反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー

  • みすず書房 (2019年12月21日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (296ページ) / ISBN・EAN: 9784622088653

作品紹介・あらすじ

世界観を真に変革する、稀な書だ。
――A. サリヴァン(『ニューヨーク・マガジン』)

われわれの農業に偏った歴史観は、見直しを迫られるだろう。
――S. シャブロフスキー(『サイエンス』)

人類が文明と政治的秩序のために支払った大きな代償を、ずばり明らかにしている。
――W. シャイデル(『暴力と不平等の人類史』)


「ある感覚が要求してくる――わたしたちが定住し、穀物を栽培し、家畜を育てながら、現在国家とよんでいる新奇な制度によって支配される「臣民」となった経緯を知るために、深層史(ディープ・ヒストリー)を探れ、と…」
ティグリス=ユーフラテス川の流域に国家が生まれたのが、作物栽培と定住が始まってから4000年以上もあとだったのはなぜだろうか? 著者は「ホモ・サピエンスは待ちかねたように腰を落ち着けて永住し、数十万年におよぶ移動と周期的転居の生活を喜んで終わらせた」のではないと論じる。
キーワードは動植物、人間の〈飼い馴らし〉だ。それは「動植物の遺伝子構造と形態を変えてしまった。非常に人工的な環境が生まれ、そこにダーウィン的な選択圧が働いて、新しい適応が進んだ…人類もまた狭い空間への閉じこめによって、過密状態によって、身体活動や社会組織のパターンの変化によって、飼い馴らされてきた」
最初期の国家で非エリート層にのしかかった負担とは? 国家形成における穀物の役割とは? 農業国家による強制の手法と、その脆弱さとは? 考古学、人類学などの最新成果をもとに、壮大な仮説を提示する。

感想・レビュー・書評

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  • 【感想】
    農耕による定住生活が始まった理由は、狩猟採集生活から脱却し安定性を求めたため、と一般的には思われている。しかし、本書「反穀物の人類史」では、作物化・家畜化された穀物や動物と、農業国家の登場に4000年もの乖離があることに注目し、「定住生活はユートピアを目指しての選択ではない」と述べている。そこには自らを苦役に晒しても農業を始めなければならないほどの、やむを得ない理由があったのだ。

    そもそも、狩猟採集生活と定住生活では、前者のほうが格段に健康的である。最初の定住地であった湿地帯では、木の実、肉、魚と、利用できる資源が豊富にあった。一方で、穀物を中心とした生活は栄養が偏りがちになり、またその穀物も、疫病や干ばつによって収穫が不安定である。農耕のための重労働は人々の寿命を縮めるし、集団生活は病原菌も蔓延しやすい。本書では農耕・定住化の選択を「集団でこめかみにピストルを突きつけられたのでない限り、とても正気の沙汰とは思えない」と評しているほどだ。

    では何故理に合わない農業に進んでしまったのかというと、それは「気候変動」のせいであった。
    少なくとも紀元前3500~2500年の時期には海水レベルが急激に下がり、ユーフラテス川の水量が減少し、乾燥が進んだということがわかっている。これによって、湿地帯で得られていた栄養価の高い食物が激減し、残された人々は少しでも豊かな土地、すなわち河川沿岸に過集中することとなる。
    水資源が減少するということは、今までの農業のやり方も見直す必要があった。それまでは洪水による自然攪乱にまかせて種子をばらまけばよかったが、水の減少により灌漑事業を行う必要性が出てきた。灌漑事業は大規模なものとなるため、賦役、奴隷労働で掘削する網目状の運河システムが発達し、当然それを治める官吏も誕生する。これが国家と階級制度の萌芽となった。

    「国家システムによる支配」の原型を作ったのは農業だが、それを強めたのもまた、農業によってだった。それは収穫物である「穀物」が支配の道具としてこの上なく便利だったからだ。

    穀物は数えやすい、つまり「課税しやすい」。穀物は目視、分割、査定、貯蔵、運搬、そして「分配」ができる。加えて、ジャガイモや木の実と違って、穀物は「目の高さの地上で」「同時に」熟す。しかも一粒が小さく均一的であり、重量・体積を正確に測ることができる。ということは、収穫の季節になると、国家の徴税官はおおよその収穫量を判読でき、査定できる。
    こうした特徴があったからこそ、穀物は第一級の政治的作物になり、課税を通じて国のシステムを安定化させる要因を担ったのだ。
    ――――――――――――――――――――――――――
    以上は本書の一部抜粋である。
    本書は220ページ程度と非常にコンパクトだが、一行一行に情報がびっしりと詰まっており、読みごたえは抜群だ。
    ただ難点として、これでもかというぐらい微に入っているため、脱線や話の飛躍が結構多い。一応、①農業は人類が選択的に選んだわけでなく、ほかに選択肢がなかった→②気候変動と穀物が国の原型を生んだ→③国家の発展は病原菌や飢餓、戦争など、多くの場合で狩猟採集生活より悲惨な結果を生んだ という流れを押さえて置けば、迷子になることはないだろう。
    私たちは「農業の発達と国の発展」はニコイチとして当たり前に思っているが、それを改めるきっかけになるかもしれない一冊だった。
    ――――――――――――――――――――――――――

    【まとめ】
    0 まえがき
    国家形成にまつわる根本的な疑問は、わたしたちホモ・サピエンスがいったいどういう経緯でこんな暮らし方――作物化・家畜化された植物と動物、および人間による前例のない集住――をするようになったのかということだ。
    そして、この暮らし方は国家の特徴でもある。国家は、作物栽培と定住が始まってから4000年以上もあとにできた。こうした幅広い視点で考えると、国家という形態はどう見ても自然ではないし、既定のものでもない。


    1 農業の始まり=定住生活の始まりなのか?
    標準的な歴史は穀物の作物化を永続的な定住生活の基本的な前提条件としている。狩猟や採取には大きな移動と分散性が必要だから、定住など問題外だという推定が、今も広く支持されているのだ。
    しかし定住は、穀物や動物の作物化・家畜化よりはるかに古く、穀物栽培がほとんど行われない環境で継続することも多かった。
    同じく絶対的に明らかなこととして、作物化・家畜化された穀物や動物が、農業国家らしきものが登場するずっと前から存在していたことも分かっている。最新の証拠に基づけば、この二つの重要な「飼い馴らし」とそれを基礎とする最初の農耕経済との年代差は、4000年にもなると考えられているのだ。

    また、定住は乾燥地帯から発生したと支持されている。乾燥地帯で農業を行うには灌漑事業が必要で、それが国家形成を促進したと思われているが、実はこれも誤りである。
    最初の大規模な定住地は、むしろ湿地帯だった。生活のために依存したのは穀物にではなく、湿地の豊富な資源にであった。当時のメソポタミア南部は乾燥地帯などではなく、むしろ狩猟採集民の天国ともいうべき湿地帯だった。海面が今よりずっと高かったことと、ティグリス=ユーフラテス三角州が平坦だったおかげで、現在は乾燥している地域にまで大幅な「海進」が起こっていた。灌漑による大規模な穀物栽培などしなくても、ほぼ自生植物や海洋資源だけに依存していれば、かなりの人口は生じてくる。また農作物を育てるにも、自然の畝や土手の水位の高いところを破るだけで灌漑ができ、自然が準備した畑に種子が自動で広がっていくようになっていた。

    われわれが考えるべきは、なぜ旧石器時代の祖先が大急ぎで農耕に飛び込まなかったのかではなく、そもそもなぜ、わざわざ植物を植えたのかということになる。一般的な答えは、穀物は収穫したら穀物倉で何年も貯蔵ができるから(=生活の安定につながるから)というものだ。
    しかし、この説明は基本的なところで精査に耐えられない。これは暗に、植え付けた作物からの収穫が野生種の穀物から得られる実りより信頼できることを前提にしている。しかし事実はその反対に近い。そもそも野生の種子は、それが繁茂する場所でしか見つからないものだ。
    第二に、この視点は、植物を植え、世話をし、実を守るという、定住に伴う生業リスクを見過ごしている。歴史的に見て、狩猟民や採集民の生業の安全は、まさに彼らの移動性と、権利を主張できる食料資源の多様性にある。

    植物を植えはじめた初期では、狩猟採取と農耕のハイブリッドであったと考えるのが妥当だ。多様な湿地環境が提供してくれる複数の選択肢を利用し、いくつもの食料網にまたがる生業選択肢を有していたのだ。


    2 感染症
    ではなぜ人々は数千年をかけて、支配的な生活様式としての農業に進んでいったのか。固定された畑で農業や牧畜を営めば、そのための苦役は急激に増大するとわかっているのに、なぜ狩猟採集民はそんな選択をしたのだろう。集団でこめかみにピストルを突きつけられたのでない限り、とても正気の沙汰とは思えない。

    農業の導入をめぐる議論は様々存在し、それぞれ異論反論が飛び交う熱い分野となっている。メジャーなのは「ブロードスペクトラム革命」と呼ばれるもので、利用する資源のうち栄養価の高いものが減り、農耕に比重を移さなければ生きていけなくなった、とする理論だ。しかし、これもはっきりと真とは言えない。

    ここで明確に揺るがない事実が一つある。人口圧が高まっていたにも関わらず、人口が伸びなかったのである。
    紀元前1万年の世界人口は、ある慎重な推定で約400万だった。それから丸5000年が過ぎた紀元前5000年でも、わずかに増えて500万人だった。新石器革命の文明的達成である定住と農業が行われていたとはいえ、これでは人口爆発とはとてもいえない。人類の生業技術は進歩したように見えるのに、長期にわたって人口が停滞している。

    理由は「伝染病」だ。
    紀元前3000年代半ば以前の人間、家畜、作物の病気で、病原菌がどんな役割を果たしたかについては、証拠がほとんどないので、必然的に推測になってしまう。しかし文字記録が急増するのに合わせて、伝染病の証拠の割合は増えていく。作物栽培が大きく広がるよりずっと早く、定住と家畜の生育からだけでも群集状況は生まれていて、病原菌の理想的な「肥育場」となっていたのだ。
    また、定住と群衆による疾患をさらに悪化させたのが、急激な農業化による、必須栄養素の不足だった。加えて、作物そのものも単一化によって害虫や疫病の被害を受けやすくなっている。

    では、こんな状態でも何故新しい形態である「農耕生活」が生き残れたのか。それは、死んでもそれ以上に増えたからだ。狩猟採集民と比べて全般的に不健康で、幼児・母体の死亡率が高かったにもかかわらず、定住農民は前例がないほど繁殖率が高く、死亡率の高さを補って余りあるほどだったのだ。

    「こめかみのピストル」には二つの可能性が考えられる。すなわち、多くの狩猟採集民が選択によって、またはやむをえずに農業をするようになったか、あるいは、農耕にともなう病原菌が風土病になり、農民の致死率が下がっていたのに、彼らと接触した狩猟採集民にはまだ免疫がなかったために壊滅的な打撃を受けたか、だ。


    3 国家の形成と、支配の道具としての「穀物」
    国家が形成されたのは、沖積層に穀物とマンパワーを集中させ、それを支配、維持、拡大したからだ。
    沖積層に人々が寄り集まった要因の一つは、気候変動だ。ニッセンは、少なくとも紀元前3500~2500年の時期には海水レベルが急激に下がり、ユーフラテス川の水量が減少したことを示している。乾燥が進んだということは、河川が主流へと縮小し、残った水路の周辺に人びとが急速に集まったこと、それと同時に、水を奪われた地域の土壌塩類化によって、耕作可能地が急激に減少したことを意味している。こうしたプロセスのなかで、人びとは衝撃的なほど集中し、それによって「都市化」が進んだ。掘削した運河へのアクセスは死活問題となった。ウンマやラガシュといった都市国家は、耕作可能地やそこへ引いてくるための水をめぐって戦った。やがて、賦役や奴隷労働で掘削する網目状の運河システムが発達した。
    「乾燥」は、国家作りになくてはならないものとなり、代替となる採集や狩猟生活を消滅させたのだ。

    そして、国家の安定において大きな役割を果たしたのが「穀物」だ。いったいなぜか。
    それは、穀物が数えやすい、つまり「課税しやすい」ことにある。穀物は目視、分割、査定、貯蔵、運搬、そして「分配」ができる。穀物が「地上で」同時に熟することには、国家の徴税官が判読、査定できるという、計り知れない利点がある。こうした特徴があったからこそ、コムギ、オオムギ、コメ、トウモロコシ、およびヒエやアワなどの雑穀は第一級の政治的作物になったのだ。
    税の評価担当者はふつう土壌の質で畑をランク付けする。その土壌での具体的な穀物の平均収穫量がわかれば、それで税の見積もりが可能になる。年ごとの調整が必要なら、農地を測量して、収穫直前にサンプル部分の作物を刈り取れば、具体的な作物年度の推定収穫量が得られる。最終的に小さな粒になるため、経理上の目的で小さく分割すれば、重量・体積で正確に測ることができる。

    穀物は国家の形態を安定化されるための「支配の道具」として、このうえなく優秀だったのだ。


    4 初期国家の脆弱性
    ・病気
    →過度の定住、交易、戦争によって伝染病のまん延が加速し、大規模な定住地の多くが消滅する。
    ・環境破壊
    →伐採と過放牧によって森林破壊が進み、燃料不足、河川の氾濫、塩害が起こる。
    ・戦争
    →侵略と国防のためにマンパワー資源が浪費され、経済が不安定になる。


    5 野蛮人の黄金時代
    国家はほとんどが農業現象なので、いくつかの山間渓谷を除けば、どれも沖積層に浮かぶ島々のようなもので、一握りの大河が作る氾濫原に位置していた。強力にはなったかもしれないが、その支配が及ぶ範囲は生態学的に限られていて、権力基盤である労働力と穀物の密集を支えるだけの水がある、豊かな土壌だけだった。

    不毛な地域である後背地は、国家の中心地から見た「野蛮人」のテリトリーだった。「野蛮人」とは採集民、狩猟民、遊牧民である。そして、野蛮人による脅威こそが、国家の成長を制限する単一要因として、最も重要なものだった。

    国家は野蛮人にとって、略奪と貢納という面でおいしい場所だった。捕食者として国家が定住して穀物栽培する人びとを必要としたのとまったく同じように、定住人口が集中し、穀物、家畜、マンパワー、商品がそろっているところは、捕食者である野蛮人にとって格好の略奪の場となったのだ。ラクダ、ウマ、喫水が浅くて機敏に動けるボートなどが登場して捕食者の可動性が高まると、略奪の範囲と有効性は大きく拡大、増大した。

    しかし、国家の登場が野蛮人にもたらした最大の恩恵は、捕食の場としてよりも、交易拠点としてだった。
    国家の農業生態系は非常に幅が狭かったので、生き残るためには、沖積層外部からの多くの製品に依存しなければならなかった。国家と無国家民は自然な交易パートナーとなり、国家の人口と富が増えるにつれて、近隣の野蛮人との商品交換も増えていった。
    野蛮人が供給するものの大部分は、最も高価な部類の家畜――ウシ、ヒツジ、そしてなにより奴隷だった。見返りとして野蛮人が受け取ったのは、織物、穀物、鉄器・銅器、土器・陶器、職人が作る贅沢品などで、こちらも「国際」交易から得られたものが多かった。

    キーポイントは、国家というものは、いったん確立されてからは、臣民を取り込むだけでなく、吐き出していたという点にある。国家からの逃亡の原因は途方もなく多様だ。伝染病、凶作、洪水、土壌の塩類化、課税戦争、徴兵など、すべてが着実な漏出の理由になるし、ときには大量脱出のきっかけにもなる。逃走し近隣国家へ向かう者もいただろうが、多くは辺境へと逃れて別の生業形態を営んだだろう。彼らは事実上、意図して野蛮人になったのだ。こうした状況では、それは残念な後退や不足として見られるどころか、安全、栄養、社会秩序の大幅な改善だった。野蛮人になることは、多くの場合は運命を好転させるための選択だったのだ。

  • この本は完全に大学の教科書。
    読み進めていくのがかなりつらい(笑)。

    こうやっていろいろと学術書を読んでみると、読みやすく分かりやすい文章を書く学者さんとそうでない学者さんがいるのが面白い。

    この本はかなりの歴史的な知識を有していないと読みこなすのが難しい。

    本書で論じられるのは、農耕が始まったのは、狩猟採取生活よりも農耕生活の方が有利だからという理由ではなく、狩猟採取が上手くいかなくなり、仕方なく農耕を始めたという仮説を唱えているのだが、なかなか面白い。

    また、古代の戦争は、相手の土地や人々(奴隷として使うため)を獲得するための戦争だったということは、考えてみれば当たり前なのかもしれないが、今の現代人の感覚すると、ある意味新鮮である。

  • 今40歳前後から上の世代は、おそらく歴史の時間に、農耕により社会が豊かになり定住が開始されたというように習ったと思う。しかしこれは机上の空論で、実際には農耕の始まる遥か前から人類は定住をしていた。ここまでは考古学では数十年表も前からコンセンサスがとれており、特に真新しい指摘ではない。
    ただ、著者はそこからさらに思考を進める。定住から農耕革命までタイムラグがあるのは何故か。定住・栽培から国家の誕生まで4000年もタイムラグがあるのは何故なのか。そして、なぜ、人類は国家というシステムを維持するのか。キーワードは「飼い馴らし」である。
    疫病について多くのページが割かれるのは、このコロナ禍にあっては感慨深い。疫病は都市化がもたらしたものであり、それにより初期国家は何度も崩壊を繰り返した。
    わずか400年前まで、世界の1/3は狩猟採集民、遊牧民などが占めていたという。われわれが所属する国家とは何なのか考えさせられる。
    驚くべきは、著者は考古学者でもなければ人類学者でもない。政治学の泰斗である。御歳83歳。常に学び続ける姿勢を見習いたい。

  • 移動性狩猟採集民を野蛮人と定義し、国家を作ることになる定住農耕民との歴史的な対照と兼ね合いを綴った専門書です。
    獲得経済と生産経済について、初期段階では前者のほうが確実にお得であることを著者は提唱しています。
    国民として生きるよりも野蛮人として生きるほうが楽である“野蛮人の黄金時代”、人間らしさはどちらにあったのでしょうか。
    奴隷制という手段によって国家と人口を巨大化することで生産経済が伸びるわけですが、この時には既に人間自身の飼い慣らしが完了して自然な存在を逸脱しています。
    家畜と化した農耕民は数と道具(それと伝染病)によって野蛮人を同化・駆逐し増え続け、今に至ります。
    農作物や家畜とは人間の手入れがないと死ぬものですが、我々はそれらを食べずに自然へ帰れと言われたら戻れるでしょうか。
    副題のディープヒストリーは今後も続きそうですね。
    とても難い内容ですが、著者の軽快な筆致で読了できました。

  • 人類の「進歩」ってなんだろう?狩猟採集から定住農業への移行は進歩の象徴と教えられてきたし、ハラリもそう書いてきた。ただ、この本はその「物語」に疑問を呈し、新たな視点を提供する。農耕、定住、国家の誕生に関する一般的な見方に異を唱える、進歩史観、この本では「ホイッグ史観」という、に懐疑を示す挑戦的な歴史書だった。

    本書の核心的な主張は、農耕への移行は必ずしも人類にとって幸福な選択ではなかったという点。狩猟採集の生活は、多様な食料源と比較的少ない労働で成り立ち、病気への抵抗力も高かったとされる。実際、初期の農耕民の骨格研究から、狩猟採集民よりも背が低く、栄養状態が悪かったことが示唆されているそうだ。また、調理の技術は農耕以前から人類に広範な食料源をもたらし、デンプン質やタンパク質の消化効率を高め、毒性のある植物の摂取も可能にした。これは、人類が農耕に移行する以前から、豊かな食生活を送っていた可能性を示唆している。

    著者のジェームズ・スコットが指摘する面白い見方が、①国家の形成は作物、人間、家畜、そしてそれに付随する病原菌の集中による伝染病の蔓延、②灌漑農業による土壌の塩類化や収量低下、そして③森林破壊によるシルト堆積と洪水といった「3つの断層線」を生み出したという点。特に穀物(小麦や大麦)が国家の形成に不可欠だったのは、それらが「目視、分割、査定、貯蔵、運搬、分配」が容易であり、税の徴収や人口管理に最適な資源だったからという。米やイモ類では、このような効率的な管理は困難だった。徴税官や軍隊は、適切な時期に一括して収穫物を押収することができ、敵対勢力も作物を焼き払うことで容易に国家を弱体化させることができた。なるほど。

    初期の国家は、その大部分が文書記録を残さず、竹や木材といった朽ちやすい素材で建築されていたため、その実態はよくわからない。しかし、著者は国家による中央集権的な支配に抵抗し続けた「後者社会(非国家社会)」、つまり多様な共有的資源を基盤とし、中央からの管理や課税が困難だったコミュニティーが存在したことを強調する。これらの社会は、単一の資源に依存せず、極めて多様な生業を営んでいたため、中央による支配も容易ではない。

    国家の「崩壊」についても、著者は従来の定義に異を唱える。多くの王国は小さな定住地の集まりであり、崩壊とは元の構成要素に戻ることを意味する。一方向ではないのだ。それはむしろ抑圧的な社会秩序からの解放、つまり「祝福」であったとまで主張する。また、国家が外にいる人々を「野蛮人」と呼ぶこと自体が、国家側の視点であり、彼らこそが自由で豊かな生活を送っていた可能性を指摘する。

    スコットは、最初の国家が誕生してから、それが完全に優位に立つまでの期間を「野蛮人の黄金期」と呼ぶ。そして国家が存在する限りにおいては、多くの面で「野蛮人」である方が良いと主張。野蛮人は、国家の略奪や貢納から逃れるだけでなく、時には国家を征服して新たな支配階級となったり、傭兵として国家の辺境を守ったりもした。しかし、最後には、彼らが奴隷刈りや傭兵として国家の軍事力に組み込まれることで、自らの墓穴を掘ることになったともいう。そこは難しいところかな。

    また、著者は国家の誕生と拡大が、動植物の家畜化だけでなく、人間自体の飼い慣らし、「家畜化」をも意味すると論じる。強制的な再定住や労働への従事を通じて、人々は国家の管理下に置かれる「家畜」のような存在として扱われたという。奴隷制は国家の発展の中心にあり、学者による1800年までには世界人口の4分の3が束縛されて暮らしていたという研究も引用される。

    本書は農耕と国家が人類にもたらした負の側面を浮き彫りにしてくれる。かつハラリの『サピエンス全史』で描く「物語」も相対化する。当然と考えてきた「文明」のあり方について問い直す良い本だった。同じ著者の『ゾミア』も読みたい。

  • 面白い。
    大学の講義のまとめだが刮目した。
    国家の由来を新たに問う立場だった。

  • 知的刺激に満ちた本だった。「銃・病原菌・鉄」を読んで以来、農耕・牧畜民族が文明・国家を築き、狩猟・採集民族を駆逐したのが人類の歴史だと思い込んでいたが、全く違っていたことを認識させられた。動植物の家畜化・作物化(農耕・牧畜)→定住・人口増加→文明・国家出現と直線的に発展したと思っていたが、定住が家畜化・作物化に4千年も先んじていたこと、農耕・牧畜から初期国家出現まで6千年かかっていることに驚愕した。また、農耕民族>>>狩猟・採集民族で優越しているのではなく、農耕民族の被支配層(農民)は奴隷等の弱者で農耕民族の支配層と狩猟・採集民族の間で搾取・略奪という形態で結果的に農民の産み出した生産余剰とシェアしていたという事実には目から鱗が落ちる思いであった。

  • 1. 作物の病気と国家の崩壊
    - 作物の病気や伝染病が特定の国家に突然の崩壊をもたらした可能性がある。
    - 証拠を見つけることが難しいが、歴史的に重要な要因として考えられる。

    2. 都市化と農業の影響
    - 都市化と渠中の灌漑農業が生態系に与える影響が重要視される。
    - 森林破壊が進行し、河川流域において洪水が発生するリスクが高まる。
    - 土壌の塩類化や収穫の低下により、耕作可能地が放棄されるケースが見られる。

    3. 「崩壊」の概念
    - 「崩壊」という言葉の使用について疑問が呈され、文化的な達成も失われることを示唆。
    - 多くの王国は小規模な定住地の集合体であり、「崩壊」は元の構成要素に戻るプロセスと捉えられる。

    4. 定住と農業の関係
    - 定住生活は狩猟採集とは異なり、穀物栽培は新石器時代の革命よりも古いとされる。
    - 定住が農業発展を促す重要な要因であることが強調される。

    5. 作物化と家畜化
    - 穀物や動物の家畜化は、農業の発展において重要な役割を果たした。
    - この過程で人間の生活様式が大きく変化した。

    6. 群集感染症のリスク
    - 定住によって人間の密集が進むことで、感染症のリスクが高まる。
    - 歴史的に、感染症は都市や定住地の発展と関連している。

    7. 初期国家の脆弱性
    - 初期国家は、旱魃や洪水などの自然災害に対して脆弱であった。
    - 経済的な余剰を持たない国家は、外部からの脅威にも弱い。

    8. 社会階層の形成
    - 初期国家における社会的階層の形成は、奴隷制度や捕虜の利用によって進行した。
    - 社会秩序の維持には、奴隷や捕虜が重要な役割を果たしていた。

    9. 国家の消滅理由
    - 国家の消滅は、内戦や外敵の侵攻、自然災害など多岐にわたる要因による。
    - 歴史的な視点から、国家の崩壊は単なる偶発的な出来事ではなく、深い構造的な要因が絡んでいる。

    10. 農業と略奪
    - 略奪行為は、定住した国家の資源を狙う動きの一環として存在している。
    - 略奪者は、固定した国家の脆弱性をついて利益を得ることができる。

  • 国家の起源についての驚くべき本。

    石器時代の狩猟社会は人間にとって結構幸せな時代で、新石器時代で農耕が始まって人間は不幸になったという感じの話はときどき聞くわけだけど、この本はさらに議論を先に進めている。

    これまでの通説では、国家の起源は、農耕が進むにつれ、灌漑を行う必要がでてきて、自然発生的に国家が生まれてきたという感じであったと思うが、スコットは、最近のさまざまな研究を組み合わせながら、その理解を覆していく。

    国家をなんと定義するかによって、なにを起源とするのかは、いろいろな議論がありうると思うが、スコットは税(穀物や使役など)を徴収するということに国家の基本条件を求める。

    そうすると、国家が成立する以前に灌漑などは自然発生的に作られていたいうことになる。

    では、どこから国家はやってきたのか?

    著者は、まず農耕や牧畜にともなって、植物や動物の家畜化(domestication)がなされるというところに着目する。つまり、人間の都合のよい個体を選択していくことで、より人間の扱いやすいものに種が変異、進化していく。

    その家畜化の主体は、「人間」であるように見えるが、実は、人間自体も、家畜化された種との相互依存のプロセスで、自己家畜化が生じるという。

    自己家畜化がすすんだ人間のコミュニティに対して、内部から、あるいは外部から、これを支配しようとするエリート層がでてきて、徴税を行うようになるのが、国家の起源ということになる。つまり、ある種の寄生的な存在ということだ。

    なぜ、それが可能かというと、穀物という形である程度の期間保存できるかたちで富が生み出されて、かつ一斉の収穫時期がきまっているため、税を徴収してまわることができるから。

    この国家は、外部の敵から、コミュニティを守るという役割も担う。あるいは、外部の敵に対して、襲ってこないように貢物をする。つまり、国家も外部の敵も、みかじめ料を要求するヤクザみたいな存在なのだ。

    こうして、農耕の発達によって、人間は家畜化がすすんだり、ヤクザ的な存在によって、支配されたり、搾取されたりすることで幸福度は下がっていくのだ。

    だが、著者は、この狩猟社会から農耕社会への変化が、国家的なものに不可逆的に「進化」していくわけでないことを強調する。

    むしろ、「国家」は、安定したものではなく、しばしば短期間で崩壊する。が、「国家の崩壊」は、今日、わたしたちが想像するような悲劇的なことではなく、そこにいた人たちは解放されて、幸福度があがったりする。

    そして、「国家」が機能しているときも、「国家」の支配から抜け出す人々も常にいた。「国家」を囲む壁は、外部からの侵入者から守るためであるとともに、「国民」が外部に逃げないようにするためのものでもあったのだ。

    この分野の本はあまり読んでいないのだが、この議論はかなり説得力があるように思う。

    ある意味、フーコーが「監獄の誕生」などで行った議論とも類似したものを感じた。ただ、フーコーは、そうした「監視社会」は近代のものとしたのだが、スコットの議論にのると数千年前からの流れであるということになる。

    もう少しこの分野の本を読んでみようと思う。

  • 初期国家発生の要因とその目的に加え、AD1600年代までのメジャーな存在だった「不在のリヴァイアサン」(=遊牧国家含めた無国家民)と国家の並行進化について紹介した書籍。

  • 文明人とは生成途上の家畜である!
    と喝破した書。
    国家に穀物生産を強要され都市の城壁という畜舎で家畜化される人類と穀物生産を拒否し都市を脱走して辺境の野蛮人たるを選ぶ人々の抗争を活写。
    家畜化された穀物生産複合体の所有権を奪い合う初期国家のエリートと最強の野蛮人たる遊牧騎馬民族という闇の双生児の激烈な闘争と隠微な共謀の世界史を描く。
    最新の考古学と生物学と歴史学を総動員しヤンガードリアス期後の定住化から最初期国家の成立にいたる歴史の謎に挑んだ意欲作です。
    炭水化物抜きダイエットの副読本と違うからご注意を

  • 人類の歴史というと文明化の歴史と同意のように思えないだろうか。農耕を始め、牧畜を始め都市化し、技術革新を経て現在に至ると。しかし人類学の教えるところでは文明化する以前の歴史の方が圧倒的に長い。長さが問題なのではなく文明化される前は暗黒時代のような印象がないだろうか。
    この本の著者ジェームズスコットは人類が国家を成立する過程について研究している研究者である。
     メソポタミア文明の歴史をみると農業化から文明化(都市化)まで数千年もかかっている。またマレーシアの19世紀までの歴史をみると王国が勃興と滅亡を繰り返している。
     国家とは薔薇色なものではなく、国家に組み入れられない野蛮人と国家の営みと関係のない未開人と国家に組み入れられた国民に分けられるという。国家の成立には野蛮人の存在も必要で、野蛮人は国民のアンチテーゼだという。
     農業に喜んでとびついたわけではない。
     文明化すると、疾病は増え、死亡率も上がる。ただし出生率もあがる。
     文明化により、景観も家畜も、皆変わる。
     文字は国家の成立要件。(キープも含む)
    全体を通して勉強になることが多い本であったが、国家をディストピアとして描きすぎの感がある。著者は「国家は当然おこるべくしておこったこと」という常識を覆したくてそのような記述になったとおもわれるが、国家の境界にいる人を国家に組み入れるには「国民になると都合がいいよ、ただし税金は払ってね」という仕組みが大切であったと想像する。この本では力で民衆を囲い込んだのが国家という立場でそこま少し納得がいかなかった。

  • 一部で凄く話題になっていたので手にとってみた。これまで考えられていた人類史の基本的な考え方、つまり狩猟民族、遊牧民族がより安定した生活を求めて農耕と定住に移行した結果、国家が生まれて文明が発展してきた、という流れが本当に正しいのか、という疑問を呈している。つまり人類にとって狩猟や遊牧は野蛮で劣った状態であり時代の推移とともに農耕と定住を目指していくものだ、という考え方に疑問を呈した作品。例えば同じ時代の遺骨を比べると明らかに農耕民族の方が栄養が欠けていて体格も貧相だという。ダイエットの話ではないけれど定住し穀物を育て穀物を中心に食べる社会のほうが実は人間にとっては条件が悪く、環境の変化でやむなくそうしただけではないか、という説が提示されている。それではなぜ農耕民族の方がマジョリティを得ているのかというとそれは出生率の問題であると。同じ動物でも家畜化されたものは野生のそれに比べて発情の回数も多くより繁殖するらしい。なので農耕は人類が自らを家畜化してしまったプロセスであると。現代においては定住した農民達が発展して国家となり後世に残る遺跡をいくつか見ることができたり主に徴税のために文字や数字を持っていたために農耕民族は洗練された優れた人たちで狩猟民族や遊牧民族はそういうものを持たないために野蛮人と見なされているが本当にそうだったのか、中世など都市国家が衰退した時代を「暗黒」と呼んだりするがそれは本当に人類にとって不幸な時代だったのか、など言われてみると尤もと思える内容。万里の長城は遊牧民族を防ぐためではなく農民の逃亡を防ぐためだったという説も興味深い。作者が専門外ということもあって深い掘り下げは為されていないけれども今後こうした観点で従来の歴史観が覆される発見や学説がいろいろ出てくるのでは、と思わせれれた。非常に面白かった。

  • ●農業が定住を可能にし、国家形成につながったという定説に異議を唱えた本。
    ●ヒトは動植物を飼い馴らすことで国家を形成することができたが、自分自身も飼い馴らしたことで国家に縛られることとなったということか。

  • グレーバーから入って読んだが、既存の価値体系の転倒のエッセンスはかなりまとまっており読みやすかった。

  •  「飼い馴らし」には、違和感を感じるが、視点を変える気付きがあった。
     また、「野蛮人」が初期の国家に対する略奪者であることや、略奪者である点では「国家」と「野蛮人」が同じと看做せることも、初めて知る内容で興味深かった。
     昔、学んだ古代の四大文明の歴史では点の情報でしかなかったものが、先史時代からつながる歴史として、広く深く理解が進んでいることにわくわくした。

  • 文明や国家の成り立ちについて、穀物を作ることや奴隷文化などをもとにしながら論じている本。

    文献をもとにしながらも、筆者の意見や主張などが適切に表現されていて読み応えのある本。

  • 言われてみれば、、という視点から人類史を再検討した名作。文系学生は必読なのでは。

  • SJ4a

  • 本書の内容はこれまで一般的な歴史教育で教わった、農耕が始まることで出来た余裕で神官や貴族が生まれ国家が形成されたという常識を否定するものである。「サピエンス全史」でユヴァル・ノア・ハラリも似たようなことを言っているが、小麦や稲などの穀物を土台とする国家は、実は穀物に飼いならされているという主張。
    家畜やヒトが農耕社会が原因で得た進化の適性や国家と蛮族の関係性などの視点も面白かった。
    難を言えば話題があっちこっち行って結論がしっくりこない。というか結論がない。
    同じ作者の「ゾミア」は非定住民は未開ゆえに国家の支配を逃れる目的で穀物生産を行わないという選択をしているという筋が一本ある。まだ「ゾミア」読んでないけど。

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著者プロフィール

1959年生まれ。公立学校教員を経て翻訳家。訳書・共訳書に、ジェームズ・C・スコット『反穀物の人類史――国家誕生のディープヒストリー』(みすず書房、2019年)、マーカス・K・ブルネルマイヤー『レジリエントな社会――危機から立ち直る力』(日経BP日本経済新聞社、2022)、デイヴィッド・スタサヴェージ『民主主義の人類史――何が独裁と民主を分けるのか?』(みすず書房、2023年)などがある。

「2025年 『不平等・所得格差の経済学』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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