分には欠けているという感じ この欠如、欲求不満、仲間外れの感じ 人間のねたみは生後7か月目に現れる
    幼児のデッサンの発達 偶然の写実主義 失敗した写実主義 知的写実主義 最後に視覚的写実主義

  • 岐阜聖徳学園大学図書館OPACへ→
    http://carin.shotoku.ac.jp/scripts/mgwms32.dll?MGWLPN=CARIN&wlapp=CARIN&WEBOPAC=LINK&ID=BB00616733

    〈乳児は満足を示すためにだけではなく、周囲の人たちの微笑みに応えるためにも笑い、微笑みます。このことはすでにある種の対人関係を前提にしています。言語活動に先行して対人関係がとり結ばれ、その文脈のなかで言語活動が現れてくるのです。…幼児を言語活動の方へ向かわせるのは、まわりの人たちとの関係です。それは、外から規定された目標へ向かう発達なのであり、生体の内部にあらかじめ仕組まれている目標へ向かう発達ではありません〉(「心理学的に見た幼児の言語の発達」)
    〈自己の身体の意識と、他人知覚とのあいだには、対応関係があります。自分が身体をもっているということを意識することと、他人の身体が自分のとは別の心理作用によって生気づけられていると意識することとは、論理的に言って対称的な二つの操作であるばかりか、現実に一つの系をなしている操作なのです〉(「幼児の対人関係」)
    1949年から1951年にかけてメルロ=ポンティがソルボンヌ大学の児童心理学と教育学の講座で行なった一連の講義の要録、およびそれに関連するテクスト4編を収録。
    (出版社HPより)

全2件中 1 - 2件を表示

著者プロフィール

モーリス・メルロ=ポンティ(Maurice Merleau-Ponty)
1908年3月14日 ―1961年5月3日。フランス南西部の大西洋に面したロシュフォール・シュル・メールに生まれる。若くして父を失い、母と兄妹と親密な家庭環境の中で育つ。後に一家はパリに転居。いくつかの高等中学校(リセ)を経て、1926年、フランスのエリート養成機関である高等師範学校に入学。そこでサルトル、ボーヴォワール、ポール・ニザン、レイモン・アロン、レヴィ=ストロースなど、後に20世紀前半の思想界を担っていく俊英たちと知り合う。1930年、大学教授資格試験に合格。高等中学校、高等師範学校の教師を経た後、ナチ占領下でレジスタンス運動に参加。1942年に『行動の構造』、1945年に『知覚の現象学』を発表し、両著によって博士号を取得。サルトル等とともに共産主義を基調とした雑誌『レ・タン・モデルヌ』を創刊するが、米ソ冷戦の激化、朝鮮戦争勃発等を機にサルトルと袂を分かち、『レ・タン・モデルヌ』を離れる。この間、リヨン大学、パリ大学教授等を歴任。1953年、コレージュ・ド・フランス教授に就任。1961年、心臓発作にて急逝。上記著作の他、『意味と無意味』、『ヒューマニズムとテロル』、『弁証法の冒険』、『シーニュ』、未完の著作に『世界の散文』、『見えるものと見えないもの』等。

「2015年 『メルロ=ポンティ『眼と精神』を読む』 で使われていた紹介文から引用しています。」

モーリス・メルロ=ポンティの作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
ヴィクトール・E...
クロード・レヴィ...
朝井 リョウ
モーリス・メルロ...
伊坂 幸太郎
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×