アウシュヴィッツ潜入記

  • みすず書房
4.24
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本棚登録 : 288
感想 : 24
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  • Amazon.co.jp ・本 (488ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622088301

作品紹介・あらすじ

1940年9月、ポーランドの情報将校ピレツキはワルシャワの路上で進んで逮捕され、アウシュヴィッツに送られた。彼は内部の実情を上司に流し、収容者の抵抗活動を組織する。しかし、熱望した連合軍による収容所襲撃は実らず、2年ほどで脱出した。これはその全容を語る報告書。1945年に書かれたものの、ポーランド語のタイプ原稿のまま眠っていた。アメリカで英訳・初出版されたのは2012年。類書と一線を画し、しかも強い意志に貫かれた文章は、文学的にも読ませる。

感想・レビュー・書評

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  • ナチスに自ら逮捕されることで捨て身のアウシュヴィッツ偵察を行ったポーランド人、ヴィトルト・ピレツキ大尉による報告書を編纂した一冊です。
    収容所内で死んで当然だろうという決死隊として乗り込むピレツキ大尉は相当な変わり者と言えますが、状況に臆することのない鉄の心が報告書と彼自身の生還という形で実を結びました。
    1945年のペウチンスキ将軍に宛てた報告書が原書であり、その後の英訳を邦訳したものが本書となります。
    ユダヤ人やジプシーやソ連軍捕虜に比べてポーランド人であることが生存に役立ってはいましたが、それでも死と隣り合わせの状況で観察し記録することを第一に日々を送っていました。
    2~3年をアウシュヴィッツ収容所で暮らし、逃げるなら今しかないという所で機転が利くピレツキ大尉には脱帽します。
    絶滅収容所の記録はドイツの戦況悪化に伴い大量処分されたため、貴重な生の記録の一つと言えるでしょう。

  • 生きて抜け出す自信は無い(キッパリ)

    アウシュヴィッツ潜入記:みすず書房
    https://www.msz.co.jp/book/detail/08830.html#more-a1

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      > りまのさん
      素晴らしい!
      > りまのさん
      素晴らしい!
      2020/07/28
    • りまのさん
      自転車を走らせて書店に本を探しに行ったのに、未売だった。未来屋書店の名がすたる!nyancomaruさんてば!
      自転車を走らせて書店に本を探しに行ったのに、未売だった。未来屋書店の名がすたる!nyancomaruさんてば!
      2020/07/28
    • 猫丸(nyancomaru)さん
      スミマセん、、、猫が読みたいと思う本を載せるために遣っているのでフライングが多いんです。
      スミマセん、、、猫が読みたいと思う本を載せるために遣っているのでフライングが多いんです。
      2020/07/28
  • 第二次大戦のさなか、ポーランド人将校として、自らアウシュビッツに潜入調査した人がいたという。その名をピレツキという。ピレツキはわざとドイツ軍につかまり、アウシュビッツへの潜入に成功する。アウシュビッツの創建まもないころから内部からアウシュビッツを観察した稀有な本となっている。
     アウシュビッツは最初は普通の刑務所で刑事犯が多数収納されていた。それが戦争が長引くにつれて政治犯(反ナチスドイツ勢力)がいれられるようになる。不健康なもの、インテリ、反抗的な囚人はさっさと殺される。著者が生き延びるには、重要な人物でなく、健康で、時にはドイツ人のために働くようなふりさえする。
    ただ生き延びるだけではなくアウシュビッツ内でレジスタンス勢力も築いていく。発覚しても芋づる式に連座しなくていいように五人組み単位で組織する。
     十分な注意を払ってはいるものの、病気になり、なんとか回復し、健康を害することがすくない部署にはいり、空からイギリス軍が武器を投下してくれればナチスを制圧できるのではないかと夢想する日々をおくる。
    そしてついに脱獄に成功し、戦後まで生き延びる。
    脱獄してからはポーランド軍も¥はアウシュビッツの囚人を助ける気が全くなかったことを知り愕然とする。そとからはまさかレジスタンス組織が組まれているとは想像もできなかったのであろう。
     ピレツキは戦後共産党政権に反対し、死刑になる。
    徹頭徹尾ポーランドのために戦った男の貴重な記録。
     日々の少しの注意、努力、未来を見据え毎日を生きることの大切さをこの本は教えてくれる。
     絶望しかないような状況で、本当によく頑張ったと思う。大した人物である。

  • 第二次大戦期、自らナチスに捕まり、アウシュビッツの内情の報告をしながら、収容されている収容者による抵抗組織を構築、ポーランドの地下組織に連合国軍に働きかけてパラシュート部隊によるアウシュビッツ攻撃と連動して抵抗組織によるアウシュビッツ解放を訴えかけていたポーランド国内軍騎兵
    ヴィトルト・ピレツキ。
    本書は彼がアウシュビッツから脱走したのちに地下組織に対して作成した報告書の英語訳を元にした翻訳本。
    ナチス・ドイツは収容所の様子を隠蔽していたために、その内情や、内部で亡くなった収容者たちがどういう状況に置かれているのかは中々外部には伝わっていなかった。
    ピレツキはこれを調べるために故意に逮捕され、収容所に入ったのだ。
    そこから2年余り、時にはSSによる粛清に脅かされたり、ある時にはチフスに罹って苦しんだりとまさに命を危険に晒しながら、信頼できる収容者を探し、抵抗分子として組織化を進めていく。
    ピレツキは外部からの軍の支援が有れば、内部の抵抗組織を率いてアウシュビッツ収容所の解放が、そして収容所の実態を早期に世界に知らしめることが可能であったと考えていたという。
    訳註などからはところどころ記述が実際と異なる部分もあるようだが、それより脱走後に報告書として書いたという本書の細部についての記憶力の凄さはそういう誤謬を埋めて余りある。

  • アウシュビッツに自ら進んで収容され、後に脱走したポーランド人士官の体験記。
    アウシュビッツの状況は非人道的、悲惨ではあるが、例えば「夜と霧」や、「アウシュビッツの巻物」で語られる状況より、随分ましである。収容時期(報告者がアウシュビッツにいたのは1940-1943)がかなり初期から、ドイツにとって戦況が非常に悪化するより前であること、収容所としても絶滅を目的とする第二収容所(ビルケナウ)に比べて労働力として期待するところがあること、彼がポーランド人であること、アウシュビッツに連れてこられた理由が集団検挙(つまり検挙の日に街中に偶々居ただけで、政治犯や同性愛者のように“悪”だった訳ではない)ということによるものと思われる。
    報告者も認めているように、収容所には、古参-新参、ドイツ人>ポーランド人>ロシア人>ユダヤ人・ロマの階層があり、階層が上であればそれだけ有利な労働につくことができ、食料事情も良く、死亡率も低かった。
    生活水準については、1943年ごろは、外の家族から収容者宛の小包が多数届いていたとか(p 295-)、ある時期から収容所棟内にバスルームがあった(p 246-)とか初見の話もあった。
    1940年収容所開設初期の直接的暴力から、1941年のソ連兵の収容と大量殺戮におけるガス使用の開始、1942年からのユダヤ人絶滅開始と、編年的に収容所の運営が変化していく様子は興味深い。
    彼は収容所内では恵まれた立場にいたと思うが、彼の体験が悲惨でなかったということはなく、収容所の中と外の違い、外の人の無理解に対する苦い気持ちが響く。

  • ノンフィクション物は読む度に驚かされますが、中でもこのピレツキ氏の生々しく力強い報告書には度肝を抜かれました。

    決して消えない情熱と熾烈な状況下にも関わらず、仲間への命をかけた思いやりに途中涙でページを捲る手が止まりました。

    ホロコーストに関心のある方は必読ではないでしょうか。

  •  寝坊したら射殺、列からはみ出たら射殺、何もなくても看守の機嫌が悪ければ射殺。幼い子どもたちが銃殺されて遺体が山積みにされたり、殴る蹴るの暴行で徐々になぶり殺されたり、女性たちが性的な人体実験を受けて痛みに苦しみ悶えながら死んでいったり、心を無にしないと辛すぎて読み進められなかった。書いてあることの全てが壮絶すぎて、同じ元収容者の記録でもこないだ読んだ『夜と霧』とは全くの別物。もはや何を感じて何を考えればいいのかわからなくなるほどただただ恐怖だった。

    ---

    p.381(訳者解説より)
     邦訳者の頭のなかでは、アウシュヴィッツという地名はホロコースト(ユダヤ人大虐殺)と分かちがたく結びついているが、本書はポーランド人士官の潜入報告なので、必ずしもホロコーストを中心に描いているわけではない。むしろ収容所の日常のなかで、ある日ユダヤ人収容者の「大量処分」が始まるというかたちで、どちらかといえば淡々と感情を抑えて書かれており、それがかえって恐ろしさを増す。ピレツキの報告書では、ホロコーストの前にソ連兵の大量処分が描かれており、そこから虐殺の連続線が続いていたことがわかる。

    ---

     まさに上記の通りで、わたしもアウシュヴィッツ=ホロコーストと思っていた。しかし実際には、アウシュヴィッツが設立されたのが1940年(この年の5月20日、ドイツ国防軍が接収したポーランド軍兵営の建物をSSが譲り受け開所。約30の施設から成る)、ユダヤ人の大虐殺が行われるようになったのは1942年に入ってからだという。

    【アウシュヴィッツの役割の変容】
    ①ポーランド人政治犯向けの強制収容所
    ②戦争捕虜となったソ連軍兵士を大量処刑する施設
    ③1942年から本格的に始まったナチス・ドイツによるユダヤ人問題の「最終解決」を暗示する場所
    ④③を実行する部隊

     平均して13,000〜16,000人、多いときで20,000人が収容され、③以降の時期は約90%がユダヤ人だった。1日に約8000人がガス室に送られ、収容者閉鎖までの死者の総数は200万人に上った(ピレツキの脱走後も収容所に留まってホロコーストを目の当たりにした仲間の中には、その総数を500万人と証言した者もいた)。

     ピレツキがアウシュヴィッツで3年あまりの日々を生き延びられたことも、脱走を成功させられたことも、強運としか言いようがない。SSや監視者の機嫌、他の被収容者の不手際による連帯責任、些細なケアレスミス、体調不良などの全てが一瞬にして命取りになる。本文中にも、本人が「なぜ成功したのかわからない」「なぜまだ生きているのかわからない」と述べている箇所がいくつもあった。文字通り死と隣り合わせの毎日。収容者内でピレツキと共に組織を構成した同志の多くが無慈悲に命を落とした。いくつもの偶然が重ならなければ、ピレツキ自身も死を免れられなかっただろうと思う。

     驚いたのは、被収容者たちがオーケストラの演奏をしたり、外部の家族から送られてきた金銭を貯蓄しておく個人の口座があって、その金で収容者内の売店で買い物ができたり、毎年クリスマスツリーの飾り付けをしたりと、蔓延する残虐性の合間に突如として平和ともいえる光景が出現することだった。そういう瞬間もあるのに、それが終わればまた容赦のない虐待が始まる。監視者側の極端すぎる二面性をどうしても理解することができない。

     潜入の当初の目的は、収容者の実態を外部(ロンドンのポーランド亡命政府)に流し、同国人の収容者仲間を密かに組織して武装隆起に備えることだった。使命のために来る日も来る日も飢餓と病魔と拷問に耐え続け、命懸けで情報を流し、細心の注意を払って秘密裏に組織を拡大し、決行の時をじっと待っていたのに、結局上層部の許可が降りず、武装隆起を断念して脱走するしかなかったピレツキ。その心情を思うと胸が締め付けられる。脱走後の彼は、ソ連の影響下になった祖国で反ソ地下抵抗運動に参加し、最終的に、一党独裁体制を強めた自国の共産主義政権に処刑されたという。生まれる時代が違っていれば、彼ほど強い精神力を持った人でなら世界のためにもっと明るい方面で活躍することができただろうに、残念でならない。いろいろな意味で悲しくて辛い気持ちになる本だったけれど、過去は変えられないし、人間はともすればここまで残虐になれる生き物なのだという史実は心に留めておかないといけないと思うから、読んで良かった。

  • 進んでSSに捕まりアウシュビッツの状況をポーランドに報告すると言う身を呈した情報戦

    3年近くナチが行う全てを見、様々な病気や蔓延する錯乱を乗り越えて
    ポーランド同胞との関わり方も興味深いもの。

    フェノールが足りないと生き返った

    これは衝撃だった…

  • アウシュビッツにわざと潜入したポーランド将校の報告書。

    40年から43年まで収容所で生きて、そして脱走して生還という物語は、ちょっとした冒険ストーリー。とてつもない悲惨なことが記載されているものの、その視点の冷静さと厳しい監視をぬけていろいろな活動を組織していくところは、他の体験記にはないところ。

    おそらくは、著者がユダヤ人ではなく、ワルシャワの街頭で逮捕されて、アウシュビッツにいれられたということで、他の体験録で記載されているものとは、かなり違う状況にあったのだと思う。

    彼の視点からみると、アウシュビッツの運営は、かなりの混乱、無秩序となっており、戦況が悪化するにしたがって、より混乱が高まっていくところがわかる。

    また、ユダヤ人の大量に送られてくるなかで、彼らの所有物から高価なもの、食料などが抜き取られ、それがピレツキなどの収容者には回ってきていて、食料事情は、むしろ改善しているなどの記述には驚いた。

    そして、最後の脱出のところは、ちょっと「大脱走」みたいな感じで楽しめた。

    その後、ポーランドは、ナチスの支配から解放されたのだが、ソ連の支配が強まり、それへの抵抗運動を行うが、逮捕されて処刑されることに。

    これだけポーランドのためにがんばっていて、アウシュビッツを生き延びたのに、結局、ポーランド政府に殺害される、なんとも言えない読後感が残る。

  • 人間の尊厳をも抹消するナチス・ドイツ強制収容所の実態を探る為、意図的にドイツ軍に投降、3年後に脱走し帰還したポーランド軍将校ヴィトルド・ピレツキ(1901-1948)が、アウシュビッツ強制収容所を暴いた驚愕の報告書(45年)です。占領下ワルシャワのポーランド国軍は、ピレツキの話に疑いをもち収容者救出の訴えを退けてしまいます。ワルシャワ蜂起で奮戦したピレシキは、再び捕虜収容所生活を強いられます。戦後、反共産主義者として秘密警察に拘束、拷問のすえ処刑されてしまいます。ポーランドの慟哭の歴史でもあります。

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著者プロフィール

1901-1948。ロシア帝国領カレリア地方のオロネツに生まれる。ポーランド軍騎兵隊少尉としてポーランド・ソビエト戦争に参加。第二次大戦勃発直後の1939年11月、ドイツ占領下の祖国で反独地下抵抗組織、ポーランド秘密軍(後のポーランド国内軍)の創設に参加。1940年9月、新設のアウシュヴィッツ強制収容所の実態を探るという組織の要請に応えてみずから逮捕・収監された。外部に情報を流すと同時に、連合国軍による収容所襲撃に備えて収容者の抵抗組織づくりを進める。しかし襲撃は実現せず、1943年に脱出。翌年、大尉としてワルシャワ蜂起に参加。1945年、イタリア駐留中にこの「アウシュヴィッツ報告書」を完成する。ポーランドがソ連の影響下に入ると、反ソ地下抵抗運動に参加するが、その後一党独裁体制を強めた自国の共産主義政権により拉致・拷問され、処刑される。

「2020年 『アウシュヴィッツ潜入記』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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