測りすぎ――なぜパフォーマンス評価は失敗するのか?

  • みすず書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (232ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622087939

作品紹介・あらすじ

「成功へのカギは成果評価にある」――今日あらゆる組織に蔓延している信念だ。しかしわれわれは業績を数字化することに固執するあまり、測定そのものを目的化してしまっていないだろうか。その結果、「測りすぎ」が組織のみならず個人の生活を破壊しつつある。教育、医療、ビジネス、政府活動など様々な事例をあげながら、経済学者がその原因と解決策を示した、コンパクトな本。「大問題をあつかった良書だ」(ジョージ・アカロフ)

感想・レビュー・書評

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  • 0 まえがき
    世の中には、測定できるものがある。測定するに値するものもある。だが測定できるものが必ずしも測定に値するものだとは限らない。測定のコストは、そのメリットよりも大きくなってしまうかもしれない。

    測定基準への執着は、実績を測定し、公開し、報酬を与えなければいけないという、一見避けようのないプレッシャーから来るものだ。だが、それが実はあまりうまくいかないという証拠はいくつもある。
    例えば、数字が報酬や懲罰の基準に使われると、外科医など、評価の対象となる人々は「上澄みすくい」に走り、高リスク症例を避けるようになる。イギリスでは、緊急病棟での待ち時間を減らそうとした保健省が、待ち時間が4時間を超える病院に懲罰を与える政策を採用した。この政策は表面上は成功した。一部の病院が、運ばれてきた患者を病院に入れず救急車に乗せたままにしておいて、4時間以内に確実に診察できると病院職員が判断するまで待たせるという事態が発生していたのだ。

    もちろん賢明な測定をすれば、これまで測定されなかったものの測定によって本当のメリットが得られるかもしれないことは確かだ。測定とは本質的には望ましいものだ。測定されるものが合理的で、一辺倒な基準だけでなく人間的な判断も組み合わせるのなら、測定は実績を評価する手助けになるはずだ。だが、こうした測定が報酬や懲罰の基準として使われるようになる、つまり測定基準が成果主義や格付けの判断基準になると、問題が生じ始める。


    1 測定の欠陥
    ・求められる成果が複雑なものなのに、一番簡単に測定できるものしか測定しない
    ・成果ではなくインプットを測定する
    ・標準化によって情報の質を落とす
    ・上澄みすくいによる改竄
    ・基準を下げることで数字を改竄する
    ・データをゆがめたり、不都合な事例を省く
    ・不正行為

    測定基準が人気になった理由のひとつは、数字は客観性があるような空気をかもしだし、透明性の印象も与えるからだ。説明責任の名のもとに多くの測定を導入する動きが進み、経験に基づく判断が排除されるようになった。
    もうひとつは、組織(企業、大学、政府機関)がより大きくより多様になっていく中、経営トップと、実際の活動に下層で取り組む人々との間の隔たりが大きくなったことに由来する。組織が特に大きく、複雑で、さまざまな構成要素で造り上げられるようになると、すべてを理解することは端的に言って不可能だ。トップにいる人々は、時間や能力が限られた中で判断を下したり、過剰な情報を処理したりしなければならない。測定基準はこの「限定合理性」に対処し、人が理解できる以上の物事に向き合うための魅力的な手段となり、ますます多くの企業で導入されることとなった。


    2 学校の測定
    政府機関や非営利組織においては、資金を提供している者がちゃんと投資に見合う価値を得られているかどうかを見定める価格設定の仕組みがなかった。競争市場だと、消費者は品物やサービスの価格を市場に出回っているほかの商品の質と比較し、その情報に基づいて何を買うかを決めることができる。価格は、簡潔かつ透明な形で多くの情報を救えてくれるからだ。だが、納税者は学校や大学、病院、政府機関、慈善団体をどうやって評価すればいい?

    このような難題を解決するため、非営利組織をもっとビジネスらしくしようとした者たちは三つの戦略を提案した。一つ目は、実績を測定して価格の代わりとする指標を開発するというもの。二つ目は、それらの組織で働く人々に測定実績に基づく金銭的な報酬や懲罰を提供するというもの。そして三つ目は実績指標が「透明」であるというもの、つまり情報が公開されている提供者間で競い合わせるというものだった。狙いは要するに、政府や非営利部門に市場のような状況を作り上げることだった。そうすれば、「もっとビジネスらしく」運営できる。これが「ニュー・パブリックマネジメント」と題された考え方で、ミクロ経済学の原理を行政や公共政策に持ちこむ手法だった。

    当然、この仕組みには欠陥があった。政府機関や非営利組織は複数の目的を持っているのが特徴で、それを個別に切り出して測定するのは難しい。しかも目標は簡単に測定できるものではない。

    教育を例に取ってみよう。
    現代ではもっと多くの国民が大学に行くべきで、そうすれば生涯賃金が増えるだけでなく、国の経済成長も生み出せるという信念がある。
    だが学士号を持っている人の割合が高くなればなるほど、大学の価値は低くなる。それまでは高卒資格しか要らなかった仕事でも、学士号が必須になってくる。それは仕事がより高い認知能力を要するものになったからでも、より高い技術を要するものになったからでもなく、採用側が学士号を持っている求職者の中だけから選び、ほかは排除できるようになるからだ。その結果、大卒資格を持たない者の賃金は下がり、大卒者は大学で学んだことを実際にはたいして役に立てられないような仕事に就くようになる。そして政府や民間企業は、大学進学率と卒業率を上げることを狙って実績測定を実施するのだ。

    「価値」を得るため、これまでのイギリス政府は国の大学を評価する政府機関をいくつも立ち上げてきたが、その結果、教員が研究や教育よりも書類仕事にますます多くの時間を取られるようになってしまった。測定基準は時間と労力を実際の仕事から管理業務やデータを集める人々に回し、コストを増加させる結果となったのだ。

    公教育における測定基準の失敗は、他にも2001年に施行された「落ちこぼれ防止法(NCLB)」がある。ブッシュ政権の初期に施行されたNCLB法のもとでは、各州で毎年3年生〜8年生に算数、読解、科学のテストを受けさせることになっていた。この法律は2014年までにすべての生徒に「学術能力」を身につけさせることを目標に、各学校で比較評価のために選びだされた黒人やヒスパニックも含めた各グループの生徒が、毎年、習熟に向けた「適切な年間の進歩」を見せられるようにすることを狙いとしていた。特定の生徒グループが適切な進歩を見せなかった場合、学校には段階的に増えていく罰則や制裁措置が与えられた。
    しかし、施行から10年経っても、テストの点数はどの学年においてももわずかしか上昇していなかった。

    NCLBがもたらした失敗は非常にわかりやすいものだ。この実績指標に基づいて昇給や仕事そのものが左右される教師や校長は、他の科目をおろそかにしてテスト対策に時間を費やすようになった。また、学力の低い生徒を「障害者」として評価対象から排除したり、点数の低い生徒の答案を書き換えるといった不正も横行した。


    3 警察
    犯罪率の減少をうたって取り入れられた測定基準は、それが総合的な数字を改善するよう上層部からプレッシャーをかけられたとき、負の効果を生む。アメリカでは「コンプスタット」と呼ばれる犯罪件数の追跡システムが導入されたが、導入後、罰則を回避するために犯罪を意図的に軽微なものにしたり、犯罪自体を過小報告するという不祥事が発生した。また、検挙率を上昇させるために、麻薬組織本体の摘発といった重大事項が後回しにされ、末端のバイヤーを取り締まるといった行為も見られた。


    4 ビジネスと金融
    「そうはいっても、能力給が適切な場はある。たとえばビジネス業界だ」と思う読者もいるかもしれない。
    ある社会学者は言った。「外的報酬は、内的報酬が比較的得られない作業員にとってしか、仕事の満足度を左右する重要な要素にはなりえない」。そして、ほとんどの民間企業の仕事が、そうした仕事に当てはまらない。

    注意すべきなのは、実績を数値化すること自体は問題ではないということだ。人を尺度に沿って評価するのは、別に聞違ってはいない。ただ、その尺度があまりに一面的で標準化できるからと言って、もっとも簡単で測定可能な数少ないアウトブットだけを測るようになると、そこに問題が生じるのだ。

    アメリカの製薬会社マイラインは、会社の利益が年16%成長したら経営陣に多額の報酬を与えるという枠組みを新たに策定した。その結果、同社はエピペン(エピネフリンを皮下注射できるペン型器具)の小売価格を、2本入り100ドルから608ドルに値上げした。この間株価は22ドルから73ドルまで高騰したが、世論からの批判と司法省による内部調査もあって、36ドルまで落ち込んだ。桁外れの利益だけを目指した経営陣の努力が、企業の評判を崩壊させたのだ。

    実績指標はたしかに役に立つだろうが、経営の主要な機能である先読み、判断、そして意思決定の代わりには到底なりえない。


    5 測定主義の罪一覧
    ・測定されるものに労力を割くことで、目標がずれる
    ・短期主義の促進
    ・従業員の時間にかかるコスト
    ・効用の逓減
    ・規則の滝
    ・運に報酬を与える
    ・リスクを取る勇気の阻害
    ・イノベーションの阻害
    ・協力と共通の目標の阻害
    ・仕事の劣化
    ・生産性のコスト

    最後に述べたいのは、組織や測定対象を実際に知ることのできる特効薬や、その代わりになる方策は存在しないということだ。重要なのはひとつには経験、もうひとつには定量化できない技術だ。重要な事柄の多くは、標準化された測定基準では解決できないくらいの判断力と解釈力が必要となる。最終的に大事なのは、どれかひとつの測定基準と判断の問題ではなく、判断のもととなる情報源としての測定基準だ。そのためには測定基準にどの程度の重みをもたせるのか、その特徴的なゆがみを認識できているか、そして測定できないものを評価できているかどうかわかっていることが重要となる。

  • 証拠ベースの政策決定。アカウンタビリティ(説明責任)。PDCAサイクル。それらのためにはまずは測定することが第一歩。ということで何でもかんでもまずは数値化という昨今。本書は、測る仕事ばかりが無意味に増えて頭にきた大学教授が専門外の文献を読んでまとめた論文の形になっている。測ること自体が問題だと批判しているわけではない。測ることが万能だと思うのが間違いである。数値化して可視化すれば何でも上手く行くわけではないのだ。測ろうとしている対象、例えば、学校の教師の能力だとか、会社組織のパフォーマンスなどのうち、実際に数値化できることはそのほんの一部分限られているし、測るのは数値化しやすい部分に限られるということ。測りやすいものだけ測って全てのように評価すると、測れない重要な事項が無視されることになる。欠点を認識せずに導入することは問題だし、測定に執着するのが間違いの元凶。測りすぎることのコスパも考えるべきだ。それらのことがもうずいぶん前から研究者によって明らかにされていることを、本書は教えてくれる。
    本書は言うなれば、”測りすぎ”の失敗学とも言えるだろう。こうすれば失敗するという分かり易い実例がたくさん紹介されているので、「さぁ測ろう!」という組織のトップには、本書を読んで過去の失敗例を学んでから測りはじめて欲しい。しかし、本書で紹介される失敗例をなぞるような「改革」が自分の所属する組織で進行していくのを知ると残念な限りかもしれない。
    本当に有意義で機能する「測定」システムは現場を担当する内部から改善運動のための起こる測定であって、測定される対象の人々が測定の価値を信じている場合のみだということを忘れてはいけない。最も失敗するのは、上からの「測定」を「報酬」と連動させる場合のようだ。特に、公的な仕事。公務員、警察、教師、医師、大学教授など、人々への貢献による精神的な内的報酬を重要視する分野では、数値化しやすい項目による実績評価を使った成果と給与とを結びつけることは、逆効果になることと結論付けられているらしい。うーん。

  • ■測定執着というパワーワード
    この本は、世の中のあらゆる組織にはびこる実績評価のための「数値測定」がもたらす弊害について、実例を用いて詳細に分析、解説された本です。
    組織を管理する有能マネージャー(自称)は、部下の売り上げ数、部下が出した不具合の数、部下の残業時間、部下の技能熟練度を数値化したスキルマップ、何でもかんでも測定して美しいグラフを作成して仕事をした気になってしまう、これを本書では「測定執着」と呼んでいます。
    なぜ、組織に、この「測定執着」から逃れられない有能マネージャー(自称)がこうも多く存在してしまうのか、その理由が実例を交えて解説されています。

    ■製品の不具合の数をカウントします
    「あなたの部署が開発した製品の不具合の数をカウントします、不具合が少ない部署には報酬を、多い部署には罰則を設けます、みんなで不具合を撲滅しましょう」
    例えばあなたの職場で、このような崇高な数値目標を掲げられた経験はないでしょうか?
    この時、不具合の数を測定する目的は、製品の品質を担保してエンドユーザーを満足させよう、というものであったりします。
    では実際のところ、この目標の元に働くあなたの職場では一体何が起こるでしょうか?
    不具合の数が増えないよう、不具合は隠され改ざんされ、あるいは不具合が露見しにくいような当たり障りのないテストだけが実施されるでしょう。
    そればかりか、不具合が出る可能性が高いチャレンジ志向の開発は避けられ、イノベーションあふれるクリエイティブな製品づくりへのモチベーションをあなたから見事に奪い去ってくれることでしょう。
    いつの間にか、品質の担保やエンドユーザーの満足度の向上といった当初の目標はどこかに追いやられ、半期ごとの不具合数が右肩下がりに見えるようなきれいな棒グラフをパワーポイントにおこすことが目標になってしまうことでしょう。よく言う目的と手段の入れ替わりというやつが発生してしまうわけです。

    ■有能マネージャー(自称)が「数値測定」が好きな理由
    筆者は、なぜ現代では、不具合数やセールス数や犯罪検挙数などの測定、いわゆる「数値測定」がここまで人気になったのか、という問いに対し、社会的信頼感の欠如がそうさせている、と答えています。
    これはつまり、エリートと呼ばれる管理者の立場の入れ替わりが激しい能力主義の現代において、自分の立場の維持に安心できない有能マネージャー(自称)が、「数字」という万人に公平に見える測定基準を利用して自分の立場の客観性を主張して信頼を勝ち取ろうとする動きであるというものです。
    そして筆者は、このような体制になってしまうと管理者は自身の裁量(これは目に見えない)で物事を判断することができなくなってしまう、と書いています。
    またこの時、測定に費やされる膨大なリソースは無視されるばかりか、簡単には測定できないけれど組織にとって本当に必要なアウトプットまでもが無視されてしまう、と述べられていました。

    ■測定値を能力評価に使うことの弊害
    本書では、測定値を能力評価に使うことの弊害について、数々の実例とともに紹介されています。
    例えば、アメリカで子どもの教育格差をなくす目的で政府主導で行われた教育改革の話。
    その改革の一部に「教師の能力評価による適切な報酬配分」というものがあり、それは「教師の能力を正しく数値評価し、いい教師にはいい報酬を出そう」といったものだったそうです。
    では、教師の能力をどうやって評価しよう?となったときに、当然校長の裁量で評価するわけにもいかず、客観性を可視化してくれる「数値測定」が必要、となり、結果、その教師が受け持つ生徒の定期テストの点数で評価する、となったそうです。
    すると何が起きたか?成績の悪い生徒を「障碍者」クラスに分類するような細工がされ、彼らの回答用紙は集計に加えられなかったそうです。教育格差をなくすという当初の目的は完全に忘れ去られています。

    ■医療業界での実績測定の成功例
    実績測定の欠点だけでなく、本書ではその成功例についても書かれています。
    それは、米国のガイシンガー・ヘルス・システムという電子医療記録システムで、患者の既往歴、治療計画、実績などすべてを電子記録し、その記録を患者当人だけでなく医者や看護師や薬剤師が共有することで統合チームによる治療を提供しようとするシステムです。
    このシステムにおける実績測定が成功した理由について本書には2つ書かれており、1つは、このシステムの目標を、患者が払う医療費の削減およびシステムが有効活用され場合の診療報酬が医療従事者へ支払われるという、患者と現場の医療従事者双方の実利に設定した点。もう1つは、このシステムにおいて何を測定するべきかという測定基準と、それをどのように測定すべきかという測定方法を、現場を知らない管理者ではなく、現場の医療従事者が直接主導して決定したという点です。
    この2つ目は実績測定を成功させるために特に重要で、現場にとって何が有効な測定データであるかを現場の人間が決めることで、実績測定についての現場の同意が得られるし、測定データが現場従事者の提供するサービスの向上に直接貢献できることになります。
    要するに、現場従事者が、自身が提供するサービスをより良くしようという自発的な動機で、実績測定を有効活用したから成功した、という訳です。

    ■自分たちの経験と見事にシンクロする
    本書では、先の教育現場で起きた「測定執着」の顛末のほかにも、警察、医療、軍隊、ビジネス、慈善事業など、さまざまなシーンで起こった実例をありありと紹介しており、読んでいくうちにそれらの事例は僕たち読者自身の職場や組織の中で起きていることと見事にシンクロしてみじめな気持ちにさせられます。
    しかしそれと同時に、自分たちが日ごろ心に抱えていた「数値測定」に対する違和感を見事に言い当ててくれていてすっきりした気持にもなれますので、ぜひ読んでみてください。
    逆に、数値評価を愛してやまない有能マネージャー(自称)にとっては目を背けたくなる本だと思いますので、そういった方は読まないことを推奨します。

    ■能力給は理にかなっているのか?
    最後に、「とは言え利益を得ることが目的であるビジネスの世界では、数値測定による能力給は理にかなっているのではないか?」という問いに対する筆者の考えについて紹介します。

    『たしかに、能力給がその約束を果たしてくれる場合はある。こなすべき仕事が反復的で非創造的であり、標準化された商品やサービスの生産または販売に関するものである場合、仕事内容に関して判断を求められる可能性が少ない場合、仕事に内在的満足があまりない場合、実績がチーム全体ではなくほぼ完全に個人の努力に基づいて測定できる場合、他者を手伝ったり励ましたり助言を与えたり指導を行ったりする行為が仕事の中で重要な位置を占めていない場合がそうだ。』

  • KPIの設定について議論すると、経営者の経営センスや部門運営者の運営センスが如実に表れるが、本書はその言語化が難しい「センスの善し悪し」を具体的事例を多数研究して「数値目標」という切り口から見事にあぶり出している。
    みんな一様に可視化、見える化、KPIと叫ぶが、現場感覚なくダッシュボードを眺めたり、偉そうに論評して、仕事をした気になっている人はいくらでもいる。それだけならまだしも、なんちゃって経営のために膨大な労力と時間を使って可視化に携わる人達がいるのが残念でならない。
    そもそも何を可視化するのか、何故可視化するのか、あなたやあなたの組織の目的はなんなのか?
    そんな当たり前の話が理解できない人に是非読ませたい一冊。
    ただ、原書からそうなのか、文章が回りくどい感じで、読む気が萎える所もあるのは残念としか言いようが無い。

  • パフォーマンス測定がしばしば不適切であり、効率化どころか弊害をもたらすことを、事例を挙げながら論じた本。
    著者はアメリカの歴史学教授。数値評価によって痛い目に遭わされがちな人文系研究者の恨み節のようでもある。

    経験や才能に基づく判断を標準化されたデータという指標に置き換えるべきである、その測定基準を公開することが説明責任(accountability)を果たす、測定基準に紐づく報酬や懲罰が組織に属する人への動機づけになる―以上の考え方への不適切な執着を「測定執着」とする。
    不適切な効果として、以下のようなものがある。
    ・上澄みすくい(クリーミング):測定目標の達成だけを目指すことで、高リスク事例が排除される。
    ・アウトプットの評価は難しいため、インプットやプロセス等簡単に測定できるものでしか評価されなくなる。
    ・プロフェッショナルとしての経験に基づく判断が軽視される。
    ・非営利組織のスタッフは必ずしも外的報酬だけでなく、使命感などの内的報酬でも行動している。測定実績に基づくインセンティブ制度が導入されることで、むしろスタッフの意欲を棄損する可能性がある。
    ・測定自体にかかるコスト。
    ・短期的な評価。

    豊富な事例で散々こきおろしているが、著者が否定するのは不適切な測定であって、測定自体を批判している訳ではない。たとえば軍の活動(治安維持)において、外来の野菜の市場価格が、地元住民にとっての平和と福利の指標になりうるという話(p134)。

    最後(p180)のチェックリスト。
    1.どういう種類の情報を測定しようと思っているのか?
    2.情報はどのくらい有益なのか?
    3.測定を増やすことはどれほど有益か?
    4.標準化された測定に依存しないことで生じるコストはどんなものか?実績についてほかの情報源があるか?
    5.測定はどのような目的のために使われるのか、言い換えるなら、その情報は誰に公開されるのか?
    6.測定実績を得る際にかかるコストは?
    7.組織のトップがなぜ実績測定を求めているのかきいてみる。
    8.実績の判定方法は誰が、どのようにして開発したのか?
    9.もっともすぐれた測定でさえ、汚職や目標のずれを生む恐れがあることを覚えておく。
    10.ときには、何が可能かの限界を認識することが、叡知の始まりとなる場合もある。

  • なんでもかんでも分析し管理したくなる。完璧を目指すうちに物足りなくなり、少しでも気になったポイントがあれば、あらゆるデータが欲しくなるし、あらゆる側面から管理したくなる。そうしているうちに、データと管理の沼に足を取られ、本質を見失っていく…

    データ分析は繊細な作業なので、没頭してしまうと、いつの間にか大局的な視点がすっかり抜け落ちた状態でずんずん歩みを進めていってしまう。
    だからこそ、本当に絶対に必要な大事なものは何かを考えることを、意識的に思い出すようにしなければならない。
    また、とりわけパフォーマンス評価(管理はセーフだが、管理し始めるとほぼ間違いなく組織はそれを評価に繋げたくなってしまうものだ)の元ネタに自己申告のデータを使うことは鬼門であることも忘れてはならない。
    自分を戒めたい。

  •  のべ5時間で読了。
    管理する側の「測定執着」は必ず改竄・不正を生む、という状況は誰しも感じた事のある状況だろう。
     本書は、教育・医療・警察そして軍などのケーススタディを絡めて、測定基準を能力評価として用いることの「予期せぬ弊害」を明らかにする。学者の訳本だが大変読みやすくオススメ。

  • 「測りすぎ」というタイトルの翻訳が秀逸すぎる。
    言わんとする事がある意味読まずともよく分かる(汗)

  • 『測りすぎ――なぜパフォーマンス評価は失敗するのか?』
    原題:The Tyranny of Metrics
    著者:Jerry Z. Muller(1954-)
    訳者:松本 裕

    測定そのものの目的化が、教育、医療、ビジネス、政府活動など様々な組織を破壊する事例をあげながら、経済学者がその原因と解決策を示す。

    四六判 タテ188mm×ヨコ128mm/224頁
    定価 (本体3,000円+税)
    ISBN 978-4-622-08793-9 C0033
    2019年4月26日発行

    “多くの人が漠然と感じているのは、業績評価が問題の本質を外れ、文脈を奪い、人間による判断の微妙さを軽視して、システムのメカニズムを知っている者だけの利益になっている、ということだ。本書は、この傾向がどこから来るのか、なぜこの傾向が非生産的なのか、なぜわれわれがそれを学ばないのか、をはっきりと説明している。…あらゆる管理職が読むべき本。”
    ティム・ハーフォード(エコノミスト。『まっとうな経済学』)

    「測定基準の改竄はあらゆる分野で起きている。警察で、小中学校や高等教育機関で、医療業界で、非営利組織で、もちろんビジネスでも。〔……〕世の中には、測定できるものがある。測定するに値するものもある。だが測定できるものが必ずしも測定に値するものだとは限らない。測定のコストは、そのメリットよりも大きくなるかもしれない。測定されるものは、実際に知りたいこととはなんの関係もないかもしれない。本当に注力するべきことから労力を奪ってしまうかもしれない。そして測定は、ゆがんだ知識を提供するかもしれない――確実に見えるが、実際には不正な知識を」 (はじめに)

    パフォーマンス測定への固執が機能不全に陥る原因と、数値測定の健全な使用方法を明示。巻末にはチェックリストを付す。
    https://www.msz.co.jp/book/detail/08793.html

    【目次】
    はじめに

    Part I 議論
    1 簡単な要旨
    2 繰り返す欠陥
    一番簡単に測定できるものしか測定しない/成果ではなくインプットを測定する/標準化によって情報の質を落とす/上澄みすくいによる改竄/基準を下げることで数字を改善する/データを抜いたり、ゆがめたりして数字を改善する/不正行為

    Part II 背景
    3 測定および能力給の成り立ち
    能力給の起源の一部/実績を測定する──テイラー主義/管理主義と測定
    4 なぜ測定基準がこれほど人気になったのか
    判断への不信感/専門職批判と選択の神聖化/コスト病/組織の複雑さの中でのリーダーシップ/その抗いがたい魅力
    5 プリンシパル、エージェント、動機づけ
    ニュー・パブリック・マネジメント/外的報酬と内的報酬
    6 哲学的批判
    合理主義者の幻想/科学主義/ケドゥリーによるサッチャー批判/説明責任の急速な前進

    Part III あらゆるものの誤測定?――ケーススタディ
    7 大学
    測定基準を引き上げる──誰もが大学へ行くべきだ/勝者の数を増やせば、勝利の価値が低くなる/低い基準と増える測定/大学の実績を測定しろというプレッシャー/ランキングの激しい競争/学術的生産性を測定する/ランキングの価値と限界/大学を格付けする──スコアカード/測定基準からのメッセージ──大学は金を稼げるようになるところだ
    8 学校
    問題と、解決策と言われるもの/意図せぬ影響/データを倍増させる/能力給/決してなくならない「学力格差」/格差解消への取り組みの代償
    9 医療
    コスト抑制への経済的後押し/アメリカの医療制度を格付けする/解決策としての測定基準/成功の三つの物語/これらの成功から導き出される結論は?/より大局的な視点──測定基準、能力給、ランキング、成績表/テストケース──再入院を減らす/バランスシート
    10 警察
    11 軍
    12 ビジネスと金融
    能力給がうまくいくときと、いかないとき/金融危機/短期主義/その他の機能不全
    13 慈善事業と対外援助
    変革的vs測定可能
    補説
    14 透明性が実績の敵になるとき――政治、外交、防諜、結婚
    親密さ/政治と政府/外交と諜報活動

    Part IV 結論
    15 意図せぬ、だが予測可能な悪影響
    測定されるものに労力を割くことで、目標がずれる/短期主義の促進/従業員の時間にかかるコスト/効用の逓減/規則の滝/運に報酬を与える/リスクを取る勇気の阻害/イノベーションの阻害/協力と共通の目標の阻害/仕事の劣化/生産性のコスト
    16 いつどうやって測定基準を用いるべきか――チェックリスト

    謝辞

    索引
    原注

  • 評価のための計測が結果的に教育のレベルを下げてしまったりといった、計測の悪い部分をかなり明瞭に説明した本。成功した医療の分野の話にも触れていてバランスも取れているが、一貫して計測を悪とみなす観点に貫かれている。

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